トリチウム水を海洋放出した場合の生物影響に関する根拠論文の検討 ~ 科学的視点から分かること ~
序文
1.はじめに
私たちが、放射線の影響について、議論を始めたのは、3・11以後です。科学者にとっても市民にとっても、この事件はたくさんの問題を投げかけました。なかでも、もっとも深刻だと感じたのは、世論が放射線の生体影響について真っ二つに割れたことでした。勿論、どんな災害時にも、いろいろな世論が飛び交うのが常ですが、少なくともこれほど意見が割れてしまうことは今までありませんでした。
▼ あいんしゅたいんと理事長(坂東昌子)のこと
先入観や価値観にとらわれないで、みんなが疑問に思っている問題をしっかり「どこまでわかっているか、どこがわかっていないか」ということを見極めて判断することが大切だと思う気持ちが強くなりました。そしてそれは、これまでの専門家と協力しつつも、新鮮な目で分野の異なる科学者も、そして市民も同等な形で疑問を出し合い、そして一緒に考え、今までの規則や定説に惑わされず、しっかり見直すことが大切だと思うようになりました。しかもそれは、絶対に必要な条件として、市民と共に考え議論することが必要だと思っていました。
▼ 異なった分野の科学者を繋ぐ「のり」の役目を果たす市民
2.〜EBR(Evidence Based Radiobiology)
「CAS放射線ネット」を立ち上げたのは、もう4年前になります。「市民と科学者を結ぶ放射線コミュニケーションのネットワーク構築」が科学技術振興財団(JST)の科学コミュニケーション推進事業”ネットワーク形成型”に採択されたことに基づいて「科学的事実情報発信ができる」科学者集団を作ろうという目標から始められたものでした。
JSTのサポートは2019年3月で終了しましたが、「科学的真実に基づいた情報発信EBR(Evidence Based Radiobiology)の視点を加え、主体はメール上での議論とはなりますが、引き続き取り組んでいこうとしています。
▼ CAS放射線ネットの活動
3.トリチウム水問題を取り上げたきっかけ
こうして始まったメール上での議論はどんどん、仲間が増えてきました。
ここで、1つお礼を申し上げておかねばなりません。こうした中で、たくさんの問題提起をしていただいたのは、福島県二本松市在住の田口茂さんでした。そしてトリチウム水の問題も田口さんが口火を切って議論が始まったのです。
事故直後の講演会では、「原発に賛成なのか反対なのかまずは、そこを明らかにしてほしい」という声があったことがあります。私はその時司会をしていたのですが、「賛成・反対はひとまず脇に置いて、ちゃんと事実を確かめましょう。科学的にどこまでわかっているかを確かめることがここの目的です。」と言いました。おそらく、福島から逃避して来られた方には、原発が憎い、原発なんてまっぴらだ、という強い思いがあったには違いないのですが、物事を混同したまま議論を進めると、真実の姿を見られなくなると思ったからです。
トリチウム水問題は、2019年3月以降メールで議論しましたが、「ちゃんと事実を確かめる」ことに集中しました。率直で熱心な、しかも専門の中身まで質問してくださる市民の方、その質問に、専門的な知識を生かして答えてくれる科学者はもちろん、専門外のことも調べて答えてくださった科学者、宇宙線から自然環境中に生成されるトリチウムのシミュレーションをやり遂げてくださった水野さん、時には、田口さんの地元の社会情勢、そして国や行政の不実や不信感を嘆く言葉に、心情をわかりつつ、ここではそれをいったん脇に置いて事実をつかむことを考えましょうと書いてくださる市民の方もありました。
4.トリチウム水問題とは
最初は、いろいろな問題提起がいろいろな面から出てきました。こうしていろいろなコメントが出てくる中で、結局何が課題かの整理がつき始めました。メールでの議論が飛び交う中、次第に論点が見えてきました。専門の異なる皆さんからのご意見は次のような形に集約することができたと思います。
論点整理
