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SF映画「オブリビオン」・・宇宙人侵略と愛の物語

詳細

オブリビオン(Oblivion)

久しぶりにハリウッドの大作SF映画を見た。トム・クルーズ主演のSFミステリー映画「オブリビオン」である。監督はジョセフ・コシンスキーである。トム・クルーズ主演のSF映画といえば「マイノリティ・レポート」、「宇宙戦争」以来である。どちらも好きな映画である。後者はDVDを買って持っている。ここではプロットの詳細を説明し、科学的見地からの突っ込みを行うと同時に映画批評を批評する。多くの人々の見方は浅く、それでも自信満々に批評している所が興味深い。

オブリビオンの英語のWikipediaでの解説はここ英語の台詞はここ。

話の前半

時代設定は2077年。 2017年に異星人スカブが地球を侵略した。地球人は核兵器も使って対抗して戦い、侵略を食い止め、勝利した。しかし人類は地球は失った。というのも異星人は月を破壊したので、そのために地球には津波や地震が起きて廃墟になってしまったのだ。ペンタゴンなども隕石の直撃を受けて破壊された。自然が地球を破壊した後、スカブが攻めて来たのだ。核兵器使用の為に地球は汚染された。スカブはほぼ壊滅したが、残党はまだ地球に残っている。

地球人は土星の衛星のタイタンに移住した。衛星軌道上にテットという巨大な4面体の人工衛星を設置して、一部の地球人はその中にいてタイタンへの移住に供えている。海上に沢山の海水採取リグを設置して、海水を組み上げて、核融合用の燃料(重水素)を採取して、タイタンに送っている。

地球には少数の人間が残されて、生き残ったスカブの残党と戦っている。スカブはリグを破壊したり、地球人が防衛のために使っているドローン(偵察・攻撃用無人機)を破壊したりしている。主人公のジャック・ハーパー(トム・クルーズ)はドローン修理の技術士49号である(この49という数字が後で意味を持つことが分かる)。相棒の通信士官であり愛人でもあるヴィカことビクトリア・オルセンと高度1,000メートルの上空にあるスカイタワーに住んでいる。

作戦指令はテット上にいる年配の女性の上司サリーから受けている。いつも「あなた方は良いチームか? Are you an effective team?」と聞く。それに対してビクトリアは「はい、この上なく。We are an effective team. Never better」などと答える。ビクトリアは英国人であると言う設定なので、この会話は米国と英国の特別な関係を暗喩している。もっとも後に破綻するのだが。

ジャックはバブルシップというヘリコプターのような乗り物で、スカブに撃墜されたドローンの回収・修理に赴く。それをビクトリアがスカイタワーの通信室から援護する。ビクトリアは規則に忠実な、生真面目な女性である。ジャックは時に規則を破る。ジャックとビクトリアには5年間という任期があり、あと2週間でそれが終わり、タイタンの仲間に合流することになっている。ビクトリアはそれを心待ちにしている。彼らは任務遂行上のため、過去の記憶が消されている。

しかしジャックはいつも、ある知らない女性の夢を見る。ニューヨークとおぼしき町で二人は出会い、高い建物の上で女性は双眼鏡を覗いている。その女性がだれかはわからない。よくその女性の顔のフラッシュバックが起きる。

今日もまたドローンが攻撃されて墜落した。ジャックは元のフットボールスタジアムに墜落したドローンを修理する。そのとき穴の中から不気味な目がジャックを見ている。ジャックは高い建物の残骸(実はエンパイアステートビル)から、電波が宇宙に向けて送信されているのを発見する。スカブがなにかを企んでいるようだ。ジャックは線を切断する。

ジャックはバブルシップからバイクを取り出してそれに乗る。海水が少なくなり元海であったところには船の残骸がごろごろしている。探知機で不審な穴を発見して、中を見ると穴の底にドローンが墜落していた。その穴に降下すると、そこは昔の図書館の残骸であった(ニューヨーク公立図書館)。そこでジャックはスカブに襲撃されるが、ドローンに救われる。もっともスカブはジャックを殺そうとはしなかったのだが。ジャックはそこでローマのホラチウスに関する詩集Lays of Ancient Romeを発見する。この詩集は英国の学校で教科書として使われていたものだ。このホラチウスは紀元前1世紀のローマの有名な詩人ホラチウスとは別人である。ローマに攻め込んで来た敵軍から門の前の橋を2人の仲間と守った英雄である。ジャックは英国の詩人の書いたホラチウスについての詩集を拾ったのだ。そこには次のように書いてあった。Horatius

そこでかの勇敢なホラチウス、門の守護者

この世のすべての人間に、遅かれ早かれ死は訪れる
ならば、先祖の遺灰のため、神々の殿堂のため
強敵に立ち向かう以上の死に方があるだろうか

Then out spake brave Horatius, The Captain of the Gate :

To every man upon this earth Death cometh soon or late.

And how can man die better Than facing fearful odds,

For the ashes of his fathers And the temple of Gods?

