2024年03月28日

「あいんしゅたいん」でがんばろう 41

理科とSTEM 第9回
前衛・多様性・地域コミュニティ

学校教育が再び輝くには攻めの姿勢をもった社会の前衛であることが求められる、と前回書いた。学校教育の現状をもとに思考するなら、全く現実味のない奇想天外な反時代的な提言と受け取られるかもしれない。こうなったのは「輝いていた歴史的原因」を辿ってみたからであった。しかしそれは、多くの先進国で、その輝かしい歴史的な役目の終了を確認したのであって、未来に再び輝く前衛になるということを意味しているわけではない。新たな前衛の位置が設定できていないというよりは、もともと21世紀にもなって過去の亡霊のような「新たな前衛」などという発想自体が古くさいという反発もあろう。成熟社会では、誰かが先頭に立って指導していくなどという近代の前衛などというものは機能しないと。

こういう問題を考えて見るには、まず教育や科学といった広い概念とその特性をふまえつつも、時代と社会のなかで特殊な形態を帯びて存在する教育や科学の制度とを区別した視点が必要である。ここでも営み自体と制度という二重に考える立場で話しを進める。科学するこころなどというときの科学と近代国家建設の手法としての「科学」は別物であり、同様な意味で教育と「教育」も概念上別物なのである。制度は実在してイメージし易いが、カッコ付きでない教育や科学はイメージし難いと言うなら、こちらは取りあえず一つの精神運動と呼んでおこう。近代までの社会でこうした関係にあるものに宗教もあった。社会の中に認められる営みというだけのではなく、ある理想と理念を語って進められている精神的な運動である。こういう精神運動は人間にとって普遍的な価値をめざす動きとして時代により大きく見えたり小さく見えたりする。

教育と「教育」が別物だといっても教育の特性を利用しようとして制度があるのであるから、その制度をつくった社会的目的と合致する場面や状況では、両者は概念上でも現実でも区別がつかない面が多いであろう。しかし、制度は飽くまでもその精神運動が国家の目的達成に重要な手段であるから創設され、運営されているのであるから、両者の間には常に緊張関係にあるのである。制度に没入してはならない。理想を掲げる精神運動と社会運営の手段論としての制度は時に鋭く対立する様相を呈することは避けられないことである。さらにまた精神運動も社会へのその精神の普及を目的としているのであるから、時の権力の制度であれそれを目的の普及の一助になるように現実的に対応するのでなければ精神運動の本気度が問われるだけだろう。制度を精神運動に同化してしまうのは反公共的だし、精神運動は制度の中で鍛えられ変容していくべきである。制度を避けるのも、抱きつくのも正しくない。二重に考えるというのは両者の間の緊張関係を意識せよということである。

学校教育に戻ると、前衛を放棄した後に何が起こったか?米国は一概にはいえないが、大都市の学校教育や、日本により似ている英国で起こったのが、チャーター校(チャーター・スクール)とかバウチャーといった、父兄と子供が自由に選択するという市場原理まがいの方式の登場である。国家が学校教育に前衛としての統一目標を掲げるのを放棄するのであるから、父兄や子供の多様な要求に応じることの方が初等中等教育の主目的となる。主導権は父兄にあり、そこでのいろんな要求に応える目的(チャーター)を掲げる多様化こそ推奨されるべきとなる。教育の目的自体は様々でいいが、手段論としての質の保証のチックだけを公的機関がおこなう。典型的な民営化の手法である。

これまでの学校教育の公的運営のコストは浮いてくるから、その分を父兄にバウチャーとして子供手当のように配分し、父兄や子供が自由に学校を選択してこの金をその学校に渡すわけである。日本憲法でも、国民教育の義務を国家に課している。しかし、1980年頃までの戦後日本では、前衛となる学校教育の目標を国家が掲げることに多くの国民はむしろ抵抗し、国家はそこには踏み込まずに経済的コストの負担をきちんとやることだけを国民は要求してきた。こういう流れでいうと多様性への対応はバウチャーになるのは合理的となる。

日本では、第二次大戦時下の徹底した国民教育の悪夢から、大戦後は明確な国家目標が学校教育に設定されることはなかった。しかし、国民全体合意のもとで、民主教育と科学教育は農業中心の伝統社会を改造して産業国家を建設するうえで学校教育は前衛の役割を果たしたのである。そして高度成長で世界一の国家となって「坂の上の雲」がない頂上に達した時、学校教育は前衛としての地位から降板したのである。

80年代以降、学校教育はその前衛としての意識を急速に減退させていった。当時、日本中曽根臨調など、新たな前衛としての教育の国家目標掲げる試みは何回かあった。それは国家意識だったり、公共的道徳だったり、学校が引き続き社会の精神運動の司令塔に位置づけようとする試みでもあった。しかし、戦後長年続いた教育界は、管理層も含めて、こうした外力の介入を体良く回避して、教育界自治の趨勢で社会の一定の信頼を得てきた。個人の所得も財政も膨張期だったから、新たな疑似目標のためと称して、教育業界は破綻なく膨張した。しかしこうした教員自治は教育の内向き思考を助長し、社会の情勢変化に対応する能力を削いでいったように思われる。こうした閉鎖的教員文化が変容する社会情勢に機敏に対処する活力を失わせていたのであろう。

学校教育も荒々しく変容する社会のなかを生きているのである。野生動物の住まうサバンナで、弱ったものを目がけていっせいに攻撃が集中するように、そういう組織は様々な不満の集積場になった。前衛としてそこから世の中に向けて発する役目を放棄したのであるから、今度は世の中の圧力が学校に吹き込むことになったのである。ある目標を標榜する学校が喪失しすると、学校は父兄や生徒の多様な要望に応える姿勢に主客転倒する。しかも父兄や子供の要望はまちまちである。そうなると、目標(チャーター)ごと、父兄や生徒をグルーピングし直すべきだとなる。

その一方、こうした学校教育民営化的な方向と全くなじまない現実も数多い。そこではチャーター校やバウチャーと現実との乖離が大きいことに気づく。第一、田舎では学校は社会コミュニティの中核だという現実がある。東日本震災でよく実感された。都会でも学校はコミュニティの箱ものとしても中核である。チャーター校的なことは想定されずに、学校校舎の箱ものが建設されてきた歴史的経緯がある。しかし、このねじれは現実であるが、それらの物的インフラの困難さを理由にして、学校教育の未来像を語るのも本質を避けた議論である。同じ学校に一般と特進のコースがあるのなどは、同じ建物に二つの違った教育目標をもつ二つのチャーター校があるのだともいえる。しかし、初期の前衛としての学校教育は近代的地域コミュニティづくりも掲げられており、コミュニティ中核機能は自明であった。ところが社会の変容でこれが都会を中心に自明でなくなっていること事実である。

ここで、「A前衛」、「B多様性」、「C地域コミュニティ」の三つが学校教育の未来を考える際の要素として浮かび上がってくるように思える。Aは反時代的大言壮語のようにみえるが、焦点が定まらない時代にあって、新たな前衛に学校教育がなるべきなのかも知れない。Bは平均的父兄が自由選択の自由を行使するようには思われず市場メカニズムの機能するかは現実性において疑問である。Cは若者の職業の形態を支配するより大きな動因を無視してこれを教育原理とするのには無理があると思う。輝く学校教育の再生の原理にはなりそうであない。また「輝く」必要があるのか? 学校教育は必要最低限のことをやればよく「輝く」ことなど夢想すべきでないという声もあるだろう。単純に時代は推移したと。これからは「手法的に」向上すればいいのだと。ほんとうにそうであろうか?