1)トリチウムが地球上でどれくらい存在し、また新しく生成されているか 2)生成されたトリチウムがどのように拡散するか(人工的なものも含めて) 3)生物にどの程度取り込まれるか 4)どれくらい摂取したら,人に影響があるか
|
今回、論点の1)の一部と3)について、ようやくまとめを作成することができました。1)については、水野義之氏の「自然環境中のトリチウム生成のシミュレーションとその評価」を、参考論文として引用しました。
5.まとめを公表するにあたって
トリチウムの海洋放出についての賛成・反対はひとまず脇に置いて、ちゃんと事実を確かめ、科学的にわかっていることをまとめて公表し、更なる議論をする為のたたき台とするのが目的です。
「トリチウムを取り込ませた化合物が研究のために工業生産されている」ということは、多くの方に知られていなかった事実であると思います。
まとめを公表するにあたって、二本松の静かなたたずまい、そしてのどかで豊かな風景が残る二本松を訪れて市民と意見交換する中で、このような形で被害を受けた人々の悲しみと怒りを肌に感じ、国や行政への不信を多く耳にしました。
「処理水」といいつつ、トリチウム以外の放射性物質がどれくらい含まれているのかが明確に示されていないのは、不信を招きます。安全な範囲だとしても、これだけの不信感が広まっている中、国は説明することで信頼を取り戻してほしいものです。そして、これからも、メール等でやり取りしながら、話し合う機会をできるだけ作っていきたいと希望しています。
このまとめはゴールでなく、「今の私たちが理解できているもの」です。これからも新しい知見が出れば更新していきたいと考えています。どうぞ、皆さまのお力をお貸しください。
坂東昌子
● まとめダイジェスト版 (トリチウムの性質について図で解説) 作成者:河本恭子
● まとめ詳細版(公開されている図表や論文の図の解説) 作成者:河本恭子・土田理恵子 助言者:山崎泰規
● トリチウムの基礎知識
● トリチウムはどれぐらい溜まっているの
● トリチウムって環境にはどれくらいあるの
● トリチウムは生体内で有機物に結合するって本当
● トリチウムの多く含まれる海や湖にいる生物はどうなっているの
● OBTは濃縮されるって聞いたけど
゙● トリチウム水を飲んだらどうなるの
● トリチウムがDNAに取り込まれたら
▼ 作成者あとがき(河本恭子・土田理恵子)
▼ コメントと質問(田口茂)
あいんしゅたいんと理事長(坂東昌子)のこと
あいんしゅたいんは、物理学、中でも原子核・素粒子論という原子力エネルギーの基礎をなす分野の研究者が中心になって立ち上げたNPOです。東電福島第一原発の事故はその私達に沢山の課題を投げかけたのです。たくさんの議論を、生物の方々、放射線防護の方々、そして何よりも市民の皆さんと続けてきました。この記録は当ホームページの下ある関連URLに記録として残されています。
私自身は現在、素粒子論から放射線の生体影響の研究へとシフトしています。それは、放射線の生体影響を、本気で自分の手で検討することがどうしても必要だと感じたからです。市民の間で、これだけ世論が割れている原因は科学者側にかなりの責任があるのではないかという思いでした。物理学会では、初期に放射線の生体影響についてのシンポジウムも行われましたが、実は、その後、この問題に関して議論を物理学会は中止しています。それについては、ここで詳しくは述べませんが、別に意見をいつか公表しようと思っています。
それはさておいて、物理屋さんは、異なった見解を持っている者同士でも、一緒になって議論を戦わせ、お互いに食い違いはどこからきているか、どうしたら、その食い違いを解くことができるかを、徹底的に出し合って、詰めていきます。そう言う場を大切にしているからこそ、これまでの常識的な考え方を打ち破る新しい考えや発見へと導く道があるのではないかと思います。そこでは忌憚のない意見を出し合います。
この放射線生物に関係する科学者の世界に来てみると、この問題を対象としている学会も20をこえてあり、それぞれ、意見が違ったままあり、意見の異なるグループと議論することがなく、意見はいつも平行線なのです。
