2017年08月21日

サロン・ド・科学の探索から(ブログ その122)

1.サロン事始

サロンというとなんだか華やかで文化のにおいのするイメージがあります。私達のNPOあいんしゅたいんがサロンを始めたのは、JSTの科学コミュニケーションに「サロン・ド・科学の散歩」を提案して、採択されたことに始まります。

この年は、当NPOの松田副理事長、佐藤名誉会長と一緒に考えて、「***騒動」として宇宙の話から素粒子の話、そして生物の話や疫学の話などいっぱい気になっていることを1つずつ取り上げて、大いに議論しようということになりました。幸い採択されて、遠いところからも旅費を出してきていていただけるので、大いにサロンを満喫したものでした。ちょうどJSTでこの仕事を担当しておられる寺田由香利さんもついでの折に出席してくださり、「ここの議論はほんとに面白い。みんな自由に好きなことを言って楽しんでいる。私も近くだったら毎回出たいところです。」と言ってくださいました。
市民と科学者がお互いにひざを突き合わせて、何でもしゃべれるこのサロンには、応募して来てくださる大阪や神戸、果ては東京など、さまざまな仲間が集っています。

この散歩から1歩すすんで「科学の探索」として出発したのは、昨年の秋でした。
JSTにはこういう市民との交流を激励してくれる雰囲気があったのですが、それも予算の関係もあるのでしょうが、とうとうNPOなどの活動には援助しなくなってしまいました。故北澤宏一元理事長のときにはこうした草の根の活動にとても理解があったなあーと、いまさら北澤先生の功績をたたえずにはおられません。

市民から「もうやらないのですか」といわれ、お金はないけどともかく再開しようということで、「ちょっと散歩より進んだ形で再開しよう」ということで、「サロン・ド・科学の探索」と命名し、より突っ込んだテーマに焦点を当てています。

2.サロンって女が始めたの? 佐藤さんから学ぶ

第8回サロンの佐藤文隆さんのお話でいろいろと勉強させてもらったのですが、サロンはフランス語で、始まったのは17世紀初めで、これには大いに女性の好奇心がかかわっているのですね。まあ、裕福な家庭に生まれ、好奇心が強い女性たちは、自宅を開放して文化の薫り高い会話を楽しんだようです。特に、19世紀ロマン主義の時代に市民も科学に親しむ風潮が生まれ、自由な雰囲気の中で、科学者が花形になっていろいろな実演を交えて科学の解説をしたそうです。写真を見るとまるで、コンサートに行くような華やかなドレスを身にまとって奥方が参加していたということです。実はこのころの科学者は、ハンサムでかっこいい人が人気があって、まるで人気歌手みたいだったといって、佐藤さんが例を挙げて写真を見せてくださいました。(PPTをもらったのですが、たくさんすぎるのと、未整理の状態なので、ちょっと編集してもらってHPにアップします。1つだけハンサムな科学者の例だけを載せます。 

※ クリックすると拡大表示でご覧いただけます

3.原発批判の児玉さん

続いて第9回(7月定例)サロンは、児玉さんのお話でした。児玉さんのお許しを得て、当日のお話のスライド「はたして福島の事故は特別か」をみてください。

このお話には、女性研究者の王さんや小山さんが子連れで参加くださり、また、低線量放射線の影響をともに研究している真鍋さんや和田さんも参加、そして、パグウォッシュ会議以後、この問題に興味をもつ若手や院生も集まり、福井から来てくださった児玉さんの熱い話に活発な議論が交わされました。

児玉さんは、滋賀原発についてずっと監視をしつつ批判をしてきた方ですが、今回の話で私が一番感動したのは、安全性をめぐって児玉さんたちが地形を調べ、自ら汗を流して土地の断層を調べられたことです。この仕事のすごいのは、決して科学者だけではできない仕事を、市民が一緒に考え知恵を出し合って学問的なレベルまでクリアした形で、調べ上げたということではないかと思います。これについては、別途、21世紀の科学のあり方としてまとめてブログに出しますが、最後にちょっと気になることがあったのでそれだけご紹介します。

このサロンで市民と科学者のあり方をめぐっていろいろ意見が出ました。今回の講師の児玉さんは、まあ、大学院まで出た方ですから科学者ともいえますが、原発にかかわって活断層を自ら出かけて調査して、纏め上げた人でした。そもそもの専門は放射線化学でドクターを取った人ですから、地学に関しては専門外です。しかし、そのなかで、実際に、調査をして今論文を投稿したそうです。

4.プロだけが科学ができるのか

これまでの科学者の市民に対するありかたは、科学者はプロであり、市民は素人、従って、科学者は市民に理解してもらうように「啓蒙する」役割がある、そうすれば市民も理解できるのだという、啓蒙主義の思想に依拠しています。

先回の佐藤さんの話によると、これに対して、ゲーテは「理屈で分かることはむりだ。もっと心情に訴える説得をすべき」というのだそうです。これがロマン主義だそうです。

この2つは鋭く対立して、議論を戦わしてきたそうです。このバージョンは、今も、色濃く底辺にあって、最近になって社会との関連を踏まえて、「トランス・サイエンス」という考え方が出てきました。これは科学的な結論があいまいな場合には市民を巻き込んで議論すべし、というものらしくアルビン・ワインバーグの論文〔1972)で提唱されています。「科学だけで解決できない科学技術の問題」の解決には、科学を超えた次元での議論が必要であるというものです。このような問題の例としてあげられているのが、原子力の事故の確率の問題や低レベル放射線のリスクの問題が挙げられているのです。このような問題の解決には、市民との対話や意見の交換を重要視するのです。

5.トランスサイエンスは、責任逃れにつながるのでは?

