2024年05月08日

所員挨拶

坂東昌子 所長

基礎科学研究所設立にあたって


個別科学が発展した20世紀を受けつぎ、21世紀は、地球環境問題・教育問題・都市問題・医療問題など、多様な課題へのアプローチがますます重要になってきています。これらの課題は、特定の分野にとどまらず、分野を横断する考察が必要になります。

こうした課題に対して、新しい知見をえるためには、大学や学会のみならず市民社会のあらゆる活動の中からさまざまな形で蓄積された経験知が、科学の体系に取り込まれなければならないと思います。
時代は、科学技術専門家からの情報発信、専門家から非専門家へという命令型から、市民が歴史を形成する主体となる方向へと確実に進んでいるのです。そして、こうしたなかで、NPOが果たすべき役割は大きくなっているのです。

今、私たちは、NPOとして、共同研究を組みながら、可視化技術を生かした教材開発に取り組んでいます。そして、大学の一角に研究室おかりしています。
この間、沢山のことを経験しました。例えば、小山田研究室との定例部門会議では、可視化の意味を深く掘り下げることもできました。そして、訪問される研究者や業界の方々との懇談などを通じてネットワークを広げています。訪問客は、教育界、出版界、研究の最前線で活躍する方々、国際会議にご出席の海外研究者、女性研究者、はては、7ヶ国以上の言葉を操るヒッポクラブの方々など、数えきれません。
そこで得た、さまざまな知的刺激を、単に趣味に終わらせず、どのように定着させ、科学活動の一環として生かしていけるのか、それが今私たちの課題です。そのためには、さらに大きな1歩を踏み出す必要があります。若い人にも、仕事をする、それを世に問うということを通じてさらに世界を広げることができる機会にしなければなりません。

学術月報2010年9月号に、金沢一郎学術会議会長のエッセイがあり、そのなかに、「65歳になると、年金生活を楽しんでいる人も少なくないが、彼らの能力が衰えているわけでもないのに、もったいないことだ」と思ったとあります。「定年退職後の老人が研究を続ける為の研究所」を提案していらっしゃる先生もいるそうです。それが、「老人研究所構想」です。老人を研究するのではなく、知的な老人を活用するという趣旨の研究所です。
これは、知的人材ネットワークを目標にしている私たちの1つの側面をとてもよくあらわしています。ただ、博士号を持つ若い人たち、といっても今では40歳を超す場合が稀ではありませんが、この若手研究者の活用も考えるべきだなと思っています。
少子高齢化といいますが、若い人も定年退職組も、もっと生き生きと活動できる社会であれば、それも十分にパワーになる筈です。そういう仕組みをどう作れるのか、自らの手で探っていきたいですね。ポスドク力発揮、老人パワー発信!です。

また、私たちは、この1年、親子理科実験教室を開催し、子供たちの素朴な質問に接する中で、私たち科学者が、気がつかなかった様々な日常生活の中にある不思議を探究する面白さを体感することができました。
日本の明治初期の突出した思想家であり科学者であった寺田寅彦の精神を思い出します。実際、私自身も、交通流や経済物理を手掛け、また、さまざまな出会いを通じて、ソフトマタ―などのより幅広い物理学の面白さが、物理として研究の対象になってきている時代だと実感しました。まさに、「天下に新しきににもののないということわざを思い出すと同時に、また、地上には古い何者もない」(寺田寅彦:「ルクレチウスと科学」より)ということを、この年になって実感している毎日です。

