2024年04月24日

 

放射線研究・・・今後の展望と異分野交流 報告

1.概 要

日  時:2019年3月8日(金)10:30~17:00
場  所:京都大学東京オフィス
話  題:放射線研究・・・今後の展望と異分野交流

 2.坂東昌子(NPO法人あいんしゅたいん理事長)コメント

ミニシンポジウム放射線研究・・今後の展望と異分野交流 (3月8日)・討論会「市民と科学者の共同作業を進めるために」(3月9日)を終えて

3月8日9日と、京都大学東京オフィスにおいて開催した上記会合に至るには長い道のりでした。

● きっかけ

福島第一原発事故からまもなく8年が経ちます。
しかしながら、放射線の生物への影響については、いまだに社会には極端な意見の蔓延や深刻な対立があり、市民や若者が本当に知りたいことになかなか到達できない状態が続いています。

そもそもの始まりを振り返ると、この問題がずっと私には頭にこびりついていました。科学者も科学もその信頼を失いました。信頼していた科学者真っ向から割れて、その背景に政治的な思惑があるように感じた市民も多かったと思います。科学者本人はそれほど偏見を持っているとは思わないでも、世の中の動きや政治的背景に左右されかねない現状がたくさん見られました。
そして、こうした偏見や誤解が重なると、科学者を疑う人が出てきて、市民の中にも、科学者自身の中にも、「陰謀説」がはびこります。科学者でさえ、こんな状態ですから、市民はなおさらです。

 ~ 市民や若者は迷子になっているのです ~

私たちはこの3年間、市民と科学者のネットワークを強め、「ほんとのことを知ろう」という1点だけで、共通した熱にもって支えられてここまで来たと思います。
まだまだその厚い壁がとれていません。そして震災直後から手探りで、分野の異なる科学者と市民、そして若者たちと「低線量放射線影響勉強会(LDM)」を立ち上げて、みんな同じ目線で、知らないことはお互いに説明し合い、元に戻って読まなければならない時は論文を探して元論文を手に入れ、みんなで勉強しました。
その蓄積が「データ32」という本になって世に出たのです。この中心は市民の2人の女性でした。ほんとによく勉強されて鋭い質問を投げかけて、時には専門家を困らせるぐらいでした。そしてその続きとして、今回この3年間、JSTの支援によって、この動きを全国展開できました。

この3年間、私たちは、市民と科学者のネットワークを強めるための研究活動を続けてきました。福島第一原発事故からまもなく8年が経ちます。
しかしながら、放射線の生物への影響については、いまだに、社会には極端な意見の蔓延や深刻な対立があり、市民や若者が本当に知りたいことになかなか到達できない状態が続いています。

科学者は本来そこに手を差し伸べるべきですが、それもなかなかうまく行っていませんでした。しかし私たちはそこをなんとかしたいと思い、この問題に関心のある市民と科学者が立場や予見を排して協力してきました。

 私たちの目標は、あくまで、今対象にするべき疑問について、どこまでわかっているか、どこがまだこれから検討の必要があるか、そういうことをみんなで率直に話し合い共有することです。
いかに現在意見が分かれていても評価が違っていても、この目標で、異なった意見の方々が集まって、そこから、どこまでわかっている事か、どこはまだ明確でないかといった見方さえしっかりしておけば、そのあと、社会に公表するときは、「ここまでは共通だがここからは私の価値観が入っている」としっかり断って発言されればいいのです。専門家も、専門家同士でも分野の異なる科学者が専門分野の枠を超えて一緒になって検討し、そこに市民からの率直な疑問に真正面から答えることを目標にすれば、他分野の専門家にも通じるのです。
しかし、科学者の中にも、偏見や固定概念をもっていろいろな形で主張される方もあります。そういう主観を排して、市民と科学者が率直にギャップを埋めて、できるだけ正直に真実に近づく努力をしていこう、これが私たちの目標でした。その最初の成果が『放射線 必須データ32:被ばく影響の根拠』という本でした。
実は、この本は市民の皆さん向けということで始まったのですが、だんだん市民のお二人のレベルが上がってきて、実際には出来上がったときは、市民が読むにはちょっと難しい本になりました。ですので、専門家が「これは役に立つ」というような評価が多いです。
会議に持っていったら、「こんないろいろな分野を全部見渡して元論文に戻って解説した本はないので、とても役に立ちます。英語に直してください。」とも言われたりしますが、まだ実現していません。でも世界でも珍しい本です。こうして仲間がどんどん増えていきました。こうしてこのJSTの企画が実現したのです。

