2024年03月19日

阿部先生と放射線治療、そして湯川さん(ブログ その177)

先日、お向かいの喜代さんが、「ちょっとお時間下さいね」といって、ラインのやり方を教えに来てくださった。

この間から「秀樹ファンクラブ」というのができていて、そのグループで、由規子さんを囲んでおしゃべりの会がいつの間にかできた。このグループは、湯川邸の保存のために知らぬ間にネットワークができた珍しい仲間たちである。CHAKYプロジェクト。女性版と私は読んでいる。湯川邸が京都大学の所有になった不思議な縁を表したもので、次のチェイン・不思議なつながりである。

C・・H(長谷工)↔A(安藤忠雄)↔K(京都大学)↔Y(湯川)

この不思議な縁を結んだのは、京大湊総長である。
なけなしの京大には湯川邸を引き取るお金はない。民間のマンションに建て替わる寸前のところを危機一髪救ったのはこのチェインである。それを可能にしたのは、佐藤文隆・山極寿一、尾池和夫、永田和宏という京大理学部のOB4人組が、「湯川邸を保存し活用するため」の呼びかけ人になって下さったおかげもあろう。

その呼びかけと共に、「湯川秀樹旧宅の保存と活用を願う市民の会」(岡田会長)が支えた功績も大きい。じゃあ、これだけですべてうまく運んだのかというとそうではない。
まず湯川邸を守り続けてこられた湯川由規子さんを支えてきた江上由香里さん、そしてその強力な助っ人上野勝代さん、そのお二人が私どもあいんしゅたいんの女性たちと繋がって支えたのである。

続いてうたをたしなむ喜代さん、ハープを楽しむ中西さん、みんなそれぞれ異なる仲間たちが横に繋がり、湯川邸の保存のために心を1つにした、つまり目に見える動きの陰に、おばさんたち(?失礼!)の暖かい支援の輪があったのである。世の中大きな動きの陰には、こうした女性たちの目に見ないが、力強い働きかけがあることを実感した一幕であった。

それからこのグループはいろいろな生活面を含めて知恵を出し合ったり助け合ったりするようになってきた。お菓子の作り方、ヨーグルトの作り方、おいしい漬物の簡単な材料、いろいろな知恵が飛び交って楽しい日々を過ごしている。

単に集まるのはもったいないので、勉強もしようということになったのは、電気で肩とか膝を温めてコリや痛みを取る「健康キッツ」の紹介から始まった。医療として認められていないこうした器具が本当に効用があるのか議論になった。
鍼灸師である江上さんは、「結構民間療法で効果があることもあるけど、ないこともあり、まちまちですね」といわれる。そういいつつ、最近空気の悪い地下室で資料整理をしているので、肩が凝ってたまらないらしく、この健康キッツを肩に当てて「きもちいい」とか言っている江上さんである。温熱療法など体を温めるのが健康に良いという事例はたくさんある。
日本の看護学を真っ先に学問にまで引き上げたリーダー、川嶋みどりさんは、温熱療法が患者にたいへんいい効果を与えるという論文をかかれたというが、この仕事は、常に患者を見守っている看護の仕事に携わっていたからこそ見出したすばらしい成果である。民間療法や経験の積み重ねで得た両方にも根拠があり、裏付けができている事例もある。

昔、牛痘の膿を鼻に擦り付けると天然痘にかかったとしても、軽く済むということが農民の中に広がった頃、権威(だけ?)のある医者たちはバカにして相手にしなかった。
しかし、民間療法だといって無視するのではなく、真の科学者なら「これだけ事例があるなら、調べてみよう」と自ら調査にのりだしてもよさそうである。これを自ら確かめたのがパスツールである。
こうして、免疫機構が明らかになり、今日の医療への大きな1歩となった。真の科学者なら、鋭い洞察力で確かめるものだという例である。

では、今の医療体制ではどうなのだろうか。民間療法を本気で確かめ、科学まで持っていく力量があるのであろうか?そんな時、思い出したのが、阿部先生のハイパーサーミアであった。
「温熱療法との関連を聞いてみよう」ということになり、阿部光幸先生を訪ねることにした。阿部先生は医学の世界で「切らずに治す治療」放射線治療を京大医学部に構築されたリーダーである。温熱療法のことをお聞きすると、「放射線治療と併用すれば効果が劇的に上がるが、熱を与えただけで、どんな病気の治療になるとは限らない。少なくとも、血管の活動が盛んになるからいい効果を与えるだろうが、それは体の状況がどんな場合でもいいというわけではない」と控えめにおっしゃった。
化学的エビデンスとしての確認もなしにいいとか悪いとか言えないから当然だった。そんな報告をしたら、今度は皆さんが「放射線治療のお話をしていただくことはできないか」という話になり、またお願いをした。

「少人数での気楽なおしゃべりの会に高名な阿部先生に来ていただくのは恐縮ですが、湯川邸保存のために下支えしてきた女性の方々です。湯川家をお一人で守ってこられた湯川由規子さんを中心にして月に1回集まっているとても和やかな女性の会です。あ、言い忘れました。黒1点、山田さんのご主人が参加です(阿部先生と2人か!)。」などという話でお願いを聞き届けてくださった。