寺田寅彦の文章の中に、次のような1節があります。

「今かりに現代科学者が科学者として持つべき要素として三つのものを抽出する。一つはルクレチウス的直観能力の要素であってこれをLと名づける。次は数理的分析の能力でこれをSと名づける。第三は器械的実験によって現象を系統化し、帰納する能力である。これをKと名づける。今もしこの三つの能力が測定の可能な量であると仮定すれば、LSKの三つのものを座標として、三次元の八分一空間を考え、その空間の中の種々の領域に種々の科学者を配当する事ができるであろう。ヘルムホルツや、ケルヴィンやレイノルズのごときはLSKいずれも多分に併有していたものの例である。現存の学者ではジェー・ジェー・タムソンがこのタイプの人であろう。ファラデーや現代のラザフォードやウードのごときはLK軸の面に近く位している。ボルツマン、プランク、ボーア、アインシュタイン、ハイゼンベルク、ディラックらはLS面に近い各点に相当する。ただ L = 0 すなわちSKの面内に座する著名の大家を物色する事が困難である。あるいはレーリー卿のごときは少なくもこの座標軸面に近い大家であったかもしれない。
ゾンマーフェルトやその他の数理物理学者はS軸の上近くに座するものであり、純実験、純測定の大家らはK軸に羅列される。これらは科学の成果に仕上げをかける人々である。そうして科学上のピュリタニズムから見て最も尊敬すべき種類の学者である。しかるにL軸の真上に座する人はもはや科学者ではない。彼らは詩人である。最善の場合において形而上学者であるが最悪の場合には妄想者であり狂者であるかもしれない。こういう人は西洋でも日本でも時々あって科学者を困らせる。しかしたいていの場合彼らの言う事は科学者の参考になるあるものを持っている。すなわち彼らはわれわれにLの要素を供給しうるのである。もちろん座標中心の付近には科学者の多数が群集していて、中心から遠い所に僅少の星が輝いているのである。」

要するに、イメージが豊かで、可視化してものを捉えるのが得意な人、緻密な計算によって納得するタイプ、実際に確かめ実証しないと気が済まないタイプ、こうした様々なタイプの科学者が協力して作り上げたのが、現代の科学の前線です。
基礎科学研究所が、このLSKのどの軸に近い仕事ができるか、それは構成員の力量と個性にかかっています。単なるL軸上の議論に終わらせない仕組みをしっかり整えて、若い人もシニアな年齢の方も、共に協力し合える研究所として発展させていきたいものです。

所長 坂東昌子

松田卓也 副所長

基礎科学研究所設立にあたって


NPO法人知的人材ネットワーク「あいんしゅたいん」設立時以来の懸案であった、バーチャル研究所としての「基礎科学研究所」が、正式に開設されることになりました。この研究所は、私がブログの第10回目に書いた「バーチャル研究所の提案・・・定年退職研究者のために」を、ある程度、実現したものです。

そこでも書いたように、大学などを定年退職した研究者が、まだ研究を続けたいと思ったときに障害になるのが、1)所属、2)スペース、3)研究費、のなさです。この中で特に問題になるのが所属です。これがないと、論文投稿、学会発表、研究費・計算機申請などに、支障をきたします。その問題を解決するために、我々は「基礎科学研究所」を設立しました。上記の問題は定年退職研究者だけではなく、所属のないポスドクにとっても同様に大きな問題であることを認識して、構成員にはその方々も含めることにしました。

ただし、問題が完全に解決したわけではありません。「所属」ということは、単に研究所の名前を作っただけではだめで、郵便物が届く住所が必要になります。この問題はまだ完全には解決していません。というわけで、研究所の開設を発表したものの、まだ不十分な状態であることは否定できません。

「スペース」は、当面は「あいんしゅたいん」が事務所を置いている通称「ホワイトハウス」とします。恒久的な対策を施す必要があります。「研究費」ともあわせて、要するに必要なものはお金であるという、身も蓋もない結論になります。

以上のような状況で、「基礎科学研究所」の設立を宣言したものの、まだまだ走りながら考えるという状況です。皆様の温かいご支援、ご指導をいただきますように、お願い申し上げます。

副所長 松田卓也


【経歴】

1943年生まれ(大阪)
1961年: 大阪府立北野高校卒業
1970年: 京都大学大学院理学研究科博士課程物理第2専攻修了、天体核物理学 理学博士
1970年: 京都大学工学部航空工学助手
1973年: 同助教授
1992年: 神戸大学理学部地球惑星科学科教授
2006年: 同定年退職
2006~2013年: 同志社大学・甲南大学・神戸大学非常勤講師

