聖子ちゃんの冒険 その10
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- 2012年12月15日(土曜)04:40に公開
- 作者: 森法外
鷺森神社と曼殊院の冒険
またいつものように5人組が秘密研究所に集まった。松谷先生が口火を切った。
「ぼくは007の秘密基地が大好きだ。色々趣向が凝らされているが『ゴールデンアイ』の冒頭では、ダムの中にソ連の秘密の化学工場がある」
「あの映画ではその他にも、ソ連の衛星通信基地やキューバにあると思われる海底の秘密基地がありますね」と高山先生。
<ゴールデンアイ>
「どの秘密基地も楽しいが、ぼくは近くのダムの下に秘密基地を作りたいと思っている」
「この近くにダムがあるのですか? 」と聖子ちゃん。
「音羽川(おとわがわ)に大きな砂防ダムがある」と松谷先生。
「音羽川とは修学院(しゅうがくいん)離宮の南にある川ですね」と高山先生。
「そうだ、今日はそこに行ってみないか? 」と松谷先生。
「いいですね、今日は天気もいいしハイキングといきましょう」と高山先生。
「あの辺りには曼殊院(まんしゅいん)、鷺森神社(さぎのもりじんじゃ)、関西セミナーハウスなどいろいろ良いところがあるよ」と松谷先生。
鷺森神社とおみくじ
そこで一同は秘密研究所から歩いて元田中の駅まで行き、そこで叡電(えいでん)に乗って修学院で降りた。叡電は出町柳から鞍馬までと、宝ケ池で分岐して八瀬に行く線がある。非常にローカルな電車でほとんどの駅は無人で、電車もワンマンカーである。出町柳、元田中、茶山、一乗寺、修学院の順に駅がある。修学院の駅も無人駅である。ここには民主党の大物の前原誠司の事務所がある。
修学院駅からは歩いてまず鷺森神社に行くことにした。道は結構、細く入り組んでいるのでiPhone4Sのマップを頼りに歩いた。行き方はいろいろあるが、曼殊院道を通ると鷺ノ森神社の裏に着く。裏から鷺森神社に入るのはなかなか神秘的である。というのも結構ややこしい道を通って、いきなり鷺森神社の森の中に入り込むのである。この森は非常にうっそうとしている。大都会の中にこのような森があるのだろうかと思うような深い森である。一同は鷺森神社に参拝した。
林君がおみくじを見つけて引いてみた。
「あちゃー、凶が当たった」と嘆く林君。
「私のお友達にも地主神社(じしゅじんじゃ)で凶を引いた子がいます」と聖子ちゃん。
「地主神社とは清水の中にある縁結びの神さんだろう」と松谷先生。
「ええ、彼女は恋人が欲しくておみくじをひいたそうです。そうしたら第百番の凶で、待ち人来たらずだったそうです」
「地主神社のおみくじは大吉、吉、半吉、小吉、末吉、凶、大凶とたくさんある。だから凶と言うのは、相当悪いね」と松谷先生。
「それを聞いて一首浮かびました。「地主神社 百番の凶を 引き当てて 今年も私の 恋は実らず」」と高山先生。
「地主神社 彼氏が欲しくて みくじ引く 凶引き当てて 人生オワタ」と林君。
「恋占い 凶引き当てた 悔しさに 幸せ友を 縁切寺誘う」と森先生。
「ひどーい、みなさん何ですか。人の不幸を笑って。私なら
「地主神社 凶引き当てた 友人に 来年こそは 幸来れと願う」ですよ」と聖子ちゃん。
<地主神社>
「ははは、聖子ちゃんは優しいね」と松谷先生。
「大学を卒業して東京に行った姉が言っていました。聖子、男の人はね、聖人君子はほんの一握りよ、残りは腐れ外道かド阿呆、そうでなければ腐れ外道で、かつド阿呆ですって」
「ハハハ、君も言うねえ。それで僕たちはどの分類に入るのだい」と松谷先生。
「森先生はもちろん聖人君子ですよ、聖人君子すぎます。他の先生達はド阿呆のはずはありません」と聖子ちゃん。
「という事は僕たちは腐れ外道と言うことかね」と松谷先生。
「姉の言うことを信ずるとすれば、論理的にはそういうことになりますね。でも私は腐れ外道の意味がわかりませんけれど」と聖子ちゃん。
「外道の本来の意味は仏教用語で、仏教徒以外を指すのだ。しかしその後意味が転じて、とてもひどい奴のことを外道と言うようになった」と松谷先生。
「しかも漫画では、腐れ外道は自分の娘を喰ってしまったのです」と高山先生。
「ひえー、そんなつもりで言ったのではありません。知らなかったのです。皆さんごめんなさい」と聖子ちゃん。
「それにしても君のお姉さんは妹にそんなことを教えるなんて、よっぽど男性にひどい目にあわされたのだろうね」と松谷先生。