● 若者たちと女性の介入

この、いわばすでに古典として出されている論文をみんなで読んで解説するという作業を一つの段階として、次のステップは、今議論が巻き起こっている様々な問題を取り上げることを視野に入れておりました。
しかし、これは古典論文とは違って格段に難しい作業です。これは決して簡単なことではありません。まず身近な仲間の科学者たちに声をかけました。
ところが、「何か発言するとすぐたたかれる」「自分は専門家ではないので遠慮する」「そんなたいそうなことはできない」としり込みをする人が多くいました。確かに何か言うと反対側からいろいろと誤解されたり、非難されたりと、思わぬ攻撃を受けてしぼんでしまうことがあります。

しかし、そういう中で少しずつ市民と科学者の間で情報共有ができるようになってきました。そして、心が打ち解けるにつれて対話ができるようになりました。
みんながどういうところで引っかかっているのか、どのようにすれば正しいことにたどり着けるのか。科学者と市民とが、身分も専門分野も乗り越えて話し合える場が徐々にできてきたのです。
そんな中で、みんな真剣なのに、どうしてお互いにいがみ合わなければならないのか、それを乗り越えて一緒に本当のことを探していくにはどのようにすればいいのか、こんな試行錯誤を繰り返してきました。一生懸命主張しておられる方々は、みんないい方々です。人のため世のためと思って主張しているのですから。
でも、けっこう頑固で、なかなか感情と理性を分離できず、時には感情的になり、時には人を馬鹿にする、時には自分がわからないことをごまかして避けて通る、そういうことが起こりがちです。誰でもその場で否定されるとかんかんになりますからね。
議論の時には、仲が良くても言い合いをよくするので横から見ていると喧嘩しているように見えることもありますが、あくまで議論をしているのですから、仲が悪いわけではないのですが、過ちを指摘されると、人格まで否定されたと思う場合もあり、科学的訓練が足りないなと思うことも結構ありました。

そのような中で中学生や高校生の皆さんも一緒に参加するようになり、なんと言いますか〝希望の光〟あるいは〝新たなエッセンス〟が見えてきました。
中高生も大人である専門家や市民に向けて、素朴な疑問を心おきなく出し合える場が形成されるようになってきたのです。特に、2016年夏の高校生・中学生の集まり『おこしやす 京の夏』がひとつのエポックでした。こういうところで議論すると、大人が感情的になったり「わかってないなあ」と相手を馬鹿にしたりできないからです。
もちろん、ごまかしたりもできません。

そんな中で、もう一つ発見がありました。それは、女性たちの参加がさらに場を和やかなものにし始めたのです。
その象徴的な役割を果たしたのが河本さんや鈴木さんです。女性たちが積極的に関わることによって、この科学者グループには、たくさんの異なった意見を持つ方々と話すことを厭わないムードが芽生えてきました。
どうもその原因の1つはその場にお菓子が出ることのようです。おいしいものを共有することで心が和らげられる、そんな効果は私には思いもかけませんでしたが、みんなで食べて「おいしいなあ」と喜ぶのと同時に、仲間意識が芽生えます。最近、心理学専門の仲間が入ってきてくれて、このことを心理学の立場から提案してくださったのです。
このようして徐々に意見の異なる方々が同じ場所で語り合えるだけでなく、共通の目標を持てるようになりました。私もよくお菓子を持っていきますが、こういう心理学的効果というより、みんなで食べたいなと思うからだけでしたが、面白いものです。
そういえば、私は「昌子の部屋」というインタビューをしたことがありました。昌子の部屋 YouTubeで引くとたくさん出てきますが、いろいろな科学者にいろいろなご意見を聞きました。今だったらもっとたくさんの方々にインタビューしたいなと思うでしょうね。こういうのって学ぶことがたくさんありますね。
動画ではありませんが、いろいろな意味でインタビュー異分野交流では先進的な先生方のインタビューを科研費の仕事として行いました。なかなか面白いですよ。