もう一つは物理と違って、相手は社会的影響が大きな問題ですので、背景にある考え方が異なっていると、純粋な科学の対象としての議論がやりにくいのです。特に、この課題は放射線防護と放射線利用(特に医療)という異なった視点からのアプローチがあり、それぞれ、目標とするところが違います。防護の世界では、どうやって最大多数の安全を守るための社会的規範を作り、法制化し、それを守るかということが大きな目標となりますし、医療の世界では、目の前の患者にとってリスクと効果をどのように勘案して治療を施すかということが最重要となります。こうして、放射線の正と負の部分を同時に評価することで、目前の課題につなげていくこと、その選択はシビアです。
坂東昌子
このページの先頭へ
異なった分野の科学者を繋ぐ「のり」の役目を果たす市民
今回、この議論の経緯を見直して以下のことが見えてきました。一つは、科学者の「そんなことは常識だよ」とか「そんなことは知っているよ」という態度の誤りです。もう一つは、結論に感情を移入しやすい人間の哀しい習性です。この2つが、しっかりした議論の妨げになっていることが、この議論を通じて得た一番素晴らしい教訓だと思っています。
もちろん、こうしたな複雑な流れの中でも、科学者は、正しい知見を得るために努力をして、たくさんの知見を蓄えていますが、それが個々バラバラのままでは、何が本当かわからなくなります。お互いに議論し合って1つの見解になかなか到達しにくい場合が多いことも確かです。それは1つには、今まで、自分の専門の科学を深めることに力を注いできたところから、今度は、他の専門の方々と突き合わせ、お互いに理解しあって、進める科学、いわゆる異分野連携の課題が増えてきたからでもあります。放射線の生体影響という課題も、生物・物理・化学・医学そして統計などたくさんの分野を統合して見解を出すことが必要になります。でも、科学者自身もこうした分野横断型の研究のやり方に慣れていません。ですので、具体的に1つずつ詰めていくしかないのです。専門が違うと、使う言葉も違います。持っている常識も違います。そういうところをお互いに補い合いながら、そして新しい目で課題を見つめなおすことも大切になってきます。人間というものは、目前の課題が明確であれば、そしてそれが緊急であればあるほど、こうした新しい挑戦にぶつかっていけるのではないでしょうか。
市民もよく勉強します。そして鋭い質問を投げかけてきます。専門家は、投げかけられる鋭い質問に、専門分野の障壁を超えてどこまでこたえることができるか、そこが問われていると思いました。
初期のころ、私は2つの異なった研究会に出ました。1つは防護の専門家が講演し、質疑応答するタイプ、もう一つは、現場の意見を持つ人が話してそれを科学者が質問するタイプ、前者では、私は「巷ではたくさん疑問が出ていますが、これらについてどう思っていますか」と聞きました。そしたら、「ああいうのは論文にもなってないし、レフリーも通っていない科学とは言えない「ガセネタ」だから無視すべき」という態度でした。後者の場合には、チェルノブイリの医者がいろいろなデータを紹介して、それに質問をするというもので、チェルノブイリ事故前と事故後の様々な疾病のデータを見せてくれました。「それって本当に放射線の影響なのか」と疑うようなデータもたくさん出ていました。しかし、粘り強く、1つずつ確かめ、判断するという方法をとっていました。ロシア側から来られた医師はお世辞にも明確に1つずつ答えたとは言い難いこともたくさんありました。面倒な手順を踏んで大方は、所謂「ガセネタ」である可能性もあるわけですから、しんどい仕事です。あとで、きいたら「100の内99が間違っていても、1つでも何かあればそれを見つけるのが科学の仕事だ」という話を聞き、この方(今中さん)はそのために、わざわざロシア語まで勉強したという話に、私は感銘を受けたものでした。科学者の謙虚さとやさしさはこういうところで見られるのではないでしょうか。