英国ユニバーシティカレッジカーディフ応用数学天文学教室客員教授、国立天文台客員教授を歴任した。

現 在: NPO法人あいんしゅたいん副理事長、同法人付置・基礎科学研究所副所長、大阪市立科学館付置・中之島科学研究所研究員、ジャパンスケプティックス会長、ハードSF研究所客員
     元日本天文学会理事長

専 門: 宇宙物理学、相対性理論、宇宙気体力学の数値シミュレーション  趣味に疑似科学批判、プレゼンテーション理論
著 書: 「2045年問題・・・コンピュータが人類を超える日」(廣済堂出版)、「間違いだらけの物理学」(学研教育出版)
     「物理小事典」(三省堂)

猪坂弘 主管

基礎科学研究所主管就任にあたって


"サロン・ド・科学の探索"に何度か参加して受けた知的刺激の快さに魅かれて,今年から「NPO法人 知的人材ネットワーク・あいんしゅたいん」に参加させてもらうことしました.すると,いろいろなきっかけがあって,基礎科学研究所のメンバーにも加わることになりました.
「あいんしゅたいん」には,機会ある毎にさまざまな人が集まってきます.そして,男女を問わず,シニアはもちろん,現役の先生や研究者,企業人,学生さんまで,分野を超えていつもワイワイがやがやと,知的好奇心をくすぐる議論が展開されていきます.
知的な刺激が快いと感じるのは,今まで自分が見たり聞いたり触ったり体験したことのなかったことを体験し,分からなかったことが分かるようになり,知らなかったことを知る時に覚える,"ああそういうことか"という「腑に落ちた」感,あるいはパズルが解けた時の様な満足感が得られるからだと思います.知的な刺激を受けるのは自分にとっての未知が既知に変わる時と言えるでしょう.言ってみれば,既知の領域が大きくなり,未知との境界が未知の側へ動いていく時です.
「境界が面白い」,「境界から新しいことが生じる」というのが,私の持論です.この観点からすれば,既知の境界が大きくなっていくことが,ワクワクするようなことであるのは当然です.神秘的で美しいとさえ思えるフラクタル図形やジュリア集合はほとんどすべてが境界で出来ていますし,人々が生活しているのは大まかに言って海岸線に近い所,つまり山と海の境界です.なによりも生命が誕生し進化したのは地球表面です.また,異分野,異業種の交流で新しいアイデアや,ビジネスが生まれてくるのは,みなさんよくご存じのことです.人と人との間にあるのがコミュニケーションですし,コミュニケーションを通じて物事が回っていきます.
基礎科学研究所の一員として参加させていただくにあたって,このような切り口でどんなことが出来るかを問い,出来ることをお手伝いさせてもらおうと考えています.シニアと現役,ある分野に明るい方と別の分野で活躍されている人,理系と文系,あるいは常識と非常識など様々な境目で,知的な刺激の発信ができる研究所になれば素晴らしいと思います.これから,どうぞよろしくお願いします

主管 猪坂弘


【経歴】

1951年生まれ(京都)
1970年3月: 京都府立山城高校卒業
1970年4月: 立命館大学理工学部入学
1972年4月: 京都大学理学部入学
1976年3月: 京都大学理学部(物理)卒業
1976年4月: (株)日本NCR入社
1978年4月: 京都大学大学院工学研究科入学
1980年3月: 同航空工学専攻修了
1980年4月: (株)島津製作所入社
2005年4月: 神戸大学大学院自然科学研究科入学
2007年3月: 同地球惑星システム科学後期課程修了,博士(理学)
2012年1月: (株)島津製作所定年,シニアとして再雇用
2015年1月: NPO法人「あいんしゅたいん」参加

