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「We love ふくしま プロジェクト」2014 レポート 2

「We love ふくしま プロジェクト」2014 レポート

報告:坂東昌子

1.福島どうでしょう

厳しい現実の中で、子供たちと向き合い守り育てようと献身的に働いておられる女性たち、その周りのお母様方、そしてそれを支える逞しい男衆、そういう方々との出会いは、実を言うと私の疑問に思っていたことの、正しい答えをしっかりと示してくださった。

今回の福島訪問は、いわば宇野さんがここ3年間、何回も、何十回も色々な方と交流し話し合われた経験が基礎になっている。その様子は、宇野さんから、いつも、間接的には伺っていた。今回は、その福島の状況に、私自身が向き合う機会となった。

特に今回は、大きな会場での講演ではなく1人1人としっかり向き合って、一緒に考え、そして高め合っていくことを目標にしている。そこから、お互いに生まれるはずの信頼を、どのように培い、そしてそれを科学への信頼へと結び付けられるか、という課題に向き合ったのである。科学への信頼というのは、私たちが科学者だから、自分たちの為に、信頼してほしいと言っているのでは決してない。科学的な真実に基づかない方針は、失敗するからである。そこをしっかりわかってほしいと思っていた、自分の好みや、偏見や思い込みで判断すれば、それは間違っているのだから、必ず失敗する。大げさに言えば、このような失敗の中で、人類は少しずつ賢くなり、前が見えるようになってきたのである。この私たちの思いが、間違っていないこと、今回の膝詰の話し合いは、それを教えてくれた。

若者としてはじめて参加した京都大学の学生、間浦君と、大学院生の新宅君の活躍ぶりには、とても感動した。若者リーダーとして、この訪問のために、自ら放射線の勉強、測定器の使い方など、事前に指導してくださった角山さんも加わって、「若者力」と染めぬいたお揃いのTシャツで、素晴らしい働きぶりであった、若者たちは、角山先生に学んで、いつの間にか測定器を使いこなし、管理区域内での線量調査も、慣れた手つきで手際良く処理するプロになっていた。実験は苦手の私は、ただただ感心するばかりであった。

また、角山・鳥居のコンビとともに、放射線の解説をどのようなたとえで、どのようにお話すれば分かってもらえるか、と相談しながらの試みは、新しい工夫の機会にもなった。鳥居・角山というベテランのお二人は、すでに教科書や教育用ツールを開発しているベテランである。とはいえ、お母さまたち、女性の皆さんへの働きかけは新しい経験でもあったろう。子どもたちに分かりやすく話すことでいつも感心させられているこの角山さんと、3・11以後東大教養の授業で、放射線教育を取り入れ教科書も書かれた鳥居さんのお二人との議論から得たものは大きかった。「どうすれば、放射線をめぐるいろいろな議論を、お母さんたちにわかりやすく説明できるか」、そのための工夫を、お母さんや幼稚園の先生方の反応をみながら、改善を試みた経験から得たものは大きかった。

宇野さんは、ここ3年、福島のさまざまなかたがたと接しつつ、ネットワークを広げてこられた。今回の取り組みも、宇野さんが献身的に働き、アレンジいただいたもので、それに私はお供したようなものだ。とはいえ、免疫専門の宇野さんの主張には、どことなく、「放射線に負けない生活の工夫って、今の福島の線量でほんとに心配だからそういうの?」という気配がして、私にはもうひとつ納得がいかないところがある。宇野さんとは、放射線の影響についても、ずっと議論してきた仲間だが、最後のところで、私にはひっかかるところがあり、免疫が専門の彼女の考えとやり方には、物理専門の私が全面的に納得しているわけではない。この期間中も、このことに関して、時間さえあると何度も議論した。これも、今後に残された課題で、まだまだ整理ができていない、

これらの思いを全部整理するのは、今はまだできないので、いくつかの課題を残したままだが、「あいんしゅたいんチーム福島派遣のレポートとして、思いつくままに記録をとどめておく。

2.次の挑戦へ・・・伊達市での教訓

はじめてのお母様方との出会いは、たくさんの子供たちに囲まれて始まった。広い会場の片側に若者コーナー、もう一方にお母さんたちとお世話のかたがたが集まり、にぎやかな中での話し合いには、この地域のお医者さんや行政のかたがたも含めて、多彩な顔ぶれであった。

