2017年03月30日

放射線は怖い?・・・物理と生物と医学の間にある違和感(ブログ その62)

1.違和感

それは、かなり初期の頃、放射線漏れで、その影響が問題になり始めた頃でした。たまたまテレビを見ていると、そこに、出演していた解説者が、「しかし、長期的な影響・・・」といった瞬間、そのコメンテータの目が宙に浮き、一点を見つめて、しどろもどろになりました。明らかにイヤホーンから「その話はするな」と言われたらしいことが丸見えだったのです。この話はご法度だったのだろうと思います。この強烈な印象は、その後、マスコミに対する不信感につながりました。

こういうなかで、福島原発事故後の放射線障害に関してコメントする医者が、口をそろえて、「これぐらいの線量では当面健康には何の問題もない」といい、「専門家のご判断によると、健康に大きな障害はない」「当面の健康被害が心配される状況ではない」という言い方が多くあり、よけい違和感を覚えたのは、私だけではないと思います。

2.低線量放射線障害

今回の被曝線量は、急性障害が出るレベルではありません。そういう意味では、放射線による障害について、当面の健康被害が心配される状況でないことはみんなが認めています。また、放射線障害で死亡に至った例は1人もいません。

しかし、問題は、この放射線の影響で10年先20年先に今回の被曝が原因で起こるかもしれない障害、つまり晩発性障害といわれるものです。これは、「確率的影響」ともいわれています。これがどの程度あるのか、そしてどれぐらい危険であるかということになります。

最近では、放射線の評価をめぐって、家庭で、職場で、意見が対立し、ストレスがたまっている人が多いでしょう。もちろん、その1つは政府側の発表のあまりにもずさんなこと、知りたいことを知らせないことからきています。マスコミに出てくる学者は、「御用学者」呼ばわりされることが多くなっていました。「嘘はついていないが、肝心なことを言っていない」という不信感が広がりました。

反対に、インターネットやYouTubeを通じて、放射線はいくら少量でもきわめて危険だという主張がみんなの注意をひくようになりました。まもなく、マスコミも、危機をあおるような風潮が広まってきました。無知は怖いですね。右に揺れ左に揺れます。

3.物理屋の違和感

マスコミに出てくる医者がほとんどみんな、遠慮しながらも、「これくらいどうってことない」という意見を述べるのに対して、多くの物理学者が、テレビに出てくる医者や生物学者に一種の違和感を持ちました。どうして放射線の怖さを隠すのか、どうしてそんなに安全だ、安全だ、というのか、理解できませんでした。おそらく、これは多くの物理屋の印象ではなかったかと思います。私もその1人でした。

その上、事故から1カ月もたって、チェルノブイリ級の事故だ、レベル7だという発表が突然出てきました。唐突でした。その少し前、民間人の年間被曝量限度を大幅に変えたところでした。「事故が起こってから制限を緩めるようなことをすれば、さらに不信を招くのではないか」こうした感触があったのです。情報を正確に伝えないことがどういう結果を起こすか、今回の不幸な経験が、教えてくれたと思います。「正確な情報を」という声が大きくなり、5月に入って、事態は改善されてきたと思います。不安と危機意識は、どちらも、無知からきます。

4.生物学者の感覚

私たち、東日本大震災情報発信グループでも、宇野さんは、生物学(免疫)、私は物理学(素粒子論)で、専門が違います。2人は、今まで、性差の問題や女性科学者の問題、いろいろ議論してきた仲間でもありました。それが、放射線の影響の話では、ニュアンスが違って、かなり認識が違うのに気が付きました。率直に意見を出し合っているうちに、私が理解していた放射線障害の現状と、宇野さんの認識とが随分ずれていることが分かりました。

その決定的な原因は、ここ20年ばかりの生命科学の発展にあると思います。もちろん、まだ分からないことも多いのですが、違いは、「生き物のしたたかさ」に対する科学的裏付けに対する認識ではないかと思うようになりました。

宇野賀津子さんが、福島産のキュウリをもってきて「食べてみない?」といわれました。「一応ガイガーカウンターで測ってみたけどこのあたりの平均値ぐらいだったよ」ということでした。彼女は、放射線の障害より、その他の原因で健康を害する方をもっと心配すべきだ、と考えておられます。それは彼女の長い間の、免疫学者としての取り組み、そしてエイズ患者支援の活動の裏付けと、周りの医者や生物学者のごく普通の常識的な意見交換からくる感覚でした。断わっておきますが、免疫機能と、今回のようなDNA損傷の修復機能とは全然仕組みが違います。もっとも、宇野さんによると、免疫機能はがん化あるいは変異した細胞の除去に係わる、最後の砦と認識しているということですから、修復機能の一部とは言えるかもしれません。というより、DNA損傷の修復機能の働かなかった細胞を除去する最後の砦だということです。ともかく、「生物のしたたかさ」「人類の外敵かららの長い歴史の中で培った防御機能」という意味では、性格が同じかもしれません。

5.ALARAの原則

「余計な放射線は、極力あびないようにする」というのは、私たちの昔から常識でした。国際的にも、「アララ(ALARA)の原則(As Low As Reasonably Achievable)」といわれていて、その上に立って、国際放射線防護委員会(IRCP INTERNATIONAL COMMISSION ON RADIOLOGICAL PROTECTION)では、これ以上浴びないようにという線量限度が決められています。

大学で自然科学概論の講義をした頃も、いつも、放射線は危険であると説明してきました。そもそも、放射線とは「高いエネルギーをもった粒子がぶっ飛んでいるもの」(放射線Q&A ー 放射線ってなあに?)ですので、X線が発見された時からそうですが、人間の皮膚を通り越して内部に侵入して細胞の中のDNAを破壊するものだというイメージで話していましたし、「ラジウム温泉とかラドン温泉なんていうのはほんとは危険なのに、昔はエネルギー源みたいな感じがあったので、こんな怖い名前で呼んでいたのですね」と説明してきたのです

