2024年12月05日

「We love ふくしま プロジェクト」2014 レポート 6

We love 福島プロジェクト2014 参加後レポート

福島で考えた科学の伝え方

京都大学大学院 理学研究科 化学専攻 修士二年 新宅直人

今回、本学生派遣プロジェクトに参加し、福島での現地視察として放射線量の測定や地元の方との交流を行い、また各講演会では子供たち向けの実験コーナーを実施した。こうした体験を通じて、科学の伝え方について考察をしたので報告する。

科学を伝えるうえで、「正しさ」と「わかりやすさ」どちらに重点を置くかという問題はしばしば話題に挙がる。正しさを突き詰めると難解な印象を受けて理解するに至らない。
しかし、わかりやすさに偏ってしまうと誤解や曲解などが生じる。本プロジェクト中、この「わかりやすさ」を重視した報道が遠因となって、科学への不信感につながったという話を聞くことができた。同時に、プロジェクト中で実施した講演会によって、より正しい認識で科学が伝達されていく様子を知ることができた。これらについて述べた後、得られた考察をまとめていく。

震災直後から、放射線量やその単位、また言葉の定義などは様々な説明がされてきた。なかでも、日常的にどれぐらいの放射線量を浴びているかという内容は頻繁に報道がされていた。たとえば飛行機に乗った場合どれぐらいの放射線量か、バナナを食べるとどうか、などの説明がそれにあたる。ただ、これは普段の生活と放射線量についての知識であり、それだけでは不十分だったという話を、本プログラム一日目の講演後、受講者との雑談中に聞かせていただいた。この方が聞きたかったのはより具体的な内容で、つまり当時の放射線量で住み続けて構わないのか、また一連の放射線量についての説明と現状は何が違うのか、といった点であった。ここで生じた不満や不信感は、聞きたいことと得られる情報とでズレが生じていたと共に、震災による受動的な被ばくと飛行機に乗った時などの能動的な場合とでは感じられるリスクに違いがあることに起因していると考えた。

一方的にしか得られない情報や知識と異なり、本プロジェクトで実施した講演会はまるで座談会のような雰囲気で、実際には先生と受講者はもちろん先生同士も話し合いをしながら科学について理解を深めていくといった形式だった。受講者からは納得したという感想があり、得られた知識を今度は受講者からその知人等に伝える様子も見られたとのことだった。ここでは不満とは逆の感想と、講演会で得た正しい知識が広まっていく様子が見て取れる。双方向的に講演会が進んだことで聞きたいことと内容のズレが少なく、また疑問をぶつけながら話ができたことで納得に至ったのではないかと考えた。一方、正しさという点については別の事例と比較してみたい。

地元の方との交流で、これまでに実施された講演についての感想を聞くことがあった。これは福島県で限定的にみられる事案というわけではないが、リスク判断に関わる講演では演者の思想や感性が根拠となることがあり、必ずしも科学的な根拠を持ち出していたわけではないことを知った。この場合、演者の発言内容が状況により変更されるということもあり、それも科学への不信感に繋がっているようだった。リスク判断は個人の裁量が影響することも事実だが、だからこそ慎重になるべきである。根拠が属人的であることは、少なくとも正しさが検討できない点において今回の講演とは異なると考えられる。以下、これまでの考察についてまとめていく。

本プロジェクトでは三名の専門家が科学的な知識について講演会を実施した。震災後では、一方的な報道や属人的な根拠を基にした講演などから科学への不満や不信感を抱いていたという感想があったものの、本講演では双方向的なやり取りが機能しお互いの納得感を得られた。また内容については属人的な要素がないため根拠について検討ができる。リスク判断をする上では自らが納得でき、そのために検討が可能な根拠を提供することが必要ではないかと考えた。

最後に本プロジェクトに参加した所感を述べる。参加した動機は二つあった。一つは祖父母が福島県の出身で、親戚も東北に住んでいることもありなじみのある土地だったという点があげられる。放射線量の測定や地域の方と実際に交流をすることで、このなじみのある土地をまた違う角度から見ることができた。もう一つの理由は、本プロジェクトに参加することで初心に立ち返り、改めて科学と向き合いたいと考えたからだった。実家と近い市でかつてゴミ焼却炉から発生するダイオキシンの量が問題視されたことがあった。ここでも基準値の話や実測値の解釈など、放射線量と一部類するような議論が報道などでされていた。この問題が生じたときは小学生時分であまり記憶にはないものの、突然知らなかった情報が飛び交い議論が加速していく様子に戸惑ったように思える。こうした科学と社会の問題をどこかで憂いつつ理系に進み、いつかそれについて判断できる人になりたいと考えていた。科学だけでもまだ理解不足を痛感するが、社会と交差することでさらに複雑になることを本プロジェクトで再確認した。自分自身、科学への知識や理解に乏しいことを痛感したが、研究や勉学に励み科学の普及に携わっていきたい。