2025年05月19日

なつかしの愛大2 交流した卒業生吉田さん(ブログ その200)

「憲法24条?結婚は両性の合意により成り立つ??こんなん当たり前やんか」と私がいったら、吉田さんが「先生、それは違います。この24条があったからこそ、女性が財産権など1人前の個人としての権利を持つことができたんですよ」

「へえ、そうなんか、知らんかったわ」

これは、愛知大学でのある日、法学部2部の学生だった吉田誠さんとの会話である。ちょうどそのころ、ベアテ・シロタの映画を作ろうと張り切っていたころだった。このことはブログ193で触れた。

例の赤松良子さんの偲んでのプログだが、その中もこの話はとても心に残っている。

吉田さんによると、この前後の条文21条から29条までは、ベアテシロタが、最も熱心に詳細に案を作られたということだった。[M1] 

ベアテさんは、1923年、ピアニストである父とともに日本で過ごした中で日本の女性の現状を身に沁みてご存じだった。15歳までを大日本帝国で過ごし、大学はアメリカで過ごし、第二次世界大戦が大日本帝国による太平洋戦争の敗戦という形での終戦を迎え、日本に残っていた両親と再会する。GHQの一員として、GHQの憲法草案作成委員会委員となったその経験を記しているのが、ふーんそういうことか!なるほど、というわけだった[1]

あれからもずっと吉田さんと当時ポスドクで愛大の非常勤講師をしてくれていた谷口正明さん(現名城大学教職センター 教授 )とは色々と議論をした仲間だが、この2人が久々に昨年(2024年)4月、我があいんしゅたいんの事務所を訪ねてきてくれて、延々とおしゃべりした仲間である。
そのときは、谷口さんと吉田さんで、ハイブリッドカーの効率と環境問題を昔ゼミで取り上げたのを、ちょっと現代の問題にして調べてみたという話などで盛り上がった。
「なかなか先見の明があったなあ。」というので、それを何らかの形で発表しないかと盛り上がった。愛大でいろいろ取り組んだテーマ、今思い起こしても、なかなかのものだったなあと懐かしかった。

その時、吉田さんが、「NHK連続テレビ小説『虎に翼』だけは見てください」と推薦してくれた。この事務所にはテレビがないので、お向かいの山田さんが録画をしてくれて見せてもらった。

吉田さんはその後、いくつか本を1冊ずつ送ってきた。最初に送ってくれたのは、「三淵嘉子 日本初の女性弁護士(朝日文庫)」)で、これは主人公のモデルの現実のお話しですぐに読み終わった。

次に吉田さんは、憲法24条だけでなく、ベアテシロタが、GHQが日本国憲法の草案を構成する中で大きな役割を果たしていた話をしてくれた。そして送ってくれたのが、まず「1945年のクリスマス」

この本も興味深いので他の仕事を差し置いてすぐ読んだ。憲法成立のいきさつを詳しく描かれている。まずGHQのメンバーが軍人ではなく、法学の優れた最先端にある専門家が半数だったこと、次に、メンバーの半数が、法学以外の人類学や日本の文化の研究者など、異分野の方々だということだった。
ベアテが法学の専門家でないのに日本の現状を熟知していたので、意見を聞いてもらえたのかなと想像していたのが大きな間違いで、ご自分の専門を生かし、語学力も加味して各国の憲法を勉強し、人権や自由という概念を正確に把握していて、この会議の中では対等な立場で各々の分野を背景にして同等に議論に参加していることだった。
その議論の中身は、お互いに異なった意見も堂々と議論し、対等に徹底的に渡り合うのである。「なんや、法学の世界ではこんな議論はしないのかと思っていたら物理と同じやないか。」と、異分野の学問の世界を垣間見た思いであった。

もう一つ、約半数いる異分野のスタッフの活躍も含めて、実は日本に、大日本帝国憲法に限らず世界の憲法について研究していた民間の研究家がいたことについて綿密に調査研究し、現状をしっかり把握していたことである。
特に天皇制については、民間の研究会では廃止の方向だったのに対し、現実は心の支えとしての役割が絶大であることをしっかり見抜いて、天皇制を残すことしたこと、これは本来あるべき民主主義から言うと変則であっても、現実がどうあるかをしっかり見極めた判断だったということである。

もう一つのことは、最初は日本政府に新憲法草案の作成を指令したが、それが明治憲法そのままで、いわば上からの旧憲法そのままの草案だったことにGHQは絶望的な衝撃を受け、急遽、GHQが独自にその当時の世界の憲法の最先端を行く草案を作成せざるを得ないと判断したということである。
即ち、旧権力側に対する、旧大日本帝国の臣民であった新日本国に居住する市民の権利をいかに新憲法によって保障するかという命題を定立していたということである。

