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映画「ファイナル・アワーズ」

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私はコロナが猖獗を極めているときは外を出歩くことは最小になり、勉強以外はもっぱらアマゾンプライムで映画を見ている。たくさんの映画を見たが、面白いもの、興奮するもの、さまざまある。しかし感動するというか、心を動かされるものは少ない。今回紹介する映画「ファイナル・アワーズ」には久々、心を動かされた。もっとも人々の評価はまちまちで、全員が高い評価というわけではない。どこを見るかによって感想も異なるのだろう。

この映画はいわゆる終末ものと呼ばれるジャンルで、人類の最後を描いたものだ。このジャンルにはいろいろある。そのなかでも巨大な隕石、小惑星、彗星が地球に落下するというシチュエーションの映画としては、「アルマゲドン」とか「ディープ・インパクト」などが有名である。それらの映画はすごい特撮をして、有名な俳優を出演させて、ハラハラドキドキの映画である。そしてハリウッド映画の常として、最後にはハッピーエンドで終わる。

しかし今回紹介する「ファイナル・アワーズ」はオーストラリアの映画で、舞台もオーストラリアの西海岸にあるパースという地味な街だ。そして最後には人類全員が死ぬ。アメリカ映画的なハッピーエンドは用意されていない。俳優も特に有名人を起用しているわけではない。また大掛かりな装置もない。ストーリーも淡々と進行する。しかも極めて地味な低予算の映画だ。要するに地味な映画だ。

その映画のテーマは人類が後12時間で滅びるとしたら、人々はどうするか、あなたならどうするかである。主人公はジェームズという若いオーストラリア人の男性だ。彼は立派な男性というわけではなく、ヤクもやるし刺青もしているという、どちらかというと街のチンピラという感じの男だ。

冒頭シーンはジェームズと恋人のゾーイの激しいセックスシーンから始まる。とてもお子様とともに見る映画ではない。セックスの直後にジェームズはゾーイから妊娠していることを告げられる。しかし後12時間で世界が滅びるというのに、生まれてくる子供のことなど考えていられないとジェームズはいう。

ジェームズは死の恐怖を紛らわせるために、ゾーイを捨てて金持ちの友人の主催する乱痴気パーティに行くことを選ぶ。そこには友人の妹であり、ジェームズのもう一人の恋人であるヴィッキーがいる。二人の恋人の間を行き来するジェームズという男は、なんといい加減な奴かと見る人は呆れるであろう。

パーティへ行く途中の町の光景は殺伐としている。集まって祈るもの、車を燃やしている暴徒、無意味な殺人をしている男、自殺死体などが溢れている。

ジェームズは途中で男に襲われている少女を救う。ローズという小学生である。彼女は父親と離れ離れになってしまい、父親がいるはずの親類の家に連れて行ってほしいとジェームズに頼む。ジャームズはローズの処置に困って、姉に頼もうとして姉の家に行く。するとそこでは姉夫妻は自殺していて、子供達の墓もあった。

しかたなくジェームズはローズを連れてパーティに行く。そこでは男女が踊り狂い、セックスしまくっている。ジェームズは別の恋人のヴィッキーから兄が作った地下の退避壕を見せられる。ジェームズはそんなことをしても無駄だと、入ることを拒む。

ローズを遊ばせていたが、ある狂った女が、ローズが自分の娘だといいはる。そして無理やりローズにヤクを飲ます。体調の悪くなったローズを連れたジェームズは助けを求めて、仲違いしていた自分の母の元に行く。母は一人で気丈に、ジグソーパズルをしながら最後を迎えようとしていた。母の家でローズの看病をする。母はジェームズにガソリンを、ローズには服を与える。ジェームズはローズを連れてローズの父親の親類の家にたどり着く。しかしそこでは全員が自殺していたのだ。嘆き悲しむローズは父親のポケットに入っていた父と今は亡き母と自分の写真を見て、昔を懐かしむ。

エンディングが一番感動的だ。ジェームズはローズに、最初に捨てた恋人のゾーイの話をする。一緒に行くかと聞かれ、ローズは父親の亡骸とともに最後を迎えるという。最愛の人と最後を迎えるのだという。ジェームズに対して、まだ時間があるからゾーイのところに行けという。自分はジェームズの車が見えなくなるまで、見送るという。車の後を追いながら手を振り続けるローズ。このシーンが一番感動的だった。本当はジェームズにいて欲しいローズ。しかし最愛の人と最後を迎えるべきだというローズ。結局、多くの右往左往する大人たちの中で一番、まともでしっかりしていたのは少女のローズだったのだ。それとジェームズの母親もそうだが。