ここでの話の進め方は、2014年5月の郡山での講演の経験を踏まえたやり方を採用した。それは宇野さんが解説を行い、私はその途中でいろいろな異なった意見や疑問を投げかける形の「対話型」を基本とするもので、そこに、角山さんの測定器を持ち込んだ「実験を交えた放射線の解説」を組み合わせたものである。
これは、次のような経験の積み重ねから始まっている。

まず、宇野さんは福島に何度も足を運び、放射線をめぐる話をされていることは既に述べた。坂東が、それに、はじめてお供したのは、宇野さんを通じての郡山品川市長のご依頼がきっかけであった。宇野さんは、講演だけでなく、「低線量放射線を乗り越えて」を著書として出された。これが回りまわって品川市長のお目にとまり、直々に宇野さんに講演を依頼されたときくが、品川市長の女性研究者(リケジョ!)への期待と熱意が伝わる話である。宇野さんはこのとき、「それでは坂東さんと2人で会話型の講演をしたい」といわれ、私もお供することになったのであった。それが、今年(2014年)2月4日だった。女性同士だから、基本的な心根は同感することも多く、今まで、いろいろなことを一緒に取り組んできた仲間である。しかし、今回の複雑な状況の中で、宇野さんは生物、私は物理の専門、その育った学問的背景もカルチャーもかなり違う。今回の放射線の影響に関しても、ちょっと違った判断をしているところもある。宇野さんのお一人の見解だけでなく、ちょっと違った形の会話型講演は、異なった意見があることを積極的に紹介することになるのだが、それで、皆さんがどう判断されるかと少し心配していた。しかし、こういう情勢の中では、一方的な意見でなく「こういうところはちょっと違う意見もある」ということがわかることになり、みなさんのご意見の広がりのなかで受け止められるところもある。掛け合い漫才のような形で講演したのが最初であった。そのことは、皆さんの理解を深めたところもあったことを知って、ちょっと確信が持てた。そこに加わって下さったのが角山さんである。角山さんは、小学生から学校の先生まで含めて、幅広い年齢層に、放射線の解説を大変わかりやすく具体的な道具を駆使して、お話できる逸材である。それがきっかけで、この5月に今度は角山さんと3人でチームを組んで、郡山のPTAの皆さん中心の会に訪れた。このときの打ち合わせで、角山さんの放射線測定と放射線の遮蔽の実験には、品川市長に加わってもらうことを、以前に相談していた。もちろん、品川市長はそのことをご存じなかったのだ。当日予告もなく市長に「お手伝いをお願いします」といったら、市長は気軽の応じてくださった。そして、放射線の種類によって遮蔽できるものが違うことをみんなに納得してもらおうというつもりであった。市長がアルファ線を紙1枚を中に入れただけで、音が出なくなった。その時の会場の皆さんの、まさに、「あ、そうなんだ」と納得する表情が印象的だった。そうか、百聞は一見にしかずというが、みんな、放射線の種類の話とその遮蔽効果の話は、何度も聞いたり読んだりしているはずzyなのに、目の前で実験を見る機会はそうないのだ、ということが分かった。いろいろな立場のいろいろな角度からの話しのほうが、ずっと理解が広がるのなのだ。

ついでだが、この品川市長、なかなかの人物で、そのとき、ポケットからハンカチを取り出し、「これは遮蔽できますか」と実験された。「いや、赤ん坊がベビー服を着ていたらどれだけ遮蔽効果があるのかなと思って」といわれる、この積極性には脱帽した。

さて、今回は、この3人チームに、さらに鳥居さんが加わった。鳥居さんは、事故後の状況のなかで、放射線に対する正しい科学的リテラシーが必要と、東京大学教養学部で、自主講義を始め、主題科目テーマ講義「放射線を科学的に理解する」を開講にこぎつけ、講義を担当。その中から、「放射線を科学的に理解する ― 基礎からわかる東大教養の講義」を仲間と出版された。このテキストは、理系一般の大学教養課程レベルであるが、基礎的な内容から説き起こしているので読みやすい。また、巻末に、よくある疑問・質問をQ&Aの形で盛り込んでいる。2012年8月に京都大学で開かれた基研の研究会「原子力・生物学と物理」の放射線教育のセッションで報告いただいたときから、緊密なネットワークができ、色々な形で連携をとっている。