この詩は後のジャックの行動の元になり、映画の一つのテーマである。

地上に植物はほとんどない。ジャックには秘密の隠れ家がある。そこはクレーター跡の秘密の盆地で、植物が回復して森ができている。中心には小さな湖があり、魚もいる。湖畔には古ぼけた小屋がある。ジャックが5年かけて作り上げたものだ。そこには太陽電池、風力発電機が設置されている。古い本やレコードがある。ジャックはレッドツェッペリンの音楽を聴いて一時の安息を楽しむ。ジャックは小さなポットで植物を育てている。それをビクトリアにプレゼントするが、彼女は規則違反だと即座に捨ててしまう。

ジャックが湖畔に寝転んでいる時、見知らぬ宇宙船が墜落するのを発見する。墜落した位置はスカブのビーコンが指し示していた座標だ。規則重視のビクトリアの反対を押し切り、サリーの指令を無視してそこに駆け付ける。ジャックはそこで古いNASAの宇宙船の残骸を発見する。そこには冷凍睡眠用の箱に入った5人の生存者がいた。しかしサリーからの指令でやってきたドローンは生存者を射殺する。

ジャックはやっと一人の女性だけ助け出す。ジャックは彼女をスカイタワーに連れ帰る。睡眠から覚めた美女はなぜか「ジャック」と呼ぶ。なぜ彼の名前を知っているのか。彼女はジュリア・ルサコーヴァ(オルガ・キュリレンコ)と名乗る。(ちなみにオルガは「慰めの報酬」にボンドガールとして出ていたウクライナ出身の女優である)。ビクトリアはもう60年たったこと、ジュリアが仲間のすべてを失ったと告げる。ジュリアはジャックとビクトリアが手を握り合うのを見て、何かを悟り笑い出す。不審に思う二人。

次の日、ジャックはビクトリアに黙ってジュリアの頼みで、墜落した宇宙船からフライトレコーダーを回収する。その時、彼らはスカブに急襲されて捕虜になり、彼らの秘密基地に連れられて行く。ここで恐るべき真実を知る事になる。

オブリビオンはSFミステリーである。どんでん返しの連続である。したがって、種明かしをしてしまうと、まずいかもしれない。種明かしは「話の後半」にするとして、ここではしばらく映画の作りについて議論する。

オブリビオン 予告編

映画のセットなど

この映画は絵がとてもきれいだ。手が込んでいる。それらについて説明しよう。まずスライドショーをどうぞ。

スカイタワー

この映画は私が最近見てきた映画と違って金がかかっている。スカイタワーまずスカイタワーである。これは先に述べたように地上1000メートルの上空にある塔の上の住居である。3層構造になっていて、一番下はドローンの修理工場である。2層目は居住区で一番広い。ヘリポートもここに接続している。驚くべきことにプールまである。理想的なアメリカの家といった感じだ。居住区は非常にモダンで、無駄なものは何もない。

そこからの眺めがとても素晴らしい。そのシーンはアイスランドの山の上で撮ったという。朝焼け夕焼けのシーンを撮影して、セットの住居の周りのスクリーンに投影したそうだ。そうすることて自然な照明が得られると言う。3層目は小さな箱で通信室である。

通信室には水平なタッチ操作のフラットパネル・ディスプレーがある。ビクトリアはそこでサリーの指令を聴き、ジャックと連絡を取り、ドローンに指令を与える。この程度のパネルなら現在の技術で十分製作可能だろう。ところでパネルに書かれた内容は、多くの映画がそうであるようなインチキなものではなく、まじめに考えられたものだそうだ。手が込んでいる。

ところでこの建物は建築上、無理がある。まずあんなに細い柱の上に、こんな重量のある建物は建てられない。建てられたとしても、ちょっとした風や地震で大揺れになるだろう。とても安閑と暮らしてはいけない。

それにバランスがおかしい。ヘリポートにバブルシップがいる時といない時では、重心の位置が異なるので、支柱には過大な力がかかる。やはり柱はまっすぐにして、その上に重心を置くべきだ。そしてヘリポートは屋上に設置すべきだろう。

スカイタワーの住人の食料がどうなっているか気になる。食料倉庫らしきものは無いから配達されるとすれば、食料輸送のためのドローンが必要だが、そんなものは見なかった。そもそも宇宙空間で食料を生産するよりは、地球で生産して配達した方が効率的である。ハイドロリグ以外に生活必需品生産工場を地上に造るべきだ。

ところでこのスカイタワーはパラダイス(楽園)である。

Sally: Tower-49, this is mission control. How y'all doin' on this lovely morning'? タワー49、こちらは司令室、今日の素敵な朝にあなた方はどうしている?
Victoria: Holiday in paradise, Sally. 楽園での休日よ、サリー

ジャックとビクトリアはアダムとイブの隠喩である。ジャックはやがて、恐るべき真実をしる事になり、二人は楽園を追われる事になる。

スカイタワーの撮影シーン

バブルシップ

ヘリコプターのような乗り物だが、ローターはなく2基のエンジンで動く。オスプレイのようなものを想像すれば良い。操縦室はクルクルと回転するようにできている。実物大のモデルを作って撮影したとか。トム・クルーズ自身、パイロットの免許があるそうで楽しんで撮影したようだ。