当ホームページで、宇野さんの放射線障害の解説には、「がん貧乏くじ」という話が出てきます。これは、もともと、1988年発行の安斎育郎先生の「食卓の放射能汚染」(同時代社)に、「がん当たりくじ」として紹介されている言葉をいいかえたものです。当たりくじというと「得する」場合のくじというイメージがあるので、「損する」のだから「貧乏くじ」としてはどうかという話になったのでした。

6.5回目の被曝

日本は、広島・長崎、そしてビキニ、さらに(これはごく近傍の作業員を除いてはほとんど影響がありませんでしたが)JCO事故と4度の被曝を経験しています。物理学、特に原子核や素粒子論を専門にしていた研究者にとっては、このことは、原子核エネルギーが発見されたときからの大変厳しいイメージとも結びついています。原爆は単にものすごいエネルギーで焼きつくし、破壊しつくすだけではありません。「人間の体の中に入り込み、生物の最も大切なDNAを傷つけるため、短期症状だけでなく、長期的な影響を与えるものなのだ」ということを明らかにするために、物理学者は、さまざまな形で頑張ってきました。

私たち女性研究者の先輩である猿橋勝子先生もこのような科学者の1人です。ビキニ水爆実験後、アメリカ側は、「放射性物質は海の中で拡散され、濃度は薄くなって全く問題ない」という主張がなされた時、日本の科学者たちが、「海水の中で拡散するだけでなく濃縮過程もある。プランクトンを通じて魚の骨に濃縮される」「海流の流れによって、線量の高い場所ができる」ということを科学的データに基づいて明確にしたのです。この時は、分野を超えて科学者が自ら駿鶻丸に乗り込み、太平洋を巡って海水を摂取し分析したのでした。

また、広島の被爆の現状を詳しく調べ、外部被曝のみならず、内部被曝の影響も考えないといけないといったのも日本人です。この取り組みは、立場の違いを超えて国際的な科学者の連携を可能にしました。まさに、科学的真実を語るときには、国境を越え分野を超えて協力体制ができるものなのです。

原子エネルギーを人類が発見した頃、放射線の危険性をまだ知らない頃には、キュリー夫妻を含めて、放射線に対して無防備の状態でした。そして、徐々に、科学者たちは、放射線防護の重要性を科学的に明らかにしてきたのです。

貧乏くじは、もっているとそれだけ危険の確率が高くなるから、そんなものはない方がいいに決まっています。それが10000人に1人だろうと100000人に1人という確率であっても、そういうくじをできるだけ少なくするのがいいに決まっているのです。それが原水爆実験でまき散らされるのだから、何もメリットはないのです。やめてほしいと声を大きくしていえばいいじゃあないですか。これが物理学者の自然な発想でした。 

7.生物のしたたかさ

ところが、生物屋さんは、ここ20年ほどの間に、DNA損傷は放射線に限らず、ストレスや恐怖、よく言われるたばこなどいろいろの原因があること、そしてそのメカニズムは、結局、電離作用を引き起こすことなのだということ、そしてそれに対しては、修復機能がさまざまな形で備わっていることを明らかにしてきたのです。

「え?活性酸素が原因なの?」

宇野さんと議論し始めた頃、こういう問いを私も松田卓也さんも発した覚えがあります。こうして、その修復作用を担っているのが、1つは修復酵素、2つ目にはアポトーシスというメカニズムなのだと知りました。さらに、疫学調査によれば、「チェルノブイリ事故後の晩発性障害は、甲状腺がんの発生以外は、意外に少なかった」というデータもあり、疫学データでは、低線量になると、どこまで正確に被爆者を調査したか、その時の被曝量はどれくらいかについて、今でも議論が分かれている状況のように思われます。1シーベルト以下の低線量の実験データも実験がどれくらいはっきりしたものがあるのか、あまり分かっていないようです。

「低線量放射能は無害である」のか、「放射能はいかに低線量でも、蓄積するから有害である」のか・・・・、どうやら物理学者は、この古くからある後者の感触を持っている人が多いように見受けられます。ですので、生物屋が少々修復の話をしても軽視している傾向があるのかもしれません。逆に最近耳にするのは「微量な線量被曝は修復力を高める(ホルミシス効果)」という主張さえあります。このことについて、ある生物も対象として研究している物理屋さんにきいてみたら、「あ、そういうのもありますね、何年か前にこのテーマのプロジェクトがありました。」といわれました。「え?で先生も加わっていたのですか?」と聞いたら、「いや、原発擁護派に加担するようなプロジェクトには参加しませんでした」と言われました。

宇野さんは、決して、「今の線量など大して心配するほどではない」とは決していわれません。しかし、ここ20年間の生物学の発展の経緯を正しく理解することも大切です。リスク評価としては、危険性を煽って、人を恐怖に陥れる方が、免疫力が低下してがんリスクを高めると考えていることもたしかだ、というのが宇野さんのお考えだと思います。

問題は

1)現在の放射線量の制限値について低線量でもおこる可能性のある晩発性障害が、どの程度検証されているかの確認。
2)市民と専門家のリスクの判断の違いをどう克服するか。確率的な放射線障害をどこまで国の基準に反映させるか。

に集約できるでしょう。

とにかく、今、私たちはできるだけ正確な情報を集め、偏見やイデオロギーを排して、科学として分かっていることを、情報として発信していきたいと思っています。