現 在:(株)島津総合サービスに移籍したが,職場は同じで業務は変わらず空気機械の研究開発に従事している.
専 門:空気機械の研究開発,空力設計,数値流体力学

小山勝二 主管

基礎科学研究所主管就任にあたって


暴論を覚悟で言えば、多くの専門家は平気で嘘をいい(たぶん保身から)、あるいは無知無能の(多分視野がせまい)ようです。私はもう40年弱の永きにわたり、計5台の天文観測衛星(X線衛星)の制作、観測、データ解析に携わってきました。衛星実験では、うち上げ時の過酷な振動に耐えるため、地上実験では想像できないような(過度ともいえる)安全対策をとります。

地球周回軌道では1日15回ほど、昼と夜を迎えます。宇宙の真空環境ではこの昼夜で大きな温度差ができ、昼でも太陽に照らされる側面と影の側面では、数十度以上の温度差ができます。このような過酷な環境に耐える検出機器でなくてはなりません。さらには一度軌道に乗せたら、不具合が生じても修理することは通常不可能です。したがって、衛星準備、搭載機器の製作には細心の注意、あらよる事態を想定した対策を講じることが必須です。このようなスペースサイティストからみれば、福島の原発事故は想定外という専門家のレベルの低さにはあきれてしまいます。というより専門家そのものに不信感を抱いてしまいます。

もう20年ほど前だったでしょうか、カルフォルニアで大地震があり高速道路が横倒しになりました。この時「我々の技術は高いので、日本ではそのようなことはあり得ない」という日本の専門家の談話を新聞で目にしたことがあります。ところが数年後、阪神淡路大地震で目にしたのは無残にも横倒しになった高速道路でした。いったいくだんの専門家は何者だったのでしょう。 またも新聞記事の受け売りで恐縮ですが、「高速道路は一軸のみで振動強度設計した」。 多分直下型を考慮するから、垂直軸(Z軸)の加速度のみでしょうね。この新聞記事は嘘か、あるいはよくあることですが、不正確かもしれません。でもここでは記事は事実としましょう。高速道路ではZ軸振動には強いはずです。だから十分振動にたえる設計ができたのでしょう。別に日本の技術が米国より高いという高尚な話ではないのです。ところがZ軸振動がX-軸(道路に直角な横軸)にカップルしたらどうなるのでしょう。容易に横倒してしまいす。 私は何度も衛星の振動テストを経験していますが、Z-軸振動が其の加速度より大きなX, Y軸振動に変わることはよくあります。まさか高速道路を設計した工学者がそのような初歩を知らなかったとは思いにくいですが、専門家とは存外そんなものです。この高速道路事故の後でわたしは、読売新聞に「専門家が安全だといっているものは安全ではない。原子炉も専門家が絶対安全といっているから、危ない」という文章を書いたことがあります。もちろん専門家への批判と皮肉をこめた警句のつもりでしたが、それが10年後に福島で現実になってしまいした。

原子炉の安全神話はマスコミも含め、大半が信じ切っておりました。反論する人は思想的背景(例えば反体制思想)をもった「あぶれもの」という大衆の意識が醸成されていったように思います。これは戦前の帝国軍隊の不敗神話を同じですね(戦争反対は非国民)。この時もマスコミも含め不敗神話がばらまかれ大半の国民は騙されて、無残な敗戦への道を突き進んでいったのです。

戦前は「満蒙は日本の生命線、それを守れ」が戦争突入の理由でした。戦後の原子炉は「原子力は基盤電源」がうたい文句です。それら政策を遂行するための不敗神話や安全神話が、専門家を中心にして作られ、多くの国民が騙されていったのです。いま安倍政権のもとで戦前に回帰せんとしています。またもや騙されようとしています。少なくとも短期的にはかっての高度経済成長路線にもどろうとしています。でもいまや、古い経済成長至上、すなわち「満蒙は日本の生命線や原子力は基盤電源」的思想では日本の将来はないでしょう。日本はもっと知的資産へ産業の軸足を移すべきでしょう。専門家は根拠ない嘘で自己保身をはかるのではなく、真に知的資産を生みだす気概と使命感をもってほしいものです。一方我々は専門家の嘘をみぬき、科学的に判断できる知的素養を高める必要があるのではないでしょうか。基礎科学研究所がその手助けができればと思っています