●エビデンスってなに?

このような経緯のなかで、私たちはエビデンス(根拠・証拠)に基づいた医療(Evidence-based Medicine: EBM)について関心を持つようになりました。
そこでは、単に論文が出たからといって、それがどれだけ正しい情報であるかについては一歩引いて慎重になります。現場の医療にとっては〝エビデンスによる裏付けがしっかりしているかどうか〟はとても深刻な問題です。だからこそ、こういう方法論が生まれたのだろうと思います。
なるほど、論文が出ただけでは信用できない時代に突入している・・・というか論文は、間違いもありレフリーの検閲を受けとはいえ、まだまだ間違いもあるわけで、そういうのをしっかり見ておきたいというのは、特に医療分野では切実でしょうね。素粒子の場合は、例えば「ニュートリノが光速を超えた」という論文が出たことがありましたが、この時でも、すぐに社会に影響を与えるということはない(ほんとはあるんですけどね。
だって因果関係が言えなくなると、いろいろなところで困りますね)ので、大騒ぎに放っても、社会の実際の場面で影響を与えません。しかもこの論文には、「どう見ても測定の間違いがないみたいなんですが、皆さんのご意見ご指摘をお願いします」と書いてある論文なのに、マスコミでは「因果律が成り立たない」とか大騒ぎの記事が出て物理学者は辟易しました。もっとも、半年もたたないうちに、いろいろと点検しなおし、測定の誤りであったことがわかり、一件落着しましたが。こんな風に論文は絶対まちがいないとは言えないので、多くの科学者が検証し点検を繰り返してやっと本物の法則になるのです。
論文に誤りがあった、と攻撃しかされないと、科学の進歩は遅れるでしょう。みんなで確かめ合って本物を探すことが大切なのです。最近も「間違っていた」と非難されている話がありますが、間違いは正せばいいのではないか、と思います。
しかし、医療の場合は人に命にかかわることもあり、大変深刻ですんで、こういう取り組みが発展したのでしょう。とても大切なことですね。そうすると、放射線の影響に関わる論文も、社会的な影響が大きいわけですから、これに見習う必要がありますね。 そこで、私たちも同様の方法論を用いて、今、意見が割れている問題をみんなで検討する中で、本当のことを追及するやり方を学んでいきたいと考えています。
つまり初めから安全だとか危険だとかいう先入観にとらわれないで、真正面から向き合っていこう、という決心につながりました。

● 今回の4つのテーマ

とはいえ、私たちは、まだまだ小さな組織でもあり、権威のある方ばかりが参加しているわけでもありません。このような取り組みは始まったばかりです。それに、実際には学会や原子力規制委員会、政府機関の規制庁や環境庁などが莫大なお金を費やして、こういう仕事をしています。
3月8日のトップでお話しいただいた神田玲子先生のお話「放射線防護アンブレラの活動:学会の活動を中心に」は、そういう組織で、今どういうことに取り組んでいるかをお話願いました。これはいわば、トップダウン的取り組みです。そこには予算もあり、たくさんのプロの先生方がそれなりの見識をもって議論を進めてくださっています。そしてそれは大変貴重な情報を私たちに提供してくださいます。
私たちの取り組みは、これと市民を繋ぎ、いわばボトムアップで、皆さんの疑問や理解しにくい点、あるいは時には、「ちょっと違うんじゃない」といったコメントを出して、全体として正しい情報が共有できるように、下支えしていく取り組みだと思います。ですから、すべての問題に取り組むだけの力量もないし、そうする必要もないと思います。
少しずつですが、何とか、着実に皆さんと共有する情報を整理していきたいと思っています。(すでに、3月9日にご参加いただいた方から、いろいろな問題が提起されています。さて、これをどのように整理し、情報発信していくか、試行錯誤を繰り返しながら、道を探り当てていきたいです。)

