中国ではなぜ産業革命がおきなかったのか? 科挙の弊害
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- 作成日 2019年10月16日(水曜)19:03
- 作者: 松田卓也
今回は中国の科挙の話をしたい。科挙とは隋の時代に始まり、20世紀初頭になり廃止された中国の国家公務員試験だ。1300年間も続いたのである。科挙の存在が中国で産業革命が起きなかった理由ではないかというのが私の仮説だ。
以前にお話ししたことは、現在の世界覇権は基本的に白人が握っていることと、その理由に関してジャレド・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」の話をした。さらに中国は歴史的に見て超大国、超先進国であったことを述べた。白人が世界を席巻しはじめたのは15世紀に始まる大航海時代であり、スペイン、ポルトガル、その跡を継いでオランダ、イギリスをはじめとする白人が世界を制覇した。その成功の原因はヨーロッパ人の獰猛さにあるという私の意見を述べた。それに比べたら中国人はおとなしいものである。いわば欧米人は肉食獣で中国人は草食獣である。アジア人の中でも蒙古人を代表とする騎馬民族は獰猛な肉食獣だ。
中国が世界覇権闘争で決定的な遅れをとったのは、たかだかここ150年のことに過ぎず、その原因は中国で産業革命が起きなかったこと、あるいはヨーロッパで起きた産業革命を、日本のようにうまく取り入れ損なったことである。日本は明治維新で産業革命をうまく取り入れて、富国強兵を行い帝国主義勢力となり中国に進出した。
そこで問題は中国でなぜ産業革命が起きなかったかである。産業革命の根源は科学技術であるので、西欧でガリレオやニュートンが活躍した17世紀におきた科学革命が重要である。それは日本では江戸時代であり、中国では明、清の時代である。中国でなぜ科学革命や産業革命が起きなかったか?
これに関しての私の仮説は、中国文明は基本的に文科系の文明であり理科系の文明ではなかったことにあるとおもう。中国では四書五経に代表される文科系の学問が尊重され、科学技術や科学者に敬意が払われなかったことにあると思う。実は宋の時代以降は(官僚でない)芸術家も尊重されていない。中国で最も権威があるのは科挙(かきょ)に通った文科系の官僚である。
科挙とは6世紀の隋の時代に始まる官吏登用試験である。6世紀とは日本で言えば聖徳太子の時代、つまり奈良時代の前の飛鳥時代である。科挙は隋に始まり、その後を継ぐ唐でも採用され、宋の時代に一般的になった。その後一貫して中国の王朝で官吏の登用試験として採用されてきた。廃止されたのは20世紀の初めの1905年、清の末期である。
科挙は現代の日本で例えれば上級国家公務員試験、正式には国家公務員一種(総合職)試験であろう。日本の上級国家公務員試験はたしかに難関ではあるが、私の学生でも何人も合格しているし、また成績が悪くても必死で1000時間も勉強したら突破したというような話もネットにはある。つまりやればできるのだ。でも科挙はそうではない。一生かけて挑戦するような試験なのである。
なぜ隋の時代に科挙が始まったか。統一国家を作ると、それを統治する官僚が必要になる。その官僚を支配階級である貴族の身内とか親戚から採用するのが従来のやり方であったが、それでは優れた人間を登用できない。門地門閥に関係なく人材を登用しようというのが、試験制度である。またそれまでは官僚には軍人上がりが多く、それによる弊害があった。そこでいわゆるシビリアン・コントロール、つまり官僚が軍人を統制する必要に迫られて作ったのが科挙の制度である。
科挙の実態についてお話ししたい。科挙の競争率は最盛期には3000倍にも達し、最終合格する平均年齢は36歳程度であり、なかには70歳を過ぎて合格したものもいる。なぜそこまでして科挙を受験するのか。それは中国では官僚になると儲かるからである。地方に派遣された官僚は許認可権を握り、賄賂をとったりして財をなすのである。つまり科挙に合格することは金持ちになる道なのだ。これは現代の共産党政権でも同様である。習近平国家主席は腐敗撲滅運動を進めているが中国の官僚腐敗の歴史を簡単に覆せるものではない。
科挙に合格するとそれほど美味しいものだから、カンニングしようとするものも出てくる。科挙の試験の内容は基本的には四書五経の古典の丸暗記である。だから手のひらに収まるような小さな本を作り、そこに書き込んだり、あるいは衣服にびっしりと書き込んだりしたものが残っている。カンニングが発覚すると、重い場合は死刑になる。明の初代皇帝の朱元璋などは、カンニングしたものの皮を剥ぐなどの刑罰を課したが、それでも根絶はできていない。現代の中国皇帝ともいうべき習近平国家主席が簡単に役人の腐敗を根絶できるとは思えない。
科挙のメリットとしては、人材の登用を貴族階級に限ることなく、能力さえあれば庶民すら公務員になることができたという面はある。しかし実際は試験に通るためには、現代の言葉で言えば、仕事をせずに勉強する経済的余裕、家庭教師を雇ったり予備校に通ったりする経済的余裕が必要なので、やはり金持ち階級に限定されていた。
科挙のデメリットは、試験内容が極言すれば四書五経の暗記であり、詩文の理解や作成であり、つまり文科的教養に限定されていた。つまり実用的でないのである。だから科挙に通った役人は、たしかに教養はあるが実務能力は乏しいのである。また科学技術的な知識を軽視して、文科的な知識を重視するので、科学技術が振興されない。だから中国では科学革命も産業革命も起きなかったのだろう。
まとめ
中国は隋の時代から公務員登用試験として科挙の制度が採用されてきた。それは能力主義であり、それはそれで歴史的には意味のある制度であった。しかし弊害として、科挙の内容は四書五経の暗記のような文科的教養に限定されていて、科学技術をはじめとする実用的な知識ではなかった。それが中国で科学革命、産業革命が起きなかった理由であろう。習近平国家主席はそのことを熟知していて、現代の中国では科学技術の振興に力を入れている。それはこの100年間、西欧列強と日本に蹂躙された国家的恥辱、つまり百年国恥を晴らして、西欧と日本に仕返しをするためである。日本の指導層も国民もそのことをしっかり意識しないと、中国にしてやられるのである。