私たちは、ここでとりあげたトリチウム水の問題を解決していくにあたって、大変貴重な経験をしました。それは、異なった分野の科学者を繋ぐ、「のり」の役目を果たすのが、市民だということでした。市民は専門分野などお構いなしに、領域を超えて、いろいろな質問を投げかけます。そして、何より、問題が目前にあると強くなれます。このことを今回も強く認識しました。
この時、最も大切なことは、「たとえ、何か持ち掛けられた疑問が、今までの常識と異なることがあっても、それを丁寧に掘り起こし確かめる謙虚さが必要」だということです。これは実は科学精神の神髄にも通じるものです。このことが、今回のトリチウムという1つの問題を通して、しっかりお伝えすべき内容なのだと思います。
坂東昌子
このページの先頭へ
CAS放射線ネットの活動
若者とのネットワークはの角山さんの努力でうまく動き出したし、国際連携もうまく広がりを見せたものの、科学者グループの結成は困難を極めました。科学者といっても、皆さんご専門もあり、こういう複雑な問題に対して、何か言うとどちら側からも厳しい評価が突き付けられます。「とてもそんな大それたことはできない」と、いくら良心的な方でも、ちょっと身をひきます。まあ、物理学会の、消極的な姿勢もそんなところに原因があったのでしょうが・・・。
欧州連合(EU)や英国では、 科学界を代表して政府省庁に対して助言や政策立案を行う科学顧問という制度があります。例えば、CSA(chief scientific adviser主席科学顧問)のアン・グローバーさんへのインタビューが高橋真理子さんによって行われています。しかし、それでもなかなか、簡単に科学者の意見がまとまるわけでもなく、アングローバーさんも遺伝子組み換え食品の問題で批判を浴び退いたと聞いています。さて、うまくいったのでしょうか?例えば次のような意見も出ました。
英国には「自分はインディペンデント・サイエンティスト」だという人が時々いますね。私は数人の英国人の口から実際にその言葉を聞いたことがあります。
ファラデーは様々な紆余曲折ののちに王立研究所の教授職についていますが、その生い立ち(小学校中退など)や終生ナイトの授与を固辞したこと、王立協会会長への就任を断ったこと、少年少女向けにクリスマスレクチャーを始めたことなど考えるとインディペンデント・サイエンティストなんでしょうね。
最もわかりやすいインディペンデント・サイエンティストは、ひも付きの給与をもらっていない自活している人でしょうかねえ。ガイア理論のジェームス・ラブロックは、特許で莫大な収入があるので活動資金は自分で賄える、だから自分はインディペンデント・サイエンティストだと言っていたと記憶します。
日本の科学者(サイエンティストではない)は明治以降になりますので、その元祖を強いて言えば、白虎隊から初代東大総長になった山川健次郎でしょうか。彼は、25人いる日本の博士第1号(5分野に各5人授与された)の一人でもあり、日本人初の物理学教授です。山川健次郎のもとに、長岡半太郎も寺田寅彦も地震学の元祖田中館愛橘も日本のノーベル賞第一号の湯川秀樹もあるわけですね。日本の科学者のルーツは国家のお抱えなのですね。江戸時代の林羅山のような幕府お抱えの御用学者とそう大差ないのではないでしょうか。そういう歴史の中で、なかなかインディペンデント・サイエンティストだと自他共に認める人は生まれてこないようですね。インディペンデント・サイエンティストの精神風土がない国で、3・11の混乱の中で、科学顧問を探すのは事実上不可能だったし、その状況は今も続いていると思います。そしてこれから育つのも、なかなか難しいかもしれません。
澤田哲生
|
