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聖子ちゃんの冒険 その7

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納涼古本市の冒険

下鴨納涼古本市

いつものように秘密研究所で高山先生、林くん、松谷先生が話している。

「祇園祭と御手洗祭を制覇したから、これからも京都のさまざまな行事を制覇していこうではないか」と松谷先生。
「後はどんな行事があるのです? 」と高山先生。
「 8月11日から17日までは、下鴨神社で納涼古本市があるよ」と松谷先生。
「それじゃちょうど今がその期間じゃないですか」と高山先生。
「どうだい、今から出かけないかい? 」
「いいですね、それじゃ森先生を呼びましょう。森先生が来たら聖子ちゃんにも連絡しましょう」と高山先生。

というわけで暑い夏の午後、例の5人組が秘密研究所に集結した。

「今日はどこに行くのですか? 」とは聖子ちゃん。
「下鴨神社の納涼古本市だ」と松谷先生。

聖子ちゃんにとっては、森先生と一緒に出かけられるのは嬉しいのだ。本当はデートは2人だけがいいと思っているので、あとの3人は少し邪魔な気はする。でも森先生が2人だけでデートする勇気がないので、仕方がないかと聖子ちゃんは思った。そのうちになんとかなるだろう。

「下鴨納涼古本市とはどんなものですか?」と聖子ちゃん。
「うん、下鴨神社の糺の森で毎年行われている古本市だ。そこには京都、大阪、奈良、岡山、兵庫、滋賀の各県から古本屋が多数集まって、高額なプレミアム本から手軽な文庫本など、およそ80万冊以上もの書籍を展示販売しているのだ。 京都古書研究会というところが主催している」と松谷先生。

「松谷先生は古本に興味があるのですか? 」
「それもあるけれど、森見登美彦の小説「夜は短し 歩けよ乙女」の第二幕に出てきたのだ」と松谷先生。
「先生は森見登美彦の小説が好きですね」と森先生。
「うん、森見登美彦の小説は京都が舞台なんだ。土地勘があって面白いんだよ。ところで、その小説の主人公である黒髪の乙女は聖子ちゃんに似ているんだよ」と松谷先生。
「へええ、黒髪の乙女って、どんな子だろうな?」と聖子ちゃん。
「ここの大学の1回生のかわいい女の子だ。彼女を3回生の先輩が追いかけ回しているという設定だ」
「ストーカーみたいですね」と聖子ちゃん。
「うん、その先輩はナカメ作戦と言うものを実行している。ナカメ作戦とは「なるべく彼女の目にとまる作戦」と言う意味だ。先輩は吉田神社で、出町柳駅で、百万遍交差点で、銀閣寺で、哲学の道で、あからさまな「偶然の出会い」を装って、彼女の後をつけて出会うのだが、彼女は「あ!先輩、奇遇ですねえ!」と天真爛漫に応えるというわけだ」と松谷先生。
「舞台はみんなこの近くじゃないですか」
「そこが僕が好きな点だ」
「その先輩はなぜ、そんな外堀を埋めるようなことばかりしないで、もっと直接行動に出ないのですか?」
「恥ずかしがりだからだろう」

森先生は、先輩の心がよく分かった。

「私も森先生にナカメ作戦を実行してほしいなぁ」と聖子ちゃん。
「先輩は黒髪の乙女に片思いをしているだけだが、君たちはもともと相思相愛だからいいんじゃないかい」と松谷先生。
「へへへ・・・」と聖子ちゃん。

「我々がいろんなところに行くのも、君たちのデートの片棒を担いでいるようなものだ。もっとも我々は、君たちには邪魔だろうけれどもね」と松谷先生。
「邪魔だなんてとんでもありません、これからもいろんなところに行きましょう」と、しおらしい森先生。森先生はまだ聖子ちゃんと2人でデートをする勇気がないのだ。だから聖子ちゃんも入れて、みんなでいろんな所に行くのが楽しいのだ。

