2024年06月16日

赤松良子先生(ブログ その193)

私が赤松先生と出会ったのは日中女性科学者交流」の訪中団で、1990年代ではなかったかと思います。

日中女性研究者交流団は、猿橋勝子先生が向坊団長の下に組織され、女性科学者を率いて中国訪問を企画されたのでした。確か2回、中国を訪問したように思います。

第1回目は、自然科学系の科学者だけでした。
この時鮮明に覚えているのは、中国は発展途上で北京の空はいつもどんよりしていて、それが大気汚染だったのを知って、1960年代の日本のことを思い出したものでした。

第2回目は、猿橋先生の先見の明といいますか、もっと分野横断的な交流をしようと、赤松先生をはじめとする女性研究者の方々も一緒に、とても賑やかな一行になりました。
女性研究者は昔から分野を問わず同じ問題を抱えているので、みんなネットワークを組んでいますが、まずは日本女性科学者の会の創設という形で始められたのは、科学の未来を見据えて、女性が平和を希求していることの証ともいえる核兵器廃絶を目標に、茅会長のもとに作られた女性科学者の会核だったと思います。
文理融合型ネットワークは女性のほうが経験が豊富だとつくづく思います。
中国内での移動のバスの中で、たまたま赤松先生の横に座ったのがきっかけで、私が大阪弁で話しかけると、急に標準語だった赤松先生が大阪弁を使われたのです。

「なんやあんた大阪出身か。私は夕陽が丘出身やで」

「あ、私は大手前出身です!」

大阪は本音の町、まあ、ようゃべるはずやわと話が弾んだなかで、赤松先生が

「男と女は、体つきが違う、体力も違いがある、そこまでがわかるけど、ここはどうやねん?」

と頭を指して言われたのです。

それから議論はずっと続いて別れ際に

「今まで理系の女性とはあんまり付き合いはなかったけど面白いわ、東京に出張で来るときは連絡してや。議論の続きをしよう!」

と意気投合したのです。

それからは、東京に行くたびにお会いして議論する機会を欠かさず持つようになりました。

赤松先生のマンションは東京麻布10番で降りて、国際交流会館の隣りだったのですが、「東京に来るときは隣にとまれ」との命令を受けて国際会館の会員になり、行くたびにおしゃべりの機会を作ったものでした。

このおかげですごい経験、忘れられない場面に出くわしました。

2002年の12月24日、東京出張が入っていつものように赤松先生に電話をしたら、 「あんた、明日の夕方2000円程度のプレゼントをもってうちにおいで」とのこと。
さて、マンションのドアを開けると赤松先生が、赤い帽子をかぶって、紙吹雪ポパーを浴びせて一言! 「メリークリスマス!」「デートの相手がいない人の集まりよ!」 そして、輪になってクリスマスプレゼントの交換。
各々、まわってきたプレゼントを見せ合う。そのなかで、素敵なネッカチーフが披露され、「これはベアテの会のグッズよ」と落合良さんという方がいわれ、ひとしきりベアテの話が続きました。
「ベアテももう八十超え、今のうちに動く映画を作りたいねえ」 とのつぶやきに、さっそく岩波ホール総支配人・高野悦子さんが「作ろうと思えば作れるわよ」と。みんなが盛り上がる。

こうして、クリスマスパーティは急遽 「ベアテの映画を作る結成会」 に変身しました。
みんなで資金を出し合って作ろうというものです。集まったらこういう話ができる女性のすばらしさに感激でした。女はおしゃべりというけれど、おしゃべりの中からこんなアイデアが出て、それをまた果敢に実行に移すという素晴らしい場面に出会わせてワクワクしました。

もちろん、我々物理の世界でも、雑談からアイデアが生まれ「あ!これ面白いのと違うか!」という話によくなります。
人と人との交流の場が創造の場になる瞬間は、人生最高のワクワクドキドキの楽しい瞬間です。それはいつやってくるのかどんなきっかけで始まるのか、偶然として思えないのですが、確かに、いつも何かをもくろみ温めているからこそ、偶然の場面でそれが現実のなるのではないでしょうか。人生で最高に楽しい瞬間ですね。

こうして、新参ものの私も素晴らしい経験をさせてもらったのです。
その後の輝かしい進展は、「私の履歴書:男女平等の長い列」にあるのでそちらを読みください。 記録映画『ベアテの贈りもの The Gift from Beate』が完成した時には、愛知大学の2部(夜間部)の学生からいろいろ教わったり、またイベントを企画、赤松良子先生にも愛知大学に来ていただき学生たちと交流したことも楽しい思い出ですが、これは「ベアテの贈り物」の話として別にご紹介します。

あれからずいぶん経ちました。
定年になってからは、東京出張も日帰り出張が多く、赤松先生にお目にかかる機会が少なくなりました。そのうえ、当NPOを立ち上げたので、余計忙しくなってずいぶんご無沙汰してしまっていました。

こんな中、2024年2月7日、突然赤松先生が他界されたニュースが飛び込んできました。
お元気で勢いのある先生のお姿、ずいぶん長らくお会いしないまま、もうお目にかかれないと思うと・・・。あまりにも急なことでした。いつもご一緒に活動しておられた山下泰子さんによると「あっという間に逝ってしまわれました。 まったく普通にお過ごしでしたので、老衰じゃないし、司法解剖されても原因不明でした。」ということでした。

赤松先生らしい潔ぎよさだなあと改めて思います。

「性差の科学」の本を作るに際してご一緒に議論したこと、その中で赤松先生が、ミトコンドリアにとても興味を持っておられ、その探求心のすごさに「よう、いろいろなことサーチされていてびっくりです」といったら、「そりゃ ここがちがうわな」と自分の頭を指して言われたお茶目な姿も目に浮かびます。
性差の科学の本は愛知大学で総合科目として取り上げ、長谷川真理子さん、宇野賀津子さん、などにもご協力いただいて、同僚の功刀さんも交えて、学生も巻き込んで作り上げた本ですが、愛知大学の出版助成金をいただいて作り上げたので、編集者に赤松先生を入れることができませんでした。
それで表紙の帯に書いていただいて、赤丸先生の思いを伝えたものでした。

 

「赤松先生の「私の履歴書」や「志を高く」をこの度読み直して、昔のいろいろなことを思い出しました。
調べてみると、あの映画はDVDになっているそうで、今はベアテシロタの会は解散したみたいです。
プロジェクトXに初めて女性が登場したのも赤松先生でした。これも、DVDになっているようで、鑑賞会をしたいなあとパスツール研の宇野さんや津久井さんたちと盛り上がっています。

生涯をかけて、「男女平等への長い列に続こう」という姿勢を貫かれた赤松先生、私たちもその列の後につながっていきたいものです。