主管 小山勝二


【経歴】

1945年生まれ(愛知県)
1968年: 京都大学大学院理学研究科物理第二専門課程博士課程修了
1968年: 日本学術振興会奨励研究員(東京大学原子核研究所)
1970年: 東京大学宇宙航空研究所 助手
1982年: 宇宙科学研究所 助教授
1983年: 名古屋大学理学部 助教授
1990年: 京都大学理学部 教授
2010年: 京都大学特任教授
2013年: 京都大学退職

現 在: 京都大学宇宙総合学研究ユニット、大阪大学特任研究員

受 賞: 1980年度:朝日賞(グループ受賞)
     1994年度:第11回井上学術賞
     2002年度:第48回仁科記念賞
     2004年度:紫綬褒章

著 書: 宇宙科学の最先端(共著 朝日出版社)
     現代の宇宙像(共著 培風館)
     Frontiers of X-Ray Astronomy(編集 with 田中靖郎 ユニバーサルアカデミープレス社)
     X線で探る宇宙(培風館)
     The Hot Universe(編集 with 北本俊二 伊藤真之 Kluwer Academic Publisher社)
     天文学への招待(共著 朝倉書店)
     星の誕生 天の川、マゼラン銀河、そして私達(共著 クバプロ社)
     見えないもので宇宙を観る(共著 with 舞原俊憲、中村卓史、柴田一成:京都大学学術出版会)
     天の川の真実(共著 with 奥田治之、祖父江義明 誠文堂新光社)
     量子の世界(共著 with 川合光、佐々木節、前野悦輝、太田耕司: 京都大学学術出版会)
     ブラックホールと高エネルギー現象(編集 with 嶺重慎 日本評論社)
     宇宙の観測III: 高エネルギー天文学(編集 with 井上一、高橋忠幸、水本好彦 日本評論社)
     京の宇宙学(共著wi th 松本紘、柴田一成、山川宏、篠原真毅 ナノオプトメヂィア)

竹本修三 主管

2011年3月11日、東北・関東の太平洋沿岸地域は、マグニチュード9.0という巨大地震に襲われ、未曽有の被害を受けました。被災された方々に謹んでお見舞いを申し上げます。いまだに避難生活を余儀なくさせられている多くの人々の困難な状況の報道に接し、胸を締め付けられる思いですが、一日も早い復興を心より願っております。科学や技術に携わるわれわれも、今回の現実をあらゆる角度から詳細に検証し、安全に暮らせる環境の再構築に向けて、手を携えて努力していかなければならないと考えます。

私は2006年3月に京都大学を定年退職し、その後しばらく引きこもり生活を続けておりましたが、2009年4月から財団法人国際高等研究所のフェロー・招へい研究員として2年間お世話になりました。そして、2011年4月からNPO法人あいんしゅたいん附置、基礎科学研究所の一員として世の中とのつながりを維持できることになりました。

そこで何ができるかと考えてみたのですが、最近平均寿命も延びてきて、定年退職を迎えた人達でもそれまで得た知識を社会に還元できる可能性が増えつつあると思い始めました。ちょうどそのときに東北関東大震災が起り、時々刻々変化する事態を総合的に判断するためには、さまざまな専門分野の知識を有機的に結びつけることが必要であると痛感致しました。

世の中でこういうことが知りたいという要求があったときに、定年退職者がそれぞれの現役時代に培った人脈を生かして、そのことならこういう人に聞くのが一番よいという的確な情報を提供することや、学位は取ったがそれを生かせる働き口がなかなか見つからないといった人達の存在を新たなニーズにつなげることによって、新しい学術の芽が育つことも期待できます。このようなコミュニケーション・人材ネットワークの橋渡しに、私も及ばずながら協力したいと考えております。今後ともどうかよろしくお願いいたします。

