2013年12月 - 131210
12月29日 ポケットにライ麦を
2013-12-29
ミス・マーブル ポケットにライ麦を
冒頭、投資信託会社の社長レックス・フォーテスキューが会社に来たとたんに死ぬ。毒殺であるから朝食で毒を盛られたのであろう。ところが社長のポケットにライ麦がたくさん入っていたのが、謎を呼ぶ。ニール警部補が捜査を開始する。社長の奥さんアデールは若い魅力的な女性で、財産狙いである。浮気をしている。社長には二人の息子がいて、兄は家にいて会社を次ぐ事になっている。弟は奔放でアフリカに行っていたが、最近、父から手紙をもらい、帰宅するはずになっていた。マープルの昔のお手伝いの若い女性グラディスがこの家で働いている。やがて奥さんのアデールも殺され、さらに女中のグラディスも殺される。ミス・マープルはグラディスから相談を受けていて救おうとしたのだが、ニール警部補がミス・マープルの助言を取り上げずに殺されてしまった。ニール警部補は以前に出たスラック警部補よりは、ずっとん紳士的である。それでも素人の言う事を取り上げなかったのが失策であった。最後には、ミス・マープルの助言で真犯人を追いつめる。
12月28日 ビーズの波動
2013-12-28日
秘密研究会 ニュートンビーズの波動
ニュートンビーズの問題を研究する。12/24にニュートンビーズの落下速度に関して公式を導いたのだが、そのなかで入口損失は実験から分かるパラメターであった。
12月24日 ニュートンビーズの謎解明
2013-12-24
ニュートンビーズの速度公式分かる
ニュートンビーズの問題に関しては、鎖の形が逆懸垂線であることは、ずっと以前に証明した。しかしその落下速度に関して、私の考える自由落下速度かAatish Bhatiaという人のブログThe physics of that gravity-defying chain of metal beadsにある公式かで悩んでいた。上のビーカーと床の高度差をH、ビーズがビーカーより上がった高さをLとすると、私の考えでは速度vはsqrt(2gH)となる。Bhatiaの公式はv=sqrt(g(H+2L)/2)である。私の考えではBhatiaは絶対におかしいと思う。持ち上がる所の張力がT1=mv^2、着地点の張力が-T1となっている。そもそも負の張力なんておかしい。それにT1の彼の値を採用すると、私の理論と全く矛盾するのだ。ところが彼は彼の公式がBBCのビデオを分析した結果とあうと言っているのだ。ここが一番悩んでいたところだ。
そこで私は正確な実験をしたいと思い、京都女子大学の小波秀雄教授に実験を依頼した。私の家とか特異点庵では高さが撮れないし、そもそも実験室でないからだ。小波先生は本来は化学者であるが、実験家なので、私よりは遥かに適任である。小波先生は女子大生2名のボランティアの助手を得て、吹き抜けのある高い建物で実験をしてくださった。速度を測定する為に、鎖に赤い糸をつけて、それを高速撮影が出来るデジカメで撮影して、分析したのだ。その結果が、今朝届いた。クリスマスプレゼントだ。データは4種類の高さに対する落下速度vと持ち上がりの高度Lである。私の理論ではLは予言できない。というか、サイフォンと同じく、ある限度内でどんな高さでも良い。しかし落下速度は、もし摩擦などのエネルギー損失がなければ、自由落下速度であるsqrt(2gH)になるはずだ。
さてデータを分析してみると、二人の理論値の中間、つまりv=sqrt(gH)より少し大きい値にあることがわかった。これでBhatiaの理論は否定される。なぜならエネルギー損失を考えると、実験値は理論値より小さくなければならないからだ。
そこで私はここにサイフォンの理論を応用した。サイフォンにおける水流の速度はv=sqrt(2gH/(1+fe+V))となる。ここで分母の最初の1は出口損失係数である。feは入口損失係数と呼ばれる。水流が管に入る時に、管の角が邪魔をしてエネルギー損失が起きる割合を表している。Vは壁との摩擦で、V=摩擦係数×管の長さ/管の直径である。
入口でのエネルギー損失=fe×運動エネルギー
管壁でのエネルギー損失=V×運動エネルギー
出口損失=運動エネルギー=ρv^2/2
出口損失とは、サイフォンの水が下の容器に入って最終的には静止するので、全運動エネルギーが失われる事を意味している。先の公式は簡単に証明できる。ベルヌーイの公式で一発なのだ。それは1と2の位置を比べて
運動エネルギー1+位置エネルギ1ー+圧力1=運動エネルギー2+位置エネルギー2+圧力2+その間のエネルギー損失
上の容器の表面に水がある状態を1、下の容器に水が落ちて水面で静止した状態を2とする。
0+ρgH+大気圧=0+0+大気圧+(出口損失+入口損失+摩擦損失)
従って、大気圧を消去すると
ρgH=ρv^2/m(1+fe+V)
v=sqrt(2gH/(1+fe+V))
私はニュートンビーズにサイフォンの理論を適用した。入口損失は鎖が運動を始める時におきるエネルギー損失、管壁でのエネルギー損失に相当するのは空気摩擦である。出口損失はそのまま、鎖が地面に激突して失うエネルギーである。すると鎖の落下速度は、空気摩擦を無視すると、出口損失と入口損失のみであり
v=sqrt(2gH/(1+fe))
となる。この公式と実験値を比較するとfeが求まる。私はそれを0.6と評価した。(始め、私のデータ整理用のMatlabプログラムにバグがあり、0.73と評価した。正しくは0.6である。この理論値と実験値を比較するとよくあう。Bhatiaの公式は全くあわない。
私は驚喜した。これでニュートンビーズの秘密が解明できたと。(もっとも、さらに後、色々あるのだが。)
今日はクリスマスイブである。なんというプレゼントか。
12月21日 破壊的テクノロジー「スマートマシン」
2013-12-21
破壊的テクノロジー、スマートマシンがやってくる
今年行われたガートナー・シンポジウムのセッションで同社のトム・オースチン氏はスマートマシンについて講演した。クラウド、モバイル、ソーシャル、ビッグデーターに続き新たなキーワードとしてスマートマシンが急浮上しているという。
スマートマシンとは人間しかできないと思われていたことを実行するような、自律的な学習機能を備え、状況に適応するマシンである。そのポイントはセルフ・ラーニング、マシン・ラーニング、ディープ・ラーニングである。スマートマシンは自律性を備え、自分で進歩し、適応していく。マシンが独自のルールを作成し、結果から学習し、仮説を検証するためにデータを検索し、新しいものを発見していく。そのようなマシンがスマートマシンである。
人工知能は1980年代から90年代前半に流行ったのだが、それほど大きな成功を収めなかった。その時と現在は何が違うのか。 2つの点で決定的に異なるという。ハードの進化、アルゴリズムの進化、ネットワークの拡大、膨大なデータである。ハードの進歩は言うまでもない。アルゴリズムにおいても、人間の脳を模したニューラルネットワークは、 90年代の3層モデルから現在では多階層のディープラーニングモデルになり精緻さを増している。さらに現在では単体のコンピューターではなく、ネットワークで相互接続された膨大なノードが連携するのだ。さらにそこにビッグデーターが加わった。かつての人工知能と現在の人工知能は量的にも質的にも大きく異なっている。
