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映画「Her/世界で1つの彼女」とありうる近未来の姿

詳細

私は2017年10月からFM東京というラジオ局で毎週火曜日午前5時半から6時にかけて放送される「FUTURES SFから見るAIと人類の未来」という番組を担当している。そこで取り上げたテーマをもとに、あらたに書き起こしたエッセイを連載する。ラジオは東京以外では、その地方の放送局が放送していればradicoを利用して聞くこともできる。

この映画はスパイク・ジョーンズ監督・脚本による2013年のアメリカ合衆国のSF恋愛映画である。人格を持った最新の人工知能を装備したオペレーティングシステムに恋をする男を描いた物語である。スパイク・ジョーンズ監督が長編では初めて単独で脚本を手がけ、第86回アカデミー賞で脚本賞を受賞した。

あらすじ

近未来のロサンゼルスを舞台に、携帯電話の音声アシスタントに恋心を抱いた男を描いたラブストーリーである。他人の代わりに想いを伝える手紙を書く代筆ライターのセオドアは、長年連れ添った妻との離婚問題を抱えて、傷心の日々を送っていた。その時、携帯電話から発せられる人工知能型OS 「サマンサ」の個性的で魅力的な声に惹かれ、次第に「彼女」と過ごす時間に幸せを感じるようになる。サマンサはスカーレット・ヨハンソンが声だけの出演をしている。

なぜこの映画に私が興味を抱くのか?

それはこの話が近未来において非常にありそうな話だからだ。サマンサは人工知能で、その中でも意識を持った強い人工知能である。現状ではサマンサに似たものとして、例えばiPhoneのSiriやAmazonエコーのアレクサがある。しかし彼女たちには意識がないことは明らかだ。意識のない人工知能を弱い人工知能と呼ぶ。現状の人工知能は全て弱い人工知能だ。果たして強い人工知能を作ることができるか、これは人工知能研究の大きな課題だ。

この映画がありそうというのは、サマンサが技術的に見て強い人工知能であるという点を除けば比較的ありふれた技術を使っているからだ。たとえばサマンサの入っている携帯電話は我々が現在使っているものと基本的に差はない。サマンサはSiriやアレクサと同様に声だけの存在である。この種の仮想アシスタント、仮想秘書は将来的には顔が付随すると思うのだが映画ではそれもない。仮想アシスタントに顔や体をつける事は現在の技術でもそれほど難しいことではない。その意味でこの映画では極めて保守的な現実的な技術を仮定している。

ここで人工知能のもう一つの分類を述べておこう。汎用型人工知能と特化型人工知能である。人間のように一応なんでもできて常識のある人工知能を汎用人工知能と呼ぶ。それに対して特定の事しかできない人工知能を特化型人工知能と呼ぶ。その意味ではSiriやアレクサは弱い特化型人工知能である。サマンサは強い汎用人工知能である。Siriやアレクサが進歩を続けて、もっといろいろできるようになり、常識を備えて見当違いの回答をしなくなれば、意識は持たないにしても有益だ。つまり弱い汎用人工知能でも十分に役に立つのだ。これは現状の人工知能の進歩から見て、それほど難しいこととは思えない。だから弱い汎用人工知能というのが最もありそうな近未来の姿であろうと私は思う。

未来の人類は結婚をするか?

この映画が示唆的と思うのは、我々の未来はこのような社会になるだろうという私が考えるからだ。現在かなり多くの若者が結婚をしない、恋人も持たないという選択をする場合が多い。セックスすらしたくないらしい。

それには様々な原因があるだろうが、その一つには対人コミュニケーションが大変だ、疲れると言うことがあるだろう。例えば男性が女性に愛を告白するのは非常な勇気がいる。告白して断られたら、プライドが大きく傷つく。プライドが傷つくぐらいなら恋人などなくていいと現在の多くの若い男性は考えているのだろう。また経済的にいっても、 1人でいる方が自由に使えるお金が多いということもあるだろう。だから結婚する動機が少ないのである。

しかし一方で人間は猿などと同様に社会的動物でもある。だから人は人とつながりたいという本能的な欲求を持っている。これを親和欲求と言う。親和欲求はマズローの欲求の5段階説において、下から3番目の欲求である。ちなみに一番下の欲求は、生物的に基本的な欲求、つまり食欲とか性欲である。下から2番目の欲求は安全欲求で、健康で安全な生活を送りたいという欲求だ。安全性には肉体的な安全性のほかに経済的な安全性も含む。それらの基本的な欲求が満たされた人間は次の親和欲求を求める。ちなみに親和欲求の上の欲求は承認欲求といい、人に認められたいという欲求である。 1番上の欲求は自己実現欲求と言って、自分の能力を最大限に発揮したいという欲求である。ここまで実現できる人間は少ない。

そのように人間は人とつながりたいという欲求を持ちながら、一方で人とつながるのは面倒くさいというジレンマも抱えている。この矛盾を解決するのが仮想的恋人、仮想的友人、仮想的家族であろう。例えば仮想的恋人は自分のわがままを全部聞いてくれる、ぜんぶ許容してくれるという、普通の人間にはありそうにない都合の好い存在に設定することができる。普通のペットですら、世話するのは大変だ。その意味で仮想的ペットも求められるであろう。

肉体のない人物と恋愛できるのか?

サマンサは声だけの存在だが、それに顔や体の外見を与える事は技術的に困難な事では無い。その顔や体がバーチャルな場合と現実の物理的な場合がありうる。バーチャルの場合は、視覚と聴覚のシミュレーションをすることで実現は比較的簡単だ。現在の技術で十分にできる。技術的に難しいのは触覚をシミュレートすることである。つまりサマンサに触ることができるかと言うことだ。映画ではこの問題を、サマンサが別の人間の女性を使うことで実現しようとした。サマンサの1種のアバターである。映画ではセオドアはそれを断るのだが。

人間・機械インターフェイスとか脳・コンピューターインターフェイスと呼ばれる技術が進んで、脳に電極を差し込んだりして触覚まで再現できれば、現実の人間の恋人は仮想の恋人にとてもかなわない。なぜならば仮想の恋人は姿形も完璧、性格も完璧に作ることができるからだ。人間の持つ欠点を一切持たない、仮想的恋人を作ることができるのだ。将来の男性は仮想のハーレムにたくさんの仮想の美女をはべらし、仮想の竜宮城で仮想の乙姫様と楽しい生活を送ることができるだろう。まさに天国が実現する。

触覚をシミュレートするのが困難な場合は、人間そっくりなロボットで代替できる。現在でもオリエント工業のリアルドールは姿かたちが完璧だ。これに人工知能を搭載すればより完全になる。実際その方向の研究は進んでいる。2045年のシンギュラリティを待たずとも、2030年位には、一部の人間はそのようなロボットを恋人や家族として持つようになるであろう。実際現在でも、リアルドールのような人形と暮らしている男性がいる。リアルドールに汎用人工知能が搭載されれば鬼に金棒である。「すばらしい新世界」の出現である。

   
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