西川祐子さん(ブログ その195)
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作成日 2024年9月09日(月曜)09:00
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作者: 坂東昌子
もうほぼ1か月前になる。岩波書店から1冊の本が届いた。あけてみると、『「人間喜劇」総序 バルザック作 西川祐子訳』とある。
「まあ、西川さんは、今も元気で、翻訳本を出しておられるのだなあ、やるなあ。」と思った。中身は「バルザック小説世界の道しるべ」のようで、最初の章が総論で、読み始めた。
「作品が少ないと作者は尊大になりがちであるが、作品が多ければ多いほど作者は限りなく謙虚になる」
ふーん、なるほど、ようわかるなあ。おんなじやなあ、などと思い読み進むと、自然科学の発展が著しかった時代に、動物も植物も同じ有機的分子からなる生物としてとらえられたが、どの動物も様々な環境の違いによっていろいろ多様な動物が変化していく。この進化の様子がわかってきた時代だったようである。そして「社会は自然に似ている。
「社会、人間がそこで行動を繰り広げる環境に応じて、動物学の変種ほどの数の違う種類の人々を作り出すのではないか、といってこれを動物種と対比して「社会種」と言っている。」
なるほど、フランスは、以前からそういう雰囲気がある。すなわち、ヒエラルキーのある社会だという気がしていた。
例えば、ピエール・ブルデュー(Pierre Bourdieu、1930年8月1日[1] - 2002年1月23日)が、女性の地位分析の中での場」という概念を定義しているところで、気になったことがあった。
そこで、彼が学校教育について、「分別する場」というような言い方をしていたのである。
違和感を持った。私はずっと公教育の中で育った。戦後の民主主義の中で「新制中学に行くか行かないか」などと言われた時代であるが、公教育の場新制中学に通い、そして公立高校で育った。
そこで。いい先生に出会い、たくさんのことを学んだ。そして「勉強したいなら、女でも大学に行けばいい」と言ってくれた先生にも励ましてもらった。だから学校が分別する場だとは思わない。金持ちも貧乏人も同じ場で教育を受けられる公立学校でみんな平等という雰囲気がみなぎっていた。
もっとも高校に行くと大阪でも大学区制だったので、なんとなくエリート意識の生徒で、大学受援だけが人生の目的みたいに言っていたが、それでも、クラス討論会などでそういう意見とそうでない意見で議論が沸騰していた。
それに大学に行くのを反対されている家庭の女生徒たちは、そのことで悩んでいた。そういうところでずっと育ってきたのである。
イギリスでもフランスでも、子供たちは将来のいく先によって、かなり幼い時代から行く学校が違っているということだから、初めから身分が左右している。それと私が育った日本は違うなあ、と違和感を持ったのである。もっとも最近の教育の話を聞いていると日本もどんどんそういう傾向になっているような気もする。
話をもどして、私は、バルザックの話はこのあたりで挫折して、忙しさに紛れて、あとで読むことにしていた。そところが、つい最近、再び手に取ってみたところ、ほんの間に、「謹呈 訳者」というしおりのほかに、少し大きめのしおりが挟まれていることにはじめて気が付いた。
母、西川祐子が2024年6月12日に永眠いたしました。
この本を手に取り、最後は穏やかな表情でした。作品をとおして、これからも様々な読者に出会えることを祐子さんも楽しみにしていると思います。
これまでの沢山のご支援に、心より感謝申し上げます。
2024年6月14日 西川** 西川**
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とお二人のご子息とお嬢様のお名前が書いてあった。気が付かず長い間たってしまった。
西川祐子さんは、京大文学部仏文専攻で、大学院の時まで、いやそれから以後もいろいろとお互いに女性研究者として、励ましあった仲間だった。
中でも、「女性とはなにか」という大作を訳されたが、これは生物学的かた社会的までの全側面にわたるっ性差分析で、著名な生物学者、ジャック・モノ―がシュルロという社会学者と一緒に執筆編集した分野横断的な論考集である。
西川さんは、これを訳すのに、「生物の人で助けてくれる人いませんか」という問いあわせがあって、宇野賀津子さんを紹介した。こうして宇野さんも性差の知見を新たにする機会を得たともいえる。まさに分野横断的ネットワークのたまものだった。
西川さんもまた分野横断的な広がりをこの翻訳の仕事の中で身につけられたのではないかと思う。
この中で私が印象深かったのは、シュルロが性差を問題にしたことで、当時の女権論者や(いわゆる)進歩主義者の批判を浴びたなかで、モノ―は女性の地位改善につよい関心を寄せるヒューマニストでもあったが、「科学は真実を明らかにする。それを捻じ曲げることはできない」という信念の持ち主でもあった。
西川さんには、多くの業績(西川祐子 - Wikipedia)があるが、中でも忘れられないのが、「一つの抗議」裁判記録である。
彼女は控えめで穏やかな性格で、いわゆる大声で女性の権利を訴えるタイプではない。その彼女が、裁判を起こした。おそらく周りの沢山の友人に励まされ助けられてであろう。大学人事における不当な対応にあきれ返る事件であった。
裁判の中で、今の朝ドラではないが、裁判の全記録を採録している。この分厚い記録を今、読み返しながら、途中で裁判官が変わったりして後戻りする事態などもリアルにわかる。そして大学の人事の在り方が問われた画期的な判決結果で勝訴したのであった。
いつも静かだけど鋭い視点を持ったお仕事をされていた西川さん、あとの沢山の物を残されたなあと、いまさらながらなつかしく思い出している。
西川さんの穏やかなお顔を思い浮かべながら、頼もしい仲間を失ったことに思いをはせたが、でも逆に「いいなあ、この報告の仕方」に、母親の思いをしっかり受け止めた娘と息子がいたことに、暖かく、素敵な人生の在り方を学んだような気がした。