スマートマシンには3つのタイプがある。第一番目のタイプは動くもの(Movers)、第二番目は賢者(Sages)、第3番目は実行するもの(Doers)である。
動くものの代表はGoogleの自律走行車である。その他はボストンダイナミクス社が開発しているBigDogとか米軍の無人航空機である。特に自律走行車が発展するとトラックやタクシーの運転手が失業するであろう。
賢者は2種類に分かれる。秘書的な役割をするバーチャル・アシスタント、バーチャル・ヘルパーと呼ばれるものだ1つである。第二はワトソンに代表される専門知識を持った「スマートアドバイザー」である。前者の例としては、 AppleのSiriがある。この分野は現在盛んに研究されている。
IBMはワトソンをまずは医学に使おうとしている。医者のアドバイザーとして、膨大な量の本や文献を読んで医者にアドバイスするのである。これが普及すると、医学教育にかかるコストが低下する。また並みの医者が失業する。大学レベルの論文試験を自動採点するツールも現れている。先生の仕事が楽になるとも言えるが、並の先生は失業する。営業報告やスポーツ記事を自動的に書くツールも現れている。
賢者が普及することにより、並の知的労働者が失業する。つまり大量のサラリーマンがクビになるのだ。
実行するものとしては人間型ロボットがある。
スマートマシンには光と影がある。光の部分は機械やシステムがより賢く、より高パフォーマンスになっていくことである。影の部分は並の知的ワーカーが大量に失業する可能性のあることだ。それでも当面は光の部分が大きいと思われる。
自律走行車の導入は多分2020年以降であろう。法律上の問題があるからだ。スマートアドバイザーはすでにワトソンが走り始めている。 2015年ぐらいから実際の導入が始まり、 2020年以降に大きく普及するであろう。バーチャル・アシスタントはすでにSiriとして実用化が始まっているが、今後5年でさらに精緻な物になっていくであろう。
ともかく世界は今後5年から10年で大きく変わることに違いはない。
12月20日 きょういく、きょうようがない
2013-12-20
教育と教養
「きょういく」と「きょうよう」 という言葉を知った。「きょういく」とは「今日行くところがない」、「きょうよう」とは「今日用がない」ということである。定年退職した男性の悩みだ。確かに会社人間であった男性が定年退職して家にこもると、奥さんと違って、どこにも行くところがない、何もすることがないということになりそうだ。会社を退職した後は、地域のボランティアになるのが良いとされている。私はこの考えに非常に疑問を抱いている。というのは非常に痛い経験があるからだ。
私は2006年に神戸大学を定年退職したときに、将来は時間を持て余すだろうと思い、予定表に予定を詰めることに専念した。もっとも、私の場合は同志社大学と甲南大学で週に 3コマの講義があり、それはそれで結構忙しかったのだ。その次の年は、住んでいる団地の管理組合の理事長になり、非常にストレスフルな2年を過ごした。本来の任期は1年なのだが、誰もやってくれる人がいなかったので、 2年目もやる羽目に陥った。 3年目もやってほしいと言われたが、それだけはお断りした。
なぜストレスフルかというと、人間関係である。理事は 30人ほどいるが、その3分の一はとても良い人、 3分の一は普通の人、残りの3分の一は出てこない人である。少しだけ嫌な人もいたが、たいした問題ではなかった。問題は、理事以外でボランティアで仕事をしたいと言ってくる人である。常設の○○委員会の委員を、理事以外から募るのである。多くの住民は余計な仕事をしたくない。しかし仕事をしたい人が何人かいるのだ。この人達は委員に応募してくる。応募してくれるのだから、その人達を受け入れざるを得ない。この人たちは非常に熱心なのだが、中には非常にアクの強い人がいる。自分なりの正義感に燃えて、団地を良くしようとしているのであろう。しかし実際のところ、この人たちほど非常識な無礼な人は私の今までの人生で見たことがなかった。インテリヤクザとも言うべき人である。この経験があるから、私はボランティアというものに対し非常に懐疑的である。ということをあちこちで言うものだから、本当に立派なまじめなボランティアには失礼なのだが。
私は70歳になり、同志社大学と甲南大学も定年退職になった。それで行くところがないかというとそんなことはない。現在は、山科に家を借りて、秘密研究所としているので、毎日そこに通勤している。昨年まではNPO法人あいんしゅたいんのオフィスが京都大学にあり、そこに通勤していた。
そこが使えるようになる前は、よく図書館に行ったものだ。左京区の図書館、京都府立図書館など色々行った。どこもそれなりによいのだが、 1番良いのは、大学図書館である。同志社大学の図書館によく行った。京都大学の卒業生であるので、京都大学の図書館の入館証をもらえることがわかり、そこにもよく行った。大学図書館は非常に良い。というのは、学生たちが勉強しているから、その雰囲気は好きなのだ。なかにはソファーで寝ている学生もいるが。現在は自分のオフィスができたので、あまり行っていない。
することに関しても、非常にいろいろある。 NPO法人の理事長は私にして欲しいことがたくさんある。しかし私は、自分のやりたいことをやる、やりたくないことはやらない、という方針を貫いている。やりたい事はいくらでもある。研究すること、勉強すること、本を書く事、ブログを書く事などいくらでもある。この情報時代、山のような情報がネットから流れこんでくる。それを処理するだけでも一日が潰れてしまう。時間が足りないくらいだ。時間を持て余すということは全くない。年をとるにつれて、体力も気力も減退してくる。やらねばならないことがたくさんあるのに、体力も集中力も続かないのだ。というわけで、私はいつまでたっても精神的には忙しい。今日、用がないということはありえない。
12月19日バーチャルアシスタント
2013-12-19
Her コンピュータに恋する
Facebookで面白い映画が紹介された。Herというアメリカ映画である。舞台は近未来のロサンゼルス。ブレードランナーのような未来的なシーンは何もない。主人公はヒゲを生やした若い男性である。スマートフォンに新しいオペレーティングシステムをインストールした。それは女性の声で応答してくれるSiriのようなものだ。名前はサマンサという。サマンサと会話していくうちに主人公はサマンサと恋に落ちる。美しい妻がいるが、結局は離婚してしまう。別の女性とデートをするが失敗してしまうという話だ。これは非常にありそうな話である。というか正に近未来の姿だ。Siriは声だけであるが、サマンサもそうだ。ただサマンサはSiriに比べてはるかに現実的である。声は現実的であるだけでなく、応答も確かなものだ。
