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世界征服計画 その31

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31. 漂流艦隊

米帝の第3艦隊と第7艦隊の一部は、太平洋の中央で漂流を始めた。そこには2万人を超すアメリカ海軍の将兵が乗艦しているのである。その事実は隠すわけにも、ごまかすわけにも行かなかった。しかしなぜ漂流したのかは、米帝の海軍当局にとっても謎であった。船隊大和に関係するステルス潜水艦のせいであろうというのが、当局内部でのもっとも有力な説であった。しかし外部に対して、米帝が船隊大和を攻撃しようとしたことは伏せられていた。核攻撃計画などは、当然のこととして強く否定された。しかし船隊大和側は、米帝の艦隊による攻撃計画を暴露した。

マスメディアではさまざまな説が流布した。船隊大和側の説明は、船隊と艦隊の位置関係からもっともらしいのであるが、それではどうして艦隊が漂流を始めたかの説明はなされなかったので、人々を納得させることはできなかった。核ミサイルの爆発も、どうしてそんなことが可能か、説明することはできなかった。

勇敢なジャーナリストが空母ジョージ・ブッシュとバラク・オバマに飛行機からパラシュート降下をしてレポートをした。それで実情が明らかになり、ステルス潜水艦の攻撃によるものであろうとする説が有力になった。しかしどの国の潜水艦かは分からなかった。船隊大和側は強く否定したからである。

宇宙人のUFOのせいではないかとするUFO愛好家の説が出されたが、主流メディアからも専門家からも一顧だにされなかったのは当然である。しかしこれがもっとも真実に近いというのは、実に皮肉な話である。

それはともかく、将兵を救うために、どんな船を派遣しても、すべて航行不能になってしまう。手の打ちようがないのである。そのうちに艦隊の食料が欠乏してきた。艦隊の乗組員の留守家族が騒ぎ始めた。なんとかせいと米帝政府に迫った。米帝各地でデモが頻発した。米帝政府はついに膝を屈して船隊大和に、乗員の救出を依頼した。米帝は船隊大和側からの攻撃であることを知っているから、艦隊を救うには船隊大和に頼るしか方法がないのである。

米帝は船隊大和の船長に話を持ちかけたが、自分たちにはそんな権限はないと、あっさり拒否された。米帝はどこと交渉して良いか分からないのである。関西科学財団の理事長である僕に米帝は交渉を持ちかけてきたが、もとより僕はゼウスたちの作戦について何も知らされていないし、そんな権限もないので断った。

米帝政府は窮した。僕が黒幕だと信じているから、僕と交渉するしかないと思って、粘り強く接触してきた。僕はその話をビーナスとアテナに伝えた。ゼウスは船隊大和の輸送艦の艦長に対して、米帝政府に対して提案することを許可した。食料品や日常品を輸送して売るというのである。ただし結構高い値段である。米帝政府はその提案を言い値で飲むしかなかった。輸送艦は日本で仕入れた物資を漂流艦隊に運び、その費用は米帝に請求した。

漂流艦隊は太平洋を海流に乗って漂流した。アメリカ連邦の領土に近づいて、あなうれしやと思っても、救助のために船が近づくと、その船も漂流を始めたのである。そのため漂流艦隊は、疫病神のように恐れられて、近づく船は無くなった。

漂流が6ヶ月、1年とたつうちに、米帝では事態は悪化してきた。責任は米帝政府と皇帝にあるとする意見が強くなり、なんとかせいという乗組員家族と庶民の要求は抑えきれなくなってきた。というのは、船隊大和側を責めても、事態はなにも好転しないからである。ついに皇帝の特使が僕に泣きついてきた。相手側は僕が黒幕だと固く信じているから、その信念は満足させてやる必要があった。なぜなら、宇宙人のせいですとは、口が裂けても言えないからである。だから僕が責任者であることを特使に認めた。そのことは秘密にしてくれと頼んだ。本当は僕は責任者でも何でもないのだが。

そこで僕はある提案をした。この事態は米帝の帝国主義的政策が招いたものであること、その責任者は皇帝を始めとする米帝政府、元老院議員、軍部、CIA、軍需産業の経営者たちであると、僕は主張した。そこで僕は船隊大和側で戦犯裁判をすると宣言した。そして実際に一方的に戦犯裁判を行い、政府閣僚や元老院議員、軍部、CIA、軍需産業トップはA級戦犯であると決めた。この裁判では死刑はない。皇帝と副皇帝は無期禁固の判決を下した。その他の人々も、適当な年数の禁固刑の宣告をした。もっとも実際にこの戦争では死人は出ていないので、刑期は比較的短いものであった。これは一方的な宣言である。そのままでは、実行力はない。

それから僕は特使に対して交渉した。戦犯と艦隊乗員を交換すると提案した。交換する人数は、禁固の年数に比例する。つまりある戦犯が、漂流艦隊に乗艦すると、その戦犯に対応した数の乗員を解放する。つまり乗員は一種の人質なのである。この提案に対して皇帝も副皇帝も強く抵抗した。当然のことである。そこで僕は、空母での生活は快適であることを保証した。つまり空母に乗艦した戦犯は、空母内では自由に振る舞うことができる。また懲役や強制労働も課さない。空母内での生活環境は、米帝政府の資金でいくらでも改善することができる。

その提案にまず軍のお偉方が応じた。それで乗員の一部が解放されたので、そのお偉方は米帝の国内でヒーローになった。それを見て、他の戦犯もつぎつぎと交渉に応じて乗艦した。それにしたがい、乗員は続々と解放された。解放される乗員の数が増えるたびに、乗艦しない戦犯に対する非難が強くなった。そして最後には皇帝と副皇帝だけが残った。彼らの分に対する乗員は解放されないのである。それを見て皇帝と副皇帝に対する批判、非難は最高潮に達した。

皇帝と副皇帝も国内にいられなくなり、ついに空母に乗艦することを認めた。皇帝と副皇帝は個室である司令官室と艦長室を与えられて、結構満足した。他の戦犯達は士官室をあてがわれたがこれは個室ではない。こうして問題は1年半ぶりに解決した。戦犯たちは広い空母の内部で自由に生活することができた。なんせ6千人も乗り組める空母に、たかが数百人の戦犯であるから、スペースは十分あるのである。彼らの世話のために、医者やコック、洗濯係もいるが、彼らは交代制であり、ちゃんと給料も支払われた。

彼らの刑期は比較的短いものであったので、刑期が終わるごとに次々と解放された。しかし、皇帝と副皇帝だけは、一生を空母で過ごすことになったのである。戦犯解放のための最後のヘリコプターがやってきた。赦免の特使がヘリコプターから降りた。特使の瀬尾は最後まで残った国防長官、国務長官、CIA長官に向かって赦免する旨の書類を読み上げた。そこには当然皇帝と副皇帝の名はない。3人は喜び勇んでヘリコプターに乗り込んだが、副皇帝は瀬尾にしがみついて、自分も帰してほしいと嘆願した。しかし瀬尾は無情にも副皇帝を払いのけた。ヘリコプターは二人を残して飛び立った。それに向かって副皇帝は鬼界ヶ島に残された俊寛よろしく叫んだ。

「帰せー、戻せー」

<特使の瀬尾>

彼らはセントヘレナ島のナポレオン皇帝同様に、空母バラク・オバマで生涯を閉じたのである。

第一部 完

   
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