英国の新型コロナ対策の基礎
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- 2020年4月07日(火曜)21:29に公開
- 作者: 松田卓也
英国の新型コロナ対策は、実はある一編の論文によっている。それはインペリアル・カレッジ・ロンドンのファーガソン教授たちにより3月16日に発表された論文である。その論文は今回の新型コロナウイルスによる病気、英語ではCOVID-19と呼ぶのだが、その対策を論じたものだ。そこでの対策はワクチンや薬の開発ではなく、社会的、政治的な措置であり、それでどれだけ死者を減らせるかをコンピュータ・シミュレーションで試算したものだ。
まず今回の新型コロナ感染症は1918-19年に世界中で流行したスペイン風邪に匹敵するものだと想定する。スペイン風邪に関しては別に触れたいが、世界中で5000万人から1億人が亡くなったと言われている。日本でも30万人から40万人が亡くなった。当時の人口と現在の人口を比較すると、現在の日本なら60-80万人に匹敵する。
さて新型コロナに関して何の対策も施さないとすれば、ファーガソン教授たちの計算では、英国での死者数は51万人、米国では220万人となる。もちろん何の対策も施さないわけではない。すでに各国とも何らかの対策を講じている。ファーガソン教授の論文は、さまざまな対策の組み合わせでどれくらい死者数を減らせるかを試算したものだ。
この病気には根本的な治療法は現在のところ存在しない。新型コロナウイルス は人類にとって全く新しいものだから、だれも完璧な免疫を持っていない。個人にそなわった自然免疫で、病気から回復するしかない。この病気で分かっていることは、子どもを含む若い人は免疫力が強く、たとえ感染したとしても、たちの悪い風邪程度で、やがて治ってしまう場合が多い。また治った後は、その人は獲得免疫を持つ。
そこで国民の大多数をわざと病気にかからせて、それで治癒させて免疫を獲得させようという考えを集団免疫という。英語ではハード・イミュニティ(Herd Immunity)という。多くの人が免疫を獲得すれば、他の獲得免疫を持たない人もそれに守られて、病気の爆発的感染が抑えられる。ワクチン、予防説種はこの理論に基づいている。
集団免疫を獲得するには、どのくらいの割合の国民が感染すれば良いのだろうか。だいたい80%だと言われている。英国の人口は6600万人だから、その8割はざっと言って5000万人くらいだ。新型コロナの致死率は1%だと仮定すれば、死者は50万人になる。先に述べたファーガソン教授のシミュレーション結果は、そう解釈できる。
致死率が1%ということは、逆から見れば99%の人は感染しても生き残るというわけで、国が滅びるわけではない。日本で言えば人口の8割は大体1億人だから、死者数は100万人ということになる。しかしこの死者数は政治的、社会的には許容できないことは容易に理解できるだろう。実際、スペイン風邪の時は、日本は大混乱に陥った。あまりの死者数の多さに火葬も土葬も間に合わず、死体が1週間も放置されたり、地方に輸送されたりした。また火葬場や墓場の人が感染して亡くなって大騒動であった。だからそのような事態はどうしても避けたい。
新型コロナは子供や若者は、感染してもあまり死なないと述べた。しかし70歳以上の老人や基礎疾患を抱えた人は自然免疫が弱く致死率が高い。ここでいう基礎疾患とは心臓病、糖尿病、喘息のような呼吸器疾患、がん患者などである。だから死者数を最小化しようとすれば、どのようにして老人と基礎疾患を抱えた人を死なさないかということになる。
この病気で死ぬケースは肺炎になる場合だ。肺がウイルスに侵されて呼吸が困難になる。そのような重篤な患者を救うには人工呼吸器が必要である。だから人工呼吸器の台数が生死を決めるのである。ところが人工呼吸器の台数は非常に少ないのだ。そこで対策の要点は、ある時点での重症者の数を人工呼吸器の台数以下に抑えることだ。それを超えると医療崩壊を起こす。実際、中国の武漢、韓国の大邱、イタリア北部で経験したことだ。
それではどのような対策があるか。
1 個人隔離: もし個人が新型コロナに感染したと分かったら、7日間自宅にこもって療養する。
2 家庭隔離: もし家族の誰かが感染したと分かったら、家族全員が14日間自宅にこもって療養する。
3 老人隔離: 70歳以上の老人は自主的に4ヶ月間自宅にこもって外に出ない。
4 社会隔離: 社会的距離(Social distancing)といい生活に必要な食料品店、薬局など最小限の店以外は全て閉鎖する。レストラン、パブ、映画館、劇場などすべて閉鎖する。仕事に行けるのは医療関係者、警官その他、社会インフラの維持に必要なものに限る。
5 小中高の全面閉鎖と大学の一部閉鎖
ファーガソン教授の論文では、対策の目標を二つに分けている。緩和(Mitigation)と抑圧(Suppression)である。
A) 緩和: 社会隔離のような劇的な対策は社会的、経済的コストが高いので、それを避けて、残りの対策を組み合わせて、死者数を減らす。緩和策では基本再生産数R、つまり一人の人が平均何人に感染させるかという数字を下げて1近くに持っていく。
