2024年03月19日

共感と誠意(ブログ その180)

福島原発事故以後、世間を2分する世論の対立を私たちは多く経験しました。

同じ家族でも意見が対立し、それが人間同士の憎悪にまで発展する現実をみると、「もっと客観的にいろいろな感情を切り離して、しっかり科学的に現実を見ないととんでもないことになる」。そういう思いから「市民と科学者のコミュニケーションネットワーク」 を立ち上げて、放射線の影響の評価やコロナかでの対策のあり方を皆さんと議論しながら情報発信してきたことを思い起こします。

そして今、まさにアメリカの中間選挙でも、この対立が政策論議から大きく外れて暴力的感情的な形で表れているのを見ると、ヒトとはどういう生き物かという疑問にで行きつきます。こんな時、以下のような情報を、エネルギー問題研究所(Research Institute of Energy Issues)代表金氏顯さんから頂いた。

11月25日に野田佳彦元首相が国会で行った安倍晋三元首相への追悼演説は、思いのほか良かった。SNS上には、演説への称賛が集まった。「人の心はこうあるべきだ」、「テロに屈しかけた国会に民主主義を取り戻した」という指摘に注目した。

実は野田氏のスピーチで以前にも一度、感銘を受けたことがある。首相時代の記者会見で、関電大飯原発の再稼働方針を表明した平成24年6月のものだ。前年3月の東日本大震災と東電福島第1原発の事故を受けて、国内50基の原発は24年5月から停止した。事故から1年余りしかたっていないが、夏場の電力需給のピークを控えていた。名演説かどうかどころではなく、自身の政治生命もかかる決断である。

野田首相はその会見で「国民生活を守る。それがこの国論を二分している問題に対して、私がよって立つ、唯一絶対の判断の基軸であります」と言い切り、「豊かで人間らしい暮らしを送るために、安価で安定した電気の存在は欠かせません」と滔々(とうとう)とその必要性を説いた。旧民主党政権下で日本が危機を迎える中、これが「首相の決断」というものかと受け止め、同時にこの先、自民党にこうした決断を下せる指導者が出てくるのかと思った。大飯の決断は、その後の他の原発再稼働に道を開いた。

野田氏が表舞台を去ってから今日までの政治路線にはわかりにくい点もあるが、ここ一番の弁舌には人の心を動かす力がある。国について語り合うべき与野党議員の胸には、どう響いただろうか。(以上、11/4産経新聞【政界十六夜】参照)野田総理(当時)の関電大飯原発3,4号機の再稼働方針を国民に訴えた平成24年6月のスピーチは10年経った今でも鮮明に記憶している。

下記のYOUTUBE(11分)をぜひご覧ください。

野田首相会見 冒頭 大飯原発3、4号機の再稼働方針を表明、理解求める - YouTube 

野田氏は政治信条は安部氏とは相対立する立場にあるわけで、こんな時、追悼演説をしなければならないのは、複雑な思いがあっただろうとは想像できます。こんな時のこのような追悼演説ってどういう風に向き合えばいいのか、みんな迷うと思います。人間としての追悼の意味と、政治的には対立していたこととをどう切り分けて話すのか、非常に厳しい立場にたたされたのではないでしょうか。

野田氏の追悼演説は、ヒトというものがどうあるべきかを示した素晴らしい演説でした。雄弁というのはこういうのを言うのだろうと、ほんとに感銘を受けたのは私だけではないと思います。こういう、人格的に優れた政治家がいたことに、ほんとに頭が下がる思いをしました。この野田氏がかつて、首相として発言された「夜を2分する原発の再稼働」に対して自分の心情を切々と訴えられたのは、実は今まで知りませんでした。

ウクライナ紛争以後、エネルギー問題は、供給減の危機に陥り、ヨーロッパでも日本でも原発再稼働の動きが目立ってきました。でも、この議論は、人災によっておこったエネルギー危機に原因があるので、積極的にエネルギー問題を解決する方向ではありません。だから内容について、私が現ぱつぁい稼働に賛成かどうかの問題ではなく、世論を2分する問題に対して、国の責任者であった野田首相が客観情勢までしっかり見つめ、国民に真摯に向き合って自分の考えを練りに練って訴えたその姿勢はすごいと思います。今の政府にこのような紳士で、人を感動させる説得ができるのかな、そんな政治家がいるのかな、とつい思ってしまいます。 

言葉は、その人の心の表れでもあります。人類が言葉を獲得したことは、人々の共感を広げる大きな力にもなっている、それがヒトとしての大きな特質でもあると思わずにはいられません。