「ところで小説では納涼古本市で何が起こるのですか? 」と聖子ちゃん。
「黒髪の乙女は、古本市に行って、昔好きだった絵本を買おうとするのだ。そのことを知った先輩は、彼女より先にその本を手に入れて、彼女に進呈して、いい格好しようと悪戦苦闘する話だ。そのために闇鍋というものまで参加するのだ」
「いいですね、面白そうですね、ぜひいきましょう!!」

と言うわけで、一同は秘密研究所を出発した。下鴨神社までは十分歩いて行ける距離ではあるが、夏の暑い日盛りなので、バスで行くことにした。たった2駅ではあるけれども。出町柳のバス停から歩いて下鴨神社の参道に行った。今回、参道を歩いている人は、御手洗祭の時とは違って、男1人とか男連れが多かった。もちろん女性もいたが、子供連れの親子はいなかった。客層が違うとみんなは思った。古本市の会場は、メインの参道ではなく、その横を平行して走る広い道だ。ここは流鏑馬が行われる馬場である。その道の両側にテントを張ったたくさんの古書店があった。

「わあ、すごいですね!!」と聖子ちゃん。
「どこから見て行こうか」と高山先生。
「一緒に歩くと、本が見づらいから、 1時間後に、ここに再び全員集まることにして、その間は別行動したらどうだろうか」と松谷先生。
「それはいいですね、私は森先生と2人で行きます」と嬉しそうな聖子ちゃん。

みんなはそこで再会を約して別れた。聖子ちゃんは宵々山のことがあるものだから、森先生の手を引っ張って歩いた。森先生が周りを見回すと、手をつないで歩くカップルはいなかったので、少し恥ずかしいと思ったが、聖子ちゃんは手を離さなかった。本がありすぎて何を見て良いか分からない。安い文庫本は平積みされている。 100円とかその程度の本がたくさんある。棚には比較的高価な本が陳列されている。聖子ちゃんは平積みされている本の中で、謡曲の本を見つけた。

「先生、ここに謡曲の本があります。鉄輪はあるかな」と聖子ちゃんは片端から調べ始めた。森先生も調べ始めた。
「あっ、見つけた。ここに鉄輪があります」
「うん、それを買おう」と森先生が言って、150円のその本を買った。もっとも聖子ちゃんが丑の刻参りの研究をする必要性は毛頭ないのだが。 

松谷先生は懐かしい本を見つけた。田村・湯川共著の「物理学通論、上、中」である。これは松谷先生が大学に入ったときに、物理学の田村松平教授が使った教科書だ。日本で初めてノーベル物理学賞を受賞した、湯川秀樹教授も共著者である。田村先生はおしゃれな人で、いつもパリッとしたダブルのスーツを着ていた。もっとも今時、ダブルのスーツ等あるかどうか知らないが。松谷先生は大学の教養時代に、この教科書を徹底的に読んだものだった。主に力学、統計力学、電磁気学をこれで勉強した。田村先生の試験は独特のものであった。どんな教科書、参考書を試験場に持ち込んでも良いと言うのだ。また試験時間も制限がなく、その日の間に提出すれば良いという鷹揚なものだ。それではよい点が取れるかというと、そんなことはなく、問題はとてつもなく難しいものだった。あまり難しいので、毎年同じ問題が出るという噂であった。さすがの松谷先生もよい点は取れなかった。松谷先生はこの本を家に持っているので買う必要はないと思った。

軍事オタクの高山先生は、主に軍艦の本を見て回った。高山先生は英国のジェーン年鑑をはじめ、たくさんの軍艦についての本を持っている。子供の頃は軍艦のプラモデルを作ったり、紙で軍艦を作って沈没させて遊んだものだった。どのようにして沈没させるかというと、火薬を作って紙の軍艦に乗せて、それに火をつけて沈めるのである。火薬は空気中に開放して置くと、火をつけても爆発せず、ただ激しく燃えるだけである。しかしその熱で紙の軍艦の底に穴が開いて浸水して沈没するのだ。ある時、火を付けたが、なかなか着火しない。そこでどうしたことかと、覗きに行ったら、急にボッと燃えて火柱が上がり、高山先生は顔に大やけどをしたことがある。しかしその後、家族に海水浴に連れて行ってもらって、海水に顔をつけたら自然に治ってしまったという経験がある。またある時はゴム動力の潜水艦を作り、近くの池で走らせた。その潜水艦は走らせると、潜航するが動力がなくなると、浮き上がってくるのである。ところがある時、潜水艦は二度と浮き上がって来なくなった。木製の潜水艦に塗装しなかったので水を吸って重くなったのであろう。高山先生は宝物をなくしたようで非常に悲しかった。このような経験が現在の高山先生を形作っているのである。