今回のミニシンポでは、2日目に、こうした糸で話題を2つほど取り上げて議論しました。今回は4つのテーマを取り上げ、そのうち2つについて時間をかけて議論するというやり方を取りました。

● 話題提供&議論②線量評価の実態(田口さん提案、一瀬さんの解説)
● 話題提供のみ③健康調査(和田さんの問題提起を基礎に)
● 話題提供&議論④福島の野生動物への影響調査(福本先生の議論を基礎に)

あるべき科学の結論の捉え方、まだわからない問題についての情報発信の仕方など、これからどのようにしてこのようなネットワークを広げていけるか、これから試行錯誤が繰り返されると思います。
このような話し合いが成功するかどうか、いささか不安もあったのですが、参加いただいた皆様の熱意で乗り切れたのではないかと思っています。

今回、とても参考になったのは、UNSCEARの議論でした。米倉先生がほぼ全容を把握されていて、事あるごとに問題を整理し、現状の到達点をご説明くださったことで、問題が整理でき、納得のいく議論ができたと思います。そのことが、例えば白血病の疫学の議論で、しっかり学べることを知りました。
こうした経験をお持ちの先生が、このJSTの企画の評価委員をしてくださったことは、本当にありがたいことでした。こうして、さらに、未解決の問題へと移って、今後の方向性をお互いに建設的な方向で探りたいと思います。
2日間、建設的な議論をしていただき、とても感謝しています。皆様のご協力に感謝いたします。本当に正しいことを伝えるために、また科学的に十分わかっていないことと分かっていることをしっかり分けて理解することの大切さを市民と共有できることを心から願っています。

なお、3月9日の初めに、「放射線防護アンブレラの活動:学会の活動を中心に」のお話をいただいた神田玲子さま(国立研究開発法人 量子科学技術研究開発機構)、「基礎科学と社会への実装の理念 ・・・アセスメント科学にむけて」という新しい科学と社会の科学の在り方をお話下さった長我部信行さま(日立製作所ヘルスケア社)、そしてさらに「SDGsと科学技術 :STI for SDGs vs SDGs for STI」という国際的視野に立った世界像をお示しいただいた 有本建夫さま(政策研究大学院大学)の御三方には大変お忙しい中ぎりぎりまでお付き合いくださり、内容の濃い議論ができました。
そして実は陰になり日向になり、いつも全体を見渡してご援助いただいた米倉義晴さま(元UNSCEAR 議長)には、本JST企画の評価委員として評価いただきました。  いつも変わらぬ誠実な対応に心から感謝申し上げます。

                                        

世話役代表 坂東昌子

 3.参加者感想

 

午前は坂東昌子先生の主旨説明のあと、神田玲子先生(国立研究開発法人量子科学技術研究開発機構)の御講演からスタートした。神田先生は現在の我が国における放射線防護や規制研究のキーパーソンである。放射線を規制する側がどのようなプロセスで学識者の意見や研究成果を反映させようとしているのか、その全体像をつかむことができた。

長我部信行氏(日立製作所ヘルスケア社)からは、基礎科学の成果が企業活動等に実装される際にどのようなことが必要で、またどういった課題が発生し得るかについて学ばせていただいた。科学が独善的であってはいけないし、また企業ももはや利益のみを追求する時代でもない。科学と社会との間をとりもつ仕組み、あるいは仕掛けのようなものの必要性を感じた。

