2017年06月25日

小林マコちゃんの思い出(ブログ その2)

小林誠先生ノーベル賞受賞祝賀会が来る12月20日に東京で開かれます。主催は、マコちゃんが理事をしている日本学術振興会 理事長と、名誉教授である高エネルギー加速器研究機構長らの発起人で作られた祝賀会実行委員会です。

知らない人と話をしていてノーベル賞の話題になると、マコちゃんのことは「ああ、あのおとなしい方の・・」といわれます。うーん、そうじゃないけどな。なかなかいうときはいうんだけどな、と私は思うのですが、益川さんのキャラクターが目だって、そう見えるのかも知れません。

今まで、いろいろなところにお二人の逸話は書いたのですが、ここでどこにも書いてないことを一言、欠席の返事に書きました。

*** 欠席の返事に添えた一言(ちょっと修正しましたが)****

祝賀会に出席できなくてすみません。残念です。それで一言・・・

マコちゃんとは、京大助手時代、ご一緒させていただきました。そのころ、京大の院生は、理論的な勉強は良くやっていたのですが、肝心の素粒子の現象論的な性質をあまり知らず、その中の1人、D3になったH君が、東大の助手候補者として残り、面接に出かけたことがありました。そのとき、東大には、山口義夫教授(口の達者な人でしたので、私達はYYさんと呼んでいました)が、「パイ中間子の寿命は?」とか、いろいろつっこまれて答えられなかった、とショックを受けて帰ってきました。YYさんは、「素粒子論をやっているのにこんなこと知らないのか」といわれたそうです。あ、断っておきますが、それでも非常に切れる人で創造性もあった人なので、もちろん採用されたんですけどね! 

で、その後、マコちゃんは、若手に特別レクチャーと称して、「素粒子現象総復習」を始めました。もちろん、若い人が、物知りのマコちゃんにお願いしてやってもらったのです。その頃の素粒子はまあ、100種類ぐらいあったでしょうかね。それを片っ端から取り上げて、質問攻めにしてしごいたわけです。1メートル以上あったかな、その物差しをもって、しごいている姿は、今でも思い出したらほのぼのしたものを感じます。素粒子の一覧表を見ながら、1つずつ、徹底的にしごいていったのです。当時の京大の湯川研の若手が、理論武装はもちろん、現象論も含めて、強くなったのには、こういう経緯がありました。

彼は、理論だけでなく、あらゆることをよく理解している秀才タイプでした。この話は、長いこと忘れていましたが、このたびのことで思い出しました。それでは、マコちゃんによろしくお伝えください。

坂東昌子

 <小林さんがしごいていた頃の写真>