林くんは主に漫画を探して回った。その最中に林くんは面白い本を発見した。呪い方について書いた本だ。森先生が丑の刻参りの話をしたときに、呪い方の本をネットで発見したのも林くんだ。古本市で発見した本はそれとは違うけれども、非常に具体的に呪詛の方法が書いてある。なんか参考になるだろうとその本を買った。

1時間後に一同が再会して、それぞれの獲物を見せ合った。結局、買った本は鉄輪の本と、呪い方の本だけであった。

その後、松谷先生は一同を引き連れて吉岡書店に行った。吉岡書店は大学の近くに古くからある古本屋である。松谷先生も大学生時代によくお世話になったものだ。松谷先生は学生時代は貧乏だったので、新刊書を買うお金がなかったのだ。だから京都中の古本屋を歩いたものだ。その中でも掘り出し物は、相対性理論の本と解析力学の本であった。これらの本は小さな本であったが、内容は非常に濃かったのだ。ところで松谷先生は吉岡書店の現在の社長と知り合いなので、社長に挨拶をした。社長に会うのは、毎年この納涼古本市の時だけである。

鴨川の法則

みんなはそれから帰りがけに、鴨川デルタを通った。ここは高野川と賀茂川が合流する地点で、三角形の広場がある。これを通称、鴨川デルタという。2つの川が合流した地点より下流は、同じ「かもがわ」でも、鴨川と書くのだ。下鴨神社のある糺の森のちょうど南側に位置する。森見登美彦の小説や、万城目学の「鴨川ホルモー」の舞台になっている。

鴨川デルタから高野川の亀石を飛んで対岸にわたった。亀石とは川を横切って大きな石が何個も置いてあり、その上を歩いて、水に濡れずに川を渡れるものである。石のいくつかが、亀の形をしているので亀石と呼ばれている。亀石の付近では子供たちが水遊びをしていた。亀石の上に座って読書をする外国人の女性もいた。平和な光景だった。みんなはそのあと出町柳の駅にあるロッテリアで休んだ。

「亀石のまわりは、幸せそうな光景でしたね」と森先生。
「それは亀石で遊ぶのは幸せな人だからですよ」と聖子ちゃん。
「お祭りにしろ、亀石で遊ぶにしろ、幸せな人しか来ないのですよね。不幸せな人は頭を抱えて家に逼塞しているのでしょうね」と森先生。
「世の中には不幸せな人もたくさんいるはずだが、我々が良く目にするのは幸せな人が多い。それは選択効果だ。これを幸せの法則とよぼう」と松谷先生。
「幸せの法則ですか。いいですね。私は森先生といられれば幸せの法則です」と聖子ちゃん。