有本建夫先生(政策研究大学院大学)からは、大局的かつ国際的な視点から、SDGs達成のための科学技術イノベーションなどに関する御講演を賜った。そもそも科学や科学者が社会にとってどうあるべきか、何を目指すべきかという人類規模のテーマについて 見つめなおす大変良い機会となった。

当初は、これらの講演を受けて異分野交流の場としてどのような組織や形態が望ましいのか、などについて話し合われる予定であった。しかし実際にはなかなかそこまでに至れず、我が国に現存する放射線に関するいくつかの問題について熱い議論が行われた。参加された市民のみなさまのご意見は貴重でありまた鋭いもので、それに対して科学者もまた熱い論議を重ねることとなった。まだまだ科学者と市民との間に大きな隔たりがあることを痛感されられたが、それでもこのような壁や偏見のない議論の場が存在することに大きな意義を感じた。

今後もこのような取り組みが継続されることを切に願っている。

原発事故から得た教訓をどう活かすのか、科学者同士の異分野交流はもちろんのこと科学界と実社会との間での対話交流の継続が極めて重要な鍵となると感じた。                                   

3月8日参加(角山雄一様 研究者)

この会議のおもしろいところは、単に多分野の基礎研究者の研究報告に留まらず、神田玲子氏、有本建夫氏といった第一線の放射線生物学、リスク学の第一人者の話、長我部信行氏の基礎科学から社会実装への話が盛り込まれている点であろうか。さらにこのような方々に、高関心の市民でも直接質問できたという点にあったかと思う。
3.11以降、あいんしゅたいんが行ってきた異分野連携の活動、その中で培われた人脈がここまで花開いてきたかとも思った。
もう一つ、議論はデータに基づいて行うという、この場での暗黙のルールも大事だと思っている。(感情的議論が出てくると、坂東発言が飛んでくるのも重要かと)

思えば、2011年7月3日に京都で開いた「シリーズ 東日本大震災にまつわる科学 第一回公開講演討論会」の時にフロアからの「原発賛成・反対」を明らかにして議論すべきとの発言を一喝して、「あいんしゅたいんの講演会はそんな場ではない、あくまで科学的事実に基づいて、議論する場である」との坂東理事長の言葉に、あいんしゅたいんの立場が表明されたといえるであろう。
一介のNPOが、3.11以降、国内外のその道の専門家を一同に集めて議論の場を多少なりとも作れてきた事、またその周辺に頼もしい若手が集まってきていることを確認した会議であった。                                   

3月8・9日参加(宇野賀津子様 研究者)

異分野交流、文理融合などの掛け声はかなり前から耳にしているが、少なくとも私の周りでそのことに実質感をもって取り組むことができているケースはまず見かけない。

異分野交流や文理融合の前に、そもそも学術とか科学とはなにを意味するのであろうか。日本語の科学に関していえば、どうやらサイエンス(Science)とは別物のように見える。 Scienceの語源はラテン語のscienticaであって、それは知識全体を示しているようである。日本語の科学とは、どうやら細分化された学科を問うているにすぎないようである。

私たち大学にいるもの、なかでも科学の教育研究に携わっているものは、少なくともこの〈知識全体〉を俯瞰しようとする〝心意気〟だけは常に持っていたい??むしろ無理にでもそうしなければならないと思う。しかるに、現実の大学まわりは実に深刻な状況である。

業績主義が跋扈している。それはひとことで言えば、査読付き論文や特許の数である。業績を数多くあげるには、専門分野に閉じこもりそのコミュニティで共同研究仲間をつくって共著論文を量産する。まあ言ってみれば世知辛い話だ。

学術や科学の源泉はどこにあるのか。アリストテレスは人間の本性とは知を愛することだと考え、約2300年以上前にその〈知の全体〉像を著した。その全体像の構成は今もそう大差ないように思う。アリストテレスはプラトンの弟子とされているが、そのプラトンが後世に遺したものにソクラテスの哲学がある(ソクラテス自身は著作を遺していない)。ソクラテスとは対話と〝産婆術〟だと思う。

