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中国は世界の超大国であった 鄭和提督の大航海

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先になぜ現代の世界がヨーロッパ人を主体とする白人が支配しているかについてユニークな説を提案したジャレド・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」という本を紹介した。その理由を簡単にまとめると、ユーラシア大陸は南北アメリカ大陸、アフリカ大陸、オーストラリア大陸に比べて、地理的に有利であったということだ。その主な理由として三つ挙げられている。一つは、ユーラシア大陸は農業で栽培するための穀物に適した植物の候補が多かったこと。二つ目には家畜にできる大型の哺乳類の候補が多かったこと。第3にはユーラシア大陸は東西に長く、移動が容易であり、文明の伝播が容易であったことだ。

ところがこれだけでは、なぜヨーロッパ人が中国人より有利であったかを説明できない。中国人もユーラシア大陸の東の端に住んでいるのだ。ジャレド・ダイアモンドはその理由として地形を上げている。ヨーロッパの海岸はリアス式の凸凹であるのに対して、中国は平坦だ。またヨーロッパは小国に分裂していたが、中国は統一王朝であった。そのためヨーロッパ人は海外に進出しやすいが、中国は内向きになるという。私にはその説明は説得的でないと思う。

ジャレド・ダイアモンドなどの欧米の思想家は基本的に西欧中心的世界観を持っている。彼はヨーロッパ人がたとえば黒人らに対して遺伝的に優れているわけではない、環境のせいだと主張することで、リベラルな考えを示しているように見える。しかし、やはりどうしても西欧中心的な視点は免れられない。我々が高校で習う世界史は基本的にはヨーロッパ中心である。日本の世界史では中国の歴史もかなり学ぶが、西欧の高校では多分それはないであろう。だから西欧中心的世界観が生まれるのも仕方ないであろう。

私は中国がヨーロッパに遅れをとったのは、ここ150年程度のことで、それまでは世界一の先進国、超大国であったという話をしたい。

私がこの問題に興味を持ったのはあるグラフを見たからだ。そのグラフはこの2000年に渡る、世界のGDPの各国のシェアーの変化を図示したグラフである。一口では簡単に説明できないが、西暦1年、1000年、1700年とあり、それ以降は詳しく時間的変化を図示している。そこで主要国として中国、インド、ヨーロッパ、アメリカを例に取ろう。

まず紀元1年ではインドが最大で次が中国であるが、この両者を合わせて世界のGDPの8割程度を占めている。それは1000年の頃も変わらない。大航海時代が始まる1500年頃からヨーロッパのシェアーは少しずつ増えていく。1850年頃からインドと中国は急速にシェアーを失い、20世紀の初めにはインドと中国は全体の2割くらいにまで減少して、欧米が7割くらいにまで増加する。

第二次大戦後の1940-1980年頃まではインドと中国を合わせても全体の1割くらいだ。しかし2000年以降、インドと中国のシェアーは急速に増大して現在では全体の4割くらいになっている。米国のシェアーは1900年頃から増加して1950年には最大の4割くらいに達して、それ以降は漸減している。

要するにまとめて言えば、紀元後のほとんどの期間はインドと中国が世界最大の経済大国であったのだ。それが欧米に抜かれたのは、ここ150年程度のことでしかない。つまり白人が世界を支配していると言っても、ここ150年ほどのことなのだ。

ではこの150年間に何が起きたのか? それは産業革命である。

産業革命以前の中国は世界一の超大国で先進国であったという話を続けよう。その一番象徴的な話が明の時代の鄭和提督(ていわていとく)の航海である。明の第3代皇帝であった永楽帝は宦官の鄭和に命じて現在のベトナム、インドネシア、スリランカ、アラビア、さらにはアフリカにまで7回にわたり大艦隊を派遣した。その目的は朝貢を促すためである。

第1回目は1405年だ。日本では室町時代に相当する。コロンブスがいわゆるアメリカを「発見」したのは1492年だから、鄭和提督の航海はそのほぼ100年前だ。さらに鄭和提督は8000トンクラスの船62隻に28000人の船員、兵員を乗せていた。それに対してコロンブスの艦隊は三隻で乗員は90名である。またサンタ・マリア号は185トンだから比較にならない。当時の中国の造船技術、航海技術はヨーロッパを圧倒していた。鄭和提督の航海で有名なのは、アフリカからキリンを連れてきたことであろう。

鄭和提督をはじめとする中国人と、コロンブスやピサロ、コルテスを筆頭とするスペインやポルトガルの人々の差は、中国人の穏健さとヨーロッパ人の獰猛さであると私は思う。このことは欧米の学者は絶対に言わないし、現代の中国をめぐ欧米や日本のニュースを見ると意外だけれども、私にはそれを強く感じる。

鄭和提督の航海の目的は、相手の国を征服することではなく、朝貢を促すこと、つまり挨拶に来いと言うことだ。これが中国の基本的な朝貢外交である。そして朝貢して中国の皇帝に貢物を贈ると、その数倍のお返しがもらえるのだ。だから朝貢に応じることは美味しいのだ。実際、日本の足利将軍も明に朝貢して日本国王の称号をもらっている。その儲けで作ったのが金閣寺であるという。鄭和提督は、相手先の国王に頼まれない限り、兵士を出していない。

一方、ピサロやコルテスはアメリカで原住民を殺しまくった。白人は基本的に獰猛なのだと思う。その遺伝子は現在のアメリカ人にまで連綿と受け継がれている。

ちなみに鄭和提督の海外遠征は永楽帝の死後、やがて廃止された。それはひとつには財政難のためであった。航海すると損をするのである。一方ヨーロッパ人はアメリカで原住民を殺しまくり、財宝を盗みまくって大儲けをしたのである。スペイン国王もコルテスも莫大な財宝を手に入れた。要するに彼らは泥棒であり強盗なのだ。

現在の米中覇権闘争において例えばアメリカのペンス副大統領は、中国を、口を極めて批判しているが、歴史的な経緯を鑑みると、言葉半分に聞く必要がある。

もっとも私はだからと言って中国の肩を持つわけではない。なぜなら中国の支配層は、百年国恥といって欧米および日本から受けた仕打ちに仕返しをしようと固く心に決めているからである。日本はもはやアジアの国というよりは、半分は欧米の国である。欧米人はそうは思わないだろうが。

まとめ

中国とインドは歴史的に世界一の超大国であった。ヨーロッパが台頭したのはまずは大航海時代で、アメリカなどで原住民を殺しまくり、財宝を盗みまくった。一方中国は基本的にはランドパワーであり、鄭和提督の遠征の時以外は海外進出していない。また比較的穏健である。元は日本に侵攻したが、あれは獰猛な蒙古人だからである。中国が超大国からすべり落ちたのは、産業革命にのりそこなったからだ。一方、日本は150年前に産業革命に滑り込みセーフした。これが20世紀における中国と日本の運命の分かれ目であった。今後、シンギュラリティ革命が起きる。それに乗るかどうかで、21世紀の先進国になるかどうかが決まる。果たして日本の運命はいかに。

   
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