2017年03月27日

原さんからのメッセージ(ブログ その18)

8月26~28日に行われる基研研究会の開催については、単に講演者のみならず、参加者との討論が大変重要になります。当法人でも、そのための書き込みのできる掲示板を準備中です。そのきっかけとして、早速原康夫さん(当法人会員でもあります)が次のようなご意見をお寄せくださいました。

「研究会の準備として、『科学と科学教育と科学史』という題の文章を作りました。特にポスターセッションを盛り上げたいので、JEINのホームページのどこかに掲示してくださいませんか。意見を聞かせてもらえると嬉しいのですが。お願いします」

と添えられていました。そこで、とりあえず、私のブログの中で紹介させていただきます。近いうちに、掲示板がお目見えするので、活発な意見を寄せていただくことを期待しております。

※ 下記「原さんからのメッセージ」スライドタブをクリックすると、メッセージを読むことができます。

科学と科学教育と科学史

原 康 夫

1.はじめに

科学は研究者がつくった文化遺産であり、現在も発展し続けている人類共有の文化遺産である。
ところで、科学教育では、対象に応じた科学教育の標準モデルが作られ、教科書、参考書が執筆され、授業が行われている。そこで、まず、科学教育の標準モデルについてコメントする。
科学教育の標準モデルの作成にあたっては、科学そのものとその応用に関する知識ばかりでなく、教育対象と教育方法に関する知識が必要である。この知識は教育の実際的研究から得られるが、科学教育に関するどのような法則が発見されているのかについて私見を述べる。
文化遺産である科学は科学者によって作られたので,科学者の名前のまったく出てこない教科書や授業は考えられない。しかし、科学の標準モデルの授業は、紆余曲折が多かった科学史の授業ではない。標準モデルにおける歴史的事実の位置づけを、物理学の場合について議論する。 

2.科学教育のいろいろな標準モデル

科学教育にはいろいろな標準モデルがある。いくつかの例を挙げよう。
ファインマン物理学は、大学初年級の物理教育の1つの標準モデルとしてつくられたが、現在では適切な対象は物理教師だとされている。
教科書が日本語に翻訳されている英国のAdvancing Physicsは、高校レベルの物理教育の標準モデルの1つとしてつくられた。物理の魅力と有効性を伝えようとしていろいろな工夫と新しい内容が盛り込まれているが、疑問の箇所もある。ホイヘンスの原理に従う波の伝わり方を学んだ直後なのに、「光や電子は空間を波として伝わる」と書かずに、「光子は量子的振る舞いをする。その根本的ルールは、すべての経路を試みるである。量子的振る舞いでは、すべての可能な経路からの位相子が結合される」とファインマンの経路積分の考えで説明しようとしている箇所である。物理教育の複数の標準モデルから選択できることの重要性を感じる。
日本の中等教育では、科学教育の唯一の標準モデルが、政府によって定められた学習指導要領および検定済教科書である。これは不自然で望ましくない状況だと私は考える。
国際バカロレアには、学習指導要領に似たものとしてシラバスがあるが、これはバカロレアの試験範囲を指定したもので、日本の学習指導要領とは似て非なるものである。学習指導要領が入学試験の出題範囲を示すものであれば、高度の内容の制限条項の存在は合理的である。
教育用の標準モデルには限界がある。昔、宮島龍興博士は、「高校物理の内容がチャンと分かれば、大学の物理学科卒業レベルだ」と言われたが、物理教育の標準モデルは物理学そのものではないので、チャンと理解できないのが当然であることを指摘した言葉である。
科学教育あるいは理科教育というが、その実情は、物理教育、化学教育、生物教育が無関係に存在しているように思われる。化学の教科書にCl-が塩化物イオンと書いてあるのを見ると、加速器で加速されるCl-を原子核物理の研究者は塩素イオンと呼ぶのではないかと思う。

3.科学教育の実際的研究で得られた法則

科学教育の標準モデルの作成と有効な活用には、実践に基づく実際的研究が必要である。その理由は、I teach physics. But, I don’t teach students. にならないためである。日本の大学では、教育に関するどのような法則が発見されているのだろうか。若干の例を紹介する。
先ず、北海道大学の鈴木久雄博士が提唱している「鈴木の法則」がある。授業中に多肢選択式クイズを出して学生にクリッカーを使って答えさせ、その場で学生の理解度を知ろうとする場合、教師は学生に対して みのもんた のように振る舞えば効果的であるというのが鈴木の法則である。この法則の有効性は、日本におけるクリッカー教育の実践者にはよく知られている。
私が気づいたのは、普遍性の存在、とくに論理的推論が不得意だということに関する、国内的普遍性と国際的普遍性である。
西村和雄博士と戸瀬信之博士が中心になって、1998年に複数の大学で実施した数学の基本的知識を問うテストの結果が,『分数ができない大学生』に報告されている,25のテスト問題の中で正解率がもっとも低かった問題は,

ア.y ≦ 3x-2 と x ≧ 0  を満たす(x,y)の範囲を図示せよ.
イ.点A(5,-2)と点B(3,6)を結ぶ線分ABを2対1に内分する点の座標を求めよ.