virtual assistantまたはvirtual helperとして、デニスというキャラクターが既に存在する。Siriに顔をつけたようなものだが、非常に美人でセクシーである。これはスマートフォンではなく、 PC上で動作する。スマートフォン上で動作するデニスが現れてほしいものだ。きっと男なら恋に陥るであろう。コンピューターのバーチャルアシスタントが良い事は、決して感情的にならないことだ。いつも主人の言うことを聞いてくれる理想的な存在だ。恋人にしろ嫁にしろ、現実の人間は感情を持っているからいつも自分の思うようにはいかない。しかしコンピューター上のバーチャルアシスタントはいつも主人の言うことを聞いてくれるのだ。
12月18日 サイフォン問題に決着
2013-12-18 (水曜日)
サイフォン問題に関する専門家の解答
サイフォンの原理を巡って、論争を続けている。「サイフォンを巡る誤概念・・・大気圧説も鎖モデルも間違い」
それに関して、工学系の流体力学の某先生にお伺いを立てた。先生は流体力学における誤概念の問題を研究しておられる。先週の金曜にメールを差し上げたのだが、なんと昨日に理論と実験結果を含んだ手書きの論文を送ってこられた。たった4日である。たいしたものだ。私は昨晩にスカイプ会議を行い、先生の論文を読んだ。その内容に関しては上記のブログを参照の事。結論から言えば、私の考えは基本的に正しい事が分かった。
しかし乱流粘性を考慮した場合、サイフォン流の流速が非粘性の極限v=sqrt(2gH)からかなり下回る事が、計算上も実験上も分かった。つまり実際的なパイプの場合、粘性摩擦を無視するわけにはいかないと言う事だ。これは当初、私は予想していなかった事だ。
サイフォンの問題はNPO法人あいんしゅたいんの親子理科実験教室での実験から始まった。そこでサイフォンの鎖モデルを提示され、それに疑問を持った。しかしオーストラリアの物理学者もその説を2010年に発表して、話題になったと言う。鎖モデルは流体力学的に見ると、ナンセンスであるが、それを唱えるプロの物理学者がいる事が驚きだ。そのモデルは後にハワイ大学の研究者の実験により、否定されている。
サイフォンは純粋な流体力学の問題と考えて良い。ところがある大学の准教授のブログに出くわし、その考えに始めは納得したのだが、後におかしいと思うようになった。そして論争が続いていると言う訳だ。しかし先に述べたように、私の考えが基本的に正しい事を保障してもらった。その准教授の説ではエネルギー保存が満たされず、永久機関が作れてしまう。
ネット上の議論の不毛性
しかしネット上の論争と言うのは不毛なものだ。多分どちらも納得しないだろう。先の専門家の先生もネットでの論争の不毛さを分かっているので、自分は加わりたくないと言われた。私も、もうやめる。
ネット上の議論が不毛な理由
- ネット上では文面や図面を作るのに手間がかかる。その割には相手に意図が伝わりにくい。
- 育った世界が違うので、基本的考え方、経験、知識が異なり、議論が噛み合ない。
- 本質的、原理的間違いと、些細なミスが同じ土俵で批判され、議論の本質からずれる。
- 感情的になり、中傷と受け止められる。
- 顔を合わせて、相手を尊重しながら議論するのがベスト
12月17日 知能爆発
2013-12-17 (火曜日)
知能爆発
知能爆発に立ち向かう(Facing the Intelligence Explosion by Luke Muelhauser)と言う本のKindle版を読み終えた。日本のアマゾンだと今日は296円である。
今世紀のいつ頃かに機械の知能は人類のものを越える。この出来事、知能爆発は人類の歴史上もっとも重要な出来事である。それを人類がいかに乗り越えられるか、られないかに、人類の運命はかかつている。チューリングからグッド(i.J.Good)、ビル・ジョイからホーキングに至るまで、その警告を発している。
まず始めに人間は理性的でないと言う話から始まる。本ではinsane(気がおかしい)と書かれているが、狂気と言うより人間は馬鹿であるということだ。ノイマンが始めたケームの理論では、人間は理性的で自分の効用関数を最大にするように振る舞うと仮定されているが、最近の研究によればそんなことはない。人間はさまざまなバイアス、偏見により正しい判断をくだすことができない。一方、機械は論理的な判断を下すだろう。だから将来、理性とか判断という問題で機械と競争したらねとても勝てない。
人間に理性はない
自分の話になるが、私は「人間には理性はない」という法則を発見したと思っていた。しかしそんなことをいっているのは、私だけではない。有名なノーベル賞学者のカーネマンはさまざまな実験的研究から、人間が如何に愚かかと言う事を証明した。最近の彼の本「素早い考えと、ゆっくりした考え: Thinking, Fast and Slow」では、人間は直感的な速い考えを好み、じっくりした論理的思考は苦手だと言う。しかしそれには人間の進化論的な合理性がある。採集・狩猟時代の人間に危機が迫ったときにゆっくり考えている暇はない。ゆっくり考える人間は猛獣に食われてしまうかもしれないので、生き残れない。だから人間は速い考えが得意なのだ。
しかし機械知能は人間のゆっくりした考えを高速におこなうのである。機械は合理的に思考するだろう。機械と人間が対峙した時に、非合理に思考する人間が勝てる訳がない。
現代のネット世界を見ていても、なんと人々は愚かな思考をするのだろうとおもうことがよくある。しかし命の危機がない時には、それでもかまわないだろう。それで死ぬ事もない。しかし戦争の時など、勝つか負けるかが生きるか死ぬかに関係する時には、合理的思考が出来るかどうかは決定的に重要である。かつての日本軍が米軍に敗れたのも、合理的思考より大和魂などの精神論に偏ったからであろう。
私は合理的思考をするために、世間の意見とはほぼ反対の意見が正しいのとではないかと思うようにしている。
12月16日 ニュートンビーズ実験
2013-12-16 (月曜日)
ニュートンビーズの実験
ニュートンビーズの実験を京都女子大学の小波教授にお願いしてある。小波先生はボールチェインを50m、製造元から1mあたり単価100円で買われた。それから高速撮影用のカシオのデジカメも買われた。そして先の日曜と、先々週の日曜に、女子大生の実験助手を2名募って実験した。バイト料はただであるが、実験後に食事をおごると言う約束で広告を出したら、2名の好奇心あふれる1年生の学生が応募して来たと言う。朝から晩までかかつて実験したそうだ。しかしまだデータ整備は出来ていないと言う。結果が楽しみである。
ちなみに小波先生はこんな話もFacebookで書いておられた。先生はコンピュータの指導をしている。Rubyを教えているそうだ。3年生の学生がUターンを目指して福井のIT企業を就活で訪れたら、小波先生の指導、Rubyをやっているということで、即決で東京支社に行く事になったと言う。やはり芸は身を助けるものである。
