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2012年05月19日
会長日記-佐藤文隆ブログ
「あいんしゅたいん」でがんばろう 42 印刷
作者: 佐藤文隆   
2012年 5月 09日(水曜日) 15:49

いよいよ日食

5月21日朝、久しぶりに日本で皆既日食が見られる。昨今、科学教育の業界はこれの盛り上げで必死である。日本中どこでも皆既が見られる訳ではないが、西日本は条件がよく、関西は南部の方がよく、東日本での皆既は海上になってしまう。日本領土での皆既日食は、私が小学生の頃にあった、礼文島日食以来という。敗戦後まだ3年弱の1948年5月9日で、東北では比較的大きく欠けたのか、学校でお祭り気分だったのをよく記憶している。まだ占領時代で、専門家の観測は米国主導でなされたという。米国から見れば占領地だから、それが国際的な学術的責務と考えたのであろう。そんな、時代もあったのである。

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「あいんしゅたいん」でがんばろう 41 印刷
作者: 佐藤文隆   
2012年 1月 23日(月曜日) 21:15

理科とSTEM 第9回
前衛・多様性・地域コミュニティ

学校教育が再び輝くには攻めの姿勢をもった社会の前衛であることが求められる、と前回書いた。学校教育の現状をもとに思考するなら、全く現実味のない奇想天外な反時代的な提言と受け取られるかもしれない。こうなったのは「輝いていた歴史的原因」を辿ってみたからであった。しかしそれは、多くの先進国で、その輝かしい歴史的な役目の終了を確認したのであって、未来に再び輝く前衛になるということを意味しているわけではない。新たな前衛の位置が設定できていないというよりは、もともと21世紀にもなって過去の亡霊のような「新たな前衛」などという発想自体が古くさいという反発もあろう。成熟社会では、誰かが先頭に立って指導していくなどという近代の前衛などというものは機能しないと。

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「あいんしゅたいん」でがんばろう 40 印刷
作者: 佐藤文隆   
2012年 1月 09日(月曜日) 21:07

理科とSTEM 第8回
時代の前衛としての学校

世を遮断する断絶論

子供に見せたくない汚い世の中から隔離して、のびのびすくすくと育つ環境を学校では保持すべきだと言われる時がある。純真無垢な子供はそういう環境で教育して、汚い世を生きる耐性をつけて賢くなってから世に出ればいいという教育方針である。学校は世の中からの避難所、アジールだというわけだ。

その一方、学校教育の目的は世の中で生きていく能力を身につけることだから、積極的に世の中の方を向いて世の動向から学ぶ姿勢が必要だという主張もある。しかし、その場合にも、「学習には段階的なコースが必要だから、気が散らないように世の中とは違う環境醸成が必要だ」という学校教育の手段論からの隔離論が説かれることもある。またそんな手段論からではなく「世の中は簡単に変えられないから大人になれば仕方ないが、子供の間だけでも、汚い世に出たら二度と触れられない人間の価値や理想や文化に触れさせる期間である」というように学校の理念と現実の世を対立的に捉えたうえで、学校教育は理想を説くものという理想論もある。

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「あいんしゅたいん」でがんばろう 39 印刷
作者: 佐藤文隆   
2011年 11月 05日(土曜日) 17:06

理科とSTEM 第7回

米国内政の特異さ

ヨーロッパ先進国と比べても、アメリカの教育制度は日本と大きくかけ離れている。これは独立以来そうなのであって、近年、次第に日本やヨーロッパの方に向って動き出したというところである。今後は連邦政府の教育への関与は強まると思う。
日本では、明治以来の完全な中央統治が次第に地方分権へなどと言ってるのとは逆方向である。教育と並んで日欧と違うものに警察制度もある。アメリカ犯罪ドラマには市警とFBIの絡み合いが時々登場するが、別組織なのである。要するに独立の経過から出来るだけ連邦政府の権限を小さくする制度で始まっている。これは移民の地域差、広大な国土、交通通信、などが持ち込んだ文化の多様さに原因がある。二十世紀はじめ頃迄はこれが必然的であったのだろう。
しかし現状では、「大草原の小さな家」の時代のような、コミュニティ毎に教育や治安は自治でいくというような牧歌的な制度には無理がある。特に近年、OECDとかの国際機関が教育の各国比較をやり出すと、アメリカの子供達の「劣等生」ぶりが明らかにされ、「だから経済戦争で日本に負けたんだ」みたいに連邦政府次元で問題にされ出したのである。
日本におると「日本こそひどい」となるが、海外から見ると、劣化しつつあるが、日本は羨ましい国であったのである。

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「あいんしゅたいん」でがんばろう 38 印刷
作者: 佐藤文隆   
2011年 10月 18日(火曜日) 12:31

理科とSTEM 第6回

SからSTEMへ

現在、アメリカだけでなく何れの先進国でも、グローバル化の中で若年者雇用と経済活性化の課題が主要な政治問題になっており、そのための教育改革がいっせいに叫ばれている。そんな中でSTEM(science,technology,engineering,mathematics)という新語がアメリカの科学教育改革に登場した。他の先進国をみると、EUの科学教育改革では、SETや MSTという言葉が用いられている。また、英国ではMSという表記であったが、2006年のある報告書以後あたりから、アメリカと同じSTEMに統一されている。何処でも、教育を考える際はSでは十分表現できないとして、SからSTEMの表記に集約されつつある。

参考:例えば、米国の企業連合のSTEMへの取り組み http://www.changetheequation.org/
       英国のSTEM教育ネット http://www.stemnet.org.uk/

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「あいんしゅたいん」でがんばろう 37 印刷
作者: 佐藤文隆   
2011年 9月 26日(月曜日) 21:54

理科とSTEM 第5回

「高木仁三郎」

原発事故で高木仁三郎氏の先見性に注目が集まっている。同世代だが、惜しくも2000年に逝去された。生前にオルタナティブ(alternative)科学、市民科学を掲げて「原子力資料情報室」を立ち上げた。彼には私は二、三度、会ったことがあったが、彼の組織活動は大事なことと考えて初期からミニマムのカンパもしている。

私は現在のアカデミアの科学にはシビリアンコントロールが要るとあちこちに書いて主張している。原発の様な科学技術だけでなく、基礎の科学界にもシビリアンコントロールが要るという意味である。近年はそれが説明責任とかいうかたちで制度的に掠めとられているとも言えるが、内実がなければ形骸化する恐れがある。「対抗する視点」の不在は必ず権威化、退廃、不遜、・・等に陥る。

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