このバブルシップには突っ込みどころがいろいろある。まず後部にヘリコプターのように回転防止用のプロペラがあるが、2基のエンジンで動くのだから必要ない。

バブルシップは宇宙空間も飛行できるのだからジェットエンジンではないはずだか、それなら推進剤が必要で、そのための巨大なタンクがない。普段は空気中を飛ぶからジェットエンジンのほうが都合がよい。しかしそれでは真空中は飛べない。

ジェットエンジンとして、空気取り入れ口の大きさが十分でない。もっと大きい吸入口にすべきだ。また排気口はリング状になっていて、中心部には小さな穴がたくさんあるが、あれは何だろうか。冷却用?

バブルシップが冷凍睡眠の箱を下につるして飛ぶシーンがあるが、重心より後方に積んでいたからバランスが取れないはずだ。エンジンは重心線上にあると思われるからだ。ようするにこの飛行機は飛べっこない。

バブルシップの撮影シーン

 バブルプレーン

ドローン

ほぼ球形をしている。パックマンのイメージである。これは空力的には不利である。抵抗が大きいし後流が不安定であろう。やはり揚力を稼ぐには翼を付けたほうがよい。

発砲した時にドローンが反動で動かないためには、エンジンの推力を瞬間的に調節する必要があるが、それはしていないようだ。またエンジンの空気取り入れ口が無いように思えるが。

ドローんはあまり賢くないので大した人工知能は載っていない。撃てという命令をTerminateという英語にしているのはなぜか? 宇宙人の言葉か機械語で良いのではないか

地上の光景

これはなかなか素晴らしい。荒涼とした砂漠がずっと続いている。特に船の墓場のようなシーンはショッキングである。潜水艦や戦艦の残骸がある。その中をジャックはバイクで走っていく。このバイクはホンダの改造版だそうだ。ペンタゴンが隕石でやられたところ、フットボール場の残骸、図書館の残骸などよくできている。またジャックが山の崖ふちに座るところもあるが、アイスランドで撮影されたという。ともかく荒涼とした風景は素晴らしい。

月の残骸が宇宙空間を漂っているが、周りにデブリの降着円盤があるなど手が込んでいる。宇宙人は月を破壊したそうだが、どのようにしたのだろうか。小惑星をぶつけるのが手っ取り早い。ペンタゴンが隕石でやられていたが、これは小さな隕石を操作してぶつけたのだろう。その方法は多分、ヤーコフスキー効果を使ったのであろう。ヤーコフスキー効果とは、小惑星の太陽に面した面が、陰の面より高温になり、放射圧が働く効果である。隕石が自転していると、一番温度が高い部分が正午ではなく、2時ころになるので、太陽と隕石を結ぶ線上からそれた方法に推力が働く。非重力効果という。それで軌道を本来の楕円軌道から変えることが出来る。隕石の回転角速度を操作して、隕石を誘導することが出来るのだ。隕石爆弾である。将来的にはアメリカか中国あたりが作るのではないだろうか。ただしヤーコフスキー効果が効くのは小さな天体の場合であり、月を壊すほどの大きさの小惑星は操作できない。そこで考えられるのが、ビリヤードモデルである。まず小さな隕石を操作して、もっと大きな隕石にぶつけて、その軌道を歪めて、さらに大きな隕石の軌道を帰る。時々、地球、金星などの惑星をフライバイしてエネルギーをもらったり、失ったりして、軌道を調節する。非常に複雑なプランだが、サリーならできるだろう。

秘密の盆地にある森、湖、古い家などはアメリカ人の郷愁を誘うものなのであろう。しかしなせあそこだけが緑が回復して、他の部分はダメなのだろうか。緑が回復しないと、人間たちは食料生産が出来ないので、60年も生き続けることは出来ない。 

話の後半(種明かし)

さていよいよ話の後半に入る。前半は比較的ゆっくりとした調子で進んでいたのだが、後半になると急展開する。真実が明かされるのだ。

ジャックとジュリアがスカブにとらえられる。スカブの首領であるマルコム・ビーチ(モーガン・フリーマン)がジャックに真実を告げる。スカブは宇宙人ではなく、人間なのだ。戦争は人間が勝ったのではなくて、宇宙人が勝った。人間はほとんどが滅びた。シカゴ辺りの地盤が堅く、彼らだけが生き残った。人間はタイタンに移住してはいない。テットは人間が作ったものではなく、それこそが敵なのだ。ビーチ達レジスタンスは2017年の敗戦以降、サリーに対するレジスタンス運動を行っているのだ。

スカブがNASAの宇宙船を墜落させた目的は宇宙船に積まれたプルトニウムを回収して核爆弾を作ることである。彼らは捕獲したドローンに核爆弾を積んでテット攻撃を画策する。ドローンはジャックのいうことは聞くがスカブのいうことは当然聞かない。そこでスカブはジャックを捕虜にしたのである。ビーチはジャックにドローンの再プログラミングを命ずるが、ジャックは断る。まだ信用していないのである。