しかし、こんな人頼みと、そんな人はいないといっていても始まりません。私たち自身がどのようにして、偏見やデオロギーや社会の風潮に影響されないで、真実を極めるという姿勢をとることができるか、資金を行政からもらったら、あるいは企業からもらったら途端にインディペンデントな科学者でなくなるとしたら、それはちょっとおかしいと思います。今の世の中で探求を続けようとしたら調べたり議論したり、たくさんの仕事が降りかかってきます。それをどこからもお金を貰わないでできるはずがありません。お金を貰ったら途端にそちら側の利益になるような結果しか発表できないというような風潮の方が問題であり、また科学者がそんなことで真実を曲げるとしてはほんとに科学者ではないということになります。陰謀説の多くはこうした、見識違いから出ていることがよくあります。例えばマラーは、LNTを主張しましたが、「あれは彼がロックフェラー財団からの基金を得ていたので、原子力発電に反対だった」などという話まで書いているのを見ると、科学者としてのマラーがLNTを主張した科学的な根拠がどこにあったかを見失ってしまうのです。そうではない、どこから資金を得たかではなくて、何を言ったか、それは正しかったかどういう根拠で主張したかを見極めないと、科学が見えなくなってしまうと思います。
いろいろな躊躇がある中でやはり、ここで、科学者の芯を通して情報発信をできる基盤を作りたいと、JST企画の中で科学者グループに参加していただく方々にお願いしたのでした。しかし、こうした難しい情勢の中で、代表になっていただける方はいませんでした。皆さん、良心的ですから、協力はしていただけるのですが、こうした情報発信をするための組織のトップに立つのは、躊躇されます。それも当然です。そういう中でどうするか困っていたところ、「市民と共に作る科学者のネットワークを目指さないとできないのでは、そしてその中でも女性研究者のエネルギーを基につくる科学者集団でないと、うまく運ばないのでは、という助言をいただいたのです。
そうだ!国際会議「BER2018」に先立って行われた市民フォーラムと高校生セッションは、大成功だったではないか。
中でも、女性研究者が中心になって行った市民フォーラムを見てもらえばわかるが、そこには誰かが飛び出してリーダーになったというよりは、子育て最中の女性たちを中心に、忙しい中で、ささやかでも自分にできることは協力するという沢山のメンバーで支えられた会議だったと思います。
こうした積み重ねが、生きたのが、2018年夏の、第2回高校生スペシャルセッションでした。そこでは、まさに高校生たちとの連携、女性科学者たちとの連携が成立したのです。ここで発表した内容については、医療の立場から、そして疫学の立場からのお話や研究が国際性、公開性、医療倫理や科学的正確性が保証されていなければならないというような話がありました。福島県の健康調査がこうした視点から見ると不十分ではないかという話もありました。
ここで、河本さんがEBM(Evidence Based Medicine)の話をされたのです。医療の世界では、おびただしい数の論文が出る中で、実際の医療に向き合っている医者たちは、「本当にこの論文は正しいのだろうか」という疑問をしっかりクリアしないと、医療の現場に使えません。実に厳しい選択を迫られるのが医療の現場なのです。そして出来たのは、このEBMという概念です。図表のようなエビデンスレベルが想定されていると報告されました。これを見ると興味深いです。確からしさが最も低いのが「専門家の意見」となっているのに驚きました。勿論これは専門家個人の意見という意味ですね。なるほど、やっぱりちゃんと調べてみんなが納得できる評価がどうしても必要不可欠な医療の世界は違うなあ、そう思いました。それから医療の世界で、このような組織ができたいきさつも調べたりして、感銘を受けました。私の専門としてきた素粒子論の世界では、どんな突飛な理論を出しても、常識を破るものであっても、それがしっかり根拠を持って出されている限り、みんなが興味を持ちます。その中で評価がかなり率直に出され、誤っているものは否定され残ったものが、だんだん精錬されて確実な知見になっていくのですが、それですぐ社会に影響するわけでもないので、社会的な影響を気にすることはほぼありませんでした、例えば「ニュートリノが光速を超えた実験事実が見つかった」というスイスとイタリアを結ぶニュートリノ実験グループの論文は、最近では一番もめた論文です。本当だったら、アインシュタインの相対性原理を破る事象で、新聞には、「因果関係がおかしくなる」などと騒いだ節もありましたが、騒ぎは学問上に閉じていたので、市民は興味を持ったとしてもそれですぐ生活に響くわけではありません。ここでちょっと断っておきたいのですが、科学者の論文はいつも正しいとは限りません。勿論、論文として認められるには、それをレフリーが読み、おかしなところや、間違ったところがないかどうかチェックして著者と議論を戦わせ、それで、著者も自らの誤りを正したり、考えを発展させたり、視野を広げたりすることで科学的認識が深まるわけですから、とても大切なプロセスです。
