2017年05月27日

「あいんしゅたいん」でがんばろう 34

理科とSTEM 第2回

スプートニクとSTEM

日本の理科との比較に入る前にSTEMの概説が要るであろうが、このブログの16回(2009年10月9日)で一度「アメリカのSTEM教育改革」という文章を書いているので見て頂きたい。また、この関心で最近の米国の教育や大学の世界に起こっている動きをこのブログの20回(2010年2月21日)と22回(2010年5月31日)に書いたので参考にしてほしい。

今年2011年のオバマ大統領の年頭教書は、1957年のスプートニク衝撃をテコに国民が一体となって国力増強に励んだ歴史にふれた。何故今頃スプートニクかと訝るかもしれないが、話しの流れは「スプートニクとSTEM」なのである。ショー的な要素がある年頭教書の今年のあの会場にはSTEM教育での模範的な小中高の生徒を招待していて、彼らがオバマ夫人と一緒に並んでオバマ演説を聴くという演出をしている。演説の重要なポイントは教育改革であり、十万人のSTEM教諭の増員にふれた。

16回のブログにSTEM教育を進める政府の委員会のレポートの冊子表紙写真を載せたが、そこには子供たちが学ぶ様子とともにスプートニクがあしらわれている。かつてのスプートニク・ショックを跳ね返した活力に満ちたアメリカン・ドリームの再来が期待されているのである。

米国の理科離れ

STEMという言葉が登場するのは2005年頃からだが、1900年代から、論議は始まっていた。PISAによる教育の国際比較などで米国は二十数位を低迷するような状況を憂える声が大きくなり、それは高等教育にも徐々に影響して、博士号取得者の構成で理系の米国人が減少した。日本と違って、米国では文系の博士号のほうが理系よりも多いのである。2003年でSTEM系1.6万対文系3.0万。さらにSTEM系の半数が米国人でないのである。日本より一歩先に、理科離れが深刻化していた。

そこで行政や議会が一緒になって理科離れの対策論議が始まった。その時の掛け声が、1957年、人工衛星でソ連に先を越されて米ソ冷戦の威信競争で大いに傷ついて国民一丸となってそれを跳ね返した人材教育の成功例を蘇らすことだった。この科学教育テコ入れの初めの方の名称はscience and mathematicsであり、日本流だと理工系のニュアンスであったが、2005年頃からSTEMが使われるようになっている。

これは教育法の改善運動というよりは「21世紀の国際マーケットで、米国の指導性を維持して、国民の繁栄を図る国策」である。その意味では、1997年から始まった日本の科学技術創造立国と似た国家目標だが、日本の場合は「研究現場への投資が主導」で、その人材養成として学校教育の「理科のテコ入れ」は副次的な政策である。初等中等教育改革であるSTEMを進めていけば、プロのSTEM集団も増強され世界をリードする国家にもう一度なれる、という遠大なスタンスである。日本の既成の分野の中から「重点分野」を選んで投資するのとは大きな差である。

既存の科学界からSTEMコミュニテイへ

ここからは、筆者の深堀りの考察であるが、STEM論議で盛んに登場するイノベーションという理系文系融合した社会の改善策であり、そこには既成の分野ごとの研究者の価値観をのり越えたものを要求されている。新しいSTEM世代が次代のSTEMコミュニテイを構築していく。そしてそこには意識改革された人材によるSTEMコミュニテイが出来ていく、こういう目標である。あからさまに言うと、現在の科学界の意識改革を人間の入れ替わりで行っていこうというものである。

だから、確かにSTEMは学校教育の目標として登場した言葉だが、それは未来の科学界の改革案でもあるのである。改革を進める社会的な不満は教育界に対してだけでなく科学界にも向けられているのである。その意味では、サイエンス界全体の将来を見据えた米国社会の政策でもあるのである。それが、日本のように既成研究分野へのテコ入れ政策とは趣を異にするものである。

言葉的詮索

ネット検索をかけたら、なんと今や、日本にもSTEMを冠した組織が登場してるのに気付いた。埼玉大学STEM教育研究センターである。「サイエンス」、「理工」、「ハイテク」、「イノベーション」、「先端」、「総合」、「スーパー」、・・・・などと、ひとわたり関連用語を消費した後では、確かにSTEMという括りは新鮮であり、日本でも流行るかもしれない。

STEMとなる前から数学がサイエンスと別扱いというのは、日本では意外ともいえるが、現代のビジネス界は数理で動いていることを考えると、数学は自然のサイエンスには組み込まれていないという観念が米国では強いのだと思う。英国で統計学というのは数学の一分野といったマイナーなものでなく、政治経済のど真ん中におる。数学=純粋数学というのはドイツ流である。

STEMの次の違和感はテクノロジーとエンジニアの二つが別物として登場してることだ。科学教育に応用の科学も登場するのは分かるが、それは科学技術=テクノロジーでいいじゃない、と思う。日本の工学部の英語はエンジニアであるが、1960年代以後の工学部は「エンジニアをやっておらず、テクノロジーばかりやっている」という批判を聞いたことがあった。ひと時代前の工学部の近代化で、産業に密着してない、それこそ理学部での研究と大差ない様になっていた。大大学では基礎研究の方が評価されたのである。別の言い方をすれば基礎―応用という軸でのみ考え、イノベーションがなかったのである。これはバイオ関係のエンジニアにもいえる。

SとTとEとMの相互関係については、日本の理科についてみた後でもう一度戻って本格的に議論します。次回は理科についてみていきます。

次回に続く