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史上初の商業用量子コンピューター D-Wave

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要約

グーグルが最近D-Wave社の量子コンピューターを購入して、NASAのエームズ研究センターに設置したというニュースが流れた。量子コンピューターの研究者たちの意見では、量子コンピューターはまだ研究段階で実用化にはほど遠いと言われていたから、このニュースは驚きである。この会社の第一号機はアメリカの大手航空機会社ロッキード・マーチンに納入された。そして第二号機がグーグルに採用された。という事は、量子コンピューター学界の権威者たちが言うように、D-Wave社の量子コンピューターがインチキであると決めつけるわけにはいかない。そこで本エッセイではD-Wave社の量子コンピューターとはどんなものかについて報告する。

グーグルがNASAと共同で、量子コンピューターラボを開設

1.D-Wave社の量子コンピューターを巡る論争

研究者の中にはD-Wave社の量子コンピューターは全く量子コンピューターではなくインチキであるとまで言う者もいる。

D-Wave Defies World of Critics with ‘First Quantum Cloud’

D-Waveはカナダの会社であり、創始者のジョルディ・ローズ(Geordie Rose)は量子力学で博士になった人だが、ブラジル柔術の世界チャンピオンであり、カナダのチャンピオン・レスラーでもある。写真からいかつい風貌が伺える。まさに文武両道と言えよう。

ローズは大学で起業家を育てる授業を受けていた。そこで新しい企業を起こす議論がなされた時に他の学生が量子コンピューターの会社を作ってはどうかと提案した。ローズは量子コンピューターについてそれまでは知らなかったのだが、その話を聞いて勉強し、量子コンピューターを作る会社を起こそうと思った。講座の先生が数千ドル投資してくれた。それで会社を作ったのである。

D-Wave社は当初、他の研究者の量子コンピューター研究を支援した。その成果や特許は現在D-Wave社のものになっている。2003年にD-Wave社は量子コンピューティングの中でも、主流ではない特別の方法、断熱モデルというものを採用することにした。以下のローズのインタビューにその間の歴史が語られている。

<Financial Post-FP Innovators-Dr. Geordie Rpse, D-Wave>

断熱モデルを採用したことが長年の論争の始まりである。というのは量子コンピューター学界の主流は別の手法、ゲートモデルというものを採用しているからである。学界のお偉方は実際に役に立つ量子コンピューターの完成にはまだ数十年を要すると言ってきたのである。だからD-Wave社が、商用の「量子コンピューター」を売り出したと言っても、信じるわけにはいかないのだ。だから学界の主流はD-Wave社の量子コンピューターを認めないのである。(6/24 追加 D-Wave社がゲートモデルを捨てた理由は、ノイズの問題をクリアできないと判断したからである。しかし断熱モデルでは、これをクリアできていることは、実際に製品が出来ていることから明らかだ。0.02Kの低温度の達成と、磁場のシールドの技術がD-Waveのウリである。)

D-Wave社とローズが反発される別の理由は、多分ローズが権威を認めない生意気な若造であるからであろう。さらにもう一つの表向きの理由はD-Wave社の秘密主義にある。彼らは最近まで研究成果の論文を公開してこなかった。これはアカデミックな世界では認められないことだ。しかしアカデミックな研究機関ではなく、企業なのだからある程度の秘密主義は当然である。もっとも最近になって、研究者たちの論文がぼつぼつ公開されるようになった。例えば次の論文では、 D-Wave社の量子コンピューターの速度を検証している。その結果、特定の問題では普通のコンピューターの1コアの3600倍から1万倍の速さであることを実証した。

Experimental Evaluation on an Adiabatic Quantum System for Combinatorial Optimization

D-Wave社の最初のマシンは2007年に発表された16量子ビットのコンピューターであった。ビット数は毎年倍々ゲームを続けている。最新のマシンであるD-Wave 2は512量子ビットを採用している。ちなみに正統派の量子コンピューターはまだ試作段階でありここまでの量子ビット数は実現していない。次のビデオは量子ビット数の増加について示している。

