2017年06月23日

「あいんしゅたいん」でがんばろう 43

四つの科学 その1

朝日新聞のオピニオン欄インタビュー

5月15日付の朝日新聞のオピニオンという欄に私のインタビューが掲載された。このブログにも最後に添付してあるのであるので中身はそちらをご覧頂きたい。相当な紙面をさいた内容だが、次の二つの見出しが前半と後半の内容は表している。「不安を募る社会で「わからなさ」魅力不健全な傾向心配」と「民主主義社会は科学的な考え方がなければもたない」である。
後半で「そもそもなぜ、学校で科学を教えるのか。僕は、科学には四つの姿があると思う」と言って、少しこの考えに触れている。この点は私の「あいんしゅたいん」のブログでかつて展開した「前衛としての学校教育」とも関係している。また私の昔から言ってるセリフである「ビッグバンで宇宙が始まったなどという知識は二束三文の値打ちもない。大事なのは、なぜそう考えられるかである」という意味での科学的思考の重要性を喚起したいのである。

四つの科学

ここに登場した「科学の四つの姿」というものについてこのブログで説明したいと思う。私が科学の四つの姿、四つの科学というときは図のようなダイヤグラムを頭に描いて話している。これは科学という営みが社会と関わる姿を上下、左右の二つの軸で分類したものである。左右の軸は左側に行くほど専門的、専業的、職業的な営みであり、右側に行くほど一般人の生存、生活、文化の中に入り込んでいる営みである。これは職業での分類でなく科学と関わる特性による分類である。上下の軸は下側に行くほど物質的、実際的、実践的な行為に関わるものを指していり、上側に行くほどそれから離れた世界観、自然観、精神的な営みに関係するもの表している。
この二つの軸で分類した平面上に科学にまつわる色々な営みを配置して考えるわけである。四つの隅に位置する典型的な名前を記した。これらの四つは極端なもので現実にはこれらの中間のものが間に分布している。「四つの」という表現で表しているのは科学を大きなスパンをとって広く捉えるのが眼目であり、四つから成り立っているという意味ではない。純粋科学、科学技術、ワールドビュー、社会インフラの四つの境界に囲まれた領域内に科学が分布するという意味である。
左上から左下へには「 純粋科学、基礎科学、医学、農学、環境、安全、開発研究、エンジニアリング」等の言葉が並ぶし、 右上から右下へ「哲学・宗教、自然観、趣味、学校教育、自己啓発、心身健康、医療、衣食住、通信、エネルギー、交通運輸、金融、行政司法、社会インフラ」などという、言葉が並ぶ。ここでの社会インフラは現代生活を支えている衣食住、交通通信、医療、金融、行政、司法などを含む機器や仕組を指している。
これは少し誤ったイメージだが、定番イメージは、左上の純粋科学での発見が、左下に進んで科学技術となり、右下の医療・技術・行政などの社会インフラとして人々の生活の中に現れるという見方が広く普及している。また純粋科学はこういう間接的な社会との接続だけでなくワールドビューを直接に社会に提供する独自のものだという主張もある。

(次回に続く)

<図 科学の4つの姿>