12月15日 トーキー
2013-12-15 (日曜日)
トーキー
先日見たアガサクリスティーのミスマープルもので「書斎の死体」と言うのがあった。海岸の豪華なマジェスティックホテルと言うのが出てきた。そのホテルのある場所は映画ではダーマスと言うことになっていた。調べてみると本当はトーキーである。トーキーはデボン州にある海岸線に沿った保養地である。アガサクリスティーはその町で生まれたのだ。私はトーキーには思い入れがあるのだ。
高校3年生の時の英語の教科書で読んだ英国の小説に「りんごの木」と言うのがある。舞台はトーキーの近くにあるダートムーアと言う荒野である。そこに住む17歳の少女ミーガンとロンドンからやって来た青年の恋物語である。2人は恋に落ち青年はミーガンと結婚することを約束する。青年はトーキーの銀行にお金を引き出すために行く。そこで友人とその妹たちに会い、結局はその妹の方を選んでしまう。捨てられたミーガンは青年を探しにトーキーにやってくる。映画A summer storyで感動的な悲しいシーンである。
私はその舞台を見るために以前、家内とダートムーアとトーキーに行ったことがある。
秘密研究会
今日は山科の御陵(みささぎ)にある私の秘密研究所・特異点庵で秘密研究会を行った。テーマは先日来のサイフォン問題である。某准教授のホームページの記事を入念に読んだ。私が言い過ぎた点がある事も指摘された。人間、一人だけで考えていると、いわゆる独りよがりと言うドツボにはまる可能性がある。その意味で人と議論するのは重要である。
12月14日 GIジョー
2013-12-14
映画GIジョーバック2リベンジ
という映画をツタヤで借りてみた。ブルース・ウイルス主演だと言うから期待したのだが、実につまらない映画であった。忍者とおぼしき連中がたくさん出てくる。忍者の西欧でのイメージがこれなのだろう。バカバカしいからあらすじすら書きたくない。時間の無駄であった。
12月13日 バカほど自分の事を賢いと考える
2013-12-13 (金曜日)
バカほど自分の事を賢いと考える The more inept you are the smarter you think you are
という面白い記事があった。要約してみよう。
心理学者によると人間は自分のことはよく判断できない。バカほど自分の事をえらいと思うのは、自分の事を判断する能力が低いからだ。だから馬鹿な人ほどうっとおしいのだ。
1999年にコーネル大学のクルーガー(Justin Kruger)とダニング(David Dunning)は、物事の能力の劣る人ほど、自分に能力がない事を認識する能力に欠けていることを確認する実験を行った。論文の冒頭でピッツバークの銀行強盗マッカーサー・ホイラーの例を挙げている。彼は1995年に白昼堂々と銀行強盗をして逮捕された。警官が防犯カメラを見せたところ、強盗は、顔にレモンジュースをかけてこすったんだから、人から見えるはずはないじゃないと強弁した。防犯カメラに映るはずはないというのだ。
上記の研究者はプロのコメディアンに30種類のジョークを面白さの順に並べてもらった。そして65人の大学生にもジョークの面白さの採点をさせて、その判断がプロのものと一致するかも採点させた。さらに自分は平均的な人より以上かどうかも判定させた。
その結果、大部分の人は自分の能力は平均以上だと判断した。しかし判断力が平均より少しだけ上の人たちは、自分を過大に評価したが、判断能力が高い人たちは、自分の能力は平均を少しだけ上回ると解答した。つまりジョークに対する判断力の劣る人は、自分の能力に対する判断力も劣っていたのである。
このテストはジョークの面白さの判断だが、論理的判断能力と文法のテストでも同じ傾向が見られた。つまりこの3種のテストで、能力の劣るひとほど、自分を高く評価していたのである。さらに後の研究でも同じ結果が得られた。
クルーガーとダニングの説明は、自分の能力を正確に判定する能力は、物事をなす能力と関連している。だから無能な人は、自分の能力を判断する事にも無能なのである。
そこで研究者は論理能力テストの成績の悪い人々に訓練を施した。すると彼らの自己認知能力が向上したと言う。
他の研究でも「技術が劣る人ほどその自覚がない」という効果が実験室だけでなく、生活上でも見られることを示している。たとえば患者に対する診断能力の劣る医者ほど、その自覚がないと言う。
ダニング・クルーガー効果というのは、メタ認知、つまり考える事を考える、の例である。あなたも同僚や友人にそんな人がいるだろう。しかしそう思う前に、あなた自身も、自分の無知に気がついていないかもしれないのだ。
ソクラテスの無知の知を思わす話である。つまりこの論文の主張は、愚かな人は自分の愚かさに気がついていないということだが、逆に言えば、賢明な人は自分の無知を知っているということでもある。
人は何事かを主張する時に、当然、自分が正しく、相手は間違っていると思っているのだが、自分が間違っている可能性もある事を頭の隅に止めておく事が必要だ。
確かに2chなんかを見ると、居丈高に何事かを主張している人が多いが、そう言う人に限って、それほど賢明ではないようだ。他山の石としなければならない。
人は間違いを犯しやすい生き物だ。ただし間違いを犯した時に、それをきちっと認識して、認めるというのも能力だ。間違いを認めることができるのは知的能力が高い事であり、自分の過ちに気づかないのは能力が劣る証拠である。
12月12日 日本電気学の祖・橋本宗吉と静電気実験
2013-12-12
中之島科学研究所 コロキウム
今日の中之島科学研究所のコロキウムは研究員の嘉数(かず)次人さんと大倉宏さんによる「日本電気学の祖・橋本宗吉と静電気実験」というものであった。嘉数さんが講演して、大倉さんが実験を行った。
橋本宗吉(1763-1836)というひとは、大坂の蘭学者で医者であった人だ。阿波で生まれて、大坂で傘に家紋を書く仕事をしていた。頭の良さを裕福な商人で天文学者であった間重富に見いだされて、4ヶ月間江戸に留学させてもらい、解体新書で有名な蘭学者の大槻玄沢に弟子入りした。その間、オランダ語の単語を4万語覚えたと言う。とてつもない数だ。当時の外国語学習は文法や会話は関係なく、ひたすら逐語訳をするのだという。彼は間の為にオランダ語の本を翻訳した。百科事典を翻訳した「蘭化内外三方法典」とか、世界地図である『喎蘭新訳地球全図』、「阿蘭陀エレキテル究理原」などがある。正電気のことを勉強して、さまざまな実験を行い、見せ物にした。京都で医学を学び、医者として生計を立てる一方、塾を開いた。
晩年は大坂キリシタン事件で弟子が大塩平八郎に逮捕されて取り調べを受け、塾も閉鎖された。無罪になったが、シーボルト事件の余波で蘭学者に対する風当たりが強くなり、竹原(広島県)に一時隠遁した。弟子の中天遊のさらに弟子が緒方洪庵であり、その弟子が福沢諭吉である。橋本はのちになり、電気の研究が認められて、日本電気学の祖といわれるようになった。