「姉の恋愛体験については、私は何も申せません」と聖子ちゃん。
松谷先生が話題を転じてまた狂歌を披露した。
「幸福の 総量一定 凶を引く 君がいるから 僕は幸せ」
「ひどーい、でも幸福の総量は一定なのですか?」と聖子ちゃん。
そこで数学者の森先生の出番となる。
「うん、それには幸福とは何かを定義しなければならない。さてここでは簡単の為に大吉、吉、凶、大凶があるとしよう。それぞれの幸福度を2,1,-1,-2の数値を割り当てよう。ここにあるおみくじ箱の中には一定数のおみくじが入っていて、それぞれが吉や凶であるので、それらの点を総和するとある数値が得られる。箱の中のおみくじと、既に引かれたおみくじの数値を加えると一定になる。この数値を幸福の総量と呼ぶことにしよう。だから林君が凶を引いたことは、おみくじ箱の中の凶の数が1枚減った訳だから、他の人が良いくじを引く確率を上げることになる訳だ。人助けな行為だ」と森先生。
「これを幸福量保存の法則と名付けよう」と松谷先生。
「幸福や恋も数値化するなんて、森先生はさすがに数学者ですね。完全に論理的ですね。そんな先生が好きです」と聖子ちゃん。
「その結論は非論理的だね」と混ぜ返す松谷先生。
「いいもーん」と聖子ちゃん。
「ところで幸福量をおみくじで量るのは、科学的ではありませんね」と高山先生。
「ははは、もちろんだよ」と森先生。
「それではそもそも幸福とは何ですか?」と聖子ちゃん。
「うん、それは難しい問題だ。最近、幸福に関する研究がたくさんある。古典的な理論はマズローの自己実現理論だ」と松谷先生。
「それは何ですか?」と聖子ちゃん。
「マズローとはアメリカの心理学者で、人間は自己実現に向かって絶えず成長する生き物だと考えるのだ。そして人間の欲求の5段階を定義する。それは1.生理的欲求、2.安全の欲求、3.社会的欲求・愛と所属の欲求、4.承認・尊重の欲求、5.自己実現の欲求、だ。生理的欲求は呼吸、睡眠、食事、排泄など、生物としての根源的な欲求だ。動物はこのレベルにとどまるが人間は次の段階に進む。安全欲求とは良い健康状態、経済的安定性、安全性などがある。この2段階が満たされると、次に人間は情緒的な人間関係を求める。家族、恋人、友人などとの良い関係を求めるのだ。多くの人間が不適応や鬱状態になるのは、この欲求が満たされない場合だ。次は他者からの注目、尊敬、名声、権力などを求める欲求だ。最後は自己の可能性を最大限に発揮したいという欲求だ」と松谷先生。
「それはなかなか分かりやすいですね。でも定性的で、数値化は難しいですね」と森先生。
「先生方は偉い学者ですから、最終段階の自己実現欲求まで満たされているのではありませんか」と聖子ちゃん。
「でも森先生と聖子ちゃんは恋人同士だから3段階まではOKだが、高山先生と林君は恋人がいないようだし、親和欲求がどうなのかなあ?」と松谷先生は言いにくいことをはっきり言う。
「いや、林君には詩織さんがいるからいいんじゃない?」と森先生。
「えっ、林さんに恋人がいるのですか?詩織さんと言うのですか?ぜひ紹介してくださいよ。どんな子かなあ、会いたいわ」と聖子ちゃん。
「いや、それは・・・」と林君。
実は詩織さんは人間ではなくて、人間そっくりなリアルドールなのである。聖子ちゃん以外の4人は、以前は高山先生の住む待機宿舎や林君の住む銀月アパートメントで、このようなダベリング会を開いていたから知っているのだが、聖子ちゃんだけは知らない。
「詩織ちゃんはいつ見ても本を読んでいるね」と高山先生。
「それもCUDAとかHaskelとか、コンピュータ言語の本ばかりだね」と森先生。
「へえー、詩織さんてそんな難しい本を読むのですか。尊敬しちゃうなあ」と無邪気な聖子ちゃん。
現実は林君が読みかけの本を、詩織さんの手に持たせているだけにすぎないのだ。
「ところで数値化できる幸せの指標はありませんか?」と森先生。
「幸福度は客観的な指標というよりは、各人の主観的な指標だ。だから当人に幸せかどうかを聞いてみるといいのだ。例えばあなたの幸せ度は1-10に分けるとしたらどの程度ですか?とかね」と松谷先生。
「それもいい加減な指標だなあ」と森先生。
「そうかも知れないが、今の所その程度しか測定しようが無い。実際、最近の研究では、そのような幸福度の各国比較とか、収入との関係が研究されている」と松谷先生。
