一帯一路と文明の衝突
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- 2019年12月01日(日曜)22:08に公開
- 作者: 松田卓也
中国の習近平政権は一帯一路計画を推進している。それは陸と海を通って中国とヨーロッパや中近東、アフリカをつなぐ計画である。陸路のほうは「シルクロード経済ベルト」とよび、海路は「21世紀海洋シルクロード」という。
ウイグル人弾圧
古代のシルクロード沿いに現在居住するウイグル人に対する中国の弾圧を米国が批判している。米国の批判はご都合主義のところがあり、例えばサウジアラビアの独裁にはあまり文句は言わない。中国がなぜウイグル人を弾圧するかと言うと、彼らの一部が独立運動をしてテロリズムに走ったからである。
さらにウイグル人はイスラム教徒であることから、米国のペンス副大統領は宗教弾圧だとして批判している。ペンス副大統領自身がキリスト教原理主義者であるから、その言葉は割り引いて聞かねばならない。
以前話したように、現在のウイグル人がすむあたりは東トルキスタンとよばれ、中国では新彊ウイグル自治区である。トルキスタンというのはトルコ系の人々の住むところという意味である。歴史的にはタクラマカン砂漠の周辺のオアシス国家があった地域で西域と呼ばれていた。
いっぽう西トルキスタンは現在ではウズベキスタン、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタンの5カ国が独立しているが、東トルキスタンだけは独立していない。だからウイグル人による独立運動があり、中国政府による弾圧があるのだ。
タラス河畔の戦い
現在のウイグル人はイスラム教徒であるが、トルキスタン一帯がイスラム化したのは8世紀に起きた、唐とイスラムの間の天下分け目の戦いである「タラス河畔の戦い」で唐が敗北したからである。
紀元751年に現在は中央アジアのキルギスにあるタラス川のあたりで唐軍とアッバース朝のイスラム勢力が中央アジアの覇権を巡って天下分け目の戦いをした。唐軍を率いたのは有名な高仙芝将軍である。唐軍は3万とも10万とも言われるが、味方の遊牧民のカルルクが裏切ったために大敗した。高仙芝は何とか逃げたものの、このためにイスラム勢力が中央アジアに浸透することになった。現在のウイグル人問題は実はこのときから始まっているのである。実に1200年前の話だ。
タラス河畔の戦いで唐軍の製紙部隊が捕虜になり、製紙の技術がイスラムに伝わった。イスラム教徒はコーランを書き写すために製紙技術を必要としていたのだ。その意味でもタラス河畔の戦いの世界史的意義は大きい。
またイスラム勢力が西域地方に侵入することにより、すでにあった仏像などの仏教文化財の多くが破壊された。タリバンによるバーミアンの大仏爆破などもこの線上にある。
文明の衝突
アメリカの政治学者であるハンティントンが唱えた説で、世界文明を次のように分類している。
中華文明: 中国、台湾、朝鮮、韓国、ベトナム、シンガポール
ヒンズー文明
イスラム文明
日本文明
東方正教会文明
西欧文明
ラテンアメリカ文明
アフリカ文明
興味深いことは、日本は一国で一つの文明圏をなしているという見方である。国際的な争いは文明間の断層線に沿って起きることが多い。中国によるウイグル弾圧も、中華文明とイスラム文明の衝突とみなすことができる。米国によるイラク侵略は西欧文明とイスラム文明の衝突である。
まとめ
中国によるウイグル弾圧の元をたどれば、8世紀に唐がタラス河畔の戦いでイスラム勢力にやぶれて、西域一帯がイスラム化したことに原因があるのではないか?