しかし、この考え方には、「市民は、科学はできないが、社会的価値や倫理観が大切である」といった考え方の底流があるように思います。その道に対しては、プロでない人でも、しっかり考えれば科学者と同じように結論が出せる、科学できるということを示した例の1つが児玉さんのお仕事ではないでしょうか・

3・11以後、私はそういう例をたくさん見てきました。例えば、「陰膳調査」をした福島生協の方たちは国際的なジャーナルにこれをまとめて出したそうです。もちろん、そこにはプロの科学者が支援をしたかもしれませんが、それでも自分立ちの調査をしっかり完成させたのです。また、私どもが応援して、市民主体で作ったパンフレットもすばらしいと思います。市民たちは、鋭い質問を投げかけ、実際に自ら調査をし、そして仕事をまとめるところまで到達しているのです。こういう市民の意見を等しく尊重し、同じ目線で一緒に仕事をする、そういう研究のあり方こそ、私は次世代の科学の理想だと思っています。

6.本当にみんなが分かるか?

その意味で、児玉さんのお話はとてもインパクトがありました。しかし、その日の最後のほうで、科学の力で世の中を変えることができるかという問題に議論が進んだとき、議論の大筋は、結局正当な主張をしても世の中そんなに甘くない、難しい、という意見が大勢を占めました。そんなことはない、児玉さんのような努力がきっと世論を動かし、そして世の中を進化させるのだ、と私は主張しましたが、「世の中そんなに甘くない」という声が大きく、それで終わったのは残念でした。

面白かったのは、その日、子連れでこられた女性研究者の王さんと小山さんがその日、このホワイトハウスに泊まられいろいろ議論し、これからの相談をしたのですが、そのとき、王さんが、「サロンでの議論が、いいところまでいったのに、どうなっているの、あれだけ聞いたのにそんなの無理やって、どういうこと?おかしいよね」といわれました。

そうなんです。男はすぐあきらめるけど、女はそれでもがんばって正しい方向へ進むことに執念を持っているのですよね。男女の違いを実感したサロンでした。

7.木久さんの感想

さて、この日の参加者、木久さんの感想をご本人の許可を得て掲載します。木久さんは、「サロン・ド・科学の散歩」が始まった当初からいつも熱心に参加され、引き続き「サロン・ド・科学の探索」にも皆勤で出席されています。市民も学生も科学者も同じ目線で話し合うこのサロンを楽しむ常連のお1人です。プロジェクターの設置などにもいつもご協力いただいています。こうした感想が寄せられると、とてもうれしいです。ほかの方も、感想やレポートをお寄せください。

サロン・ド・科学の探索についての感想

毎回,美味しいスイーツと楽しい話で私たちは満足しているのですが,坂東さんはなかなかゆっくりとされることがなく,申し訳ないです。
さて,毎月の「サロン・ド・科学の探索」はとても楽しく,好奇心がうずうずと動き出します。 

前回の佐藤文隆さんの「科学の揺籃期:啓蒙主義とロマン主義」はイギリスの科学史を軸に当時の様子を生き生きと語られ,さらに佐藤さんの体験や交友関係を交えての話も興味深く,気分が高揚する感覚がとても心地よかったです。このお話の復習になる著書の「職業としての科学」を買って読んだのですが,目で追うだけではなかなか頭に入らないので続きのお話を聞きたいと思いました。また,サロンでの計画をお願いします。それと「雲はなぜ落ちてこないか」も読みたくなって買いました。表紙がとても印象的だったからです。本棚を見ると,佐藤さんの本が結構並んでいて,知の巨人とも言える方にいろいろなお話をしていただいているんだなと,ちょっとびっくりしています。

今回の児玉一八さんの原発の話は,児玉さん自身の歴史と体験に裏打ちされた緻密な探求と30年にわたる市民との対話と行動が積み重ねた事実が持つ重みに,とても刺激を覚えました。志賀原発の危うさが実は人為的なミスや責任を持った管理・運営がなされていないことに大きな問題点があることに,原発だけでなく日本の組織が持つ姿であるように感じました。工学は失敗から学ぶことでより完成度を増していくように思っています。鉄道の歴史を見ても,省線の車両火災から連結部分の移動ができるようにしたとか,多くの犠牲を払っての今があるように思います。今回の新幹線での焼身自殺による安全に対する不安も改良されていくことでしょう。ただ,原発についてはやはり慎重に進めてもらいたいものだと思いました。もちろん,原発がなければそんな心配をする必要もないのでしょうが,ミスを隠蔽しなければならないような体質であれば,技術者はたまったものではないですね。「安全文化」という言葉は便利ですが,「安全工学」の視点で改良がなされないと安心が出来ません。 航空機はその安全性で,多くの人が信頼して使っています。事故が起きても徹底した調査と改良がなされます。そんな安心感が原発にはまだありません。若い技術者がそんな市民の目を持って,小さなミスも逃さず真摯にこれからの原発のあり方に立ち向かってほしいと願っています。
 今回のお話を聞く前に,予備知識として一冊の本を読みました。とても参考になり,児玉さんの話がすっと頭に入りました。「日本の原子力施設全データ「しくみ」と「リスク」を再確認する完全改訂版」
(ブルーバックス)です。

最近,放射線についての本を読みあさっています。坂東さんのライフワークとなっていることにも近づけたらと思っています。次回も楽しみにしています。今度は8月30日ですね。変更を見落とすところでした。

今年も暑いようです。お体にはくれぐれもお気をつけて,ますますのご活躍を祈っております。

木久仁