2017年10月24日

不確実さと行政

震災後、「巨大地震その1」を前回書いたが、その後、福島原発が深刻化し、「その2」は吹っ飛んでしまった。26日現在、「福島」は予断を許さない状況であり、ここ数日はむしろ「深刻化」を示唆している。汚染報道で一喜一憂の毎日だが、公衆への被爆という観点では、むしろ、水や作物を含めてマニュアルどうりにキチンと検査していることの点検結果が報告されている様なものであり、現在までの数値での影響は、行政やマスメデイアで解説する識者のいっているとうりだと思う。一般の人はそれを疑うよりはこれから起こり得る「本番」に備えて心を鍛えておくべきと思う。
チェルノブイリの時は存在する放射性物質の殆どが出た(I131は1200-1700PBq,Cs13774-85PBq)。「福島」にも燃料棒の破損状況によるが、相当な量が内蔵されているのは事実である。もちろん全部は出ないが、それが百分の一なのか百万分の一なのかといった、小さな数字の予測は難しい。いまは、現場の努力で深刻化しないことを祈るのみである。

「本番」前なのに、これほどの騒ぎになる情報公開や行政の対応はあれでいいのかという声もあろう。しかしここはマニュアルがあるのだから、事が起こったら決めてあったとおりにやるべしと考える。それより大事なのは、過ぎたら経験を踏まえてキチンと後で手直しする事である。
近年、インフルエンザ騒動、口蹄疫、トリ・インフルエンザなど、皆、マニュアルどうりにやった。口蹄疫では29万頭殺処分し、トリ・インフルエンザでは116万匹殺したようである。検査で感染してないのを殺処分しているのである。想像を絶する事が静々と日本で行われていたのである。野菜、牛乳の件は、生産者にとってはトリ・インフルエンザに似た災害である。東国原元知事が種牛を殺さない様に大臣に陳情したがマニュアルどうりにやった。やはり、騒動最中の精神状態では、変えない方がよく、いい知恵があったら事後の手直しに反映すべきである。ここは堅持しないと判断を誤る可能性がある。例え「あまり賢明でない」マニュアルであったとしても、民主的プロセスで決められている約束なのだから。点検してこなかった「いたらなさ」は、みんなして負うべきである。

こういう問題は、科学技術の社会インフラへの取り込み過程において一斉に起っている。放射線管理だけでなく、化学物質排出量、 食品添加物、農薬使用、製薬、ワクチン、遺伝子組み替え食品、再生医療、などなどがある。新技術の安全性チェックは重度の被害のレベルははっきりしているが、低確率で広域の影響の評価は難しい。大量に社会に広まる時の影響はそれこそやってみないと分からない。無責任の様だが、これが科学の手法であるす。しかし、そんな「社会実験」を安易にやっていい訳がない。そうすると不確実さに行政はどう対処するかの手がなくなる。「当たるも八卦、当たらぬも八卦」では公共的な合意に基づく行政が可能かという課題である。しかし、新技術の導入や自然災害の行政にはこの側面は避けられない。
まず被害後と事前の場合がある。「後」であれば、測定に基づいて被害予想が確定し、「重度」、「グレーゾーン」、「自然状態」のどれかを区分できるが、グレーゾーンでは、その後の行政的対応は自明ではない。「前」の例は一般の行政的な規制策であり、製薬では日常的である。いずれの場合も行政処置は危険と便益のバランスとなる。便益というよりその処置によって起こる別の危険とのバランスである。しかし、データ的に低確率のグレーゾーンの場合には、明示した上で各人に任せるという手段もとられている。また、同じ科学調査のデータをみてみ、遺伝子組み換えや種の放射線処理などでは国によって違った判断をしている。

ともかく、低確率の広域な影響については事前には科学は答えを持っていない。実証性をいうなら、あるだけの知恵を絞り出した上で、やってみて手を打つとなる。だから事後に手を打つ事が一番大事なのだが、惨禍が過ぎると関心はすぐ次に行く。
この不確実な危険性に行政がどう関わるかは単純でない。はっきり言って従来の行政に馴染まない課題である。もし、行政に全てやって貰おういいなら、かつての国防国家の様に強制を利かして訓練や命令系統を日頃から点検しておくべきとなる。別の政治上の危険性も生ずる。現状はほどほどにやって一時の混乱をむしろ受忍するということだと思う。毎回、費用との見合いで改善するしかないでも、こういう中途半端さというのは行政に馴染むのかという問題はのこる。災害対策の度に腹が立っても受忍せよ、薬事行政などは裁判をいっぱい抱えて推移する、こういう現実を見つめて生活する以外に仕方がないのであろうか。
その一方で気象や地震予報は殆ど測定値からコンピュータで計算したものが自動的に警報として発せられる。当たり外れに実験結果でプログラムは改善するが、その時点では人間はあまり介入しない。これでも観光被害などの影響がいっぱいあるから、心を込めて考えたら恐ろしくて予報などできなくなる。東国原がどう言ってきてもマニュアルどうりに殺さねばならない。検査して陰性でも殺すのか問われれば、行政ではイエスなのである。すると行政は不条理で賢さに欠けると苛立ってくる。それでも行政にのせるならそうならざるを得ないと考える。

インフルエンザの時に空港で水際作戦を展開したがいくらでも漏れた。こういう例を見ると浄水場や出荷場の抜き取り検査の限界にも目がいく。もともと検体は一様ではないから統計的処理がはいるし、また雨風は行政区と別である。こう、突き詰めれば不合理だらけである。こうなると、集中管理の根本ではなく、分散チェックの方が確かである。実際に農薬などでは個人差が開いているように、気になる人は個人でやることになるかもしれない。勿論、警報が出た時だけやるのもあるが、常時やる方が測定上手になる。こうなると、行政は測定値を天気予報並みに常時流すのが責務で、あとの振る舞いは自己責任となる。「自己責任」と言っても、むき出しの個人でなく自主的にいろんな集団や組織の絆が出来るであろう。現在の様な事態におかれると、国家行政の家父長的庇護を描いた要求が
出てきやすいが、ここは冷静に「不確定さとの付き合い」を長期的に考えていくべきだろう。