<D-Wave Quantum Computer Scaling>

D-Wave社に対する風向きが、最近少し変わってきたのはアメリカの大手航空機会社であるロッキード・マーチンがそれを導入したからである。次のロッキード・マーチン社の宣伝ビデオでは、ロッキードと南カリフォルニア大学の人々が量子コンピューターの可能性について語っている。またアマゾンの創始者のベゾフやCIAもD-Wave社に投資することを決めたことが報道された。

<Quantum Computing>

ロッキード・マーチン社の大きな問題は開発コストの増大である。そのなかでもF35などの戦闘機用に開発しているソフトウエアーの正当性の検証に費用がかかる。どんなプログラムにもバグがつきものである。正当性の検証に開発コストの半分が費やされると言う。その問題に主任科学者のネッド・アレン(Ned Allen)が取り組んできた。プログラムの検証方法として、デジタル・コードをアナログ・コードに書き換えて、それをアナログ・コンピューターで走らせることをアレンは考えた。量子コンピューターは1種のアナログ・コンピューターである。

彼は量子コンピューターの専門家である南カリフォルニア大学のダニエル・ライダー(Daniel Rider)に相談したところ、D-Waveを推薦された。アレンはD-Wave社の量子コンピューターに関する論争を知っていたので、あまり乗り気はしなかったがライダーは強力に推薦した。そこでアレンは古い戦闘機F16のすでに開発されているコードをD-Wave社に送った。このコードにはバグがあり、社内の技術者がそれを発見するのに数カ月もかかったものである。そのバグはD-Wave社により6週間で発見された。そこでアレンは量子コンピューターの可能性を確信し、会社のお偉方を説得して量子コンピューターD-Wave Oneを買わせた。

そのコンピューターは南カリフォルニア大学の研究センターに設置され、ロッキード・マーチンの技術者と大学の研究者が共同で利用している。ライダーはそのセンターの所長になった。ライダーは、このコンピューターは汎用の量子コンピューターではなく特別目的用の量子コンピューターであると述べている。つぎのビデオにD-Waveの構造が解説されている。

<D-Wave One - The First Commercially Available Quantum Computer>

しかし学界のお偉方の一人はD-Wave社の量子コンピューターなど、たとえ動いたとしてもその速度は携帯電話程度のものであろうとまで言っている。しかし先に紹介した論文では特定の問題に関して、この量子コンピューターは普通のコンピューターの3600倍から1万倍速いということを示した。つまり実用に耐えることが分かってきたのである。(あるニュース記事では、D-Waveは普通のスーパーコンピューターの数千倍速いと報道しているが、それは間違いである。Xeonチップの1コアと比較しての話である。)

タンパク質の折り畳みに関するNatureの論文では、D-Waveで最適解を求めることに成功したことが報告された。もっとも速度は普通のコンピューターに比べて格段に速いわけではないという。しかし計算できたということが重要だ。

D-Wave quantum computer solves protein folding problem

以下にその論文を示す。

Finding low-energy conformations of lattice protein models by quantum annealing

そこで別の学者は、これは従来のシリコンコンピューターではないが、かといって真の量子コンピューターでもなく、一種の古典コンピューターに過ぎないが、有用かもしれないと主張し始めている。また将来批判されるのを恐れて、批判するのをやめた学者もいる。

筆者の意見は、確かにD-Waveは今まで学界が総力を挙げて研究してきた量子コンピューターとはタイプが異なる。また完全に量子的かどうかにも、問題はある。(6/24 A little bit quantumという評価がある。)

しかしD-Waveが真の量子コンピューターかどうかという宗教論争よりは、それが実際に役に立つかどうかが重要だと思う。現状ではアルゴリズムの研究がまだ不十分なので、その能力を十分に発揮できていない。普通のコンピューターに比べてそれほど速くないという主張は、生まれたばかりの赤ん坊に大人と競争しろと言うようなものだ。またいわゆる「真の量子コンピューター」は、まだ生まれてもいない胎児であるから、こちらは出発点にも立てない。さらに、それがたとえ生まれたとしても、現状ではやはり汎用コンピューターではなく、特殊目的の速いコンピューターに過ぎない。そうなら、すでに生まれた子供の将来に期待するのが良いかもしれない。