主管 竹本修三


【経歴】

1942年生まれ(埼玉県秩父市)
1961年3月: 埼玉県立熊谷高校卒業
1961年4月: 京都大学理学部入学
1965年3月: 京都大学理学部地球物理学科卒業
1965年4月: 京都大学防災研究所・助手
1983年11月: 京都大学理学博士
1989年10月: 京都大学理学部地球物理学科・助教授
1996年1月: 京都大学大学院理学研究科地球惑星科学専攻・教授
2006年3月: 定年退職
2006年4月: 京都大学名誉教授
2009年4月: 国際高等研究所・フェロー
2010年4月: 国際高等研究所・招へい研究員
2011年4月: 基礎科学研究所(NPO法人 あいんしゅたいん附置)研究主管

専 門: 固体地球物理学・測地学
著 書: レーザホログラフィと地震予知, 共立出版(株), (1987)
     Laser Holography in Geophysics:Ellis Horwood Series in Applied Geology,(編・著), Ellis Horwood Ltd. UK, (1989)
     地球が丸いってほんとうですか?(編・著),朝日選書752,朝日新聞社,(2004)
     京都大学講義「偏見・差別・人権」を問い直す(編・著)(京都大学学術出版会, (2007)
     など

URL: http://www10.plala.or.jp/GEOD/take/

設立

<設立宣言>

真理の探究は人間の本質的な欲求であると同時に、文明社会発展の礎でもある。科学の対象となる領域は広大であり、その可能性は無限である。それにも関わらず現代社会においては研究者が活躍できる場が限られているという現状がある。

このような状況にあって、個々の研究者が知識を深めると同時に視野を広げ、様々なキャリアパスに進出していくこと、また異なる分野の研究者が交流し、異種のテーマの結び付けによって新たな価値を生み出していくことが求められている。これらはすなわち科学の地平を切り拓いていく営みでもある。この理念のもとに、基礎科学研究・応用科学研究・科学普及等の活動を通し、大学院在学中の若手から退職後の知的人材まで、幅広い立場の研究者が活躍の場を広げることを目的として本研究所を設立する。

 


 

<設立経緯>

このたび、NPO法人 知的人材ネットワーク・あいんしゅたいんは、附置機関として基礎科学研究所を開所することになりました。
当法人は、知的人材を活用するための仕組みを実現し、それを社会に広めていくという方針を掲げています。そして、この方針に従って、この研究所を基礎科学研究所として立ち上げることとしました。

NPO法人 知的人材ネットワーク・あいんしゅたいんは、知的人材を活用するための仕組みを実現し、それを社会に広めていくという方針を掲げていますが、これを実現するための一手段として、このたび、当法人附置機関として基礎科学研究所を開所することになりました。

19世紀から20世紀にかけて、それまで、神学・医学・法学、それに付随するものとして哲学と学芸がおかれていた大学で、学芸の中に自然科学系の学問が置かれるようになり、さらに独立した数学・理学などの学部が設置されるようになりました。
20世紀にはいると、近代国家にとって、国策として、科学技術の興隆は必要不可欠となり、大学にも科学技術教育が徐々に浸透しました。

日本は、明治時代を境にして近代国家の形成に向けて西欧諸国に追いつけ追い越せという政策をとり、教育の普及に力を注ぎました。このとき、福沢諭吉が「究理学」の大切さを説きました。
窮理学とは、今でいう物理学の事ですが、実際には数理系を包括する学問分野であると考えていいと思います。これが、その後の日本の科学技術の発展を促したように思われます。
科学の基礎研究は国が責任を持つ(投資する)という考え方が定着したのは明治以後です。こうして、日本に、大学が創設され、当時でいえば大量の大学生が生まれました。