何をどう考え、どのように表現していいのかよくわからないこと〟を自己にも他者にもよくわかることにして産み出す。それが対話という手法にあると思う。

坂東さんの意志と情熱は、この対話と産婆にあると思っている。だから、今回のような会に参加すると、異分野交流などという表層の出来事ではない、もっと深層の〝知を愛する欲望〟のようなものが鼓舞されるのである。

3月8・9日参加(澤田哲生様 研究者)

専門家の間でも意見が分かれる低線量放射線の生体影響について、「これまでの取り組みを紹介しつつ今後の展開を見据えるべく踏み込んだ議論を行う機会」というご案内に魅力を感じて参加しました。
私が参加させていただいた初日の3月8日には、錚々たる先生方のお話をうかがい大変勉強になりましたが、後半の議論の部は、「話し合うのも簡単ではない」というのが正直な感想です。自分の非力も噛みしめております。2日目には踏み込んだ議論が行われたことと拝察しますので、その内容等もご共有いただけると有り難く存じます。

初日の学術的な雰囲気に感じたのは、やはり、「一般市民」との乖離でした。もちろん、一般市民を十把一絡げにすることはできず、日頃接する範囲に限られますが、多くの人は今やほとんど関心を失ったまま、なんとなく「どんなに低線量でも放射線被ばくは怖い」というLNT仮説に拠っているように見えます。
この漠然とした恐怖が固定されている限り、福島を取り巻く風評被害も、甲状腺がん発症の解釈も、原発の廃棄物の最終処分場の問題も、エネルギーのベストミックスについても、健全な議論が成り立たず、解決不能の空気が支配していることに危機感を持っております。
細かい話はともかく、「どの程度の放射線までは人体に影響がないと言えるのか」について、普通の市民にも理解でき、納得でき、「ゼロリスクはない」という覚悟を持てば受け容れられるような「許容量」が共有されるようになることを切に望みます。そのためにどうすればいいのか・・という焦燥感や無力感は持ち越したままですが、すぐに解決できる問題ではないのでしょう。

なにぶん福島第一原発の事故までは放射線の知識が皆無であった不勉強な市民ですので、今頃ですが、坂東先生をはじめ皆様方の努力の結晶である『放射線 必須データ32 被ばく影響の根拠』を購入しました。ぜひ拝読いたします。
今回は、このような会に集まられた皆様と、限られた時間ながらお話できたことが大きな収穫でした。今後とも皆様と情報交換、意見交換させていただきながら、「低線量被ばくへの過度の恐怖」を払拭するためになんらかの形でお役に立てれば幸いです。

3月8日参加(井内千穂様 ジャーナリスト)

福島の事故が社会的な問題になって以来、様々な意見対立が生まれました。その中に科学者と市民の間で意見が対立したこともあり、主催者の皆様はそうしたことに心を傷められて今回の会議を科学者だけのものではなく、科学者と市民の対話という形にされたのだと思います。

福島の事故については福島の市民も科学者も巻き込まれた側であるにもかかわらず、この二者が対立しなければならないとすればとても残念なことです。会議の前の個人的な印象としては、政府や東京電力が被害者の方々に背を向けた結果、できるだけ市民の疑問に応えようとしてきた科学者の方々の方へと非難が向かってしまったのではないかと考えていました。
それは恐らく一面として事実なのだと思います。しかし一方で、科学者の方々は知らず知らずの内に政治的意見を述べ、その結果として世間から政治的な反応を受けているのではないかということもまた、会議での議論に接した結果感じるようになったのです。

会議では、科学者側の参加者が何となく述べた政治的意見が福島の被害者側の感情に触れてしまう場面も見られました。ここでは科学者の政治性が良いとか悪いとかいうことを言いたいわけではありません。むしろ、人が社会性を伴う議題について意見を表明するときに個人の政治性が入らないということは有り得ないということ、それが公の場での発言であれば政治的結果が必ず伴うということ、そしてそれを認識した上で意見表明をどうするかということは科学者個人の決定に委ねられるだろうということなのです。

