2017年11月22日

第20回:「横沢昭彦氏の研究グループとポストドク 」by 今井

高エネルギー物理学の草分けの日本人学者である横沢昭彦氏が82歳でこの5月になくなりました。私は1980年から2年間アメリカに“留学”させてもらい、アルゴンヌ国立研究所の横沢さんの研究グループでおもいきり研究できたことが、その後の研究の糧になりました。横沢さんの急逝に哀惜の念に耐えません。当時私はすでに京都大学物理学教室の助手になっていて、一仕事終えたという時期で、若手の教員はそういう“留学”が許されていました。私の研究分野である素粒子原子核の実験研究では、当時はアメリカとの研究レベルの差はまだかなり大きく、日本での研究の発展のためということもあったと思います。

横沢さんは東北大学の出身で、戦後早い時期にアメリカにわたり、オハイオ大学で博士号をとり、アルゴンヌ国立研究所で大きな研究グループをひきいるリーダーとなりました。私が行った当時は、横沢さんのグループは、年間100万ドル以上(当時は日本円で2億円以上)の予算を持ち、3人の常勤研究員(任期なし)と2人の5年任期の研究員と4人のポストドク(2+1年任期)と2人の技術職員と秘書1人がいたように記憶しています。任期つきの研究者の競争はかなりすごくて、私もこの中で生き残れないようでは将来がないという思いをもって研究に没頭しました。

私のいたときの任期つき研究員は、そのまま同じ高エネルギー物理学分野の常勤ポストについたのは6人中2人で、残りは企業の研究部門に移りました。有名なベル研に2名が行くなど、研究分野はもちろん違うけれど、企業の研究開発部門にすべてが就職していきました。なかにはその後かなりあとになって大学の教員になった方もいます。今から思うと研究者としてそれぞれが有能な人たちでした。

ひるがえって今は日本もポストドクを主とする任期つき研究員については、いくつかの研究機関や分野では、同じような状況になっています。ポストドクを経て企業の研究開発部門に就職する道が普通になるようでないと、今の日本のポストドク研究体制は破綻すると思います、というかすでに破綻しているといっていいかもしれません。教育や行政その他の世界に進出することはもちろん大いに歓迎すべきですが、やはり企業を大きくふくむ研究部門に行くのが主でないとうまくいかないだろうと思います。

研究分野をかえて成功した例は数多くあります。人生をひとつの研究課題にかける美学を過度にすすめることはいまやひかえるべきだと思っています。博士課程のあとあるいはポストドク時代のあと研究分野を変えることがある意味で普通にならないと、今のポストドク体制はうまくいかないでしょう。応募する側も採用する側もこのことをこれまで以上に考えるべき時代になったのだと思います。