講義の後は大倉さんが、橋本の行った実験のいくつかをやってみせた。人々に手をつながせて、静電気で帯電させ、最後に輪を閉じると電気ショックが走ると言うものもあった。
ニュートンビーズ、サイフォン
その後で研究員の齋藤さんと、ニュートンビーズ、サイフォンについて話しあった。前回のコロキウムの後の談話会で、私は齋藤さんにニュートンビーズの話をした。齋藤さんがその話をFacebookに流したら、私の式を知りたいと言う人がいると言う。齋藤さんに書きかけの論文を送った。その人は宮地さんの「サイフォンの科学史・・350年間の間違いの歴史し認識」と仮説実験授業を指摘したと言う。
私は仮説実験授業に賛成でも反対でもない。山田さんの解説を聞いて、なるほどとは思った。しかし基礎知識のない子供達にいろいろと深く考えさせたって、誤概念にはまり込む恐れもある。先生が誤概念だと指摘すればともかく、先生自身が誤概念に取り付かれていたらどうなるか。サイフォンの授業に関しては、そう思わざるを得ない。
永久機関や反重力エンジンの発明などナンセンスなものはいくらでもある。でもそれを唱える当事者は、冗談ではなく、まじめに主張しているのだ。例えば私の属した大学の名誉教授の発明になる永久機関などその例だろう。考えに考え抜いて、ナンセンスな結論に達してしまうのは、ようするに基礎を知らないからだ。
http://skeptics.jp/column/59-130611.html
2013-12-11
12月10日 デジタル肥満
2013-12-10
デジタル肥満
「Siriは彼を捨てろと言うか? モバイル機器があなたの生活を支配する(あるいはダメにする): Siri says 'dump him'? How mobile devices could run (or ruin) your life」という面白い記事があったので紹介しよう。著者はGerd Leonhardという未来学者である。彼は今後10年に我々に起きるであろう、デジタルライフについて5つの予言をする。
1 人工知能と非常に賢いソフトウエア・エンジンがあちこちに埋め込まれるだろう: スマートフォン、スマート時計、グーグル・グラスのようなモバイル機器、ウエアラブルコンピュータが我々の身の回りに満ちあふれて、我々の生活はそれらと密接につながりあう。例えば、あなたに関する膨大なデータを解析して、人工知能はあなたに対して、次のデートで彼を捨てた方が良いと示唆するかもしれない。
2 オートメーションは数億もの「簡単な」仕事をなくしてしまうだろう: 運転手、レジ係、データ解析家、銀行の窓口、配達人などは職を失うだろう。ロボットは家庭に入り込み、介護などするだろうが、人間の姿をしたロボットは当面現れないだろう。米国の仕事の半分はなくなると学者は予想する。人間だけにできる仕事、右脳を使う仕事などが教育で重要視される。仕事をしなくても最低限の収入を保障するシステムが出来るかもしれない。
3 補強現実と自然な人間・コンピュータ・インタフェースは検索方法を変える: 現在はコンピュータで検索をするのにタイプ入力する。しかしそのうちにそれは、言葉、ジェスチャー、まばたき、頭で思う、に変わって行く。人間はデジタル機器に非常に依存するようになる。なぜなら使いやすく、強力で、依存性があるからだ。さらにそんなソフトを作る人が儲かるからである。
4 自動、即座、モバイルの正確な言語翻訳機が5年以内に出来る: たとえばスマートフォンに話しかけると、それが何か国語にも翻訳され、会話が全て記録されてクラウドで保管される。そうなるとメディアや広告、外国語教育が大きく変わる。
5 あらゆる事がビデオや写真で記録される: 車の動き、あなたの仕事ぶり、食事などが今後10年以内に全て記録されるようになる。
そのようになるとデジタル倫理が重要になる。個人テータの保護、人間補強、デジタル肥満、技術への依存が大問題になる。もはや何事かが可能かどうかより、やって良いか、やるとしたらいつか? どこでか? が問題になる。未来の指導者、思想家、科学者はデジタル権利と倫理を考えるようになる。というのも個人データの収集と人工知能によるその悪用が可能になり、それが出来る人・機関が膨大な権力を手に入れる。技術に慣れ親しんだ人、SNSに慣れた人でもそれには反対するだろう。核兵器と同じ事で正しい使い方、正しくない使い方を区別する必要がある。そのうちに「人工知能・オートメーション不拡散条約」のようなものが結ばれるかもしれない。
デジタル肥満とデジタル・ダイエット
私はこの文章に書かれている1, 3に強く同意する。私はスティーブ・ジョブスは人類に大きな影響を与えたと思う。iPhoneが導入されスマートフォンが広まった事で、人類の行動パターンが変わった。特に若い人において。例えば比較的空いた電車に乗って、向かいの席に座る人を観察すると、多くの人がじっと携帯に向かっている。電話で話す人はほとんどいない。昔は若い人の中で、電車の中で大声で携帯で電話する人がいて、迷惑がられたものだ。現在では電車内で電話しているのは、むしろ年寄りである。
私は朝起きるとまずiPhoneを持ってトイレに行く。家内はソファに寝そべってiPhoneでブログを読む、ゲームをする、猫のビデオを見るなどしている。我々は完全にスマートフォン依存症になっているのだ。またネットにつながらないとパニックになる。昔のコンピュータはスタンドアロンがほとんどであった。ネットにつながらなくても仕事はできた。しかしiPhone, iPadがネットから切り離されると、ほとんど役に立たない。我々はネット依存である。
アメリカの調査によると、大人のなんと10%程度がセックスの時にスマホを使っているという。34歳以下に限ると、その割合が20%になる。その他、シャワー中12%、教会で礼拝中19%、学校参観32%、異性と食事デート33%、映画館35%、運転中55%とある。セックスとスマートフォンをどちらか諦めるとすると、セックスだとも言う。
別の記事で、自動車会社の重役が娘に自社の自動車とiPhoneのどちらが欲しいかと尋ねたら、iPhoneだと答えたと言う。かくほど左様に、アメリカ人はスマホの依存症になっているのだ。日本人も同じ事だ。
この現象をデジタル肥満とこの記事はよんでいるが、なかなか適切な命名である。スマホを使いすぎて、運動不足になり肥満するという意味ではなく、デジタル機器からあふれる情報を食べ過ぎて、情報で肥満する事を意味する。そこで私はデジタル・ダイエットという言葉を提案したい。これも体重を減らす為にスマホを使うのではなく、スマホを使わないようにする事を意味する。
12月9日 京都御苑
2013-12-9
京都御苑
昨日の仁和寺の紅葉狩りは大失敗であった。今回は京都御苑に行く事にした。ここは京都御所として京都市民に知られているが、正確には御所は京都御苑の一角を占めるに過ぎない。残りは昔は公家の邸宅がびっしりとあったのだ。いまでも行ってみると、近衛邸跡とか九条邸跡などはよくわかる。
紅葉だが、紅葉だらけかと言うとそうではない。しかし要所要所には紅葉がある。さらにカエデなどの高い木ではなく、低木で真っ赤なものがある。写真を撮りまくった。