量子コンピューター学界の主流がD-Waveに批判的なのは、 1つには嫉妬があるであろう。彼らが長年にわたり一生懸命研究してきた「真の量子コンピューター」をさておいて、 「まがい物」の量子コンピューターが「量子」コンピューターと銘打って市場に現れ、それが成功を収めたら面白くないだろう。またそれが社会の注目を浴びたら、主流派の研究者に研究予算が下りなくなるかもしれない。彼らはこれを1番恐れていると思う。

6/20 追加

今後の見通しに関して筆者の予想を述べる。D-Wave社の過去の実績では、毎年量子ビット数は倍増している。D-Wave量子コンピュータの構造上、量子ビット数は4倍ずつ増やすのが良い。すると2年後、つまり2015年には2048量子ビットを持つD-Wave 3が発表されるであろう。その調子で行けば、2017年には8192量子ビットになる。そのころになってもまともな「真の量子コンピュータ」が出来ているかはあやしい。

現在、世界で稼働しているD-Wave量子コンピュータは南カリフォルニア大学のものだけで、秋にはGoogleのものも稼働を始める。この計算時間の一部は研究者に公開されるので、応募して認められれば使用することが出来る。するとここ数年のうちに、さまざまな新しいアルゴリズムが開発されるであろう。米国やその他の国の研究機関でD-Waveを導入するところが現れるかもしれない。するとさらにアルゴリズム研究は進むであろう。研究費獲得の面でも有利になると思われる。一方、「真の量子コンピュータ」への予算配分は少なくなる可能性もある。

2.D-wave量子コンピューターとはどのようなものか?

さきのビデオで見たように、D-Waveのプロセッサーは絶対0.02度の極低温に冷却された四角いリング状の超電導回路である。その内部を電流が流れている。それに従って、リングに垂直な磁場が発生する。電流は同時に時計回りと反時計回りに流れている。量子力学的には、電流の方向は観測されるまでは、時計回りと反時計回りの重ね合わせ状態であるからだ。計算の最後に電流が観測され電流の方向が確定する。

この回路が量子ビットを構成する。この量子ビットを8個組み合わせて1つのユニットとする。 D-Wave Twoの場合、そのユニットを縦横8個ずつ計64個、正方形に配置する。総計で512個の量子ビットがある。(もっとも製造上の問題により、全ての量子ビットが無欠陥である訳ではない。)

D-wave量子コンピューターが直接シミュレートできるのは、2次元イジング模型である。 2次元イジング模型とはスピンを碁盤の目のように規則正しく配置したものである。スピンは上向きか下向きの2つの状態のみをとる。スピンはその東西南北の隣のスピンとのみ相互作用をする。相互作用の係数の正負により、スピンはお互いに反平行の方がエネルギーが低かったり、平行の方が低かったりする。エネルギーが低い方がより安定である。さらにスピンと与えられた磁場の相互作用の項も含んでいる。この系全体のエネルギーを表す関数をハミルトニアンと呼ぶ。またその固有値はエネルギーである。この系が基底状態にある場合、エネルギーの値は最も低い。D-wave量子コンピューターはこの2次元イジング模型の基底状態、つまり最もエネルギーの低い状態をハード的に求める装置である。そのいみでアナログ・コンピューターである。

イジング模型では、スピンは上向きか下向きの状態にある。つまり二通りの可能性がある。スピンが512個あると、可能性の数は2512つまり10154である。エネルギーの最低状態を決めたということは、10 154通りの可能性の中から1つを選び出したということだ。