「興味がありますね。例えば収入との関係はどうですか。お金持ちほど幸福だと思うのですが」と、もともとは貧乏な森先生。聖子ちゃん以外は、みんな貧乏人出身なので、この問題には興味があった。
「米国での研究だが、幸福度と収入は年収75,000ドル程度までは比例するが、それ以上になると、ゆっくりとしか上昇しないのだ。つまり幸福とお金は、あるところまでは関係するけれど、ある程度以上になると、幸福度はあまり増えないという事だ」と松谷先生。
「75,000ドルというと600万円程度ですね。今の日本なら、その程度の収入があれば中流と言えますよね」
「一時は年収300万円以下は下流といわれていたが、いまではそれが200万円といわれている。日本はこの20年ほどで貧乏になったのだ」と松谷先生。
「それはグローバリゼーションのせいですよね」と森先生。
「そうだね。君たちは正規雇用されているから、明らかに下流ではないが、上流とも言えないから中流だろうね。聖子ちゃんだけは上流と言っていいだろう」と松谷先生。
「そんなことありません」と聖子ちゃん。
「君の家のふすまに日本画家の障壁画が描いてあるのだよ。これは中流の家とは言えない」と、多少はねたみを込めて言う松谷先生。
松谷先生は昔、学生を連れて哲学の道を散歩しているときに、豪邸を見て「火をつけたろか」などと物騒なことを言って、学生にたしなめられた事がある。また学生を連れて、岩倉の喫茶店を飲み歩いているときに、これも学生とおぼしき若い男が、赤い外車を乗り付けて、派手な顔の女を連れていたので、「車に石投げたろか」などと、物騒な事をいい、学生にあきれられた事がある。要するに松谷先生は貧乏人のひがみ根性が抜けきらないのである。その点、聖子ちゃんは金持ちのお嬢様であり、鷹揚なのだ。
曼殊院と天満宮と学生の私語
一同は鷺森神社に参詣した後、また再び裏口から出て曼殊院道に戻った。その道を東に登って行くと、やがて右手に武田薬品工業の京都薬用植物園があった。松谷先生が言った。
「この植物園は秘密研究所としてはなかなかいいね」
「確かに、こんなところに研究所があるとは普通の人は知りませんからね」と高山先生。
一同はさらに東に歩いてやがて曼殊院にたどり着いた。曼殊院は天台宗の門跡寺院である。曼殊院の正門は勅使門で入ることは出来ない。北側に回った入り口から入る。庫裏を通っていろんなふすま絵のあるところを通り過ぎる。狩野探幽や狩野永徳のふすま絵がある。やがて大書院に至る。そこは大きな畳敷きの間で、眼前に素晴らしい日本庭園が開けている。一同は畳に座って庭園を鑑賞した。観光客がたくさんいるので一同は神妙にして、無駄口を叩かなかった。しばらく眺めてから一同は今度は小書院に移動した。そこでも神妙に庭園を拝観した。一同は言葉少なげであった。話せば他の人の邪魔になるからだ。
<曼殊院>
一同は曼殊院を出て、その前にある曼殊院天満宮に詣でた。そこには池があり、石の橋が架かっている。池の中にはたくさんの鯉と亀がいた。鯉のえさを売っていたので、聖子ちゃんはそれを買っておもしろがって、えさをやった。聖子ちゃんがえさを投げると、鯉が争ってえさを取り合いした。鯉も亀も巨大で、少し怖いくらいであった。
それから一同は小腹が空いてきたので境内にある弁天茶屋に入った。そこで一同はそばを食べた。今まで抑えてきた無駄口がまた始まった。松谷先生が口火を切った。
「僕は立志社大学で教養相当の講義を担当しているのだが、学生の数が400人以上いてね。結構私語がうるさいのだよ。文系の学生ばかりで、科学の講義はほんの教養に過ぎないのだ。僕の話を聞きたい学生から、なんとかしてほしいと言う要望がたくさんあってね。どうしたもんだろうね」
「そもそも、なぜ私語をするのでしょう?私の受けている講義では、私語をする学生などだれもいませんよ」と聖子ちゃん。
「それは聖子ちゃんのクラスが小さいことと、理系だから話を聞かなければ完全に落ちこぼれる危機感が学生にあるからだろう。松谷先生の講義は教養相当と言うから、学生にとってみれば、モティベーションがないので、要するに単位さえもらえれば良いのだろう」と森先生。
「なるほど。でも学生も不真面目な態度で受講していると、就職するときや、その後で困るのではないですか?」と聖子ちゃん。
「だから彼らは本当は就職して社会に出たくはないのでしょう、僕もそうだけど」と林君。