つまり、アメリカから押し付けられた憲法と、それに対する日本国に居住している市民の反発ということではなかったのだ。
これは赤松さんのところでも書いたが、「押し付けられた」憲法ではなく、日本国憲法が「贈り物」だという主張で作った「ベアテの贈り物」の主張をさらに超えて、アメリカ(GHQ)対日本という構図ではなく、日本の旧権力側と新市民側との対立構図といってもよいのではなかったか、ということを悟ったといってもいい。そういう気がしていたら、今度は「新憲法の誕生」を送ってきた。

だんだんややこしくなるなあ……ほんとに……。この本は私にはそう簡単には消化できなかった。

それでも、丁寧に事実を検証しつつ解き明かす論法は気に入った。分かったことは、「なんや、やっぱりそうだったのか、旧憲法に固執する旧指導者側と人権を主軸にする市民との対立だったんだ」という私の直観は正しかったようだ、そう思った。

さて、こうしてどんどん、吉田さんのお話しは私には更にどんどんとややこしくなり、学校の宿題をする気分だった。

戦前から長らく日本の様子をよくご存じで、特に女性の無権利状態に、心を痛めておられたというベアテが、日本人の意識に欠けている「個人の尊厳と権利意識」についての詳細が述べられていて、日本国憲法の中で結構長い条文になっているのも特徴だという。
こうした深いかかわりがあるのに、憲法記念日にもほぼベアテのことはマスコミで取り上げられない。今回の朝ドラでも、結局ベアテの名前が出てこなかったのは残念だった、もうずっと昔にGHQによる日本国憲法草案作成についての機密はアメリカで解除されているというのに……。

思い出すと、愛知大学の2部の学生との付き合いから教えられることが多かった。

2部というのは、若い頃高校を出て公務員になった人とか、看護学校を出て看護師になった人が多かった。看護学が大学で正式に地位を得た後に大学に行けなかった方々が、3分の2ぐらい、1部の入学試験を失敗した若者が3分の1ぐらいだったように思う。
若い時代に大学に行けなかった方々は、様々な経験をしている上に、学習意欲は熱烈だった。
仕事の場では経験を積んでいるが、もっと広い世界を知りたいという欲求に駆られている人が多く、自然科学概論の講義を私自身も楽しんだだけでなく、教えられることも多かった。

たとえば、ローマレポート「成長の限界」を中心に現代の環境問題を論じるなかで、人類の歴史を振り返り、農業革命を経て機械を使って仕事をする時代になり、爆発的に産業が発展した。
この授業での感想には、「次は情報革命でしょうか。」といった未来を見据えた感想もみられ、さすが様々な経験した方々の感想は視野が広いと感激した。さらにびっくりしたのは、このときそれまであまりやる気の見られなかった若者まで含めて静まり返って感銘を受けていたことである。

「僕は正直、昼間の入試に落ちてやる気を失っていたのですが、このとき、ここに来てよかったと思いました。」と、言われた。そしていろいろな場面で交流が始まり様々な企画が生まれた。そこから、昼間部のゼミ生とも交流が始まった。

それで思い出したのが、車道校舎(2部のある分校)の図書館の本が多すぎて廃棄するという話を聞いた学生たちが、「もったいないので、捨てる前に、公開して、欲しいと思った人にあげて下さい、という要望が持ち上がった。
私は早速、教授会で提案したら、みんな賛成してくれて承認を得た。そのとき、吉田さんが、「これいい本だから先生のために持ってきました。」と、鈴木安蔵が愛知大学に在籍していたときに執筆していた教科書を持ってきてくれた。これは、今も大事に持っている。

それと同時に盛り上がって、「日本の青空」の映画会を大学で開いたことも思い出す。
同時に、「日本国憲法は日本だけでなく世界の宝。」とベトナム戦争にも参加した、科学者であるチャールズオバビーさんの講演会も開いたなぁ、その時は、たくさんの方が来て下さり、1つの教室に入りきれないほどの参加者で、急遽、隣の教室との仕切りを開けたこと、など懐かしく思い出す。
この記録は、「憲法第9条は国境を越えて。」というタイトルで、パンフレットになっており、私の本棚にある。そこで私もあいさつをした当時の記録が見つかって、懐かしく思い出した。先生方はもちろん、学生たちが一緒になって手伝ってくれた。

糸野さんの訪問の後、今年(2025)の2月12日には、久しぶりに、吉田さんが訪ねてきた。「神納さんといえば、先生のお家で、パスタを作った時、ご一緒でしたよ。あの時、内山さんと神納さんがおられて、面白い人を紹介するよって。一緒に小麦粉からパスタを作ったのを覚えています。」と言われた。

そして、日本国憲法について勉強したことを吉田さんに報告した。
「GHQが天皇制を残すことを提案していたが、日本の民間の進歩派は天皇制の廃止を主張した。」という話について、GHQはしっかり日本の状況を把握していたんだねと、私は言った。そして、民主主義は「人の上に人を作らず人の下に人を作らず」のはずなのに、その原則がある一方で、現実にほとんどの日本人が天皇を慕っていて、もし天皇制を廃止してしまったら日本が大混乱に陥ることを見抜いていたのは、ある意味、現実をよう見ていたことの証拠ですね、と言った。