しかし、また、それが世に出てから、「やっぱりおかしい」と否定されることもあります。実際、先のニュートリノの論文は、「一生懸命調べてみたけど今のところ、どうも測定に誤りはなさそうに見える。皆さんのご意見を待ちたい」みたいなあとがきで出されたものでした。そして数か月の間に追試が行われ、実際には測定器の誤りが発見されて、この騒ぎは終わりました。つまり、レフリーを通過しても、なお、間違った論文が点検を通過することもままあるし、本当はとても優れた論文なのに、レフリーが誤って没になることもあります。しかし、それでもなお、こうしたシステム(ピアレビューと言いますが)で、科学者仲間同士で、お互いに議論して論文が世に出るのです。
でも、医療の世界はそれだけでは満足できなくて、その論文をもう一度、他の論文と比較したり、間違いがないか、不十分なところはないか、などしっかり再点検するシステム(システマティックレビュー、エビデンスレベルI)を構築しているところに、私はこの分野の厳しさを痛感しました。
それだ!これが放射線生物学にも必要だ、という話が盛り上がり、私たちは、コクランのような著名なリーダーはいなくても、医療のような沢山の資金に恵まれてはいなくても、しっかりEBMに相当するEBR(Evidence Based Radiobiology)というものを打ちあげてみようではないかという話になりました。これはまさに正解でした。女性は率直な意見を出しやすい、市民は熱心に様々な情報を投げかけ、そして自ら調べて提案する、その推進力を背景にやっと動き出したのです。
坂東昌子
このページの先頭へ
作成者あとがき
1.河本恭子
私は、研究生活の最初の5年間は生物物理の研究室に、その後25年間は、植物科学の研究室に所属してきました。放射線の生体影響については、NPOあいんしゅたいんとのご縁をいただいた3年前から勉強し始めたところです。
放射線の生体影響は、福島原発事故後、非常に関心が高まった分野だと思います。そのため、何か1つ論文が発表されると、「やっぱり影響がある!」「心配だ」などと大きな話題になります。しかし、本当の研究というのは、1つの論文で結論が確定するものではなく、発表後に多くの人によって検証され、時には、最初の論文の考察が間違いだと指摘されることもあるかもしれませんが、同様の結果が積み重なることで、ようやく教科書に載るような「知見」となっていくという、非常に地道なものです。
福島原発事故後、科学者の意見が割れるため、市民の方は、どの科学者を信頼してよいのか迷われたと思います。そして、どちらかが正しいとすれば、どちらかが間違っていることになりますから、市民の方の中には、自分で真実を確かめなければと思われた方もおられたと思います。
まとめの作成のきっかけを与えてくださったのは、そういう市民のお一人である田口さまでした。そして、こうやってその成果を公表できるように、質問したり、ご自身でも調べたりして、支えてくださったのは、やはりそういう市民のお一人である土田さんでした。
科学者も、専門外の分野に関しては、専門家ではなく市民です。私自身、論文を読んで「だいたいわかった」と思った後、土田さんにご質問を受けて、「やっぱりわかっていなかった」と反省したことも多々あります。専門外のことを、専門家のふりをして解説している科学者の方には、自分は「だいたいわかった」レベルではないか、本当に「わかっている」のかを自問していただきたい、と思わずにはいられません。