エネルギーに限らず、何らかの関数の最小値を求める問題は最適化問題と呼ばれており、極めて応用範囲が広い。状態が離散的な場合を組み合わせ最適化問題と呼ぶ。最適化問題は、例えば地形の中で最も海抜の低い地点を見つけることに例えることができる。最も古典的な解法として最速降下法がある。まず初めに地形のどこかに人が立っていると想像しよう。その人が最低地点を見つけるもっとも簡単な方法は、最も勾配の急な方に向かって降りていくことであろう。これが最速降下法である。

この方法の欠点は、最初に立つ位置が悪いと、最低地点ではなくて、その付近で最も低い谷に降下して、そこが最低地点と錯覚して終わってしまうことであろう。つまり大局的な最小値を見つけたのではなくて、局所的な極小値を見つけたことに相当する。最小値をいかに速く、正しく求めるかが、最適化問題のつぼである。

極小値に陥るという問題をさけるために、焼きなまし法(Simulated Annealing=SA)が提案された。これは金属の焼きなましに例えた方法である。システムに疑似的な温度が与えられ、探索点は熱的ゆらぎによって移動する。そのため偶然に山脈を越えて別の谷に入ってしまう可能性がある。そうすれば真の最小値を見逃す可能性が減る。計算上、温度が高い場合は探索点は大きく移動するが、時間とともに徐々に温度が低くなってくると、移動量は小さくなり、最終的に最小値に落ち着くであろうという方法である。

D-wave量子コンピューターでは量子焼きなまし法が使われる。この手法では探索点は熱的揺らぎではなく、量子的トンネル効果で山脈をくぐり抜けて、別の谷に移動するのである。この手法では山脈が高くても、それが十分に薄ければ、隣の谷に染み出る可能性がある。

(6/20 追加 量子焼き鈍し法といっても、この手法は量子コンピュータを使わなければならない訳ではない。最小値を探索するのにポテンシャルの山脈をくぐり抜けるためにトンネル効果を利用するだけである。通常のコンピュータで量子焼き鈍し法を使うことが出来る。D-Waveは量子焼き鈍し法をハードで実現する装置である。7/8 量子焼き鈍し法のもっと詳しい解説は最後の付録参照のこと。)

計算の手続きは次のようなものだ。まず初期状態としてあるハミルトニアンH1の基底状態を仮定する。普通はスピンが上を向く確率と下を向く確率を2分の1ずつにする。その状態を断熱的にゆっくりと変化させる。すると系は基底状態にとどまりながらエネルギーは変化して、やがて求めるべきハミルトニアンH0の基底状態に達する。最後に状態を観測すると、最適化問題の答えが求まったことになる。こういったやり方を断熱的量子計算法と呼ぶ。

最適化問題が2次元イジング模型そのものか、それに帰着できる場合は、問題は高速に解くことができる。しかし2次元イジング模型に簡単に帰着できない場合は、ブラックボックスと呼ぶ、ソフトとハードのハイブリッドなアプローチが採用される。この場合、計算速度は劇的に速いという訳では無い。

以上に述べたことはローズ自身によるグーグルでの講演のビデオであきらかにされている。

<D-Wave-Natural Quantum Computation (Google Workshop on Quantum Biology)>

3.D-Wave量子コンピューターはどのような用途に使えるか?

D-Wave量子コンピューターは汎用コンピューターではない。できることが限られているのである。先に述べたように、解ける問題は組み合わせ最適化問題である。巡回セールスマン問題がその典型である。この場合目的地が6カ所であれば可能性は64である。しかし目的地が20になると可能性は100万以上と爆発的に増大する。このような問題は通常のコンピューターで解くことが困難である。そのような場合にD-Wave量子コンピューターは最適である。

組み合わせ最適化問題が適用できる問題はたくさんある。例えば人工知能の一分野である機械学習、音声認識、イメージ認識、ゲノム解析、タンパク質の折りたたみ、スケジューリング、リスク解析などである。航空会社、製薬会社、金融機関などが顧客になりうる。ビッグデータを扱うモンテカルロ・シミュレーション等にも使える。