こんな、ベテランと一緒に話す機会はめったにない。そこでは、不正確な説明をすると、すぐに鳥居さんからのアドバイスがくる。こうしてより正確で確実な認識にグレードアップしていく。こうして4人の連携で、お互いに補い合いながら、見解の異なる意見も聞き手に伝わる。そのような話に、聞き手の皆さん、結構よくわかった、と納得してくださったのがうれしかった。

ただ、やはり、気になったのは、「同じ意見でなく、違った意見の人と一緒に話がききたい」というもの、また「本当に1Kg100ベクレルの米は大丈夫か、など、疑問です」といった、私たちだけの話では、まだ納得いかない感想があとで寄せられたところをみると、やはり、私たちは、基本的に同じ評価の上に立って話をしていることになるのかなと思わざるを得なかった。正直、私も宇野さんも、最初は極端に異なる評価をしていたのだが、しっかり徹底的に話し合い、文献をもとに戻って検討することによって、徐々に、見解が一致し、あるところまではしっかり確認できたという経験を経て、今に至っている。

この福島には、これまで、沢山の科学者や専門家と称する方々が来られて、話をされている。そして、人によって、全く異なった情報が与えられてきたのである。そのために、混乱してきた福島市民の皆さんにとっては、やはり、まだまだ私たちの間の意見の相違など、むしろ、一方的なお話に聞こえるのであろう。もっと違った意見の方と一緒に、同じ席で議論しなくては、やはり情報として不足していると感じられて当然かもしれない。できれば、そういう機会を増やすことを考えないといけないな、と思う。

そんな反応をみながら、その夜はその反省をしながら、また改善する。「分かりやすく話してくださり、よくわかった」だけではなく、私たちの思いは、ここで話を聞いた人が、今度は周りの方に説明できるような、そんな広がりが出てくるような話し合いにしていきたいという思いが大きくなった。

そして、翌日からは、方針を変えて、「まず、皆さんの疑問を話してもらうような場を作り、その疑問に沿って話をすることにしよう」ということになった。
そこで、順序は次のようにすることとなった。

1)まず、宇野さんのハンドマッサージでお互いに話し合える場を作る。
2)そこで、坂東が「どんなことを知りたいか。心配なことは?」と問いかける。
3)そのまとめに沿って話を適宜変更しながらすすめる。
4)そのなかで、さらにでてきた疑問や希望を出してもらい、対話型で話をすすめる。

3.どうしたら納得?・・・南相馬で事前打ち合わせ

南相馬は、さらに厳しい状況に置かれている地域である。依然として避難区域を抱えており、お米を作っていない田畑が広がっている。子育て支援センターは働く親たちの子供たちを保育する通常の保育園ではなく、子供の遊び場がなく、不安を抱えている子供たちが集まる場となっている。しかし、そこの、今野園長先生をはじめとする保育者たちの姿勢は真摯で、なんとか本当のことを知りたい、という熱意が伝わってくる。前夜、今野園長先生のお宅で、園長先生のお母様の手作りのお食事をおいしく頂きながら、事前に現状と今抱えている問題をお聞きすることができたのは、とてもよかった。私は、園長さんもさることながら、そのお母様の、人びとを招き、手作りのごちそうを振る舞い、ひざを交えての忌憚のない話し合いの場を設けてくださったその心意気と生き方に共感した。そうなのだ、こういう素晴らしい女性がおられるのだ、なんと世の中は素晴らしいのだろう。私も人との交流を場を、食事をしながらするのがとても好きだ。同じ釜の飯を食べるとよく言うけれど、不思議に一緒に食事をすると、心がほどけて、忌憚のない意見交換ができる。私は、お酒は飲めないのだが(たいてい初めての人は、「うそでしょう」といわれる。よほど酒豪に見えるらしいが、からきしだめなのである)、お酒を飲んでいる人よりよくしゃべるので、お酒を飲まないでも効果はてきめんである!。人と人との交流というのは、こうしたちょっとした機会に深まる。宇野さんは、ハンドマッサージで、人の心と心を結びつけるのが得意だが、私は食事をともにしながらの交流も同じ効果があると思っている。実際、当あいんしゅたいんの会合では、宇野さんは、よくお家で作った野菜や、おいしいといわれているサンドイッチなど、持ち込んでくださり、私もまた、あわててありあわせの食材つくったものをふるまって、ご一緒に食事をする。いつだったか、その前日に宇野さんたちと作ったおでんなどが余っていたので、翌日のシンポジウムのおしゃべりをしに来てくださった皆さんにふるまったことがあった。「ご飯が欲しいな」という声がでて、「ゴメンナサイ。ここには炊飯器がないので借りてこないと炊けないの」といったら、その中のある女性が、早速、炊飯器を下さった。まあ、こんな具合で皆さんから助けられているのである。私は、女性研究者の研究室に行くと、よくお菓子が置いてあって、なんとなく、心がほどける経験をするが、同じ効果なのかもしれない。なんで女性はお菓子が好きなんかなあ・・・。

