2017年10月20日

「巨大地震」その1

まさに想像を絶する広範囲な地震・津波の被害に接し言葉を失うというのが、正直な気持ちである。さまざま惨禍への対応に腹ただしさを感じることも一杯あるが、「じゃ、あんたやって」と言われれば何も出来ない身なのだから、いまは対応の当事者の任に組み込まれた人たちの最善の努力を応援して祈るのみである。
自然災害の後の社会的災害についても、日々、経験のない事態に襲われているのだから、「正解があるのにそれをやっていない」ということではなく「正解はないのである」。自然現象と社会生活の間に巨大なインフラが介在した日本のような高度な社会では、この「インフラ」は一方では効率性を追求しているから無限責任にはなっていないわけである。異常な自然現象に対応できる「インフラ」ではないのだから、一瞬、人間がむき出しにわが身も含む自然に対応させられるが、当面は生命から始めってさまざまな「インフラ」が現場の人々の努力で回復されることを願うのみである。

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「あいんしゅたいん」でがんばろう 26

クニマス速報展示会見学記

1月23日の日曜日、京大総合博物館に行く用事があって午前中にエントランスホールにおったら、「70年ぶりのクニマス生存確認」で最近大きな話題を提供している中坊徹次教授にばったり会った。今から五年ほど前になるが、湯川・朝永生誕百年記念巡回展をするためのパネル・展示ボックス・展示場工作など仕事の契約・発注は博物館を通じてなされることになった。当時、中坊さんは博物館の館長であったが、彼は業者との交渉には出てきていろいろ一緒に仕事をしてくれた。展示会の経験が豊富な様で、彼のアドバイスは資金を有効に使うために役立った。最近よくテレビでお顔を拝見していたの、懐かしく思い出していた矢先だった。

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「あいんしゅたいん」でがんばろう 25

理科とSTEMは同じか?

去る11月27日、基礎物理研究所を会場にした科学教育のシンポジュームで、私は「日本の学校教育での理科教育の理念はいわゆる欧米流のサイエンスとは違うのではないか?」という発言をした。この疑念は、ある会社の高校教科書の編者をやるなど指導要領や理科教員団体の書きものに十数年ほど接してきて、私のなかに芽生えてきたものである。拙著「職業としての科学」(岩波新書)でも簡単にふれたが、その後、藤島弘純「日本人はなぜ「科学」でなく「理科」を選んだのか」(築地書館、2003)という本に出会い、「ああ、やっぱりそうか!」と合点がいった。

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「あいんしゅたいん」でがんばろう 24

京都STSフォーラム「おこぼれ」

あまり一般の科学者には知られていないが、毎年、十月の初めに、STSフォーラムというのが宝ヶ池の京都国際会議場で開かれている。今年はもう七回目のようである。ダボス会議の科学技術版という触れ込みで、かたちの上では主催はこの会議専用の団体だが、実質は総合科学技術会議や内閣府の肝いりでやっているのだと思う。多分、高額の会費制なのだろう。海外から各国の企業やアカデミーの幹部や科学技術政策担当者が集る。科学技術担当大臣の所管だが、多くの場合は首相もやって来て挨拶をしている様だ。今年は海江田大臣だけのようだが。

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「あいんしゅたいん」でがんばろう 23

近刊予定の二著

だいぶブログが途切れてしまったが、この間、甲南大学の須佐君と共著の物理の教科書の細かい最後の直しなどで時間がくわれていた。
数式のある教科書、しかも量子力学以外は、全部書いてあるとすると、数式の番号チェックだけでも大変でした。宣伝しておくと佐藤文隆・須佐元共著「一般物理学:一歩先に進みたい人へ」裳華房である。8月末に出ますが、「売れないと目された」ようで税込3990円と高め。剛体や弾性体を含めた、最近あまり見ない、「古くさい」古典物理の題材を多く盛り込んだ。

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「あいんしゅたいん」でがんばろう 22

Science for the masses

この表題は前回同様にNATURE(2010年5月27日号)のある記事の表題である。世界中、基礎科学の政府補助金fundingはどこもかしこも大揺れである。この記事はアメリカのNSFへの科研費応募に必ずthe masses(専門より広い範囲、大衆とか)へのインパクトを明示しなければならなくなり、ここに応募する一般の基礎科学の研究者を当惑させているという。

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