序文にもありますように、このまとめはゴールでなく「今の私たちが理解できているもの」です。皆さまのご意見、ご質問をいただきながら、更新していきたいと考えています。
2.土田理恵子
トリチウムについて河本先生が調べて下さったことを公表してはどうかと、ご提案したのは、調べて下さった内容をもっと多くの方に知っていただかないともったいないという気持ちと、NPO法人あいんしゅたいんが田口さんのご質問に真摯に向き合って下さったこと自体も多くの方に伝えたいと思ったからでした。
この「まとめ」で、東電福島第一原発の処理水の海洋放出を容認するよう説得しようという気持ちは全くありません。また、処理水の扱いが科学的評価だけでは決められないということは、言うまでもないことと思います。
この「まとめ」は、ご質問に答える過程で解説していただいた内容をまとめたものです。そのため、取り上げた論文は必ずしもよい論文だからというわけではなく、論文の内容を全面的に支持しているわけでもありません。実験結果や測定値を絶対視しているのではなく、傾向としてどのようなことが見えるかを読み取るための値と捉えています。
心残りなのは、ラ・アーグ再処理施設関連のデータを詳しく調べきれなかったことです。実際の排水の濃度、排水されている時間、引用した測定値の詳しい地点など、ご存じでしたら、お知らせくださいますようお願い致します。
その他についてもお気づきの点は、お知らせいただけましたら幸いです。
なお、「漁協からの要望と東電の回答」については、科学的な内容ではないのですが、福島県外ではあまり知られていないのではないかと思い、事実だけをご紹介しました。
この場を借りて、NPO法人あいんしゅたいんの方々、二本松でお会いした方々に、心より御礼申し上げます。
元の場所へ戻る このページの先頭へ
コメントと質問
この中間報告はあくまでも科学的な視点からの報告書であり、社会的、政治的、経済的(エネルギー政策も含め)、外交的視点からの検討はされておりません。多くの疑問やリファーした論文が、人体への影響にも取り入れていいものか等、検討すべき課題は残っています。特に以下の科学的課題について今後も継続的に検証する必要があると考えています。
論点整理
1)トリチウムが地球上でどれくらい存在し、また新しく生成されているか 2)生成されたトリチウムがどのように拡散するか(人工的なものも含めて) 3)生物にどの程度取り込まれるか 4)どれくらい摂取したら,人に影響があるか
|
1.論点整理の2)や4)についての更なる検証。
2.動物実験で得られた、放射線影響によって引き起こされるがんで死亡するまでの限界値を必ずしも人間に当てはめる事が可能なのか?人間には心も考える事もできる高等動物であり、がんに罹患した時点から心の不安等で精神的にも肉体的にも多くのストレスを受ける事になる。がんになるのではないかといった精神的な不安がストレスにもなる。この精神的ストレスががんの罹患を早める可能性がある為に、動物実験の結果を必ずしも人間に当てはめる事が可能なのかを更に検証する必要がある。
3.人間の場合は死亡ではなく、がんに罹患した場合のQOL(精神的な不安も含め)で議論すべきではないか?ICRPも罹患(QOL)ではなく死亡で規程しているが、これで本当に良いのか?
4.この論考内でリファーした論文での動物実験のサンプル数が少なすぎないか?この少ないサンプル数での動物実験を人間に当てはめるのは無謀すぎないか?
5.DNAに異常が生じても、生物は修復する力を保有している。濃度が低いトリチウムにより生じた異常は修復できても、濃度の高いトリチウムで起こる異常には修復は追いつかなくなる。この実態を更に検証する必要がある。
6.DNAの傷のつき方やDNAの修復について人間と動物間では差異はないか?
このまとめ(論考)は異分野の専門家や市民同士で更なる議論を深める為のたたき台といった中間報告の位置付けと捉えています。これからも上記検討課題等について新しい知見が出れば更新し、不備があれば修正していただきたいと考えています。是非みなさま方のご意見を頂ければ幸甚です。
田口茂
元の場所へ戻る このページの先頭へ