2024年10月07日

第57回:「誰もが少しずつ研究者?」by 手塚

4月から参与に就任させていただきました立命館大学の手塚です。

錚々たる先生方の文章の間に私なぞの駄文が挟まっていて良いものか大変心苦しいところではありますが、思い切って書かせていただきます。

普段は情報理工学部という所で情報技術を教えているのですが、情報科学は他の分野との繋がりが大変多く(繋がらない分野は無いのではないかというくらい)、あいんしゅたいんを通しての様々な出会いを有効に活用させていただいています。

あいんしゅたいんに関わるようになったきっかけは科学番組をネット上で配信するサイエンスニュースネットワークの取材を通してなのですが、それ以前から同様に研究者を取材しインタビュー動画を配信するResearcher Zukanという活動に関わっていました。

夢を追える研究者というのは大変楽しい仕事。そんな仕事に就く人がもっと増えてくれたらと思い、あいんしゅたいんの活動には期待するところが非常に大きいです。

そもそも情報技術の重要な効用のひとつは単純作業を簡略化することであります。業務のIT化と共に事務作業に必要な人員は今後どんどん減っていき、残るのはクリエイティブな仕事のみ。農業から工業、オフィスワーカーという風に人口が移行していったように、ほとんどの人が研究者になる時代が来るはずと信じています。

しかしそれを言うと「いつの話だ」というような顔をされます。会社での業務というのは大変複雑であり、そう簡単に自動化できるものではないようなのです。

けれど条件を若干緩め、「誰もが少しずつ研究者」であれば、そう遠くない未来に実現するかもしれないとも思うのです。

IT業界では検索エンジンのGoogleがそれなりにすごい会社ということになっていて、以前、カリフォルニアにある本社を訪ねさせていただいたことがあります。

Googleといえば仕事時間のうち2割を好きなことに使って良いというルールが定められている話が有名で、自由闊達な雰囲気を象徴するものとしてよく取り上げられます。しかしそれに関連するもうひとつの側面があまり知られていないようなので、書きます。

社員の人たちから聞いた所によれば、Googleでは研究者とエンジニアの間の違いが非常に小さい。「違いがまったく無い」と言い切る社員がいるほど、同じような待遇になっている。また、Googleはそれなりに大きな企業であり、学術的な論文も多数出しているのですが、研究者だけを集めた研究所というものがない。研究者はエンジニアと同じように開発グループの中に入り、日常的に情報交換しながら研究を進めていく。

仕事時間の2割を好きなことに使っていいというのは研究者とエンジニアを分けないという思想の一端であり、いわば全社員に研究者的な仕事をさせるということのようなのです。一種の研究時間のワークシェアといったらいいのか。多くの社員の創造性を活用する方が総和としてより多くの成果が得られる、という発想でしょうか。

実際、フルタイムの研究者が必ずしも常にクリエイティブかというと、人に依るだろうという気もします。時間がありあまる程あれば、一日だらだらしてしまうという人もいるのではないでしょうか。研究所を設けず、代わりにより多くの社員に少しずつ研究をさせるというのはGoogleなりのリスクヘッジなのかもしれません。そのような仕組みがGoogleの成長の原動力になっているとすれば、同様の仕組みを採用する会社あるいは組織が現れないとも限らない。

「誰もが研究者」はまだ先の話としても、「誰もが少しずつ研究者」という時代は案外近いうちに訪れるかもしれないと思ったりします。