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ショパン・ノクターン第20番・遺作

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前回、これからは日本人の作曲家を取り上げると言ったが、もう一度、西洋の作曲を取り上げたい。ショパンである。私は特にショパンが好きとか、ピアノ曲が好きとか言うことではないのだが、ノクターン(夜想曲)第20番・遺作には、はまっている。遺作というのは、ショパンの死後、楽譜が発見されたことによる。20歳の時の曲である。映画「戦場のピアニスト」で演奏された。

私はアシュケナージのCDを持っていて、よく聞いたものだ。今回紹介するのは、アシュケナージではないが、私が気に入った演奏者のものである。まずは横内愛弓のものである。これがベストなどと言うつもりは全くないが、横内さんのかわいい顔としゃべり方に「ググッー」と来たのだ。

次は天才少女、小林愛美である。このビデオは14歳の時のものだが、彼女は3歳の時からこの曲を弾いているという。陶酔しきった表情が興味を引く。彼女の手の動きは独特である。

次は誰が演奏しているのか知らないのだが、美しい谷川岳の景色とマッチしている。演奏もすばらしく、映像も高解像度でとても美しい。大画面で見られることを勧める。

ノクターン20番遺作はミルスタインにより1935年にバイオリン曲に編曲されている。バイオリンによるこの曲の中で、私がもっとも好きなのは後藤みどりの演奏である。これは最高にロマンティックな演奏である。ゆったりと嫋々と流れるメロディ、最後に消え入るように、弓を弾ききるところなど、何とも言えない。終わった後も、聴衆はしばらく拍手を忘れたかのようである。陶然と聞き入っていたのであろう。すぐに拍手する人は、感動していない証拠である。

次は有名な男性バイオリニストのイザック・パールマンである。レーガン大統領とナンシー夫人の前で演奏している。後藤みどりの演奏と何という違いであろうか。こちらは明らかに男性的である。ずいぶんあっさりとした解釈である。レーガン大統領がモソモソしている様子が見える。聞き入っていないのであろう。終わった瞬間に拍手が始まっている。同じ曲でも、演奏者によってこれほど解釈が異なるのがおもしろい。

韓国の天才少女であるバイオリニストのサラー・チャンの演奏。これは後藤みどりとパールマンの中間的なところか。

いろいろ調べているとジョシュア・ベルという天才少年に出くわした。これは後藤みどりに似た、叙情的な解釈である。


天才とは

ともかく楽器演奏という分野は天才性を必要とするようだ。上記に上げたどの演奏家も若いときから才能を発揮している。世の中、アーティストを目指す若者は多い。しかしその中でコンサートを開けるようになるのは、ほんの一握りの幸せな人々である。残りの才能ある人は、たとえばオーケストラの楽員になる。さらに音楽教室を開く人たちがいる。しかし多くは夢破れて、他の食える職業に就くのではないだろうか。学者の世界、スポーツマンの世界も似たようなものだ。


マズローの欲求の5段階説

マズローの欲求5段階説というものがある。人間は下位の欲求が満たされると、次の上位の欲求に向かうとする。人間の欲求は下位から、1)生理的欲求、2)安全・安定の欲求、3)親和・所属・愛の欲求、4)承認の欲求、5)自己実現欲求があるという。生理的欲求とは空気、食物、水、排泄、睡眠、性といった、生物としての根源的な生理的な欲求である。安定・安全とは、身体、心、雇用などの安定、安全を言う。親和欲求は、家族、恋人、友達たちと親しくしたいという欲求である。承認欲求とはグループの中で認められたいという欲求で、名誉欲や権力欲はそれが高じたものだろう。最終段階の自己実現欲求とは自己の能力を最大限に発揮したいという欲求である。学問、芸術、スポーツを目指す人たちは、自己実現を目指しているのである。というわけで、上記の天才少年・少女は自己実現欲求を満たした幸せな人たちだと言えるであろう。


1万時間の壁

ところで天才性に関して別の意見もある。1万時間の壁というものである。例えば楽器演奏においても、その能力と練習時間を調べてみると、きれいな相関関係があるという。つまり練習量が多い方が上手だというのだ。そして天才的な人たちは、すべからく1万時間の壁を突破しているという。1万時間とは練習時間のことである。1万時間練習しようと思ったら、一日10時間なら1000日、つまり3年程度である。1日5時間の練習なら5年、2時間なら14年である。凡人は一日10時間も練習できない。つまりそれほど集中できないのである。集中できることができるのは、それが好きでからであり、また能力があるからだ。つまり集中できるのは天才であり、天才は集中できるのである。そうすると凡人が単に努力して、天才になれるというわけでもなさそうだ。

1万時間の壁は芸術だけに限らない。学問の世界でも、コンピュータプログラミングの世界でも同じ事だ。5年程度でものにしようとすれば、毎日、一日5時間は勉強に集中しなければならない。一日に2時間程度の勉強なら、それも毎日はできないことを考えると、20年以上かかるので。普通の意味では、ほぼものにならないと言えるであろう。

   
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