そこでビーチはジャックとジュリアに、盗んだオートバイを返して、自分の目で確かめるように言う。彼らはバイクに乗り、エンパイアステートビルの残骸にいく。そこでジュリアは驚くべき告白をする。ジュリアはジャックの妻だと。ここで60年前にジャックはジュリアに指輪を手渡してプロポーズしたのだ。ジュリアはその指輪を見せる。ジャックはついに思い出した。

ビクトリアは二人を回収しようとバブルシップを派遣するが、二人の仲睦まじげな様子を中継で見て涙する。愛しているジャックをジュリアに取られたからである。帰って来た二人を入れようとはしない。そしてサリーに、ジャックの規則違反を告げる。それに対してサリーはなんと、スカイタワーのドローンを動かしてビクトリアを射殺する。ドローンがジャックを殺そうとした時に、ジュリアはバブルシップのガンでドローンを破壊する。サリーはジャックにジュリアを連れてくるように命ずる。

バブルシップに乗って飛び出した二人を3機のドローンが急襲する。渓谷内部でのドッグファイト。このシーンはスターウオーズでのトレンチ内の戦いと同じである。2機を撃墜するも、3機目の為にバブルシップは墜落する。放射能汚染地域と言われていた砂漠に墜落したジャックは驚くべきものを見る。全く同じ形のスカイシップが着陸して、ジャックとそっくりな人物が出て来て、墜落しているドローンを修理しようとする。ジャック52号である。元のジャックはジャック49号である。争う二人。49号はなんとか52号を縛るが、ジュリアは撃たれてしまう。止血器具を求めて49号はスカイタワー52号に行き、そこで生きているビクトリア52号に出会う。一緒に来るように言うが、規則重視のビクトリア52号はこない。

現場に戻りジュリアを止血したジャックは、彼女を湖畔の家に連れて行く。ジャックは自分がクローンだと悟る。しかしジュリアは49号が二人の記憶を共有しているのだから、それで良いと言う。その夜二人は小屋に泊まる。次の朝。

Julia: Good morning. おはよう

Jack: I wanted to spend the rest of my life here. ここで一生住みたいものだ。
Julia: You still can. そうしよう。
Jack: I have to go. Those people need my help. いや、行かねば。彼らが待っている。
[Julia rises from bed and walks up to Jack] ジュリアはベッドから起き上がり、ジャックの方に行く。
Julia: We'll come back when it's over. Promise me. 全てが終わったら、ここに戻って来ましょう、約束して。
[Jack nods] ジャックうなずく。
Jack: We'll come back when it's over. 終わったら、ここに戻ってこよう。

[they embrace] 抱き合う二人

二人は秘密基地に戻る。ジュリアはビーチに自分はジュリア・ハーパーだと自己紹介する。つまり結婚したのだという意味だ。ようやくテット攻撃用のドローンが完成する。その時サリーは別のドローンを派遣して秘密基地を攻撃する。そして、ビーチはひん死の重傷を負い、スカブのドローンは破壊されてしまう。そこでジャックは自分のバブルシップに核爆弾を積んで特攻攻撃することを提案する。サリーがジュリアを連れて来いと言っていたので、そのことを逆手に取ったのだ。ジュリアもジャックとともに特攻を希望する。二人でともに死のうと。そして冷凍睡眠箱に入り、バブルシップに吊るされる。

バブルシップの中でオデッセイのフライトレコーダーを再生したジャックは真実を知る。ジャックとビクトリアはもともとNASAの宇宙船オデッセイ号のパイロットであった。ちなみにビクトリアは英国人である事が、腕のユニオンジャックでわかる。ジュリアはロシア人である。タイタン探索の直前に宇宙人の宇宙船テットが現れて、それに目標が変更された。ジュリア達、他の乗員は冷凍睡眠中である。オデッセイのコントロールがテットに奪われた事を悟ったジャックは冷凍睡眠機の入った居住モジュールを切り離す。それはいずれ地球に帰還できるだろう。それが60年間宇宙を漂い、スカブのビーコンで地球に帰還したのだ。

ジャックとビクトリアはテットの捕虜になる。そしてクローン人間にされて、対人間攻撃用の武器にされたのだ。ジャックとビクトリアは何組ものコピーがあるのだ。

テットに入り込んだジャックは、テットの内部の壁面に多数のクローン人間の培養容器があるのを見る。ジャックは最後にサリーの正体と対面する。それは宙に浮かぶ正四面体の物体であった。生身の宇宙人ではなく、人工知能なのである。サリーという女性は、もとはNASAの通信司令であった。その顔と声を人工知能がまねただけである。最後にジャックは冷凍睡眠容器を開ける。そこから出てきたのは、なんとジュリアではなくビーチであった。

 

Jack Harper: What Horatius said was "How can man die better: than facing fearful odds,

for the ashes of his fathers, and the temples of his Gods". 

 Sally: I created you, Jack. I am your god.