グーグルはD-Wave Two量子コンピューターを購入し、2013年5月、NASAエームズ研究センター内に量子人工知能研究所を作り、大学間宇宙科学研究機構と共同運営することにした。グーグルは商売にしている音声認識、ウエブ探索のための機械学習の研究を行ってきた。その中でこの量子コンピューターの可能性に目をつけたのだろう。

D-Wave量子コンピューターのニュースを聞いて思う事は、日本で開発された重力計算専用のGRAPEである。これは東京大学の杉本によって提案され、牧野たちが発展させた専用計算機である。宇宙シミュレーションに用いられ、何度もゴードンベル賞を取っている。しかし最近は影が薄くなってきている。というのも汎用コンピューターの速度が速くなり、安くなってきたからである。GRAPEは比較的安いことがうりであった。一方D-Waveは現状では一台10億円もするスーパーコンピューターである。D-Wave量子コンピューターが量産されれば安くなっていくであろう。しかし専用計算機の常として、汎用機の発展との競争になる。D-WaveがGRAPEと同じ運命をたどるかどうかは10年後を見なければわからないだろう。

4.追加

イジング模型 6/2 追加
D-Wave量子コンピュータができることはたった一つ、2次元イジング模型のエネルギー最小状態を求めることである。2次元イジング模型とは、碁盤の目のように並んだスピンが、自身の東西南北の隣のスピンとのみ相互作用するとするものである。式で書くとJij, hiを重み係数、変数をS={s1, s2,..,sn}とする。ここでsiは-1か+1のみの値を取る。そのときエネルギー

M(S)=Σi<jJijsisjihisi

を最小にするようなSを求める。D-Waveにおけるプログラミングとは問題に応じて、Jij, hiを決めることである。エネルギーの最低状態はハードが決めてくれる。ただし、得られた答えが真の最小値である保証はない。何度かトライして、その分布関数を求めると、ボルツマン分布になることが実験的に知られている。しかし最小値である可能性は非常に高いという。

7/1, 7/8 追加 D-Wave社の量子コンピュータは「本物」~米研究者グループが「量子効果を確認」とネイチャーに発表 

この論文はD-Wave 1がインストールされている南カリフォルニア大学の研究者のもので、128量子ビットのうち、8量子ビットを用いて量子焼き鈍し法の実験を行い、量子効果を確認したというものである。新聞発表(Large-scale quantum chip validated)を参照のこと。またNatureに出た論文(Experimental signature of programable quantum annealing)のプレプリントはこちら。

論文の要点は次のようなものだ。1ユニットを形成している8量子ビットだけを取り出して実験する。簡単なハミルトニアンの基底状態を求める。それは17種の縮退した状態からなるが、そのうちの一つ、スピンが全部下向き、は孤立した解である。もし計算過程で、解が量子効果ではなく、古典的な熱的効果で求められたとすると、この孤立解が多く求められるはずである。しかし実験の結果、そうではなかった。したがって計算は量子的に行われた。

7/8 追加 量子焼き鈍し法

量子焼き鈍し法は東工大の西森秀稔教授と当時院生であった森脇正史氏の開発した手法である。西森教授に対するインタビュー記事はこちらを参照のこと。西森教授による量子焼きなまし法の解説はこちらを参照のこと。この手法はまた量子断熱発展法ともよばれて、こちらは西欧の学者が独立に提案した。

ここでは量子焼き鈍し法を簡単に説明しよう。先に述べたように例えばイジング模型のハミルトニアンH0が与えられているとする。問題はその基底状態を求めることである。そのために別のハミルトニアンH1を考える。こちらの基底状態は簡単に求められるとする。次にこれらのハミルトニアンの1次結合を考える。