科学者の意見が政治に影響を与えるケースには次のようなものがあるかと思います。ここではそれを4つに場合分けし、それぞれに例示や補足説明を行いました。

(1) 純粋な科学的事実が政治的結果を生む
例えば、数学上の未解決問題の解決が軍事暗号の解読に繋がる。

(2) 政治的影響を受けた科学研究が政治的結果を生む
アメリカ政府の主導で行われたマンハッタン計画、日本政府の資金で行われた原子力関連の研究など。論文が科学的に正しいとしても政治的結果を生んだり、特定の利害関係者のみを利するような事実の一面だけに焦点を当てる結果となる。

(3) 論文の非科学的側面が政治的結果を生む
科学分野の論文であっても、結論を導くために必要な情報が欠けている場合などは論文執筆者の裁量で推論を行う必要がある場合がある。こうした科学論文の非科学的要素には個人の政治性が(意識的にも無意識的にも)入り込む余地がある。

(4) 科学的に誤りである論文が政治的結果を生む
故意または過失によって誤った科学的結論が導き出され、それが政治利用される。

便宜的に4つのケースを挙げましたが、実際にはこれほど綺麗に分けられるものではないと思います。
例えば、数学者が未解決問題の解決が軍事暗号の解読に繋がることを知りながらそれを解決した場合、そこには本当に政治性が全く無かったのでしょうか?実際には人がある問題について知っていた場合、意識的であれ無意識的であれ人は何らかの価値判断を下しているはずなのです。実際に今回の会議でも科学者の方々は自分の発言が科学的事実なのか、政治的意見なのかという区分に完全に自覚的であったわけではないというのが個人的感想です。

恐らくは、人間が社会問題に関わる話題について意見を表明する場合、完全に政治性を取り除くということは不可能に近いのです。上記に述べた様に純粋な科学論文を書く場合でもそうなのであれば、例えば科学者がマスコミに露出して意見を求められる場合などでは尚更だと思います。

そしてそうした言動には必ず政治的結果が伴います。科学者という信頼できる肩書で意見表明をした場合、それが世論を動かし、それによって得をする側と損をする側が必ず出てくるからです。科学者が公に意見表明する場合、それを完全に避けることは出来ないということを先ず認識することが必要なのでしょう。その上で科学者個人がその意見表明を行うのか、行わないのかを決めることになるのでしょう。しかしその行動から必然的に生じる結果は、その行動を行なった個人が受けなければならないことになります。その上で個人は選択を行わなければならないのだと思います。

3月8・9日参加(市民)

一方的な情報や見解だけではなく、多くの知見や異論にも耳を傾け、真摯に検討し議論する重要性を我々は原発事故以降学びました。
この事が日本の科学技術の進展に貢献し、失われた科学者の信頼を取り戻す事に繋がるだろうと思います。

科学者や政府、利権者が真実を隠し続け、物事を進めて来た事が原発の安全神話の崩壊によって明らかとなりました。そして国民も科学者も真実が何なのかわからなくなり、日本中が混乱してしまいました。
原発事故が起きた一要因は原子力むら社会で異論を排除してきた事です。日本政府や放射線防護がICRPを神様として崇める神話も、もしかすると崩れる可能性もあります。
そして、早野・宮崎論文の不正、原子力規制庁や環境省の対応、福島県や福島医大の対応をみていると、科学者や政府、学会や大学等への不信感は益々増大しているようにも感じます。

不信感払拭の為には、良識ある科学者や専門家が、政府や自治体、そして科学者や学会、福島医大等に批判的言動(異論)を出す事は重要だろうと考えています。市民は異論が物事を正しい方向に動かす事、異論の中に真実が隠されている事を学びました。
その為に『あいんしゅたいん』としての役割・活動は以下であって欲しいと思います。