「鴨川の法則と言えば、鴨川等間隔の法則と言うのもあるよ」と松谷先生。
「それはなんですか? 」と聖子ちゃん。
「これも森見登美彦の小説「太陽の塔」で提案されたものだ。四条や三條の河川敷に多いのだが、カップルが等間隔に並んで座っている現象を言うのだ」
「四条大橋や三條大橋の上から河川敷を見ると、よく観察できますね。どうして等間隔になるのでしょうね?」と聖子ちゃん。
「それは一種のボロノイ分割だ 」と数学者の森先生。
「ボロノイ分割とはなんですか? 」と聖子ちゃん。
「 2次元平面上に点を適当にばら撒く。その点の間の縄張りを決めるのがボロノイ分割だ。それらの点の勢力が等しいとすると、縄張りは二点を結ぶ直線の、垂直二等分線になるはずだ。そのように垂直二等分線で平面を分割すると、多角形の形をした分割が得られる。それをボロノイ分割と言うのだ。鴨川等間隔の法則は、 1次元のボロノイ分割とみなすことができる」
「どうしてです? 」
「二組のカップルが離れて座っているとする。次に来たカップルは、その2組のカップルのちょうど真ん中に座るだろう。さらにその次のカップルは、3組のカップルのどこか真ん中に座るだろう。こんなことを繰り返していると、等間隔になるのだろうね」
「カップルの間には、お互いに、できるだけ距離を開けたいと言う、一種の斥力が働くのですね」と高山先生。
「そうだよね。もしカップルの間に引力が働くのなら、カップルがみんな固まってしまうはずだからね。これはクラスタリングだ」と森先生。

「今度、鴨川等間隔の法則に従うカップルの間に、我々が割って入りましょうか」と林君。
「それは無粋な行為だけれども、対称性を破ることになるね」と森先生。
「どういう意味ですか? 」と聖子ちゃん。
「男女、男女、男女、男女・ ・ ・とカップルが続いているとすると、それはある種の対称性を満たしている。そこに我々が割り込むと男女、男女、男男男男女、男女、男女・・ ・となって対称性が破れるじゃないか」と森先生。
「はははは、対称性の自発的破れとはこの事を言うのかな? 」と松谷先生。

プログラミングだけの天才の林君だけが、自発的対称性の破れの意味がわからず、ぽかんとしていた。

「この前、四条大橋の上から河川敷を覗いたときに、あるカップルで面白い現象を発見しました」と高山先生。
「ほお、なんだね? 」と松平先生。
「カップルの女性の方が、一心不乱に携帯電話を覗き込んでいたのですよ。その間、男は手持ち無沙汰にしていました」と高山先生。
「楽しいはずのデートに行って、女性が相手の男性に関心を向けるのではなく、メールを読んで、デート相手ではなく、他の人に関心を向けているのですね。私なら絶対そんなことはしないなぁ」と聖子ちゃん。

「ここに面白い心理学の実験がある。 2人の見ず知らずの人間に会話をさせる。その時、2人の間に携帯電話を置いた場合と、手帳をおいた場合で、親しさがどうなるか調べたのだ。後でアンケートをとって親しさの程度を数値化したのだ」と松谷先生。
「それでどうなりました? 」
「 2人の間に携帯電話がある場合は、それを使っていてもいなくても、親しさは、間に手帳がある場合よりも少なかったのだ」
「へえー、面白いですね、携帯電話を使わなくても、二人の間に携帯電話があるだけで、人間関係が希薄になるのですね。分かるなあ。あたし、森先生と話しているときは、携帯電話を使おうなどと思ったことありませんよ。だって貴重な時間がもったいないじゃないですか」と聖子ちゃん。
「うん確かに。携帯を頻繁に使うと人間関係が希薄になる。これを携帯電話の法則と呼ぼう」と松谷先生。
「携帯電話はアンチ・キューピットですね」と聖子ちゃん。
「ははは、面白いこと言うね」

「しかし、携帯があると言うことは、面と向かっていなくても、人と人のつながりが生まれるとも言えませんか?」と森先生。
「確かに、それはある。未来には人と人との関係がフェイス・トゥ・フェイスからネット機器を通したバーチャルなものになる傾向にあるね」と松谷先生。
「それは不健全ですね」
「不健全かどうかは価値観の問題だが、いずれにせよ、ネット機器の発達は人間関係を希薄にする傾向があることは確かだと思うよ」と松谷先生。