さて、話がそれたが、この時の話し合いで、最も耳が痛かったのは、「今まで色々な先生が来られて話を聞いているが、難しくてわからない」ということだった。まだまだかなりのギャップがある。私たちがひとりよがりに解っていただいたと思っても、それはこちらの勝手な思い込みであることが多い。放射線が体に当たった時のイメージをいかに作るか、自然の放射線や呼吸活動の中でも起こる生体内の細胞に起こるDNAの傷とはどの程度のものなのか、そしてどの程度修復されるのか、など、なかなか頭にはってこないのである。そもそも、放射線を語るとき、「原子分子」という超小さな変化を表すベクレルという量を使う。それと、体の中で起こるリスクを表すシーベルトという量が、余りにもかけ離れているため、専門家でさえ、いつも混乱を起こす。角山さんの計測器で、音が出るたびに、1ベクレルといわれると、「え、やっぱり、ごく少量といっても『ピー』という音を出すくらいの影響はあるのだな」と思われても仕方ない。「実は測定器は、ごく微量に入ってきた放射線のエネルギーを増幅して目に見えるように、また耳で聞こえるように、無理やり増幅しているのだ」ということが、なかなか実感として分かりにくい、ごく小さなものを顕微鏡で拡大して見えるようにしているのと似てはいるが、でもやっぱり違う。それよりもっと増幅の倍率が大きいのだ。目に見えるようにするのはいいのだが、その時、「増幅拡大」している度合いは、なかなか分かりにくい。こういう極端な量・大きさの違う話をするのだから無理もない。また、放射線が体の中のDNAを傷つける、という図は、説明する側も間違っていることが多く、DNAに放射線がぶち当たっているポンチ絵がよく出てくる。宇野さんが「活性酸素」といってもそれがどんなものかよくわからないのである。そこで、角山さんや鳥居さんと、なんとかもっと分かる手はないか、次の日のために何度もやり方を相談したが、なかなかいい手がない。これは1つの例であるが、どれももっと工夫が必要だと、悩むことしきりであった。

4.DNA標的の可視化・・細胞を傷つけるとは?

翌日、その工夫の甲斐があって私たちも新しいやりかたでの説明を試みた。その時の、今野園長先生のお顔が忘れられない。「そうそう!それだとわかる!」とうなずいておられ、ちょっと嬉しかった。

保育園の庭には藤棚もあったとのことであるが、木々は除染のために伐採され、きれいに片づけられていて、そのかわり花々や果物が植えられていた。大きなスイカが重たそうに実っていたのが印象的だった。あちこちに配慮の行き届いていることが感じられるこの保育園に、お母様方が集まってこられた。結構広い保育室には、水浴びのための大きなプールがあり、小さなボールや大きなボールがはいっている。そこで思い付いたのは、このビニールプールを1つの細胞と見立て、約10分の1ぐらいあるビチボールを核と見立て、その核のなかにDNAがあるということとする。そして、そこに、小さなボール(放射線)を投 げ込んで、実際にDMAに当たる確率を実感してもらうのはどうだろう、と話し合った。ターゲットのDNAは細い糸状であるので、それにボールを当てようとしても、そこに直接当てるのは難しいことを分かってもらうのである。しかし、その周りの水にはほぼボールは当たるので、その水を突き動かして、水分子を分解し活性酸素ができる。その活性酸素がDNAにあたるのだ、ということを分かってもらおうというのである。細胞に直接あたる割合を、ビニールプールのなかにいれた小さなボールとみたて、それに外から小さなボールを投げ込むのである。そして「なかなかDNAにあたらないでしょ!」という説明をした。よく、放射線がDNAを切断する図(例としてネット上から取ってきたがこういう図はよく見かけるだろう[1])がでているが、これは誤解を招く図である。こういう直接に放射線が当たる確率はせいぜい全体の20%ぐらいだそうで、多くの場合は活性酸素がDNAにあたるのだ。