の2つであった.この2問はテストが実施されたどの大学でも正解率がもっとも低かった。当時、私が勤務していた大学で行ったテストでも正解率が最も低い問題であった。もちろん正解率そのものは大学によって異なった。このuniversalityは1大学の調査結果が他大学に利用可能であることを意味する。
このuniversalityの基礎には、グラフの利用には論理的推論能力を必要とすることがあると考えられる。これは日本国内での比較であったが、米国での研究結果と比較してuniversalityの存在を容易に確かめられる問題がある。例えば、「光源に正対している紙面を、光源から2倍の距離に遠ざけると紙面の明るさはどうなるか」と質問すると、米国のある州立大学の学生の約半分は「2分の1」と答えたという。日本の大学生の小さなサンプルを対象にした私の調査でも同じ結果が得られた。これは次元という概念は理解しにくいことを意味している。
Universalityといっても、学生の平均に対する普遍性である。次元が分からない人がいることが理解できない学生もいれば、次元についてくり返し教えないと理解できない学生もいる。私は、教育における最も重要な法則は、Nothing is good for everybodyだと考えている。H教授は高校教師時代に、7割の生徒が理解することを目指して授業したそうである。皆さんはどうお考えですか。
大学における科学教育の改善には実際的研究が不可欠で、そのためには教師集団による教育体制が必要だと考える。また、教師は、いくら練習してもほとんど上達しない趣味をもって、人間はあらゆる面で同じ能力をもつという偏見に基づく教育原理を打破する必要があると思う。

4.科学教育の標準モデルと科学史

科学教育の標準モデルにおける文化遺産としての科学史の取り扱いに関しては、東京教育大学(現在の筑波大学)の理論物理学研究室で朝永振一郎博士から伺った次の2つの言葉がヒントになる。

    1. 「自然法則は導くものではなく、発見するものだ。発見者の発見法にこだわらず、自分に適した発見法で理解すればよい。原クン、白い猫でも黒い猫でもネズミを捕る猫が良い猫なのだ(当時中国で改革・開放路線を進めていた鄧小平の言葉)というだろう」(ファインマンとゲルマンのconserved current theoryの論文紹介で、この論文でのディラック方程式の導き方は、ディラックの導き方とは違うという説明に対して)。
    2. 「原クン、歴史学者の書いた本を読むより司馬遼太郎の歴史小説を読む方が歴史の真実が分かった気になるだろう」(トモナガの量子力学Ⅰで紹介されている量子論の歴史が事実と異なるという書評をどう考えるかという私の質問への答)。

いくつかの例を挙げよう。
高校物理の力学では、運動の3法則と万有引力の法則の発明者としてのニュートンの名前が出てくるが、ニュートン以降の人名は出てこない。ニュートンは、運動の法則とケプラーの法則から万有引力の法則を導いたが、運動の法則と万有引力の法則からケプラーの法則を導いてはいない。
大学の基礎物理の教科書には、カルノーの原理が出てくる。カルノーは熱素説に基づいてカルノーの原理を証明したそうであるが、熱素は現在の標準モデルに含まれていないので、教科書では、エネルギー保存則に基づいて導く。つまり、実際とは少し違うのだが、熱素をわざわざ持ち出さないことが教育的だと考えられている。
アインシュタインは、特殊相対論を発見したときに、マイケルソン-モーリーの論文は知らないと発言したことがあるが、標準モデルでは、マイケルソン-モーリーの実験を説明して、特殊相対論を説明する。
標準モデルの教科書ではないが、悪い実例が、今春発売された、「ニュートン別冊『みるみる理解できる量子論』改訂版」(2009年4月、ニュートンプレス)である。38頁に「1900年にプランクは高温の溶鉱炉から出てくる光の色(波長)と炉の温度の関係の実験結果とよく一致する公式を発見しました。プランクはこの公式がもつ深い意味を突き止めようとしました。」という文章の後に「数週間後、プランクは公式を説明するには,振動数νの光を放出する原子や分子の振動のエネルギーは必ずエネルギーの最小単位hνの整数倍にならなければならないことを発見しました」という趣旨の文章が書いてある。これが悪い実例である。この文章は、物理教育の標準モデルでは「数週間後、プランクは空洞(炉)の中の振動数νの光(電磁波)のエネルギーは最小単位hνの整数倍にならなければならないことを発見しました」と書き改められるべきである。
ニュートンの文章を読めば、読者は「プランクは空洞を囲む高温の壁を構成している振動数νの光を放出する原子、分子の振動のエネルギーは必ずエネルギーの最小単位hνの整数倍になる」と理解するので、監修者の和田純夫さんに、文章を書き改めるよう勧め、何十通ものメールの交換を行ったが、和田さんは、プランクの講演の記録を読むと、「振動数νの光(電磁波)」ではなく「振動数νの共鳴子(resonator)と書いてあるので、それを原子や分子と訳したのだと主張し、「共鳴子」を「原子、分子」と訳したことは自分の科学史上の発見だと考えると主張し続けたので、合意の上メールの交換を打ち切った。
私は複数の科学教育用の標準モデルの重要性を指摘したが、物理教育の和田モデルのようなモデルのあることを指摘して、終わることにする。

ポスターセッションで活発に意見を交換できることを期待している。

※ 原さんのメッセージご意見がございましたら、下記コメント欄にご記入ください。