1.政治的な議論は排斥し、純粋に科学的・医学的議論に徹する事。

2.他の科学者の見解や論文、そして政府や行政の見解や施策に対しても科学的視点で議論・検証し批判もする。科学者同士が異論を言わない習性が日本の科学者の国民からの信頼を益々損ねています。科学者同士の議論が日本の科学者のリテラシーの向上や科学者の倫理観向上にも寄与します。

3.テーマはある程度絞った研究会(放射線や健康被害)を定期的(2~3か月に1回程度)に開催し専門家同士で議論する。徐々にテーマを広める。

4.異論にも耳を傾け、真摯に検討し議論もしてみる。

5.『ふくしまの真実を学び伝えたい』市民(主に福島県民)を支援する。
(例:疑問や質問に答えてくれる体制の構築等)

6.福島の被災者・被ばく者・健康被害者を支援する。(具体的な支援の仕方は検討要)

7.メンバーや会員同士の意見交換はML上でも実施する。但し、常に福島県民、被ばく者の立場にたって議論する。

8.最後にあるジャーナリストの言葉。
  『知らない事は怖い事。
  知らせないのはもっと怖い事。
  知ろうとしないのはあなたの責任。
  知っていて何もしないのは、いったいあなたは誰ですか』
  小生の原発事故以降の行動もこの言葉が基本にあります。

3月8・9日参加(田口茂様 市民)

民間企業にいる身としては、やはり、長我部先生、和田先生が進められている学術振興会の産学連携委員会に期待したく存じます。

3月8日参加(市民)

8日の会議には、放射線の人体への影響に関心を寄せる一般市民から、ジャーナリスト、産業界、そして放射線科学を専門とする研究者まできわめて多様な背景を持つ参加者が集まり、それぞれの立場から活発な意見交換を行った。
翌9日には、前日の議論を受けて、福島において問題となっている甲状腺がんの検査や個人線量評価など個別のテーマについて議論が進められた。

本事業では、低線量放射線の生体影響に関する様々な考え方や意見がある中で、低線量放射線の人体への影響について市民と科学者が共通の場で意見を交換できるネットワークの構築を目指してきた。
市民と科学者の垣根を取り払い、さらに科学者がそれぞれの専門性の枠を超えて率直な意見交換と議論を進めてきた。その中で、現在の科学で明らかにできることの限界や、その情報を幅広く市民に向けて発信することの困難さといった課題が浮かび上がってきた。
この2日間の会議においても、異なる考え方を持つ人々が激論を交わす中で、参加者の意識がお互いの立場や意見の相違を乗り越えて、科学的エビデンスに基づいて放射線の生体影響に関する共通の理解を深め、その情報を発信する方向へと意見が集約されていったことは興味深い。

本来、科学者もまた一市民としての立場があり、市民と科学者は対立する構造ではない。
ところが、原子力発電所事故のような異常事態が発生すると、それによる被害を受けた立場の市民と、客観的な立場から科学的事実を説明しようとする科学者の間には、意識の点で大きな乖離が生じてしまう。
単に安全であるという説明だけでは逆に不安を増大させ、科学者に対する不信感を招くことになる。科学者や研究者は、自分たちの専門領域の知識や情報には精通しているが、他の領域を幅広く見通すことは必ずしも得意ではない。異なる専門性を持つ研究者が分野を超えて協力することによって、科学技術の新たな展開が生まれるが、このような異分野交流が成功する鍵はお互いの専門的立場の相互理解から始まる。
市民と科学者の垣根を超えた交流を進める上でも、お互いの立場を理解することが出発点となる。さらには、率直な市民感覚からの問題提起が新しい科学の礎となる。このような活動を進めることによって、低線量放射線の影響についての共通の理解を深めるための基盤が構築されつつあることを実感した。

3月8・9日参加(米倉義晴様 研究者/本事業評価委員)

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