B) 抑圧: これは社会隔離を含む徹底的な方策を講じて、基本再生産数を1以下に抑え込んで、感染を収束させる。
シミュレーションの結果ではAの緩和策では、死者数はよくて25万人にまでしか下げることはできない。このシナリオでは4月から対策を講じても、5月から事態は悪化して、6月には最悪になり、やがて25万人の死者を残して8月には収束する。
それでは抑圧策はどうか。このシナリオでは社会隔離を含むさまざまな方策を4月20日から9月20日まで行うとすると、その間は医療崩壊を抑えられる。しかし9月に対策をやめると、まだ十分な集団免疫がついていないので、10月から再発して、やはり大量の死者を残して来年1月に収束する。
それではどうすれば良いのか。医療崩壊を起こしそうになったら厳しい対策を施し、それが過ぎたら解除し、また感染が始まると対策を講じるといった間欠的な方策をワクチンができるまで1年半の間続ける。
中国は新型コロナの制圧に成功したとみなして、抑圧策を緩め始めた。しかし武漢ですら集団免疫は獲得されていない。やがてまた再発するであろう。今後の展開が注目される。
英国では最適な手法を取った場合の死者数は、1万人から5万人に抑えることができる。これが現状の最適解である。ただしそれに伴う社会的、経済的コストは膨大なものになるであろう。
<まとめ>
インペリアル・カレッジ・ロンドンのファーガソン教授のグループは新型コロナをワクチンや薬以外の社会的、政治的手段で抑え込めるかをシミュレーションした。その結果、何も対策を講じなければ死者数は英国の場合51万人、中途半端な緩和策を講じた場合は、死者数は25万人、徹底的な抑圧策をこうじた場合は1-5万人である。英国政府の対策はこのシミュレーションを元に構築されている。
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上で引用した論文は以下のとおりである。図はその論文から借用した。
Impact of non-pharmaceutical interventions (NPIs) to reduce COVID19 mortality and healthcare demand
図1 新型コロナ(Covid-19)に対して何の対策も講じなかった場合の、英国(GB)と米国(US)の死者数の時間的推移の数値シミュレーション結果
横軸は時間で3月20日から10月20日までを示す。縦軸は人口10万人当たり、一日の死者数である。0人から25人まで示してある。この期間の総死者数は英国で51万人、米国で220万人と推定される。死者数のピークは6月中旬である。
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図2 緩和策を講じた場合の、英国におけるICU(集中治療室)ベッドの人口10万人当たりの必要数
下の水平な赤線はICUベッド数である。曲線がこの赤線より上に出た場合、患者はICUに入ることができずに、たぶん死亡する。いろんな曲線は様々な場合の必要ICUベッド数の時間的推移である。黒: 何の対策も講じなかった場合、緑: 学校閉鎖のみ、橙: 個人隔離のみ、黄色: 個人隔離と家庭隔離、青: 個人隔離、家庭隔離、老人隔離
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図3 抑圧策における英国の人口10万人当たりの必要ICUベッド数の時間的推移
(A) 赤の水平線はICUベッド数。黒: 何の対策も講じなかった場合、橙色: 個人隔離、家庭隔離、社会隔離、緑: 学校閉鎖、個人隔離、家庭隔離、社会隔離
(B) Aの拡大図
学校閉鎖をしない場合は、4-9月の対策実施期に患者数はICUベッド数を超える。つまり学校閉鎖は必須である。しかしいずれの場合も、11-12月には再発する。
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図4 動的抑圧策
様々な対策を動的に適応する場合。ただし個人隔離、家庭隔離はつねに適用する。社会隔離、学校閉鎖のみを動的に適用する。その開始は週にICUベッド数が100必要になった場合で、それが50に減ったら解除する。青線は抑圧策を講じる期間である。橙色は必要なICUベッド数。基本再生産数R0は2.2とする。
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表1 さまざまな方策による英国の総死者数予測
R0は差本再生産数、On Trigger: 動的抑圧策を始めるきっかけとなるICUベッド必要数、CI: 個人隔離、HQ: 家庭隔離、SD: 社会隔離、PC: 学校閉鎖。すべての方策を講じた場合が右端の列である。R0が2.4の場合を見ると、何も対策を講じない場合の英国の総死者数は51万人である。あらゆる対策を講じた場合の死者数はOn Trigger数により異なり、8700人から39000人の間である。
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