「いや、そうとは限りませんよ」と高山先生。
「なぜ?」と松谷先生。
「我々がこれからやろうという宇宙産み計画ですが、それは当然、一挙にはできないので、徐々にやることになるでしょう」
「どんな風に?」
「私が構想しているのは、第一段階は人間のサイボーグ化です。サイボーグになると、人間関係を直接のフェイス・トゥ・フェイスではなく、機器を通しながらも、リアルにできます。そして、人間関係をバーチャル化するのです」
「そんなのいやだなあ、あたしは先生と直接つながりたいなあ」とは聖子ちゃん。
「いや、聖子ちゃんと森先生をまずサイボーグにしようというのが、僕の計画だ」と高山先生。
「そんなぁ・・・、私、サイボーグなんて、いやだなあ・・・」
「いや、サイボーグになると、いつでも、どこでも、つながりたい相手とつながれるのですよ。遠隔地にいても、機器を通しながら、面前に本物がいるようにつながれるのです。逆に、近くにいても遠隔恋愛ができるのです」
「それなら、いいかもしれませんね。いつでも先生といられるのですね」と急に風向きを変えた聖子ちゃん。
「僕の計画では、最初は会話だけだが、そのうちにバーチャルキスとか、バーチャルハグとかできるようにしたいですね」

聖子ちゃんと森先生は赤くなった。聖子ちゃんは、それはいいかもと、密かに思った。

「いいですね、それ、さらにバーチャル×××まで」と林君。
「そこでストップ」と松谷先生。
「先生がストップかけますか?」とは林君。
「×××って、何ですか?」と聖子ちゃん。
「それは・・・」としか言えない林君。
「最近、iPhoneでそれができる装置とアプリが発売されたらしい」と、逆に煽る松谷先生。
「それをもっとリアルにしようと僕は考えているのです」と、さらにとんでもないことを言い出す高山先生。
「そこでストップ」と林君。
「ははは・・・、言うね」と松谷先生。
「何のことか、ちっとも分からない」とむくれる聖子ちゃん。

「携帯電話の法則とは逆に親しさをます法則があるのだ」と話題を変える松谷先生。
「それは何です?」と急に興味を示す聖子ちゃん。
「恋の吊り橋理論(つりばしりろん)という」と松谷先生。
「へえ? あたし、使ってみたいなぁ」

「吊り橋理論とは、カナダの心理学者、ダットンとアロンによって1974年に発表された吊り橋実験によって実証されたとする学説なんだ。人は生理的に興奮していると、自分が恋愛していると錯覚するのだ。実際の実験は、若い独身男性を集めて、渓谷に架かる揺れる吊り橋と揺れない橋の2ヶ所で行われたのだ。男性にはそれぞれ橋を渡ってもらい、橋の中央で同じ若い女性が突然アンケートを求め話しかけたのだ。その際「結果などに関心があるなら後日電話を下さい」と電話番号を教えるという事を行った。その結果、吊り橋の方の男性からはほとんど電話があったのに対し、揺れない橋の方からはわずか一割くらいであったというのだ。揺れる橋での緊張感を共有した事が恋愛感情に発展する場合があるという事になる」と松谷先生。(吊り橋理論、Wikipedia)

聖子ちゃんはこの話を聞いて、宵々山の時に森先生と離れ離れになりパニックになったが、その後、森先生のことが、いっそう好きになったのはこの効果なのかと思った。

「そうかデートの時に絶叫系の遊園地に行くと、2人の仲が親密になるのか」と納得する森先生。
「スピードという映画がある。テロリストにバスが乗っ取られ、ある一定速度以下になると爆弾が爆発するという設定だ。それに乗り込んだ警官役のキアヌ・リーブスと乗客の女性サンドラ・ブロックのハラハラドキドキの映画だ。事件が解決した後で2人は親密になるのだが、それは吊り橋効果だ。その時サンドラ・ブロックは、危機で親しくなった男女は、別れやすいと言ったよ」と無粋なことを言う松谷先生。

森先生と私は、危機で親しくなったわけじゃないもーん、と聖子ちゃんは思った。

「そろそろ帰りませんか」と森先生。
「そうですね、そうしましょう」と一同。

みんなは歩いて、秘密研究所に戻った。色々学ぶことの多い一日だったと、聖子ちゃんは思った。

続く

   
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