2024年11月05日

「あいんしゅたいん」でがんばろう 39

理科とSTEM 第7回

米国内政の特異さ

ヨーロッパ先進国と比べても、アメリカの教育制度は日本と大きくかけ離れている。これは独立以来そうなのであって、近年、次第に日本やヨーロッパの方に向って動き出したというところである。今後は連邦政府の教育への関与は強まると思う。
日本では、明治以来の完全な中央統治が次第に地方分権へなどと言ってるのとは逆方向である。教育と並んで日欧と違うものに警察制度もある。アメリカ犯罪ドラマには市警とFBIの絡み合いが時々登場するが、別組織なのである。要するに独立の経過から出来るだけ連邦政府の権限を小さくする制度で始まっている。これは移民の地域差、広大な国土、交通通信、などが持ち込んだ文化の多様さに原因がある。二十世紀はじめ頃迄はこれが必然的であったのだろう。
しかし現状では、「大草原の小さな家」の時代のような、コミュニティ毎に教育や治安は自治でいくというような牧歌的な制度には無理がある。特に近年、OECDとかの国際機関が教育の各国比較をやり出すと、アメリカの子供達の「劣等生」ぶりが明らかにされ、「だから経済戦争で日本に負けたんだ」みたいに連邦政府次元で問題にされ出したのである。
日本におると「日本こそひどい」となるが、海外から見ると、劣化しつつあるが、日本は羨ましい国であったのである。

州と学校区

小中高は何れも学校区の運営で、財政は州とその下の自治体の折半というのが多い。ともかく、上から制度が作られていないので多種多様である。
かつての小単位の自治体から州政府が制度や教科内容に責任をもつ方向に動いている。雇用主は各学校で、日本の様に州の雇用で転勤があるのと違う。教員の身分は不安定で、待遇も日本の正規の小中高の教員に比べれば歴然と低い。地域で大きく違うので一律しないが、半分ぐらいの州もある。多分、契約期間も短く、公的な年金とかもないのだと思う。
日教員比較のHPは文科省のを含め多々あるが、校長先生だった(?)杉田荘治氏のHPが面白い。

連邦政府に教育省はあるが(これも独立百年ぐらい後にできた)、ここは給与や費用などを調査して公表するのが役目である。これを参考に各地で改善を地方政府に関係者が交渉するわけである。連邦政府自体は予算は出さなかった。
ところが、STEMの様な教育改善の政策経費を最近は教育省や従来は科学研究費助成機関であるNSFなどから、予算を出し始めた。しかし、現状では、学校教育全体の経費の6パーセントぐらいという。これからは教育環境の均一化の流れが強まると思うが、教員が州の公務員に格上げされる可能性はしばらくないと思う。

パート的な小学校教師

都会でも田舎でも、小学校の教員は女性が大半である。職場が早く引けて、家事と両立するというスタイルが長く定着しているので、抜本的な待遇改善要求も出てこなかった面がある。私が付き合ったアメリカの研究者の奥さんにもよくそういう人がいた。我が子を育てた経験を活かしてという自信を持ってる人もいた。
1970年代に小学低学年の子供を公立学校に入学させた経験があるが、その自由な取り組みにびっくりした。現地の公立小学校などに子供を短期間通わせた経験のあった人には「アメリカの学校はすばらしい!」と絶賛する場合もあったが、それはあたりが良かった、ということである。中央からの基準がなかったから教師は自由に色々な試みも出来る半面、グロバルスタンダードの基準が保たれているかの心配もある。

学校問題が次第に連邦政府の問題に

1980年代後期から、学校問題は大統領選挙の争点にもなりだした。
教育は元々は連邦政府の管轄外であり、連邦政府の仕事は外交や安全保障や基礎科学振興といった、外向きのカッコいい場面のものだった。従来の産業政策も振興補助金のお金を出すよりは規制法を出したり引っこめたりしてコントロールすることだった。そこにロビー活動の主戦場であった。
ところが、貧困などの社会問題がどこでも深刻になり、国民参加の大統領選や議員選の政治ショウで「あれは州政府の課題」と切り分けが出来なくなった。教育はいつも保守派が全国レベルで争点化した。