 Jack Harper: Fuck you, Sally.

 ジャック「ホラチウスが言ったのは、先祖の遺灰のため、神々の殿堂のため強敵に立ち向かう以上の死に方があるだろうか」 

サリー「私がお前を作ったのだ。ジャック、私はお前の神だ」

ジャック「くたばれ、サリー」

ジャックとビーチは核爆弾のスイッチを押す。吹き飛ぶテット。

 

くたばれ、サリー Fuck you, Sally!!

この部分のサウンドトラックもなかなか感動的である。

恐るべき敵 Fearful Odds

 

 愛の物語

さらに話はどんでん返しで終わる。ジュリアは冷凍睡眠箱から起き上がり、ジャックが入れておいた絵をあわてて開く。それはアンドリュー・ワイスの有名な絵「クリスティーナの世界」である。小児麻痺の少女が草原で、我が家に這って行こうとしているところだ。湖畔の小屋に一人取り残されて、上空で爆発するテットを見上げて泣くジュリア。この絵は何を意味するのだろうか。我が家に必死で帰り着こうとしているのは少女であるが、本当は帰りたいのはジャックであろう。その思いを込めてジャックはこの絵をジュリアに贈ったに違いない。全て終わったら、きっと戻ってくると。

最後にまたどんでん返しがある。この部分が一番、物議をかもした部分である。結局この映画はSFの形をとっているが、愛の物語である。また人間とは肉体か精神かという問題でもある。つまりジュリアが愛したのは本物のジャックと、次はクローン人間のジャック49号である。しかしジュリアとジャック49号はたかだか3日間を過ごしただけだ。52号とは一瞬である。49号、52号と本物は遺伝的には同じてあるから、同一人物か? 魂は同じか? 魂とは所詮、記憶のことである。49、52号がジュリアとの愛の記憶を覚えていたのだから、49、52号の魂は生身と同じといえるか? かなり哲学的な命題である。

湖畔の小屋で一夜を共にしたジャックとジュリアは次のようなことを話し合う。「ことが全部終わったら、二人でここに住もう。そしてともに年取り、太って、酒を飲み、夫婦喧嘩もして、最後には死んで湖畔に埋められる。そして忘れられる」このくだりはちょっとうるっとなった。結婚とは恋ではなく、普通の生活なのだ。そして幸福とは普通の生活ができることなのだ。いい言葉だと思った。

幸福とは何か

我々は幸福を求めて生きている。幸福とは何か? 大金持ちになる事か? 素敵な人と結婚する事か? 大きな家に住み、おいしいものを食べ、豪華な旅行をする事か? 宝くじに当たる事か? 研究によると、幸福はその状態の絶対量(たとえばどれだけ大金を持っているか)ではなく、状態の変化であるという。たとえば宝くじが当たることは人を幸福にする。しかし、その種の幸福は6ヶ月しか続かない。その状態が常態化するからだ。宝くじの場合は、お金は減るだけだ。お金を使い尽くした後は、かえって以前より不幸にすらなる。

私は持病のため過去に10回ほど入院した事がある。それも病院の大部屋であった。イヤでイヤで仕方なかった。先生も看護師さんもいい人ばかりで、その点では不満はないのだが、施設が古いのである。特に私の入院していた病院は、病室のベッドの上以外にいる所がないのだ。大部屋である事も私に取ってはうっとうしい事であった。同室者がテレビをかけたり、CDをかけたりしてうるさいのである。トイレは畜尿瓶があり、見るのもいやだ。それでも日に17回は行かねばならないのだ。唯一ある休憩室は狭い喫煙室で、タバコ嫌いの私にはいやだったが、そこしか行く所がないのだ。

私はその時に真理を発見した。世界の人間は二種類に分類できる。入院患者とそれ以外である。入院患者には自由がない。それが不幸の源泉だ。(あと、塀の中の人も同じような真理を発見するであろう。) たとえ病気でも通院患者は入院患者よりは幸福である。

入院患者も幸福な患者と不幸な患者に分類できる。幸福な患者とは、希望のある患者だ。例えば骨折とか、虫垂炎の手術後とか、回復して行くことが明らかな患者は明るい。それに対して、将来がどうなるか分からない不安を抱えている患者は不幸である。私の場合、この病気で死ぬことは無いと言われていたから、明るい患者である。入院生活は辛くても耐えることは出来る。二度手術したが、一度は良くなることが明らかな明るい手術であった。もう一度は、ガンの手術で不安はあったが生還した。

