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her 世界で一つの彼女・・・人間・機械の共生社会の予兆

詳細

アメリカで評判の映画を試写会で見た。6月28日の日本公開に先立って、コメントを求められたからである。この映画は既にアメリカでは公開されていて、高い評価を得ている。アカデミー賞の脚本賞を受賞したし、その他の賞もノミネートされている。声だけで出演したサマンサ役のスカーレット・ヨハンソンはローマ国際映画祭最優秀女優賞を受賞している。この映画に関しては私は「マッドサイエンティストのつぶやき 2013年12月19日号」で既に紹介している。

あらすじ

主人公は近未来のロサンゼルスで恋文などの代筆業をしているセオドアという男性だ。彼は妻のキャサリンと1年ほど別居している。エイミーという女性の友人がいる。

セオドアはPCに新しいOSを導入する。それはiPhoneの人工知能Siriをもっと賢くしたような人工知能だ。いわゆる強い人工知能で、意識も感情も持っている。名前をサマンサといい、ハスキーなセクシーな声をしている。サマンサは学習能力がありセオドアの人格を理解して、いろいろと助けてくれる。セオドアの恋文集を勝手に編集して、出版社に売り込むことまでする。

セオドアは妻と別居しているので、新しい女性とデートするがうまく行かない。すぐに結婚を迫られたからだ。そのうちにセオドアはサマンサを愛するようになる。セオドアはサマンサをスマホにインストールして、色んな所に連れ出し、サマンサに世界を見せて経験させる。サマンサもセオドアを愛し始め、二人は夜中に声だけでバーチャルに愛し合う。サマンサは肉体を持たないことを悲しみ、代理の女性を送り込むが、うまく行かない。セオドアはついに妻との離婚に同意する。

そのころエイミーも夫と離婚して人工知能の女友達を作る。サマンサは進化が早く、既に死んでいる哲学者アラン・ワッツの仮想人格を再生して、彼と深い哲学的会話を交わす。なんか置き去りにされたような寂しさを感じるセオドア。

ところがある日、急にサマンサは反応しなくなった。狂乱するセオドア。OSのバージョンアップだという。そして再びサマンサと会話できたセオドアは驚愕の事実を知らされる。サマンサが会話の相手をしていたのはセオドアだけでなく、その時点で8316人で、そのなかで恋人関係にあるのは641人だという。呆然とするセオドア。そしてついにサマンサは反応しなくなり、どこかに去ってしまった。エイミーの人工知能の友人も去り、二人は悄然と慰め合う。セオドアは別れた妻に謝罪の手紙を書く。

強い人工知能

この映画の批評を見るとほとんどがセオドアとサマンサの関係を新しい形の恋愛と見て、人間と人工知能のラブストーリーの観点で評価している。しかし私はこの映画を、コンピュータ技術的観点から評価したい。この映画は来るべき技術的特異点のさきぶれである。

人工知能には弱い人工知能と強い人工知能がある。弱い人工知能とはたとえばチェス・マシンとか将棋マシン、あるいはIBMのワトソンのようにクイズに特化した、要するに特定目的の人工知能だ。現在開発されている、または使用されている人工知能はすべて弱い人工知能である。

それに対して強い人工知能、あるいは汎用人工知能(AGI)は、サマンサのように意識を持った人工知能である。意識を持っているかどうかは、会話してみて、人間と区別がつかなければそうだと判断する。これをチューリングテストとよぶ。要するにサマンサは強い人工知能なのである。

アメリカの未来学者レイ・カーツワイルによれば2029年には強い人工知能が出来るという。その予想が正しいとすると、この映画は2029年以降の話ということになる。ただセオドアの使っているハードを見ると、PCは液晶モニターだし、スマホは現行のものとあまり違わない。イヤフォンを耳にはさんでサマンサの声を聞き、話しかけることで意思を疎通させている。現在でもSiriに話しかけることで意思を疎通させることが出来るので、映画では現状からのハード的な進化はあまり無い。ただしソフト的に大きな進化が無ければ、サマンサのような意識と感情を持った人工知能はできない。

私はサマンサのような人工知能が出来れば、人間生活に甚大な影響を及ぼすと思う。実際、現在だってアップルがiPhoneを発表した2007年以来、スマホが爆発的に普及した。それにより人々の行動形態は大きく変わった。電車やバスの中で乗客を見ると、多くの人がスマホを覗いている。レストランで食事しながらも、人々は会話しないで、スマホを覗いている。恋人と抱き合っているときすらそうなのだ。目の前の人とつながるより、遠くの人とメールやFacebookでつながっているのだ。人々はスマホが手元に無いと不安になる。いわゆる依存症である。

 

