2017年07月26日

湯川先生の世界連邦構想と現実(ブログ その135)

なぜ戦争が起こるのか、なぜ核兵器廃絶が実現しないのか、湯川秀樹はそれを深くいつも考えていた。

物理の世界ではみんなが同じ自然の探求で協力しあえる。そこには国境もないし、人種の違いも、そして身分の違いもない。
それまでの定説を破って新しいことを提案しても確かに最初は受け入れられないが、議論をしていくと、間違いやおかしな論理のところは議論の中でみんなが分かってきて、最終的に「「ここまでは客観的にいえるよね」というところが見えてくる。
議論は賛成か反対かではなく、相手を打ち負かすのでさらに発展するのである。
論文もレフェリーに批判されて認識が改まることもある。レフェリーとの議論を、遠慮のない率直な議論ができる。市民も何も遠慮しないで意見も出し合い、科学者も専門の枠を超えて異分野のネットワークができ、お互いの交流の輪が広がる。
時には市民のほうが柔軟だと感心することもあり、「科学者のほうが、よほど頭が固いなあ」と思うこともあるが、プロであるために時には頑固でなかなか既成概念から抜けきれないこともあるのだ。
こういう世界では、国境も性別も年齢も飛び越えて批判しあえるし、共通の認識に達することができるのである。これが科学者の世界である。国境などという人の作った枠を飛び越えて、世界がつながることだ。もちろんこれは理想である。
しかし、せめて北方領土がどこの国に属するかもめたときだけでも、「ここはどこの国にも属さない。世界連邦に属する。」といえるといいなと思う。科学者は国境を越えて真実を語る属性を持っているとすると、みんな世界連邦の所属になりたいな。いや市民も「私は国より世界にいる人々と仲間だ」と思えば所属を変えるというような運動はできないものかなあ!

湯川先生が「世界連邦」を唱えられて頃は私は大学生だったと思うが、「そんな理想的なことを言ってどうするの」と批判的だったが、年をとって湯川先生の信念と経験に裏打ちされた、そして哲学的にはカントにさかのぼる深い平和の思想を、みんなが受け継げればいいのだと思えるようになった。

先日亡くなられたが、泥さんとの対話を神戸市民フォーラムで行った時、私は「湯川先生は絶対平和主義者だった。つまり兵器を一切持たない社会」を主張されたが、「これって可能でしょうか」と聞いた。
泥さんは「理想はそうだがまだ現実の世界では無理だろう」といわれた。そうすると、憲法の精神は「最後まで話し合いを通じて戦争を回避する努力を続ける」という言葉に置き換えるしかないのだが。

最近の緊迫した情勢ばかりを強調するニュースを見ていると暗い気持にもなるが、親欧州連合(EU)の中道系候補エマニュエル・マクロンが、EU離脱や反移民を掲げるルペンを破って当選したことは、オランダと同様ホッとするニュースだった。
マクロンは若いし、経験も浅いかもしれないが、何とかフランスの国民が知恵を出し合って支えてほしいと願うばかりである。

追記:

この議論をしたY君が、「国境を越えたのは科学だけではなく、いつの間にか企業は国籍を失いつつあるように思いました。
世界を席巻する企業にとって、市場はグローバルですね。カネとモノと情報は既に国境を失いつつある中、人間だけが「○○ファースト」を合言葉に国境を閉じつつあるのは、皮肉な話です。「公平(fair)」を合言葉に様々な国家の人々が仮想でもいいから団結しようという潮流が発生するとよいと思うのですが。」といわれた。
なるほど、Y君の鋭い見方に感銘を受けた。