というわけで、普通の人は気がついていないだろうが、普通に生活できる事が幸福である。明るい未来を予見できること、つまり希望があることが幸福である。

というわけで私は不幸だった訳ではない。希望が無いという不幸を目の当たりに見たのでよけいにそう思った。同室者に肺気腫の気の毒な老人がいた。トイレに行くにもいつも重い酸素ボンベを運んで行かねばならない。身の上話を聞いた。老人は生まれた時に、私の実家のそばの神社に捨てられていたと言う。宮司が拾って、適当な名字と名前を付けてくれたそうだ。大人になって、あちこちの鉱山のたこ部屋を回ったと言う。その時の粉塵かなにかで肺気腫になったのだ。娘さんと孫が時々見舞いに来ていた。退院して娘の所に行きたいようだが、娘にも生活があり、親を見る事は出来ないようだ。老人はなんとか民間アパートを借りて退院したいと言っていたが、かなわなかった。私が2回目の入院をした時には、その老人はトイレに行くのが面倒だから、医者に導尿管をつけるように頼んでいたが、医者はそんな事をすると寝たきりになるからダメだと言って取り合わなかった。その老人には希望というものが無い。

私が一番大変だったのは、中心点滴を胸に入れられて、1ヶ月間絶食をした時であった。チューブの為に寝返りはおろか、横になる事すら出来なかった。トイレに行く時も常に点滴袋を持って行かねばならない。それに何も食べられないので、猛烈にお腹がすいた。考える事は食事の事ばかりであった。スーパーの食料品のチラシ、料理の本、京都の食い歩きの本、テレビの料理番組、そんなものばかり見ていた。普通に食事が出ている患者がうらやましくてならなかった。今から考えれば、ヨーグルト、ジュース、牛乳くらいは食べさせてくれても良かったのにと思う。しかし私は家内や友人、学生の見舞いがあった。希望があったので、大変な入院生活も耐えることが出来た。

ともかく「普通の生活」ができること「希望」があること、これほど幸せな事があろうか。

アメリカ的価値観

普通に生活できることが幸福であるというのは正しいが、アメリカ的価値観では、結婚には愛がなくてはならない。愛というよりはむしろ恋である。ところが恋は結婚式をピークとしてプラス・マイナス1年程度で終わるといわれている。ホルモンが減少する為である。そのピーク期を学問的にはハネムーン・シンドロームと呼ぶ。2ch用語でいえばラリっている時期だ。しかしそれは必ず覚める。するとアメリカ的価値観では結婚は継続できない。だからトム・クルーズ自身、3回も結婚、離婚を繰り返しているのだ。従来の日本では結婚は家対家のものであり、恋愛感情は必要なかった。しかし近年はアメリカ的価値観が浸透して、結婚は恋愛結婚でなければならないことになり、離婚率が1割から4割に上昇した。ジャックとジュリアも、ともに湖畔の家で住んだとして、どうなっただろうか。二人と、将来できる子供しかいないのだから、たぶん離婚はしないであろうが、ずっと愛し合えたかどうかは分からない。

ジャック、ビクトリア、ジュリアはそれぞれ米国人、英国人、ロシア人である。当初のジャックとビクトリアの親密な関係は、米国と英国の特別な関係の隠喩であろう。しかし米国と英国は疎遠になる。米国はむしろ、資本主義を追求するプーチンのロシアが似つかわしいと言う監督の思いではないだろうか。もっとも現在はアメリカとロシアの関係はウクライナ情勢を巡って緊張しているけれども。

愛国心

この映画のもう一つのテーマはホラチウスの詩にある愛国心である。この映画の場合は愛人類、愛地球ということになる。最近私が見たアメリカ映画は、アメリカ万歳的な愛国映画であったので辟易している。オブリビオンもその線上にはあるが、アメリカを表に出していないので比較的すんなりと受け入れる事が出来る。ハリウッド映画の基本は男女の愛と愛国心である。

 

宇宙人

Salley

 

ところで攻めて来た宇宙人は何者かと言うと、スカブではない。彼らは地球人だ。ところでスカブと言う名前だがスカベンジャー(屍肉あさり)の略である。宇宙人は実は生身の生物ではない。テットとはあの巨大な四面体の構造物の名前とするなら、サリーが宇宙人なのだが、彼女は人工知能である。テットとは、説明されてはいないが明らかにテトラヘドロン(Tetrahedron:4面体)の略である。NASAがこれを発見した時に、その形から命名したのであろう。

最後に明かされるサリーの正体は赤い目を持った4面体である。赤い目は明らかに「2001年宇宙の旅」の人工知能HAL9000から来ている。テットの形は「インデペンデンス・デイ」の宇宙人の基地だ。もっともインデペンデンス・デイでは宇宙人は生身の生物であった。しかし広大な宇宙空間を長年月かけて航行するには、生身の宇宙人ではダメで、機械しかできないのだ。

サリーを作ったもとの生物学的な宇宙人はいたのだろうが、今は人工知能のサリーしかいない。人工知能サリーはテットに乗って宇宙に出かけて、多分あちこちの惑星を侵略して、水を集めて重水素を取って核融合燃料として使っているのだ。しかしそもそも地球のような重力ポテンシャルの底にあるところの水を使うのは費用的に高いのである。木星や土星の衛星で水のあるものはある。そこから取った方が安上がりだ。あるいは彗星から集めた方がもっと手取りばやい。