もちろん、教材とするには、もう少し正確にDNAのもつれた模様やサイズをきちんととって、正確な図を作る必要があろう。そのためには、細胞の正確な大きさの図が必要だ。そして、もし、その描いた図がうまくできたら(きっとできるだろう)、それを壁に貼り付けてそこへ小さな矢で当てるようなグッズをつくれば、説明が楽になるような気がする。こうしてお話をすると、お母さんたちが、「なっとく!」という顔をされる。そして分かったという喜びを表現された。後に、園長さんからお聞きしたところでは、「翌日、前日来られなかったお母さんに、色々と説明をしておられた」ということで、本当によかったと思った。最初は、「ともかく、ここにすんでいる限り、安全だということを無理やりにでも自分に納得させて生きていくしかない」と言われたので、「それはあきません!自分できちんと確かめ、納得することが大切です!」と説得した甲斐があったというものだ。

また、私たちが日常受けているDNAの損傷について、よく引用されている例を挙げて、誰でも計算できる形に工夫した[2]。こんな風に、事前打ち合わせをして、当日に臨み、いろいろ新しい試みをしてみて、よりよくわかってもらえる工夫ができるのである。前日の今野園長さんとの話し合いは、とても大切だった。尤もその他のことでも色々と学ぶところがあり、園長さんの大変しっかりした考え抜かれた色々な知見には感銘を受けた。

5.復興とは?

最後の日程である郡山市は、私にとっては3度目の訪問である。それも、今年、2013年2月4日、5月21日と2度の訪問は、すべて宇野さんを通じて、「未来都市 郡山を創る会」の河内さんをはじめとする方々がお世話くださっている。郡山市は、縦に長く、福島県のなかでも東京に近いところに位置しており、福島の中で最も多い人口を擁している。西側は猪苗代湖の南岸で、ここは、山を隔てているために、放射能汚染が比較的少ない地域となっている。実は京都より線量は低い。不思議なことだが、それでも、子供たちには、水道の水は飲ませないで、必ず水筒をもってきて、それしか飲まないという用心ぶりである。その気持ちもわからないではない。目に見えない放射線から子供たちをできるだけ守る、という気持ちの表れなのだろう。とはいえ、比較的線量が少ないこともあり、青々と続く田んぼや畑が広がっているとホッとする。

なにより、この郡山の、人々の心意気が、前向きであることは、とても心に安らぎを与えてくれるものがある。「未来都市 郡山を創る会」はその心意気を名実ともに感じられるネットワークであろう。東北新幹線にのると、宇都宮・郡山・福島、そして仙台と続くが、東西南北の都市をつなぐ交通網が磐越自動車道や国道でつながっており、いわば東日本のハブとして、福島県での経済を支えているという気概が感じられる。「未来都市郡山を創る会」は郡山市内の中小企業経営者の集まりで、もともと、福島県中小企業家同友会に所属している企業が中心になって、事故後、結成された「郡山市の放射能を除去する会」が発展して、名称を変更したのだそうだ。「50万都市郡山の実現に向けての活動」「子供たちの健康と安全な生活をサポートし、保護者の不安を解消していく」活動を行っている。皆さんにお会いすると、未来に向けて意気投合している市民の心意気に、「ここは真っ先に復興するなあ」と心強いものを感じる。地域によって、同じ線量状況でも米を作っているところ、作っていないところ、など、様々な状況が見えてくる、福島の豊かな山林、澄んだ川、沢山の自然の風景の中に、田んぼがあり、畑がある。それが今、耕されずに荒れ地になっているところと、きれいに耕されているところとを比べていると、たとえ、少し線量が高くても、畑を作っているところの方が、ずっと復興が早い気がする。「あ、きれいに整頓されている」と思ったら、除染で出てきた緑や頃の袋が整頓されておかれていたりすると、ちょっとがっかりする。この豊かな自然をなんとか取り戻した生活が送れる日が1日も早く来てほしいと願わずにはいられない。郡山市長を含めた「郡山を創る会」のみなさんとの交流会では、この地の復興とは何か、市長が状況をしっかり勉強して考えておられる姿にも、また、真摯な心を感じたものであった。