休憩所に行ってきつねうどん定食を食べた。
12月8日 仁和寺
2013-12-08
仁和寺
今日も紅葉を求めて仁和寺に行った。結論からいえば大失敗であった。紅葉はほとんどなかった。ネットのある記事で、紅葉があるような事が書いてあったので、それにつられたのだ。京都御所に行こうかと考えていたのだが、あえて27年ぶりに仁和寺に行ってみた。当時は学生諸君の車に乗せてもらって、行ったものだ。
仁和寺は御室ともいい、八重桜で有名である。いつも行こう行こうと思っているのだが、義理が果たせないでいる。来年の春には行こう。ここは境内が広い。日曜であるので、観光客はいるにはいるが、境内が広すぎて、ぽつりぽつりと言う感じだ。いろんな建物が修理中で、見るべきところに乏しい。
ここは昨日述べた藤原胤子の夫である宇多天皇が創建したと言う。当時は御室御所とよばれたそうだ。
12月7日 勧修寺と今昔物語のロマンス
2013-12-07
藤原高藤と宮道列子のロマンスと勧修寺(かじゅうじ)
北野天満宮に祭られている菅原道真を左遷させたのは政敵の藤原時平であるが、当時の天皇は醍醐天皇であった。醍醐天皇の母は藤原胤子(たねこ)であるが、その両親である藤原高藤と宮道列子(みやじつらこ)のロマンスは今昔物語にあり、山科に縁があるので紹介しよう。
藤原高藤は藤原家では傍流であるが、それでも身分の高い貴族であった。彼が15,6のころ、供を連れて山科に鷹狩りに出た。そこで激しい雨に遭い、雨宿りを求めたのが山科の郡司である宮道弥益(みやじのいやます)の屋敷であった。そこで接待に現れたのが年の頃は13,4の少女で宮道列子であった。その屋敷に宿泊した高藤は列子と結ばれる。次の朝、列子にまた会いに来るので、結婚しないように言って、太刀をそこにおいて高藤は京都に帰った。高藤が一晩帰らなかったことを心配した父親から、以後の外出を禁じられてしまった。従者も里に帰り、高藤は列子のもとを訪れること無く6年経った。その間、父親が亡くなり、また従者が戻ってきたので山科の宮道の家に行くと、列子のそばには小さな女の子がいた。一夜の契りで生まれた子供で胤子であった。高藤は列子と胤子を京都に連れ帰った。胤子は後に天皇の女御になり、生まれた子供が醍醐天皇である。高藤は天皇の祖父と言うことで、出世を遂げた。また宮道弥益も出世した。その邸宅の跡に建てた寺が勧修寺(かじゅうじ)である。高藤の系統は勧修寺流としてしばらくは栄えた。
私は山科の御陵(みささぎ)に秘密研究所である特異点庵を借りている。山科を散策しようと、春に勧修寺に花見に行った。このあたりの地名は「かじゅうじ」ではなく「かんしゅうじ」と呼ばれている。その近くに宮道神社もある。勧修寺には大きな池があり、水鳥の宿泊地になっている。私が行った時は、木にアオサギがとまっていた。池には鴨が泳いでいた。勧修寺は地下鉄東西線の小野をおりてしばらく歩いたところにある。ところでこの小野の地名だが、小野篁、小野道風、小野小町などの小野家の領地であったという。
さらにいったところに醍醐寺駅があり醍醐寺がある。ここは桜の名所として有名で、秀吉が醍醐の花見をしたことでも有名だ。花見のシーズンは大変な混雑になる。私が行ったのは、シーズンが終わりかけの頃で、桜はまだあったが、観光客は少なくゆっくりと見ることが出来た。
12月6日 書斎の死体
2013-12-06
書斎の死体
ミスマープル・シリーズの「書斎の死体」を見た。詳細なプロットは英語のWikipedia"The Body in the Library"を参照のこと。
ある朝、英国のある大邸宅に住むバントリー大佐夫妻が目覚めると書斎に若い女の死体があった。妻のドリーは友人のミスマープルに捜査を依頼する。警察が呼ばれて州警察本部長のメルチェット大佐とスラック警部が到着する。捜査の結果、死体は近くの海岸の保養地のホテルで踊る、18歳の踊り子のルビーであることが、いとこのジョージーの証言で分かる。このホテルに滞在する富豪のジェファーソンはルビーを気に入っていて、養女にして遺産を相続させることを考えていた。ジェファーソンは航空機事故で妻、娘、息子を亡くしていて、自身も自立歩行が出来ない。ジェファーソンは娘婿のマーク、息子の嫁のアデレードとホテルにすんでいる。彼らはジェファーソンからもらった金をすでに無くしていたので、ルビーは目の上のこぶであった。ジェファーソンは知り合いのスコットランドヤードの元警視総監のクザリング卿に捜査を依頼する。メルチェット大佐もクザリング卿もミスマープルのことはよく知っていて、彼女を尊敬しているが、スラック警部は知らないので、ただのバアさんだとバカにしている。もちろん最後には、スラック警部の捜査はスカタンで、ミスマープルが真犯人にたどり着くというのは、お決まりだ。
12月5日 北野天満宮
2013-12-05
北野天満宮
朝から北野天満宮の紅葉を見に行った。北野天満宮は北野天神ともいい、学問の神である菅原道真を祭っている。そこの紅葉が見事で、夜はライトアップしていると、何かに書いてあったので、行くことにしたのだ。ここは実は梅の名所でもあり、春にも行った。私は京都の四季折々の花はめでることにしているのだ。梅に関して言えば道真の歌
「東風(こち)吹かば匂ひおこせよ梅の花 主(あるじ)なしとて春を忘るな」
が有名である。道真が京都での藤原氏との権力闘争に破れて、太宰府に左遷される時に詠んだ歌であるとされている。道真が九州で客死したあと、京都では天変地異が起き、政敵が死んだことなどがあり、道真のたたりだと恐れられた。この怨霊騒ぎに関しては、ここに書いてある。道真を讒訴した藤原時平も悶死することになるのだが、責任者の醍醐天皇の子供たちも若くして死ぬ。醍醐天皇と言えば、特異点庵のある山科に関係するので、別に書く。
北野天神自体は拝観料はいらないが、紅葉苑に入るには600円いる。ここは春は梅園として有名だ。その梅園の中に御土居があり、そこの紅葉が見事なのである。御土居とは豊臣秀吉が戦乱に荒れた京都を復興するために行った都市計画の一環で、京都を囲むように作った土手である。目的は敵と洪水から京都を守るためであるとされているが異説もある。京都には鞍馬口、荒神口、粟田口など口のつく地名が多いが、これは御土居の入り口である。御土居は江戸時代以降には取り壊されて、ほとんど残っていないが、残っているところは土居町などの地名がある。御土居で洛中洛外が決められるが、その観点では私の住居は洛外にある。取り壊されたのは、交通に不便だからであろう。
紅葉苑の中を紙屋川が流れていて、渓谷になっているあたりに紅葉がある。ここが京都の市街地のど真ん中とは思えないほど、深山幽谷の感じがする。もっとも境内に接してマンションがあったりして、市街地であることは分かる。マンションの住人は春は梅、秋は紅葉をただで見られるのである。ともかくも紅葉の赤と、所々に生える竹の青は見事である。紅葉はここまで赤くなるかというほど、真っ赤というか深紅のものがあった。