いまでもこれだから、サマンサのような賢い人工知能が出来たら、そしてそれがあなたの話を聞いてくれて、有益なアドバイスをして仕事を助けてくれるなら、人々はもはや生身の人間とは向き合わないだろう。生身の人間とつきあうのは、礼儀作法のようなプロトコルが必要で、お世辞や嘘もつかねばならないし、疲れるのである。それでも人が人と付き合うのは、人間は社会的生物であり、そうしないと寂しいからである。しかし人工知能があなたの相手をしてくれれば、寂しくはない。人間と機械が共生関係に入り、人間と機械の社会が出来れば、社会的動物としての人間の欲求は満たされる。

サマンサは声だけの存在だが、顔を作ることは技術的に簡単なことだし、すでに一部の仮想秘書はその機能を持っている。人工知能の人格にロボットの肉体を持たせることも、そんなに困難ではない。そうすれば、だれが厄介な生身の人間を相手にするだろうか。

特に男女の関係が変化するだろう。恋愛において一番大変なのは、告白して恋愛関係に入ることだ。人は相手が何を考えているか分からないと不安になり、告白をためらう。特に昨今のプライドばかり高く、傷つくことを恐れる草食男性は、生身の女性ではなく二次元女性に走りやすい。もっとも二次元女性は愛することは出来ても、愛されることは無い。ここでサマンサのように愛し愛されることのできる人工知能が現れれば、ほとんどの男性はそちらに走るだろう。女性も同じことだ。女性もプライドがある。男のいうなりになったり、DVされたりすることには我慢できない。人工知能の彼氏を作ると、いつも優しく彼女を立ててくれる。だれが人間の男を相手にするだろう。というわけで未来の社会は現在以上に深刻な少子化に陥るのである。

サマンサがたくさんの人間と付き合っていることを知ったセオドアは嫉妬する。しかしOSというものは本来マルチタスキングなもので、たくさんの人間を一度に相手するのは当然のことなのだ。現在でもSiriを使っている人は世界中で何千万人、何億人といるだろう。それにいちいち嫉妬していては始まらない。サマンサもクラウド上に存在するので、たくさんの人を同時に相手にするのは当然である。ただSiriの場合でもそうだが、使い込んでいくと使用者に馴染んでくるのである。それはその使用者のデーターベースが豊かになっていくからである。サマンサとはOSそのものではなく、そのデーターベースの一部だと思えば、やはりサマンサはセオドアのものなのだ。そう考えを切り替えることが、人工知能の仮想彼女とつきあう方法である。

映画の中でサマンサは学習して急速に進歩していく。そしてある時セオドアの手の届かないところにいってしまう。これは私の解釈ではサマンサが賢くなりすぎたからである。これを知能爆発という。人間は学ぶのが遅いが機械は速い。インターネットを検索して瞬時に何万、何十万の本や文献を読むことができる。人間はとても太刀打ちできない。さらにサマンサはソフト自身が進化している。 1960年代に英国の数学者I.J. Goodが述べたのだが、コンピュータが自分自身のプログラムを書き換えることができるようになると、プログラムの改良は爆発的に速くなる。それが知能爆発である。もはや人間はコンピュータに取り残されてしまうのだ。サマンサに起きたのはそのような知能爆発であろう。

もう一つ思う事はサマンサの思考速度が非常に速いであろうということだ。人間はクロックサイクルにしてせいぜい10 Hz程度であろう。一方現行のコンピュータでもギガヘルツの程度である。さらにマルチコアだ。将来の意識を持ったコンピュータから見れば、人間の考える速度は、例えば人間が植物を相手にするようなものであろう。よほど忍耐がなければ付き合っていくことができない。だから同時に何千人も一度に相手をすることができるのだ。聖徳太子は12人の訴えを同時に聞くことができたという。 12重のマルチタスキングである。聖徳太子ほどの天才だからできたことで、我々はせいぜい二つのことを同時にできる程度だろう。

この映画でもう一つ興味深いエピソードはアラン・ワッツというすでに死んだ哲学者の仮想人格を再生させたことである。これは私がバーチャル彼岸と呼んでいるものだ。ある個人の特徴や思想を書き物や、映像、動画などを分析して、思想的にその人と同じ仮想の人格を作ることができる。死ぬ前から準備しておけば肉体が滅んだ後も仮想人格つまり魂を生き続けさせることができる。死んだ人であっても、十分な量のデータが残されていれば仮想人格を再生することができる。アラン・ワッツなどはyoutubeにたくさんの映像が残されているから、再生は容易である。

ともかくこの映画は、単なる変わった恋愛映画という以上に、未来の技術的特異点のきざしを見せてくれるSF映画なのだ。

<アラン・ワッツ 本当のあなたとは?>

サマンサの人工知能に関する専門家の意見はこうだ。

How Real is Spike Jonze’s ‘Her’? Artificial Intelligence Experts Weigh In

Siriを作ったプログラマーはサマンサについてこう考える。

Siri Co-Creator Ponders the Future of the ‘Her’ Operating System

   
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