連邦レベルで教育が取り上げられたのは1957年のスプートニクショックだった。STEM文書でも半世紀も前のこれが引き合いに出される。この時のキーワードは防衛であった。理数科だけでない、学校教育でのその後の連邦レベルの流れをピックアップすると、まず公民権運動がある。Affirmative(肯定的)というキーワードだ。ベトナム戦争での道義的正統性の喪失とも絡み、また多様化尊重も世の中の伝統的倫理が弛緩さし、麻薬や非行などで家庭が荒れ、学校現場が荒れ出した。ここでzero-tolelance(不寛容)というハードな学校管理路線が推奨された。問題児は直ちに警察に突き出すという政策である。

そのうちに国際テスト比較などで学力後れが政治問題化した。ここでno-left-behind(落ちこぼれを出さない)なるキーワードで、全国テストで学校運営を評価して、予算付けや校長の解雇などを決めるのである。校長はプロ野球監督のような位置づけだ。これで全国的に最近の学校事情は一転した様だ。
かつての学校には、金もこないが、口出されることもなかった。しかし、ここ十年ほどの間に、絶えず上から点検されて結果を厳しく問われるようになった。運営は今でも地方の行政府だが、伝統的な連邦政府とちがって、ワシントンからそれをチェックする事態になっている。中央集権的な日欧に近づきつつあると言える。どうも「隣の芝生はきれいに見える」ようである。

内政化する米国

アメリカ政治から自由のための戦争や人権問題といった国際正義の憲兵を自認した役目が後景に退き、雇用や健康保険や貧困といった内政に連邦政治の関心が向かっている。STEMも一種の経済の成長政策なのである。
しかし、中東で戦争をやっていた連邦政府の財政は崩壊寸前である。一声「STEM教員10万人増員」で約一兆円かかる。勿論、単年度でないが、これを従来の財政のどこから持ってくるというシビアな事態となる。従来は、米国の研究予算は、軍事費とは競争になるが、学校教育や社会福祉といった市民に直結する要求とは競合しなくてよい仕組みになっていた。そこは州政府の課題であった。

冷戦崩壊時の1990年ごろ、クリントン大統領が登場して健康保険に連邦が関与する福祉を試みたが、「連邦が民生に関与しない」従来路線に跳ね跳ばされて失敗した。SSCという素粒子加速器建設が中止にしたのはこの抵抗を打ち砕く突破口にしようとしたものだったが、SSCだけが解体されて終わった。拙著「科学と幸福」(岩波現代文庫)はこの事件を動機に書いたものだが、その際に、ここに書いたような日米の行財政システムの大きな差に気づかされた。

科学研究費に被ってくるのか

従来は研究費助成の連邦機関であるNSFを教育省とならべてSTEM実施機関と位置付けている。その他、NIH、NASA、DOEなどの科学技術の連邦機関にも及んでくるのではないか。すなわち、STEMは単にK12(kindergarten一年からの12年間の学校教育)と大学やカレッジの教育だけでなく、科学技術の研究開発体制全般に及んで行く可能性が秘められているような気がする。すなわち、ヴァナバー・ブッシュが大戦直後に打ち上げたEndless-Frotierとしてのサイエンスを実質的な支えであった連邦政府機構の大きな変質に結びついていく可能性が高い。冷戦崩壊の第一段に次ぐ、第二弾として、STEMは、今後、米科学界に浸透していくように思う。

「SからSTEMへ」は教育を現実社会に結びつける方向である。しかしその一方で、「学校はアジール(聖域、避難所、自由空間、無縁圏などの意味)である」という主張がある。現実社会の荒波に防波堤を築いてこそ学校の意義があると。次回はこの問題を考えてみる。