2024年12月08日

サロン・ド・科学の探索 事始め(ブログ その113)

10月26日、2014年度初めてのサロンを開いた。昨年度は、「サロン・ド・科学の散歩」との名称で月1回(以上!)JSTでの資金もいただきながら楽しく開催してきたが、今年は採択されなかったので、どうしようかと迷っているうちに半年が過ぎてしまった。

当事務所を訪問され、松田副理事長ともども、ひとしきり議論していかれる沢山の方々がおられます。
その中の一人渡邊さんは、小山田先生がご紹介くださって、松田副理事長ともども会話を楽しまれた方である。松田さんは、話しを始めるといつ尽きるともなくいくらでも興味の湧くままにおしゃべりを続けるタイプで、知的好奇心の塊だ。この魅力に駆られて、京都を訪問する機会があると必ず当あいんしゅたいんに立ち寄り、おしゃべりをしていかれる。そういう場になっているのが、私どもの誇りでもある。その渡邊さんが、東京から来られた折、サロンを再開してほしい、私も技術屋ですがそのうちお話ししますからと言われ、遠い東京にお住まいなのに、あいんしゅたいんに入会してくださった。それではと背中を押されて始めることにした。

実は、「あいんしゅたいん」の名付け親であり当法人の名誉会長でもある名物名誉教授、佐藤文隆(京大名誉教授)さんが、この4月、甲南大学特別客員教授の任期満了となった。それで、私は佐藤さんに連絡を取り、

「佐藤さん、暇になったようなんで、一度話に来ない?」

と呼びかけたのが、この7月ごろであった。佐藤さんは、お昼すぎにやってきて、

「いやあ、けっこう忙しかったんだよ。実は林忠四郎さんの仕事をまとめていたのでね」

といわれた。

「ヒトが仕事をまとめてくれるなんて幸せやなあ」

といったら、

「そうや、あれくらいになると、弟子がちゃんと仕事をまとめてくれるんや。
その点、普通の人はだれもやってくれへん。自分で整理するしかないわ」

といわれた。

「よういうわ。なんで、佐藤さんが普通の人ですかいな!」

と私は言った。

まあ、こんなことから、林先生の話になった。私は、林先生の人生にはとても興味を持っていた。研究者の初期は、素粒子論の仕事をなさっていたのに、ある時期から素粒子で得た知見を宇宙の始まりや、星の誕生の話に適用し、「素粒子原子核の素過程から宇宙の起源を探る」というとてつもない構想を実現した開拓者だからだ。
誰かが付けた道を歩くのはたやすい。しかし、道なき道を自ら開拓しようとすると、誰も知らない誰も考えたことがない道を歩き始めた時、誰も評価してくれない中で、意気高く進んでいくだけの英知とエネルギーがいる。それも、研究の自由があり職が保証されていれば、まだたやすい。
林忠四郎先生は、まだ「宇宙がどう始まったか」などがSFのような時代に、このとてつもない話を科学の世界で探索しようとしたのだ。未開拓の科学分野への挑戦は、わくわくする冒険にみちている。最近、「放射線の生体影響」の研究を始めた私にとっても(林先生ほどの大仕事ではないが、それでも未知の分野の開拓のつらさや喜びを味わっている!)いろいろな思いがあり、興味しんしんだ。

佐藤さんは、この林先生の裏も表も含めて、科学の世界の冒険探索がどのように行われたか、いろいろな逸話も含めて話してくださった。

佐藤さんは「林忠四郎の全仕事・・宇宙の物理学」という本にまとめられた(816頁、なんと15,120円もする!)。その本を仕上げたところなのであった。佐藤さんの話も尽きなかった。さて、帰ろうといった時は、大方午後7時を回っていた。よくしゃべったものだ。で、この話、1人で聞くのはもったいないと思って、サロンでぜひ話してねと約束していたのだ。

そして、10月26日、2時から話し始めて、林先生の経歴から始まって学問の流れ、そして最後に、あの学問一筋で、なんでもとことん突き詰めて、論理を通さないときがすまない林先生が、最後の方では、いきなり哲学の話をされるようになった話まで延々と続いて、サロンの時間をとっくに過ぎても終わらず、午後7時まで話は続いたのである。でもどなたも中座する人はいなかった。

聴衆は全部で私を含めて14人、年齢構成は、宇宙専攻の学生から主婦から定年組まで、そして、これもまた名物教授だった小山勝二さん(小山さんにもそのうち話してもらおう!)まで、多彩な顔ぶれだった。参加できない人から「録画しておいてほしい」といわれたので、じっくり味わってもらうこともできるが、延々5時間だから、ちょっとくたびれるかもしれない。途中休憩もあったし、差し入れのお菓子も含めてお茶をのみながらのサロンであった。理学部の学生の一番若手は、多少疲れたかもしれない。しかし、まあ、こんな話はなかなか聞けないんだよ!得したと思うよ!