H(t)=A(t)H0+B(t)H1

ただしA,Bは時間に依存する係数で例えば次のようなおく。

A(0)=0, B(0)=1, A(T)=1, B(T)=0

ここでTは時間発展の最後の時刻である。

さてt=0で系がHの、つまりH1の基底状態にあったとしよう。つぎに系をゆっくりと(断熱的に)変化させたとする。その時、量子力学の断熱定理により、系は基底状態にとどまる。その理由は、エネルギースペクトルが離散的である為に、励起状態に飛ぶには外部からエネルギーを与えねばならないからだ。こうして系をゆっくりと発展させると、t=Tにおいては、系はH0の基底状態になる。これが元の問題の解答である。

原理は簡単だが、実際は簡単ではない。ゆっくりと系を発展させるのであるが、速すぎると系が基底状態からずれる可能性があるし、ゆっくりしすぎると計算時間がかかる。つまりA(t),B(t)の選び方がコツなのである。系の大きさNが増えると、エネルギーギャップが小さくなる。すると、よりゆっくりと変化させねばならないので、計算時間がかかる。時間の増え方が指数関数的にならないようにできたとすれば、それが良い計算法である。

8/6 追加

真の量子コンピュータの現状は2013年の論文Experimental Quantum Computing to Solve Systems of Linear Equationsによれば、4量子ビットを使って2x2の1次連立方程式を解いたという。また2012年の論文では15の素因数分解に成功したという。要するにまだこんな程度である。素因数分解を実用的に使って暗号解読を行うには最低でも1000量子ビットが必要だと言われる。

真の量子コンピュータは量子的もつれ(エンタングルメント)という現象を用いる。一方D-Waveはトンネル効果を用いる。どちらも量子的効果であるが、原理は異なる。真の量子コンピュータの問題点は、ノイズに弱いということだ。エンタングルメントがノイズによりデコヒーレンスして位相情報を失い古典的になってしまう。ローズがビデオで述べていることは、真の量子コンピュータはこの困難を乗り越えることができないだろうと、早くからあきらめて別のアプローチ、つまり量子焼き鈍し法を採用したのだ。それがすでに実用的なコンピュータを作れた理由である。

真の量子コンピュータは夢のコンピュータだと言われる。核融合は夢のエネルギー源であると言われてきた。それは20年後には実現するだろうと、1960年代から言われてきたのだが、まだ実現していない。量子コンピュータも1980年代から夢のコンピュータだと言われてほぼ30年がたつ。10量子ビットを超えることは難しいと言われている。量子コンピュータが夢のコンピュータであるという意味は、私から見れば実現しない夢ということだ。

10/11 追加

ローズのブログによるとグーグルの研究者がグーグル・グラスの瞬き検知アルゴリズムの研究にD-Waveを使っていると言う。量子コンピュータが真に実用的な事に使われた始めての例だとローズは述べている。

量子コンピュータの新しい潮流・・・D-Waveのアプローチ」と題して丸山不二夫さんが膨大なスライドをアップしている。

カナダのブロガーであるソクラテスのSingularity One on Oneにローズが出演した。2時間に及ぶ長大な英語のインタビューである。私はこのシリーズが好きで、結構聞き込んだ。

 

 

 

 

 

 

 


松田卓也(まつだたくや)
1943年生まれ。宇宙物理学者・理学博士。神戸大学名誉教授、 NPO法人あいんしゅたいん副理事長、同付置基礎科学研究所副所長、中之島科学研究所研究員、ジャパン・スケプティックス会長。 1970年、京都大学大学院理学研究科物理学第二専攻博士課程修了。京都大学工学部航空工学科助教授、英国カーディフ大学客員教授、神戸大学理学部地球惑星科学科教授、国立天文台客員教授、日本天文学会理事長などを歴任。主な著書に「これからの宇宙論--宇宙・ブラックホール・知性」 (講談社ブルーバックス) 、 「正負のユートピア-人類の未来に関する一考察」 (岩波書店) 、 「新装版 相対論的宇宙論--ブラックホール・宇宙・超宇宙」 (共著、講談社ブルーバックス) 、 「なっとくする相対性理論」 (共著、講談社) 、 「タイムトラベル超科学読本」 (監修、 PHP研究所)、「2045年問題--コンピュータが人類を超える日」(廣済堂新書)など
   
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