2024年12月05日

「あいんしゅたいん」でがんばろう 8

最近つづけて湯浅誠「反貧困」、堤未果「ルポ 貧困大国アメリカ」(ともに岩波新書)を読んだ。湯浅氏はこの経済大国ニッポンの「貧困」をビジブルにした張本人のようである。正直、このようなリーダーも育っているんだと、日本も捨てたもんじゃないと、本質から外れたところで安堵したりしている。また貧困で“落ちていく先”に軍隊への入隊が待ち構えているアメリカの構図が鮮烈だ。

年末以来、一連のマスメデイアで見せられた騒動劇はテレビのおなじみのキャスターやコメンテイターの底の浅さを炙り出す光景として、これまた本質ではない関心でみていた。あの「画面」と「現実」の関係を知る手掛かりがないので想像するしかないが、ここまでニッポンが壊れているのかとショックを受けた。それにしてもテレビのキャスターやコメンテイターは定期的に変えた方がいいと思う。私物化もあるし、毎日あんなことやっていれば世の中が分からなくなるだろうし、次善の策は入れ替えを頻繁にやることだろう。

これまた「解決策」と直結しなくて本質から逸れるが、あの騒動を見て「タイムマシン」が頭をかすめた。「この深刻な事態に、いくらブラックホールの専門家とは言え、そんな不謹慎な発言は許せない」と怒られそうだが、待って下さい。未来小説「タイムマシン」は1895年発表のHG ウエルズの処女作であるが、格差がこうじた人類未来の暗い物語である。その未来に行く乗り物がタイムマシンであって、そこで描かれている未来社会は人類が二種類に分かれ奇妙な、薄気味悪い構造に退化した姿である。現代からそこに旅し、そこから必死に脱出してくる活劇物語である。タイムマシンとはその時間をトラベルする乗り物のことである。この小説の暗いストーリーは誰も語らず、小道具を相対論の玩具にした理科系言葉になっているのは作者の本意とは違う。

私が「頭をかすめた」というのはこの小説「タイムマシン」が描く人類未来の薄気味悪い分化である。 ウエルズは科学技術時代の到来に接し、生活や労働の質が変わり行く中に、これでは「人間は皆一緒」という理念が崩壊する危機を感じたのであろう。農業、手工業、・・・と人間の働く場面は変わってきたが、科学技術の拡大が日々担う仕事の性格を変え、人類を大きく二つに裂いていくのである。科学技術の進歩で多くの人間的能力は必要とされなくなる。そのことで、例えば、知的と肉体的の差が拡大する。人間は退化をはじめ「知的」は「可憐な感情」動物に転化し、「肉体的」は暗黒で暮らし時々「可憐な感情」動物を食べるために地上に出没する。こういう薄気味悪いストーリーが私の「タイムマシン」のイメージである。 科学技術が人間的能力を不要にしていく、そしてその作用が人間のわずかな個性を拡大して二股に裂いて言わば種の分化がおこり、一方が他方を食用にする。いくら未来小説とはいえ、「薄気味悪い」「後味のわるさ」が残るのが「タイムマシン」である。

今年は、ダーウイン「種の起源」の150年記念の年である。生活形態が変化していけば徐々に進化や退化が進行する。いまは「人類は一緒」という理念でひと括りにしているヒトが違う動物種に変化していく可能性は、これまでもあったしこれからもあるのであろう。

放っておくと人類も分化していくのかもしれない。