サリーは補給が十分でないらしい。というのも、壊れたドローンを回収しているし、予備が足りないらしい。あれだけ巨大なリグを作って海水を吸い上げたり、月を破壊したりできるほどの科学力がある割には、ちょっとレベルが低い。そもそもジャックごとき人間に簡単にしてやられるようでは困る。もっと知能があってしかるべきだろう。「私は神だ。私がお前達を作った」とサリーは言う。確かにそうなのだが、かなり頼りない神である。

宇宙人侵略もので、宇宙人が圧倒的に強くて人間は全く対抗できないものから(宇宙戦争)、宇宙人は強いけれども人類もそれなりに対抗できるものがある(ロサンゼルス決戦、バトルシップ)。後者の場合、ハラハラドキドキで人間がんばれと共感できる。

ヒューゴ・デ・ガリスの想像する、人間の一兆倍の一兆倍賢い人工知能なら、サリーのようなへまはしないだろう。

 

私とひとびとの感想

ネットでの感想を見ると、面白かったというのが多いが、よく分からなかった、くだらないというものがあった。しかしある批評では、この映画を観賞するにはIQ100以上を要求するというのもあった。つまり普通の人では楽しめないということだ。

実際、私も最初見たときはよくわからなかった。そこで計5回見た。それだけで10時間である。日本語字幕と英語字幕の両方で見た。英語字幕をストップモーションで一字一句読んだ。また英語の台詞を全部読んだ。さらに解説、感想、メーキング・ビデオなど徹底的に見た。ここに収録したメーキング・ビデオを何回も見た。そのくらいしないと、内容が十分理解できない。そこまでしても見落としがある。人々の解説を読み、私の見落していた所が理解できた。

ネタバレ解説と人々の批評、意見

しかしスカタンな感想も多かった。理解していないのである。一度見た程度であれこれ言う人々の感想などあてにならない。私は映画は映画館ではなくDVDで見るべきだと思った。というのも、ドンパチやカーチェイスのような単純な映画なら、大画面の映画館で見ると迫力がある。しかも内容が簡単だから見返す必要もない。しかし本作のように複雑な映画は一度見ただけでは何も分からない。何度も見ないと理解できない。

メーキングビデオを見て、監督や俳優、スタッフの話を聞いて分かってきたことは、まずこの映画にはとても金と時間と手間がかかっているということだ。そして監督の思い入れが随所にみられることだ。たとえばスカイタワーとそのまわりの風景とか。科学的、技術的に突っ込みどころはたくさんあるが、先に述べたように結構深い内容である。それを一瞥して分かる人がいれば、とても頭が良いといえる。凡人は何度も見て、やっと監督や作家の真意をつかむことができる。そもそも芸術は素人の我々が、一刀両断で批評できるようなものではない。それなりの素養、知識、教養が必要だ。人の評価を見れば、その人を評価できるとすら言える。

日本の浅薄な解説、意見に比較して米国の一部のそれは、そこまで深読みするかと思うほど深いものがある。例えばOblivion-Saturn Sally's Dream for Humanity (オブリビオン- 悪魔のサリーの人間に対する夢)。同じ批評でもここまで思考の深さに差があるのかと驚く。

メーキング・ビデオ

一見してよくわからないから駄作だと言う人がいる。しかし駄作だと決めつけるのは単に理解力の不足をさらしているだけに過ぎない。例えば今読んだのにこんなのがあった。放射能汚染されているのに、防護服を着ていないのはおかしい。放射線に関する基礎知識もないのか。

それは違う。まずジャックは放射線汚染地区には行かないように言われているので、防護服は必要ない。また防護服がない事がサリーの計画なのだ。それがあれば、汚染地域に入って行くかもしれない。そして真実を発見するかもしれない。しかし、本当は放射線で汚染などされていないのだ。ジャックのクローンがお互いに顔をあわさないように、担当地域を決めて、そこから出ないようにするために、放射線汚染と言うウソを信じ込ませていたのだ。その事はビーチが示唆している。汚染地域に行ってみろと。そもそも人類は核兵器など使っていないかもしれない。

地球はまず地震、津波、隕石などで壊滅的被害を受けた。そして食料不足で多くが餓死した。さらにその後で、クローンのジャックが多数下りてきて、殺人機械となって人間を殺しまくった。ジャック49号はその後に下りてきた整備士である。

またなんで海水を取っているのかという疑問に対しては、ナトリウムとかなんとか言う解説もあったが、それも違う。台詞ではっきりと核融合燃料と言っていた。それなら重水素であろう。ただそうだとすると、重水素を取った残りの海水は元に戻せば良いはずで、海水が減る事はない。この辺はおかしい。もっときちんとした科学的考証をする為に、科学者を雇うべきだろう。多くの人々のイチャモンはスカタンなものが多く、科学的に正しいイチャモンは少ない。

アメリカの批評サイトをたくさん読んでみた。分かったことは日本とそれほどは違わないことだ。つまり一度見ただけで、よく理解しないで決めつけている人が多い。しかし非常によく見ている人もいることが日本のサイトとは異なる。また上に述べたように、とてつもなく深い考察をしている人も二人いた。

