2024年03月19日

「あいんしゅたいん」でがんばろう 39

理科とSTEM 第7回

米国内政の特異さ

ヨーロッパ先進国と比べても、アメリカの教育制度は日本と大きくかけ離れている。これは独立以来そうなのであって、近年、次第に日本やヨーロッパの方に向って動き出したというところである。今後は連邦政府の教育への関与は強まると思う。
日本では、明治以来の完全な中央統治が次第に地方分権へなどと言ってるのとは逆方向である。教育と並んで日欧と違うものに警察制度もある。アメリカ犯罪ドラマには市警とFBIの絡み合いが時々登場するが、別組織なのである。要するに独立の経過から出来るだけ連邦政府の権限を小さくする制度で始まっている。これは移民の地域差、広大な国土、交通通信、などが持ち込んだ文化の多様さに原因がある。二十世紀はじめ頃迄はこれが必然的であったのだろう。
しかし現状では、「大草原の小さな家」の時代のような、コミュニティ毎に教育や治安は自治でいくというような牧歌的な制度には無理がある。特に近年、OECDとかの国際機関が教育の各国比較をやり出すと、アメリカの子供達の「劣等生」ぶりが明らかにされ、「だから経済戦争で日本に負けたんだ」みたいに連邦政府次元で問題にされ出したのである。
日本におると「日本こそひどい」となるが、海外から見ると、劣化しつつあるが、日本は羨ましい国であったのである。

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「あいんしゅたいん」でがんばろう 38

理科とSTEM 第6回

SからSTEMへ

現在、アメリカだけでなく何れの先進国でも、グローバル化の中で若年者雇用と経済活性化の課題が主要な政治問題になっており、そのための教育改革がいっせいに叫ばれている。そんな中でSTEM(science,technology,engineering,mathematics)という新語がアメリカの科学教育改革に登場した。他の先進国をみると、EUの科学教育改革では、SETや MSTという言葉が用いられている。また、英国ではMSという表記であったが、2006年のある報告書以後あたりから、アメリカと同じSTEMに統一されている。何処でも、教育を考える際はSでは十分表現できないとして、SからSTEMの表記に集約されつつある。

参考:例えば、米国の企業連合のSTEMへの取り組み http://www.changetheequation.org/
       英国のSTEM教育ネット http://www.stemnet.org.uk/

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「あいんしゅたいん」でがんばろう 37

理科とSTEM 第5回

「高木仁三郎」

原発事故で高木仁三郎氏の先見性に注目が集まっている。同世代だが、惜しくも2000年に逝去された。生前にオルタナティブ(alternative)科学、市民科学を掲げて「原子力資料情報室」を立ち上げた。彼には私は二、三度、会ったことがあったが、彼の組織活動は大事なことと考えて初期からミニマムのカンパもしている。

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「あいんしゅたいん」でがんばろう 36

理科とSTEM 第4回

理科の「目標」は二本柱

理科の指導要領の目標の背後には「科学的な自然観」と「日本人的な自然観」が混在していると、藤島氏がいう。ここで「日本人的な自然観」というのは第二次大戦前までの日本の農業社会に組み込まれていた自然観を指している。そして子供の家庭・社会体験や自然と関わる経験も大局的にはこの農業社会に根ざしていた。同氏は二つの自然観が「目標」に混在しているのはよいことであり、理科の核心だという。

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「あいんしゅたいん」でがんばろう 35

理科とSTEM 第3回

夏休みも終わったので、理科という教科の考察を再開する。語り古された課題だが、二つの新しい参照軸を持って来る。一つは現在のアメリカのSTEM、二つには「理科と科学は同じものか?」という問いかけである。

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「あいんしゅたいん」でがんばろう 34

理科とSTEM 第2回

スプートニクとSTEM

日本の理科との比較に入る前にSTEMの概説が要るであろうが、このブログの16回(2009年10月9日)で一度「アメリカのSTEM教育改革」という文章を書いているので見て頂きたい。また、この関心で最近の米国の教育や大学の世界に起こっている動きをこのブログの20回(2010年2月21日)と22回(2010年5月31日)に書いたので参考にしてほしい。

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