2017年12月15日

「あいんしゅたいん」でがんばろう 45

四つの科学 その3 

連載の主題から逸れるが、6月20日発行で佐藤・高橋義人著「10代のための古典名句名言」岩波ジュニア新書という本が出た。湯川秀樹が色紙などに書いていた中国古典の名言などに興味を持っていたのが古い動機だが、京大在職時に知り合いになったドイツ文学者の高橋さんを誘って作った本である。二人は、専門も、好みも違うので、句の選択にはヴァラエティがでた。

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「あいんしゅたいん」でがんばろう 44

四つの科学 その2

四つの科学

科学の意味を広く捉えようという趣旨で「四つの科学」というダイアグラムを前回に提示した。四種類の科学があるというより、「基礎科学」、「科学技術」、「ワールビュー」、「社会インフラ」の四隅に囲まれる領域の中に科学があるという趣旨である。このブログに付けた図は前回の図を単純化したものである。図の左右は左が専門家の世界、右が一般人の世界であるが、今回は右側の部分を議論する。右側の精神的な「ワールビュー」と生活の実際を支える「社会インフラ」の中間部分の話である。

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「あいんしゅたいん」でがんばろう 43

四つの科学 その1

朝日新聞のオピニオン欄インタビュー

5月15日付の朝日新聞のオピニオンという欄に私のインタビューが掲載された。このブログにも最後に添付してあるのであるので中身はそちらをご覧頂きたい。相当な紙面をさいた内容だが、次の二つの見出しが前半と後半の内容は表している。「不安を募る社会で「わからなさ」魅力不健全な傾向心配」と「民主主義社会は科学的な考え方がなければもたない」である。
後半で「そもそもなぜ、学校で科学を教えるのか。僕は、科学には四つの姿があると思う」と言って、少しこの考えに触れている。この点は私の「あいんしゅたいん」のブログでかつて展開した「前衛としての学校教育」とも関係している。また私の昔から言ってるセリフである「ビッグバンで宇宙が始まったなどという知識は二束三文の値打ちもない。大事なのは、なぜそう考えられるかである」という意味での科学的思考の重要性を喚起したいのである。

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「あいんしゅたいん」でがんばろう 42

いよいよ日食

5月21日朝、久しぶりに日本で皆既日食が見られる。昨今、科学教育の業界はこれの盛り上げで必死である。日本中どこでも皆既が見られる訳ではないが、西日本は条件がよく、関西は南部の方がよく、東日本での皆既は海上になってしまう。日本領土での皆既日食は、私が小学生の頃にあった、礼文島日食以来という。敗戦後まだ3年弱の1948年5月9日で、東北では比較的大きく欠けたのか、学校でお祭り気分だったのをよく記憶している。まだ占領時代で、専門家の観測は米国主導でなされたという。米国から見れば占領地だから、それが国際的な学術的責務と考えたのであろう。そんな、時代もあったのである。

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「あいんしゅたいん」でがんばろう 41

理科とSTEM 第9回
前衛・多様性・地域コミュニティ

学校教育が再び輝くには攻めの姿勢をもった社会の前衛であることが求められる、と前回書いた。学校教育の現状をもとに思考するなら、全く現実味のない奇想天外な反時代的な提言と受け取られるかもしれない。こうなったのは「輝いていた歴史的原因」を辿ってみたからであった。しかしそれは、多くの先進国で、その輝かしい歴史的な役目の終了を確認したのであって、未来に再び輝く前衛になるということを意味しているわけではない。新たな前衛の位置が設定できていないというよりは、もともと21世紀にもなって過去の亡霊のような「新たな前衛」などという発想自体が古くさいという反発もあろう。成熟社会では、誰かが先頭に立って指導していくなどという近代の前衛などというものは機能しないと。

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「あいんしゅたいん」でがんばろう 40

理科とSTEM 第8回
時代の前衛としての学校

世を遮断する断絶論

子供に見せたくない汚い世の中から隔離して、のびのびすくすくと育つ環境を学校では保持すべきだと言われる時がある。純真無垢な子供はそういう環境で教育して、汚い世を生きる耐性をつけて賢くなってから世に出ればいいという教育方針である。学校は世の中からの避難所、アジールだというわけだ。

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