大したものだ、それだけ柔軟な判断ができるのは、さすがに、法学以外の専門家、日本文化の専門や、戦前から女性が置かれていた立場に詳しいベアテなどの幅広い分野横断型の組織構成だったことが重要ですね、とまあ、優等生的意見を言った。
そしたら、「でも、それだけではないんですよ、今の天皇は立派な方だからみんな慕ってるけど、将来にワンマンの独裁的な天皇が出てきたりしたら、ちゃんとしっかり考えられるように第1条があるんです。その意味ではすべて現状の中で最大の理想を追求しつつ、さらに次の理想に近づけれられるように色んな条文にもちゃんと手が打ってあるんです。」と言われ、うん、そういえば第1条など読んだことがなかったなあ、と勉強させてもらった。湯川先生の言う、「世界連邦」についても話が及んだ時には、連邦と連合の違いを教えてもらった。

唯一、連邦システムを取っているのはアメリカ合衆国だということも勉強になった。
世界連邦は、それぞれの小社会が、「自発的に加盟を決定する制度なのだ。もっとも今のアメリカ合衆国はどこへ行くかわけがわからなくなるなと思うという話をしたら、吉田さんは、私が、トランプがめちゃくちゃしているのでなあ、といったら、「いや、それでも一定の憲法の下にあるのでそんなに無茶はできないと思います。」ときっぱり言われる。
痩せても枯れても民主主義の国なんだなあ……。それにしてもヨーロッパの歴史を聞くと戦争の歴史ばっかりで嫌になるというと、その中でオランダだけが、戦争で国を拡張するのでなく、海を埋立てて国を作った、そしてほかの各国が、強烈な身分制度を取っていたのに対して「身分に関係ない、ここではみんな平等だ」ということで戦争主導ではなく、貿易で栄えた国だったということを知った。オランダって面白い国なんだ、と初めて思った。戦争の起源についても、いろいろ議論した。

特に、今私が計画している放射線の生体影響の話にもいろいろ提案してくれた。それらは、また別のブログで紹介したい。

このように、話はあちこちに及んだ。

吉田さんは、「初めて先生と自治会の役員として話をしたとき、車道校舎の近辺を調べて、みんな(特に高齢者)が集まっておしゃべりしたり何か共同作業をしたりしているところがどこにあるか調べてみてくれる?」と私が言ったそうだ。

「どうしてそんなことを調べるのですか?」と彼が私に聞いたら、「なんで調べるのって、誰かが社会から孤立している環境はよくないと思うから、それを解決するために、みんなが集える場所を確保するのが大切なんだよ。」とかなんとか言ったという。

「それで、車道校舎周辺を自転車で走り回って喫茶店や公共の場所とか、どこに人が集まっているか、たくさん調べてきましたよ。」と、報告してくれたことがあったと私に話してくれた。

私は、「へえ そんなことあったっけ。有り難う!」とお礼を述べた。 

すっかり忘れていたが、吉田さんは今もそのことを覚えていて、「そういう場所づくりをいつか実現したい、そのために社会福祉士の資格を取った、さらに弁護士の資格を取りたい、法律事務も請け負える生活相談所を急いでどこかで開設したいと思っている。」と、話していた。

そういえば、私もそういう、社会から孤立している人たちのことについて今でも居場所づくりを目指しているのかな、今も、まだまだ夢の途中にあるのかな、夢を追いかけているのかな……。

こうして話し込んでいるうちに、とうとう終電も逃して朝まで話し合ったり、シベリウスの「フィンランディア」やショスタコービッチの「革命」を聴いたりしてカラヤンがどうの、フルトヴェングラーがどうのこうという話をしたりした。こんな感じの「おしゃべりの場」を作りたいとずっといつも思ってきたかもしれない。

ちょっとでも夢に近づけるような活動をしたい、と、新たな気持ちが湧いてきて、また頑張っていこうと初春の底冷えをしている徹夜明けの早朝に、冷めた紅茶を飲みながら思った。

ふと、事務所の窓から外を見上げたら宙(そら)が真っ青だった。火星の夕焼けのような朝だった。


 [1]「ここは、人づてによるより、ベアテさんが実際に書いたものが残っていて、それが日本語でも出版されているので、それを引用した方がいいと思います。」と吉田さんからコメントを頂き次の参考文献を明示していただきました。

→「ベアテと語る『女性の幸福と憲法』(晶文社)https://www.shobunsha.co.jp/?p=1105

」P57~P60によると、この前後の条文21条から29条までは、ベアテシロタが、最も熱心に詳細に案を作られたということだ。 


 [M1]ここは、人づてによるより、ベアテさんが実際に書いたものが残っていて、それが日本語でも出版されているので、それを引用した方がいいと思います。
→「ベアテと語る『女性の幸福と憲法』(晶文社)https://www.shobunsha.co.jp/?p=1105

」P57~P60によると、この前後の条文21条から29条までは、ベアテシロタが、最も熱心に詳細に案を作られたということだった。 [M1]