ジェームズは車を走らせるが途中でエンコしてしまう。最後は走りに走って、海岸にあるゾーイの家にたどり着く。海岸で迫り来る燃え盛る津波を見ているゾーイ。ジェームズは、ゾーイを捨てたことを詫びて、抱き合いながら最後を迎える。ゾーイは真っ赤な津波を見て綺麗だという。

結局、この映画を見て感じたことは、人間は生きる目的がないと、まともに生きられないということだ。少女のローズは離れ離れになった父親を探して一緒に死ぬという目的のために残り少ない人生を生きる。ジェームズはローズを父親のところに連れて行くという使命感のために生きる。ジェームズがローズの世話をしたのは、恋人が妊娠したことを告げられ、本来なら自分は父親になったはすだからだろう。だからローズを自分の娘と思って、愛したのではないか。ジェームズは最後には、捨てた恋人のゾーイに会いに行くという目的のために生きる。

それらの生きる目的を持てない人々は、狂乱したり、セックスをしたり、殺人をしたり、自殺したりする。どんな最後が迫ろうが、人間として毅然と終わりを迎えたいものだというのが、この映画のメッセージではないだろうか。

もう一つは、人間は社会的生物だから、他人との関わりがないと不幸だということだ。最後は愛する人、たとえば家族や恋人と過ごすべきだということだ。このメッセージも結構重い。現在でも孤独死する人は多い。それは一つの大きな不幸だ。

この映画を見ている私は、なんで映画の中の人々が自殺を選ぶのか不思議に感じた。どうせ死ぬのだから、自殺する必要もないのにと思う。もっと毅然と生きたら良いのにと思う。しかしそれは私が、映画の登場人物のように究極の状況にさらされていないから、そんなことが言えるのだ。

この映画を見終わって昔見た映画「渚にて」を思い出した。グレゴリー・ペック主演の映画で、舞台もやはりオーストラリアのメルボルンであった。米ソの核戦争が勃発して、世界は放射能雲に覆われて、人類は全滅する。その放射能雲は南半球にあるオーストラリアには最後に到着する。オーストラリアの人々は放射能で死ぬよりはと、政府の配る毒薬で自殺する。グレゴリー・ペックは米海軍の潜水艦の艦長で、彼の潜水艦以外の米国海軍は全滅したので、彼が海軍全体の指揮を任される。艦長は潜水艦を太平洋で自沈させることに決めて出航して行く。

私は神戸大学の教授時代に、学生たちにたいしてレポートの提出を求めた。テーマは、もし世界が明日に滅びるとしたら、あなたはどうしますかというものだ。まさに「ファイナル・アワーズ」のテーマであった。その答えは色々あった。レストランで美味しいものを食べまくるというのがあった。しかし明日世界が滅びるという時に、レストランは開いていないであろう。従業員もオーナーも店を開く目的がないからだ。友人に会いに行くという回答もあった。六甲山に登り、世界の最後を眺めるという回答もあった。家族に会いに行くという答えはなかった。

ところで世界を滅ぼすような隕石、小惑星、彗星の衝突はあるのだろうか。可能性はあり、よく研究されている。最近の例では100年以上前の1908年にロシアのシベリアに落ちたツングースカ隕石がある。ツングースカ隕石の正体は多分、隕石ではなく彗星であろうといわれている。天体の大きさは60-100メートルで、爆発規模は5メガトンの水爆に匹敵する。シベリアの奥地に落ちたので、人的被害は報告されていない。しかしこのクラスの彗星が東京とかニューヨークに落下すると、数百万の死者が出るであろう。しかし世界が滅びるほどのことはない。

地球の歴史を変えた衝突として6550万年前にメキシコのユカタン半島に落下したチクシェループ衝突体がある。これは直径が10-15キロメートルの小惑星で、この衝突エネルギーは広島原爆の10億倍であり、恐竜絶滅の原因となった。当然、今落ちたら人類も滅亡するだろう。

現在ではNASAや世界の天文台が、地球に衝突する可能性のある天体を徹底的に調べている。現在わかっていることは、当面は人類を滅亡させるほどの規模を持つ小惑星衝突はないだろうということだ。小さいものは十分あり得る。

映画「ファイナル・アワーズ」を紹介した。巨大隕石が落下して、後12時間で世界が滅びるとしたら、あなたはどうしますかというテーマだ。やはり人間は、何らかの目的を持っていないと、最後には取り乱すということだ。そして最後は愛する家族や恋人と過ごすのが良いだろうというのが結論だ。

   
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