6.子供たちと若者たち

伊達でも南相馬でも、若者たちは子供たちの人気者だった。子供のすごいエネルギーを受け止めて、もってきた科学教材を見せながらの大奮闘だった若者たちは、それでも色々なことを学んだようであった。郡山の子供たちが昼間、より線量の少ない山を1つ隔てた猪苗代湖のほとりにある保育園にきているのだが、この子供たちは学齢前であった。それに比べて伊達の時はもう少し大きな子供たちも来ていた。子供は年齢が1歳違っても反応が随分違うことに気がついたという。不思議に思って、驚きの声を上げるのはやはり年齢層の高い子供たちだということも発見したようである。

成長の段階に応じて不思議に思うことが違うのである。だから、相手によって、時には、もってきた道具はさておいて、一緒に体を使って遊ぶなど、臨機応変に取り組んでいた。

一層成長した若者たちは、帰りにはいつも、子供たちに、名残惜しそうに見送られていたのが印象的だった。

7.最後に

「自分を無理やり納得させながら生きていくしかない」「1kg当たり100ベクレルは本当に危険なのですか?」といった市民の質問にたいして、私たちは何ができるのだろう。

私たちが作った、「ベクレル・シーベルト変換シート」は若者チームが中心に作った作品で、けっこう、福島では評判が良いのだが、このシートで「危険」とか「要注意」という言葉を使ったら「ほんとに要注意なんですか」と聞かれた。日本の現在の福島の基準値はゆれにゆれた。思い起こしてみると、3・11直後は、海外からは、その国の方々に対し、避難を呼び掛けているのに、避難指示を出さず、その後、水素爆発が始まった頃から、意見が乱れ飛び、はては、そろそろ収拾が見えた頃になって、飯館村などに避難指示を出した。それに振り回された福島市民が、疑心暗鬼になるのは当然である。

あいまいないい方のまま今日に至っていること自体が、かえって不安を抱えて生活せざるを得ない状況にしているのだ、という思いがある。

本当に危ないなら、住むことはできない筈、それなのに、「福島の基準は、他の府県と異なるのはなぜか」それをはっきりと説明することなしに、あいまいにしていることは、かえって差別を生んでいる。そもそも、安全で住めるのなら、日本中、同じ基準にすればいい。

やはり、きちんとした基準とその意味を、自信をもって提示し、そのうえで、「安心して生きていけるのだ」ということを、福島県民だけでなく、まわりの日本全体が納得しなければ、本当の安心につながらない。それを県民の皆さんは模索しているのである。

私は、そこに焦点を絞って、科学者として、ごまかさず、明確に訴えるということが、今求められていると思う。それなしには、危なくもないのに、まるで、今の放射線量は危険かのように、下手な慰めや、「がん予防のためのノウハウ」を解説して説得するのは、どこか、すれ違っている。危ないのなら、他の土地で生きるように言うべきだし、安心してもいい量なのならそうはっきり言えばいい、1時間当たり0.9μシーベルトのコンクリートをはがして、0.2μシーベルトにするために、どれだけのお金を使っているのだろうか。除染をする必要があるのならしなくてはならないが、しなくていいのに、基準値がこうだからと必死で線量を減らしても、すぐその横は、線量は減らないのなら意味がない。

しっかりした科学者としての見解を、科学者の中で徹底的に議論し、検討し、それを行政の指針にするために、もっと発現しなければ、しっかりしなくては、という思いを今も抱いている。

ここのところは、まだまだ、宇野さんと意見が少しずれているのだが、1つのチームがいつも同じ考えて行動するわけでもない。今後、さらに詰めていくことによって、また新しい道を見極めていく必要があるのだろうと、まだまだ悩みは尽きない今日この頃である。



[1]http://save-life-action.org/%E6%94%BE%E5%B0%84%E7%B7%9A%E3%81%AFdna%EF%BC%88%E9%81%BA%E4%BC%9D%E6%83%85%E5%A0%B1%EF%BC%89%E3%82%92%E5%88%87%E6%96%AD%E3%81%99%E3%82%8B.html

[2] これについては、別に論じるのでここでは省く。

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