私が一番印象に残ったのは、林先生の研究スタイルが、宇宙を解明するというよりは、宇宙の始まりも、地上で起こる核融合の現象も、みんな統一的に同じ現象として捉えようとした話である。そして、そのスケールの違う話を1つの絵としてまとめるときには、普通の数字でなく、「対数」という桁の関数として、表したというところである。桁は、1つ上がるごとに10倍である。10倍ゲームで勘定すると、宇宙の大きさも、素粒子の大きさも、1つの線上に乗ってしまう。こうして、「いつでもどこでもあるメカニズムを、さまざまな現象に適用して、一挙に論じる」ことの快感というか、スカッとした思いこそ、物理学の妙味だということが、共感できる。湯川先生とはまた趣の異なったその人生は冒険とロマンに満ちている。佐藤さんは、それを短い言葉「横軸を対数スケールにとる物理」と表現された、妙を得た言い方で感心する。

もう一つ、佐藤さんの話で納得したことがある。それは、佐藤さんが若いころから、どういうつもりで物理に取り組んでいたかを知る機会になったことだ。佐藤さんが、ブラックホール解明に挑戦し、いわゆる「佐藤‐富松解」を見つけたことは有名だが、同級生だった私は、もう、マスターのときから、オリジナルな考え方で頭角を現していたことは知っていた。その時は、宇宙線の大変エネルギーの高い成分を解明するアイデアを出して学会で発表するというので、分野は違うがわざわざ訊きに行ったことがあった。そして、いつも、独創的な見解を披露していたことも知っている。しかし、同級生なのに、その仕事の詳細は知らなかった。林先生の下で、どんな仕事をどのようにされていたか、わかった。そうか、佐藤さんもやっぱりすごいわ!と、今頃になって実感した。

林先生に、ある時、「先生は年とっても現役ですね。」といったら、「何を言っているんですか。そんなのは、アメリカなら当たり前ですよ。」といわれた。そして「だけど、僕は相対論の分野にだけは、もう自分の力では無理だと悟っていて、佐藤・佐藤(勝彦)に任せたんですよ」といわれた。林先生は物理の仕事をする時も、戦略をたて、今できることをしっかり踏まえたうえで、若い人を指導しておられた。そんなお姿を思い出すたびに、すごい先生がいたものだと、今でも感激する。南部陽一郎先生と同級だったというが、このお二人は何を差し置いても日本のキラ星となって、我々を励まし続ける存在である。

佐藤さんの創造的で鋭いところは、「林先生の仕事のスタイルは、横軸を対数にとることだ」とズバッと指摘きするところだ。捉え方が、鋭く、そして直観的である。なるほど、そうだったのか、と妙に納得してしまった。佐藤さんの名演説をきいて、ますます、この世は面白いなあ、と、いい気持ちになった。サロンが、こういう知的好奇心を満足させる場となっていることに、とても、誇りを感じた。

さて、次は、11月23日、今度は松田卓也さんにお願いしているが、タイトルの候補は2つある。どちらにしようか参加者に意見を聞いたら、若者は「プレゼンは、あなたの人生を変える」で、主婦は「2045年、日本は再び敗戦する(2045年問題)」という。どちらにするか松田さんはどちらでもいいよと言っておられる。そろそろ最終決定する必要がありそうだ。

10月27日記

PS1

話は変わるが、帰り際、私は「本もできたし、時々来てくださいよ。あれですよ。この間お医者さんに行って話していたら、そのお医者さんが、おっしゃるには、『病気になったら、周りの人に、病院に来てねというべきですよ』なんですって。ちょっと考えたら、病気になったら、みんな忙しいから遠慮して病気になったことも言わないでおこう、と思うじゃない。それだめですって!」といった。病気になったとき、まあ、1週間か2週間で退院しても、誰ともしゃべらないで過ごした人と、いっぱい人が訪ねてきた人とでは、断然、予後が違うんだそうである。人は、人と接することで元気になり、力が付くのだというのである。そうか。今まで、そんな風に考えなかったけど、今のうちに、「病気になったら、代わり合って見舞いに来てね。おいしいものを用意しておくから」と言おうと思った。そんな話をしたら、佐藤さんが、「そうか、そしたら、今日、これだけしゃべったから、1年ぐらい寿命が延びたな、あはは」と言って帰って行かれた。

PS2

あいんしゅたいんには、また若者たちが、別のサロンを立ち上げるかもしれません。というのはこの日曜日NHK交響楽団の演奏を聞く会(日曜夜9時半 この間はモーツアルト41番・ジュピターとチャイコフスキィの悲壮でした!)を初めて院生(草場君)が企画しました。冬瓜の料理を作って食べながらの観賞会でした。私は、「ついでに知的好奇心をくすぐるようなサロンをやったら」と提案しています。知的好奇心を持った老いも若きもみんなが集まる場所、「たまり場」になれば、こんなうれしいことはありません。どうか、皆さんも、何かの折にはお立ち寄りください。歓迎です。

PS3

ちょうど同じ日、京都新聞に佐藤さんのエッセイが掲載された。ついでにご紹介しておく。ついでながら、佐藤さんの名前もみえるその日のコラムも紹介する。原子力については、またべっていろいろな思いがあるので書くことにしたい(半分ぐらいは部原稿はできているんだが)。