紅葉苑を出て本殿に詣でる。ここは学問の神様というので、修学旅行生でいっぱいだ。受験祈願である。祈祷をしてもらうには、本殿に上がる場合は5000円、上がらない場合は4000円とあった。高校生にはちと高いが、それでも申し込む姿があった。もっと手軽には絵馬で合格祈願をする。みなさん合格祈願に必死である。
北野天満宮といえば牛の彫像で有名である。参道にそって何体もの牛の彫像が寄進されている。自分の体の不調な部分に対応した牛のその部分をなでると良いとされている。私など頭をなでておいた。
北野天満宮参拝の後は、同志社大学の生協に行って昼食をとった。その後、私は大学図書館に行った。図書館の考察はいずれまた書く。
12月4日 サイフォンの流体力学
2013-12-04
サイフォンの流体力学が分かった
サイフォンの流体力学について悩んでいると書いた。しかし11/29の記事で島津製作所の猪坂さんが正しい答えを導いたとも書いた。しかしこれは式ばかりで、物理学的な意味が少しだけ私には分からないところがあった。私は11/24 の記事に書いたように、あらきけいすけの雑記帳と同じ議論を行った。ところがその結果得られた管内の水の流速は異常に大きな値になった。そして致命的な事に、流体の粘性係数を0にする極限で、流速が無限大になるのである。これはなにか致命的におかしい。
ここで水の粘性係数を0として、摩擦がない理想的な場合を考えよう。これは液体の粘性係数が小さい極限か、あるいはパイプが太いとか短い極限と考えても良い。するとこの場合はベルヌーイの定理が成立する。それは
運動エネルギー+位置エネルギー+圧力=一定
という式だ。ここで管がビーカーの水面に潜り込んでいないで、水面に触れている場合を考えよう。つまりD1=0とする。また流出口は大気中にそのまま開いているとする。つまりD3=0として、かつ流出口の圧力を大気圧Patmとするのだ。この方が問題の本質が分かりやすいからだ。
流入口での圧力は、彼の仮定3に従えば大気圧patmになる。それで水が流れていない場合を仮定すると、ベルヌーイの方程式で運動エネルギーを0とおくと、
位置エネルギー+圧力=一定
となる。これは静水圧平衡の式である。
この式から、流出口圧力はPatm+ρgHDになる。ところが仮定3では流出口の圧力もPatmでなければならない。この矛盾を管壁の摩擦で解消すると言うのがあらきさんのアイデアだが、先に述べたように摩擦がない場合は解消できない。
そこで先に述べたように、下部の流出口はビーカーの中ではなく、大気中に開いている場合を考える。この時は流出口の圧力はPatmで確定できる。それで静水圧平衡を仮定すると流入口の圧力がPatm-ρgHDになる。ところが仮定3ではそこでの圧力はPatmであり、矛盾である。ところがこの矛盾は先に述べたように管内の摩擦では解消できない。
それではどうするか。管の流入口には圧力のとびがそのまま残るとするのだ。それが上のビーカーから管内に水を吸い込む圧力差となるのだ。これからの式では上のビーカーの水面と管の流出口の高さの差をHとかくことにする。圧力が不連続的に水表面のPatmから、管内のPatm-ρgHになるなんて信じられないといわれるかもしれない。実際は圧力は不連続ではなく、急速に変化するというのが正確だ。流入口には広い範囲から水が集まり吸い込まれるので、等圧面をかくと、流入口を中心にした同心球的な形、つまりタマネギの皮のようになる。この圧力勾配は非線形項つまり慣性力の項と釣り合うのだ。水全体では速度はほぼ0であったのだが、この圧力勾配で水が急速に加速されて、流入口に吸い込まれる。その場合、水の速度は自由落下速度v=sqrt(2gH)になる。
この速度はトリチェリの定理で出てくる速度と同じである。今ビーカーの下部の側面に穴をあけるとすると、そこから水が噴出してくるが、その速度が上記の速度だ。ただしHは水面から穴までの距離である。この式はベルヌーイの定理から求められる。水面を出発して、流出口でおわる流線を考えると、水面では流速は0、位置エネルギーはρgH、圧力はPatm、流出口では流速はv、位置エネルギーは0、圧力はPatmである。従って
0+ρgH+Patm=ρv^2/2+0+Patm
故に
v^2=2gH
となる。サイフォンの管内の流速もこれと同じである。
12月3日 府立植物園、株価予測の科学
2013-12-03
京都府立植物園
今日は紅葉の見納めの為に京都府立植物園にいった。紅葉したフウの木を見る為である。このフウの木は巨木で、秋もこのシーズンになると紅葉してとても美しい。この前いった時は、紅葉し始めでまだ十分に赤くなっていなかった。今日は見事に赤くなっている。フウの木の前は池になっていて、遊歩道が渡されている。周りには写生する人、写真を撮る人などがたくさんいる。週日であるので、入園者の多くは(自分もそうなのだが)老人である。ここで見るカメラマンにはいつも感心している。みなさん立派な一眼レフのカメラを持っておられる。望遠レンズも高そうなものだ。私がiPhoneで写すのとは違う。
入園者の別のグループは、幼子を連れた若いお母さんたちである。ちょこちょこと走り回る子供の面倒を見ているお母さんを見ると、幸せだなと思う。もっとも当のお母さんがどう思っているかは分からないが、子供に取っては意識はしていないだろうが、確実に幸せな瞬間であるはずだ。成人して、もし幼い時の事を思い出せば、母に甘えていた時がもっとも幸せな時であったと、思うはずだ。私は幸せの象徴として、母の他に父がいて、子供が両手で両親にぶら下がってはしゃいでいる姿こそがそれだと思う。お祭りや行楽地で見かける姿である。
私は運動公園の横にあるレストランに行ってホットケーキセットを食べた。そこでiPadで日記を書いていたが、12時半になり混み始めたので、邪魔になると思い外に出た。東屋に行き続きを書いたが、テーブルがないと書きにくい。そこでテーブルのあるベンチを探して、そこで続きを書いた。少し寒いのが難である。iPadのソフトキーボードは打ち間違いが多い。やはりきちんとしたキーボードがあった方が良い。今度はMacBook Airでも持ってこようかと思う。
やはり寒いのでレストランに戻ってカレーライスを食べた。混雑のピークは過ぎていたので、そこでKindle Paperwhiteで「吾輩は猫である」の続きとSherlock HolmesのA Study in ScarletのPart IIを読んだ。ヒューコー・デ・ガリスが「退職後の仕事」と題するエッセイの中で、午後は小さな椅子を持って公園に行き、純粋数学や理論物理学の本を読むのが楽しみであると書いていた。私はさすがにこの寒い植物園で物理学の本を読む気にはなれなかった。しかし暗い部屋の中にいると気分が陰々滅々としてくるので、天気の良い日には公園で勉強するのは悪いアイデアではない。
株価予測の科学