ところが、この頃、大学卒業生の社会的受け皿はなく、「そんな高学歴はうちではいらない」と雇い主はいい、「大学は出たけれど」と巷でささやかれたのものです。高学歴がいつも歓迎されたわけではないのです。なかんずく、女性の場合はこれを後追いして、男子大学生が就職の条件として普通のこととなったのちの時代でさえ、「女には学歴はいらない」といわれたものです。
社会が進歩し、高等教育を受ける人が増加したのは決して悪いことではないはずなのに、需要と供給の時差がいつも表れます。

企業は学歴が高いのは使いにくい、世間知らずだなど、どこかで聞いたような話がでてくるのは世の常です。時代を先取りした政策の結果生み出された大量の高学歴人材を社会が受け入れる需要とマッチしない状況は、どうも今に始まったわけではなさそうです。
そして、今、大学院卒の博士にも同じ状況が起こっています。

もちろん、高度な専門性を有する人材が、大学等の研究機関以外にも多様な方面に職を得てその能力を活用できていない現実には、企業側だけでなく、大学側の研究や教育に対する考え方とのミスマッチもあります。
この溝を埋め、知的人材が、より社会に活用できるための仕組みを考え提言していくのは、当法人の目標です。

若者が、身分養成機関を経て科学者や技術者になる制度ができ、また、科学の探究が職業として成立する時代になりました。これを、バナールは、『「天才の科学」から「凡人の科学」への転換が起きた』といいます。
しかし、もっと異なったいい方をすれば、「沢山の知恵を集めて科学の体系に組み込む」時代になったともいえるのではないでしょうか。

湯川秀樹博士が立ち上げられた基礎物理学研究所の精神をさらに広げて、基礎科学としたのには、理由があります。
湯川博士は、基礎物理学研究所を設立するにあたって、狭い物理学に限らず、より広い自然現象を解明する場として位置づけられました。初期の基礎物理学研究所では、生物実験まで行うことを許容していたのです。

個別科学の劇的な発展によって、科学の対象は目に見えるものから、さらに見えないナノ、いやピコ、フェムト・アトの世界までも見ることができるようになりました。逆に、宇宙の果てや宇宙の始まりまで、科学の対象として探求する時代になっています。
そればかりではありません。私たちは、この1年、親子理科実験教室を開催し、子供たちの素朴な質問に接する中で、私たち科学者が気がつかなかった様々な日常生活の中にある不思議を探究する面白さまで体感することができました。

時代は移り、個別基礎物理学のメッカとして果たした基礎物理学研究所の役割は偉大なものがありますが、職業科学者は個別テーマの追求に専念し、テーマごとに別の研究機関が動き出すと、その役割も変わってきたことも事実です。
現在は、科学の対象もテーマも、社会現象や日常のさまざまな現象に潜む、まだ解明されていないさまざまな現象、はては環境問題やエネルギー問題といった個別のテーマを乗り越え、さらに広がって、科学の対象として進めている時代になりました。
そこで、私たちは、基礎科学研究所の研究対象をさらに広く見据える為に、基礎科学研究所としました。もちろん、湯川博士の思いを形にした基礎物理学研究所には、足元にも及びませんが、その理想とするところは、湯川博士と思いを同じにしていると思います。

私たちが、「知的人材ネットワーク・あいんしゅたいん」として、このような基礎科学研究所を立ち上げた主な理由は2つあります。

第1は、知的人材を活かすシステムとして、将来科学研究費等を申請できる団体としての資格を獲得することを目標にして実績を作っていくことです。
今、巷にあふれている知的人材、即ち科学者にとって、生活の糧としての、つまり職業としての地位がないことが、そのまま研究継続を阻害する例が多数見られることです。それは「所属」と「研究資金獲得の機会」が失われるということです。
今、若い研究者は、ポスドクといういわば非正規雇用の形態で研究を続けています。なかには、テニュアトラック制度は若手支援を得て恵まれた若手もいますが、大多数は、いわば、派遣研究者(いみじくもある方がこういう言い方をされました)という不安定な身分です。
この非常勤講師の実態調査によると、大学の授業の7割とか8割をこういう方々が支えているというデータさえあります。大学の非常勤講師で働きながら仕事を続けている方々は、来年どうなるかわからない、いつ仕事がなくなるか分からない契約で働いています。

