2017年03月29日

「あいんしゅたいん」でがんばろう 35

理科とSTEM 第3回

夏休みも終わったので、理科という教科の考察を再開する。語り古された課題だが、二つの新しい参照軸を持って来る。一つは現在のアメリカのSTEM、二つには「理科と科学は同じものか?」という問いかけである。

日本の理科

日本の学校教育関係者の一部にある二つ目の新しい参照軸を、今回は藤島弘純著「日本人はなぜ「科学」ではなく、「理科」を選んだのか」(築地書館2003年)に沿って紹介する。この参照軸については拙著「職業としての科学」(岩波新書)第六章で、別の視点で論じてもいる。

藤島氏は1933年生まれ、愛媛大教育学部卒で、高校教師を経て、鳥取大教育学部に勤められた人で、この本の著者紹介には「田畠の雑草の種分化についての生態遺伝学的研究のほかに、付属小学校の教師と共同で五感に働きかける理科授業や、生命の神秘を実感する社会人向けの理科講座などを実践」とある。

数多ある教育談義と違って藤島氏のユニークな点は文部省「指導要領」の文章に着目している事である。「指導要領」は歴史教科書や道徳教育で政治問題化したことがあるが、理科については教科内容の細かい入れ替え(教科書検定や入試問題範囲に直結)にのみ興味がいって、理科そのものの理念とかに目が向けられることはなかったと思う。それは作成側もそうであった様で、時間数と教科内容の分量を気にした入れ替え作業は几帳面にやって来た。理科の「目標」などは自明のこととして、等閑視されてきたといえる。それで半世紀も経つと、昔の面影を留める文面を今の感覚で読むことになり、何か「何か当たり前でないことを言っている」と感じさせる。敗戦直後の熱い平和への思いを書き込んだ憲法の文面が今読むと新鮮に思うようなものである。それは、こういう文面が現実での平均的発想の歴史的な変容振りを逆に描き出しているのである。

小学校理科指導要領の目標:二つの自然観と二つの科学

やや抽象的になったので話を、小学校理科指導要領の目標の文章に戻す。ここには次の6項目が並ぶ。(実は教育基本法の改正があった2008年の大改訂でこの文章は何十年振りに少し変わったが、後に見る様に本筋は変わらないので、ここでは藤島氏の論点をそのまま紹介する。)

1 自然に親しむ
2 観察・実験などを行う
3 問題解決の能力を育てる
4 自然を愛する心情を育てる
5 自然の事物・現象についての理解を図る
6 科学的な見方や考え方を養う

藤島氏はこの6項目を1と4のグループと残りの四項目に分け、前者を「日本人的な自然観」、後者を「科学的な自然観」とみなす。「日本人的な」の意味を暫らくおくとして、前者は確かに自然との一体感や自然愛護あるいわ曖昧な言い方だ最近のエコ的といった事に相当する。植物やウサギを育てたりするのは、すり潰して化学分析するためではないということである。後者は確かに「科学的」と括れるものであろう。

しかし筆者流に少し深読みすると、そこには狭義の自然科学に限定されない大きな理念が表明されている。狭義に解した自然科学とは5番目の項目で、その手段が2の項目である。3や6の項目は理系、文系に通じる一般的なものである。そして確かに、現行のヨーロッパ産自然科学がその制度的姿を表した19世紀当時、正に自然科学は5の意味だけでなく、3や6でも重要なのだと意気込んでいたのである。これについては拙著「職業としての科学」(岩波新書)で論じた。第二次世界大戦直後、猫も杓子も「これからは科学の時代だ」と言ったのは、一般的な3や6での期待も大きかったのだ。ここにも狭義の自然科学と「一般的な科学」の二つが混在している。

不変な指導要領目標と農業社会の崩壊という激動

指導要領という文書は、理念や使命感を語るよりは、もともと授業を構成する必要条件を具体的に示すものだ。その一方、古来から学問や教育は教育者の人格的な営みであってあれこれ縛るべきでないという教育聖職論があった。そういう観念がまだ一世を風靡していた時代には、それに枠をはめるという指導要領には強面のイメージがあった。だがそれは気概と能力を備えた教師集団が文部省と熱く対決した時代の話しである。社会の変容で教育すべき内容が自明でなくなり、教師集団の平均的質が現在の様に変わって来ると、理科や数字などでは、文部省というよりも社会が彼らに要求する授業の目標設定になってる様に思える。

こういう文書を先述の様に深読みするのは大袈裟に思えるかもしれない。藤島氏によれば、この文書による管理に責任を持つ役所もこの6項目に異質な二つの自然観が混在しているという自覚はないという。実際、2008年改訂で4項目の部分が無くなっている。確かに現在の理科の平均的発想だと違和感を感じて単純に修文したのだろうと思う。

藤島氏の論点は今から60年以上前の戦後の教育改革の時期に書いたこの文面に当時の社会流通する平均的な理科のイメージが保存されているというのである。精神や理念の大袈裟な表明ではなく、当時の常識的な、当たり障りのない、官僚文書である。それを、現在見ると新鮮に見える。それは社会の方が変貌したからである。その変貌とは日本の農業社会からの離脱であるというのが藤島氏の論点である。子供達や学校、そして日本の社会や国際的位置が根本的に変わった。60年前には当然とされていたが消滅し、新たな現実の中に子供も学校もある。

「日本人的な自然観」と「科学的な自然観」

この様に農業社会であった時代の日本の教育界は理科に二つの自然観の共存を目指す目標を掲げていたと言うのである。それは明治以来の文面を見ても、自覚的ではないが、二つの自然観の混同が見られるという。ここで「日本人的な自然観」と「科学的な自然観」は本当に違うのだろうかという新しい課題が登場する。現下の理科教育の課題はそんな遠大な問題でなく、生徒に動機を持たせたり、ロジカルシンキングの訓練をさせたり、実験で実感を持たせたり、社会を支えている実態を体験させたり、などなど、で手一杯であり、余計な事を言い出すなという雰囲気である事もわかる。だいたい、自然観と科学は別次元のもので、科学的に自然を見る知識までが科学で、その上で、個人の価値観に関わるのが自然観とか宗教観があるのだという考え方もある。その一方、原発事故の様な事態が起こると、科学技術に毒された自然観の結末という批判も飛び出し、エコ的な「日本人的な自然観」の教育を理科で強化すべきであるという主張も出てくるであろう。ともかく、科学の背後にある自然観や科学的手法の意味がぐらついている。

何れにせよ、たった二行ほどの指導要領の目標の官僚文書が全ての問題を引き出すのである。次回は理科からみた戦後日本社会の変貌を考えてみる。