こうして、このグループも、今後の科学の活性化に向けての第1歩が始まることとなったのである。本来ならもっとたくさんの人と、ワイワイと楽しくやりたいところなのだが、まあ、このコロナ禍のなか、少ない人数から始めようというわけで、秀樹ファンクラブが自然にできた。

阿部先生のお話を聞く会

皆さん、お集まりくださいね!阿部先生の奥様(まゆみさま)も来ていただけるものと楽しみにしています。

 と き:6月26日 午後2時より
 ところ:あいんしゅたいん事務所(ホワイトハウス)
 お 話:人にやさしい放射線治療 医療と医学を見据える 阿部光幸先生

気軽に質問し、大いに議論しましょう。

追記:先日、阿部先生がおいでになりPPTのテストも行いました。偶然にも湯川由規子さんがメロンを届けに来てくださり、一緒に楽しい時間を偶然にご一緒させていただいたことはとても楽しかったです(うらやましいでしょう?)   由規子さんがバス停にむかえにいって下さり、道案内をしていただくことができてとても助かりました。面白かったのは、その日、ちょうど来られることになっていた米倉義晴さんとバス停で鉢合わせしたのです。由規子さんは米倉先生に「阿部先生ですか」と言われたそうで、大笑いでした。偶然にも、米倉さんは阿部研究室の後輩だったのです。また、私が阿部先生宅を訪問した時には、まゆみさんも一緒になって、ちょっとのつもりが長々とおしゃべりして帰りました。まゆみさんからマーマレードをいただいているので、明日暑いでしょうから、中西さんからかき氷の道具をいただいているので、かき氷にマーマレードをちょっと入れてみようかな、などと考えています。かき氷おたのしみに!

以下はこの会での上野勝代さんの感想である。

過日は本来お礼の言葉は文書で差し上げるべきところを気楽にメールで書き、失礼いたしました。先生方ご夫妻の率直な対応に(私にとってはこれまでお医者様は威厳に満ちた対応の方が多く,私は縮こまりがちですが)つい甘えてしまい、思うまま書いて失礼いたしました。そして本日、以下の坂東先生から科学者の精神に徹しておられた先生のお話を聞くと、この頃の研究者の不祥事を聞く中で、清冽な水に出会った思いです。また、これまでの研究では大変な研鑽を積み重ねられたことと拝察いたします。重要なその内容を、分かりやすく示されました。多くの方に聞いてほしいと心から思いました。

ご研究、治療の結果を私達にわかりやすくお話いただき、本当にありがとうございました。あのデータや、写真は私にとっては、衝撃的なものでした。最後に見せていただいた80代の女性の顔を見て、えっ、ここまで治るのかと。あの方はどんなにか喜ばれたでしょうか。そして、病院らしくない施設の様子、先生の考え方を如実に示されたものでもあり、また、保健適応されたこ
  とにも感動したおります。夫の2回目の癌である甲状腺癌は高齢になると多くの方々に発病するものだと聞き、1回目の40代の時のようには私も必死に情報を集め、医学部の図書館で資料を求め訪ねることもしませんでしたが、本日お話しをきき、その点でもショックでした。日進月歩する医学の進歩に驚いています。そして、その予想をされてこられた湯川秀樹先生のこともしることができました。この会は湯川由規子がいらしてからできたものでもあり、有難うございました。さらに美味しいプリンや場を楽しくしてくださった山田ご夫妻、細々と世話をしていただいた中西さん、もちろんこうした集まりの発端を作って下さった江上さんたち、皆さんに感謝、感謝です!

久しぶりに楽しかった!楽しかった!

上野勝代

こうして、さっそく感想を述べて下さった。皆さん大満足で、わかりやすくしかも内容の濃いお話をいただき感謝、感謝である。阿部まゆみさんによると、実は最新の話も当然ご存じなのだが、「自分がかかわっていない話は、すべきでない」という科学者根性に徹した態度を貫かれたという。

なんといっても立ち上がりのご苦労や、理想に燃えて新しい医療施設を作られたという阿部先生らしいお話で、医療と医学の両方を見据えた科学の在り方を、市民に分かりやすい形で伝えていただいた。
丁度、最近私たちもパスツールの1937年の映画を拝見して、単に科学の面白さワクワク感を届けるだけでなく、その科学が人々を幸せにするために真摯に取り組んでいる医療の分野や、一味も二味も異なる医学の世界がそこにあることを子供たちに実感してほしいなあと思っているこの頃である。
その時もお話に出たのだが、湯川博士の予言されたパイ中間子を使って放射線治療を始めるお話が米国バークレー研究所で提案され、それを阿部先生もしっかり受け止めて治療に進まれたお話は、科学者の世界のネットワークのすばらしさを物語っている。当時の兵庫県貝原知事は「理想の医療センターを作ってください。お金のことは私たちが考えます。」といわれたという。
ただ「付属研究所を作ってほしい」とお願いした時だけは、「そこまではできません。神戸大学と相談してください」と言われたそうだ。こうした理想が実現できたのも行政が科学技術への深い信頼と理解があったからだと思った。

たくさんの方に見ていただきたい内容だった。いまとなっては、録画を取るべきだったと後悔している。しかし、少人数での何ともなごやかな雰囲気の中でのお話は、ほんとに楽しかった。それに、たくさんの盛りだくさんのお土産のおかげで、おいしいものをいただき大満足だった。