これまで、このような、派遣研究者や非常勤研究者といったたくさんの非正規雇用の状態にある若手研究者が、せっかく採用された研究資金を、所属がないために、泣く泣く辞退したポスドク、所属がなくなったために大学教員にお願いして継続の労をとってもらい、自分の名前では運用者になれなないといった事態などを見てきました。
そもそも受け入れ機関がなければ科研費の申請ができません。所属がなくても、研究者番号はあるのですが、所属機関を通じて出す申請書はなかなか壁が厚いのです。
さらに、近頃では、定年退官後、まだまだ好奇心も研究意欲もあるのに所属がなくなり、論文や仕事をする意欲をそがれている方々をたくさん発見します。わざわざそのために、もう一度大学院の受講生になったり、研究員として研究費を払って、機関に属す方々も沢山います。
最近では、名誉教授にも科研費申請の労をとってくれる大学も増えてはきましたが、それでも、定年を控えて科研費申請をするのに、定年後までの期間で出すことができない大学は数多くあると思います。
実は、NPOを運営するようになって、初めて知ったことですが、JST等の文科省以外の助成金申請ができます。しかし、これも、いわゆる科研費にあたるものとは性格を異にしていて、個人の研究やかなり基礎研究に偏ったものは、それほど機会がありません。

科学研究費の申請ができる場を提供し、研究に熱意のある研究者が、その身分ゆえに研究活動を続ける手段を持てない状況では、せっかくの知的人材が活用されないままになってしまいます。それは、若い研究者も、年配の研究者も同様に不幸なことです。
この基礎科学研究所は、こうした知的人材を活用するための1つの支えになりたいと考えています。

第2は、研究の議論ができる場の提供です。このためには「場所」が必要です。
研究活動を続ける、科学の探求心を満足するためには、そしてそれを遂行可能な形にするためには、何よりも大切なのは研究を語り合う仲間との議論が大切です。議論する中で、テーマが広がり、深まっていくのです。その場がいるということです。
よほどの天才は別として、そのような研究場所を作ることなしには、研究の発展は途切れいつか興味を失っていきます。
さらに、現在、職業科学者、現役科学者たちはとても忙しいのです。そういう人が研究を続けていく推進エネルギーは、多くの仲間がいて、常にアンテナを張り、新しい知見を取得し、探究心を持ち続けることができるからです。もちろん、そこから、研究を成就し成果を上げる為の仕組みも必要です。
単なる趣味で行う研究はいつでもやめられるので、成功率は低くなるのは事実です。情報を交換し、どこまでわかったか交流しあい、そして次の目標を定める仲間がいること、そういうところから、次の新たな研究の芽が生まれてくるのです。
個別科学の目前の研究に集中する時間の確保だけでも大変な現役の科学者たちが、さらに広い視野を持ち、未来の科学について思いをはせるのは、今はなかなかできなくなってきました。定年になって初めて、わが研究を振り返る研究者も結構見聞きしてきました。
好奇心のあふれた人びとが集う場、次の科学がこうあってほしいと願う方々が直接語れる場、それはいわば、ルネッサンス期に発展したサロンに似ているかもしれません。ただ、単なるサロンではなく、新しい領域にも手を伸ばせる研究の場、実践の場、若手とシニア研究者が、市民とともに作る21世紀型の科学を創造する場にしたいと願っています。

基礎科学研究所を実際に活動を開始するのは、研究所の住所が公的なところに移る条件が整い、やるべき内容が具体的になり、研究所のセミナーや行事が具体的になってからです。
現在、どういう形の研究活動をどういうテーマで行うか、いろいろ案が出ています。今までの既成の研究システムとは違った、我々の目的にふさわしい具体的活動とスタイルを作っていきたいと 構想を練っているところです。
 みなさんの活発なご意見とご提案を期待しています。