私は数年前に株取引、正確には日経先物取り引きに凝っていた事があった。デイトレードというやつで、時々刻々変化する日経平均やTopixを見ながら、売ったり買ったりするのである。その時にコンピュータをこの植物園に持って来て、ここでトレードが出来たらいいだろうなと夢想した。当時の私のコンピュータでは無線でネットにつなぐ事は出来なかった。しかしiPhoneでトレードするのは、やはりかなり不便である。と言う訳で結局はやらなかったのだが、今なら私自身のインフラも整っているので、やる事は可能だ。しかしトレード自体を止めてしまったので、やらない。
なぜ止めたかと言うと、損をした事もあるが、面白すぎるからである。時々刻々変化する数値を見て売ったり買ったりするのは、正にばくち行為である。面白くて、興奮して、止められない。一種のアディクションである。私はこれは時間のむだだと思った。こんなことに時間を費やすよりは、勉強や研究をしたほうが、有意義だと悟って、きっぱりと足を洗った。
トレードを金儲けの為にやるのかと難詰する人がいるが、トレードを科学的側面から見ると、実に興味深いのである。要するに日経平均という時間的に変動する数値のタイムシリーズがある。この値の一瞬先を予測するのだ。いろんな手法が提案されている。どれもそれなりの根拠はあるのだが、これが一番と言う手法はない。あったとしても、公開されていない。必ず儲ける方法を発見した人は、それを秘匿するはずである。世の中の本で必勝法などと言うのがあったとしたら、眉唾である。著者はそれで一時は稼いだのであろうが、ダメになってくると、本を書いてそれでまた儲けると言う訳だ。それを知らない素人がその本を買って、損をする。多くの人が同じ手法でやるので、儲からないのである。つまり頭の良い人間の食い物にされているのだ。
タイムシリーズの研究と言う事で、私はフーリエ分解を試みて、ある周期を割り出した。またウエーブレット変換もやって、そこに不思議なパターンを発見した。私はそれを「世界の起源」と名付けた。もっとも公表はしていない。とても公表できるようなものではないからだ。FFT、ニューラル・ネットワーク、ベイズ統計、カルマン・フィルターなどいろんな科学的手法が使えそうだ。実際にやるやらないはともかく、株価予測の科学というのは実に奥が深く興味深いテーマである。
12月2日 Kindle Paperwhite、吾輩は猫である
2013-12-02
Kindle paperwhite
Kindle Paperwhiteは11/21日に配達された。それ以後使っているが、とても良い。私は既にKindleを持っているのに、なぜさらにもう一台買ったかについては、既にどこかで述べたのだが、理由は3つある。
1) アメリカのアマゾンと日本のアマゾンが統合されていない。
以前の日本のアマゾンでは洋書を買う事が出来なかったし、和書も買えなかった。そこでアメリカのアマゾンからKindleを買ったら、それがアメリカのアマゾンに登録された。アメリカのアマゾンで本を買う限り、それで別に問題ない。そこで買ったものは、iPhone 4s, iPad 2, iPad 3と同期化されており、どのデバイスからでも読める。その意味で便利をしていたのだが、日本のアマゾンである本を買った時に、iPad miniが日本のアマゾンに登録されて、それが同期された。ということは、本を日本のアマゾンで買うと、iPad miniでしか読めないのだ。そこで新しくKindle Paperwhiteを日本のアマゾンから買ったら、それは日本のアマゾンに登録された。また新しく買ったiPhone 5sとiPad Airも日本のアマゾンに登録された。今後は日本のアマゾンから買って、徐々にKindle paperwhiteに移行して行く。しかし当面は、すでにアメリカから買った本を読む為に、古いKindleも残しておく必要がある。
2) 私がKindleを気に入っているのは、透過液晶ではなく反射液晶なので、目が疲れないからだ。さらに研究に寄れば、理解度も反射型の方が紙に近くて、高いと言う。プログラミングも液晶画面で見るよりは紙にプリントした方がバグを発見しやすいと言う。それは紙は反射光で、モニターは透過光だからだと言う。反射光では脳は分析モード、批判モードになる。一方テレビのような透過光はパターン認識モード、くつろぎモードになるのだそうだ。映画、印刷物も反射光でテレビとモニターが透過光だ。実際、透過光と反射光では脳波は違った反応をすると言う。
「プリントアウトした方が間違いに気づきやすいワケ」
というわけで、反射光型のKindleは紙に似ていて、理解しやすいと思う。
3) Kindle Paperwhiteはタッチスクリーン式で、古いKindleはボタン式だ。使い勝手はタッチスクリーンが圧等的に勝っている。特に文字を入力する場合、古いKindleはとてもやってられない。一文字ずつ、カーソルをボタンで移動させて行かなければならないのだ。
我が輩は猫である
というわけで新しく買ったKindle Paperwhiteで何を読んでいるかと言うと、まずは夏目漱石の小説「吾輩は猫である」だ。ただである。中学生時代に読み、大学時代にも読んだ座右の書である。中学生時代は猫の話だけに興味があった。しかし大人になって読んだ時は主人公達の無駄話、雑談に興味を持った。今読み返しても、雑談が面白い。登場人物は我輩の飼い主である中学校の英語の教師の珍野苦沙弥先生、友人の美学者である迷亭(めいてい)、元の学生の寒月(寺田寅彦がモデル)、越智東風(おち とうふう)、八木 独仙(やぎ どくせん)君などである。彼らの会話が面白いのだ。寒月君の「首つりの力学」は興味があるので、いつか論じてみたい。
12月1日 サライの会
2013-12-01
サライの会
サライの会というところで、「2045年問題・・・コンピュータが人類を越える日」および「宇宙の加速膨張」の講演を行った。サライの会と言うのは、パナソニックを定年退職した人と、その友人が立ち上げたプライベートな会で、定年退職者を中心とした会である。毎月、例会を行い、講演者をよんで話を聞く会を続けていると言う。実は、その会の主催者は私がJTBカルチャーセンター、その後の朝日カルチャーセンターで主に宇宙の話をしていた時の生徒さんである。非常に熱心な方で、特に宇宙論に興味があり、鋭い質問をされて、私も時々たじたじとなった。今年の夏に朝日カルチャーセンターで2045年問題の話をしたのだが、同じ話をサライの会でして欲しいと言われたのだ。
会場はパナソニック・リゾートという保養所である。場所は大阪モノレールで南茨城から一駅、伊丹空港側に行った宇野辺という駅の近くにある。そこはゴルフ場もあるホテルのような立派な施設であった。ただ昨今、パナソニックも不景気のようで、経費削減とかで、門衛所に人はいなかった。今回は第79とのことで、長く続いている会である。
聴衆は9名であった。一人主婦の方が居られた以外は、残りは定年退職者であった。後の懇親会でお話を伺ったが、海外駐在経験者、英仏海峡のトンネルを掘削された方、中国で事業を営んでおられる方など、皆さんそうそうたるメンバーであった。定年退職後も家に逼塞する事なく、いろいろとしておられるようで、みなさん精神的にお元気であった。もっとも、私自身も定年退職者であるので、年齢は同じようなものである。