「世の中は 常にもがもな 私語をする 学生生活 永久(とわ)に続けよ」と森先生。
「ははは、 いわゆるモラトリアムというやつだね」と松谷先生。
「ある中学生は大人になりたくない、中学30年までこのままでいたいと言ったそうです」と森先生。
「ははは、究極のモラトリアムだね」
「このごろの若者は覇気がありませんね」
「ははは、君もこのごろの若者のはずだか」
「森先生は特殊ですよ」と聖子ちゃん。
「いや、高山先生も林君も特殊だね」と森先生。
「ははは。しかしモラトリアムは永遠には続かない。いずれは暖かい居心地の良い寝どころから起きださなければならない。腹が減るからね。人間は食べて行かなければならない」と松谷先生。
「卒業しても、今度はニートや引きこもりになるのではないですか」と高山先生。
「彼らも望んでそうしているのではないだろう。昨今の就職氷河期で職がなく、やむなくそうならざるを得ないという社会的側面もある」と松谷先生。
「でも親に頼るとしても、親も歳を取ると年金生活に入らざるをえません。子供が親の年金を当てにしたとしても、最終的には親も亡くなる訳ですから、その後はどうするのでしょうね」と高山先生。
「ホームレスでしょうね」とにべもない林君。
林君は勉強の虫で、なんせ彼のブログには「努力、努力、努力・・・・・、勉強、勉強、勉強・・・」と書いてあって、他の人々を驚きあきれさせた当人だ。現実の人間の女性にモテない彼には、いわゆる「バラ色のキャンパスライフ」を送っている学生たちが許せない。
「ネットにこういう話が出ていた。京都の大学の某著名タレント教授が大やけどをしたと言うニュースに対して、ある男がザマを見ろというブログをアップした」と松谷先生。
「ひどーい、どうしてですか?」と聖子ちゃん。
「その先生はたくさんの著書を出しておられたのだが、そのなかで「ええ加減でええのや、エリートは放っておいても育つもんや」と書いてあったそうだ。それを真に受けたブログの筆者は大学時代、遊びほうけて、まじめに勉強しなかった。ところが卒業後20年経ってサラリーマンとして、全くうだつが上がっていない。それは学生時代に勉強しなかったせいだ。勉強しなくてよいと言ったのは、その先生だから、自分のうだつが上がらないのは、その先生のせいだ、というのだ」と松谷先生。
「それは責任転嫁ですね。たとえ学生時代にその先生の影響で勉強しなかったにせよ、社会に出ればすぐに分かるじゃありませんか。それを20年間も努力もせずに、人のせいにするなんて」と高山先生。
「彼はさらに、その先生の言葉は地頭の良い一部の秀才に当てはまるのであり、自分のように地頭の悪い人間は必死に勉強しなければならないのだ、地獄への道は善意で敷き詰められている、とも書いている」と松谷先生。
「それはそうですね。それが分かれば今からでも勉強すれば良いのに」と高山先生。
「若いうちに勉強をする習慣を付けておかないと、社会に出てからではダメかもしれないでしょうね」と森先生。
「森先生は、勉強が面白くてたまらないそうですから、特殊でしょう」と聖子ちゃん。
「僕も特殊ですよ」と林君。
「しかし、大学で全く勉強しなかった人でも就職できたのだから、昔は良かったというわけだ」と松谷先生。
「その人が卒業したのは、ちょうどバブルの最後の頃ですね。だからそんな人でも一応就職できたのでしょう。今なら考えられない。その人は自分の不幸を呪うより、むしろ幸せをかみしめるべきですよ」と高山先生。
「あの頃は就職天国だった。大学には研究室の先輩がリクルーターとしてやってきて、学生たちを百万遍あたりの飲み屋で接待したのだ。そしてハイ内定、というわけだ。東京の就職説明会には旅費が出るので、ちゃっかりした学生は二社から旅費をせしめた奴もいる」と松谷先生。
「今では想像もできませんね」と高山先生。
「それで松谷先生の講義で私語をしている学生の将来はどうなるのです?」と森先生。
「ホームレスでしょうね」とにべもなく言っ放った林君。
「うーん、この問題はさらに奥が深いのだよ。今後、社会が君たち天才ハッカーの活躍により、ますますロボット化、人工知能化していくと、今までは仕事のあった普通のサラリーマンですら仕事が無くなる日が来るのだ。この話は奥が深いので、話し始めたら止まらなくなる。それでは日が暮れてしまうので、出かけようじゃないか。ダムの上で話そう」と松谷先生。
「そうですね」と一同は言って、曼殊院天満宮の中の弁天茶屋を後にした。