事実の主張と意見

私はつねづね、主張には事実の主張と意見があると言っている。「○○は××だ」という言明には二種類あり、それが事実であるという主張と、私はそう思うという意見がある。事実の主張の場合は、それが正しいか正しくないかであり、その正しさは(一応は)証拠で示すことが出来る。意見とは、自分はそう思う、そう感じるということで、正しいか正しくないかは、判定できないし、問題ではない。なぜこの区別をするかというと、論文では事実の主張のみを書かなければならない。意見は書いてはいけないとされているからだ。意見を書く場合でも、事実の主張と意見は、はっきりと区別できるように分けなければならない。

世の中の多くの文章は、事実の主張と意見がごったになっている場合が多い。また単なる意見に過ぎないのに、あたかも事実の主張のごとく装っているものが多い。私はこの種の文章は信じないことにしている。事実の主張であるなら、本来は証拠を示すべきである。意見であるなら、そう「思う」、「感じる」と書くべきだ。マスメディアの文章を含めて、事実の主張と意見を峻別する訓練が出来ていない人が多い。

映画評論でも同じで、「○○は××だ」というのが事実の主張なら、映画の台詞やシーンを検証して、その正否を判定できる。映画の中の事実に関しては、台詞やシーンではっきりと示されている場合、前後の関係から推測される場合、監督やシナリオライターの事実誤認、間違いに分類できる。一方、その映画が面白い、面白くない、良い、悪いという判定はその人の意見であり、正否は問題にならず他人がとやかく言う筋合いのものでない。「ああそうですか」で終わりだ。問題は間違った事実の主張をして、それで意見を述べている場合だ。その意見には価値がない。

 

プロの仕事

私は、私に出来ない事が出来る人、プロを尊敬する。映画と音楽のメーキングビデオを何回も繰り返してみた。字幕がないので、英語を聞き落としている事を恐れた。何度見ても、ここに出てくる人たちはプロだと思う。彼らのやっている事は、私には何一つ出来ない。演技、監督、プロデュース、デザイン、CG、道具製作、撮影、音声、作曲、演奏・・・なにもできない。私は1年間テレビにレギュラー出演していた経験があるので、内部の事は少しはわかっているつもりだ。テレビ制作関係のスタッフはプロの集団である。もっともテレビ局員はプロではない。ところで私に出来るのは、科学的考証位なものである。

下に示したコンセプトデザインを見ると、デザイナーという人も大したものだと思う。一つの映画を作るのに、これだけの努力が払われている。

コンセプトデザイン(使われなかったものも含めて)

自分ができもしないくせに、あれこれ言う批評家がいる。もっとも価値ある「批評」をするというのも、一つの能力だから、真の批評家はプロであり尊敬に値する。しかし素人批評家は私は評価しない。文句言うなら自分でやってみろといつも思う。自分がプロなら、他のプロを尊敬するはずだ。人間の世界はさまざまな専門家・プロで動いている。人は自分の専門でがんばるしかない。

もっとも、自分の事は棚に上げて、上から目線で他人の批判をするのは楽しい事であることはよくわかる。結局映画と言うものはエンターテイメントであり、人々を楽しませる事が目的だ。映画を見て感動したという楽しみ方もあれば、下らない、駄作だと言って溜飲を下げさせて楽しませると言う、エンターテイメントの行き方もある。日頃、上司や客や家族からバカにされる仕返しをここでするのだ。

とはいえ、私がこの映画を名作に数え上げるかというとそうでもない。自分の専門の科学的考証の正確さからいえば「2001年宇宙の旅」を超えるものはないであろう。映画製作はプロの仕事で素人の立ち入れる所ではないが、映画の思想、哲学は一応誰にでも立ち入る事は出来る領域だ。この映画の主題は先に述べたように「男女の愛」と「人類愛」である。これはある意味、ハリウッド定番の陳腐な題材だ。永遠の愛とか言ってみたところで、ハリウッド俳優の離婚歴を聞くにつけ「あほらし」ということになる。

音楽

映画音楽はM83というフランスのグループのものだそうだ。彼らは映画音楽が始めてだと言う。彼らを採用したコシンスキー監督も慧眼だ。船の墓場をバイクで駆け抜けるジャックの背景で、躍動的だが物悲しい曲が演奏される。それを聴いてちょっと感動してしまった。サウンドトラックの2番目の曲「Waking up」である。ビデオの画面の後半はジャックとジュリアのエンパイアステートビルでのシーンである。Who are you!!

目覚め Waking up

 

エンドクレジットの部分ではスザンヌ・サンドフォーという女性歌手が歌っている。ビートの利いたドラムスと物悲しい歌のミックスはぞくぞくとする。歌詞はこちら。

オブリビオン スザンヌ・サンドフォー

音楽を録音している風景である。日本の大太鼓も使われている。何気なく聞き流しているサウンドトラックを作る為に、これだけ多くの人の協力があるなんて、普通は誰も知らない。結構勉強になった。

ソクラテスの無知の知

何でこんな映画を10時間かけてみて、さらに同じくらいの時間をかけて調べるのか? と問われた。私は「知的に興味あることは、なんでもおもしろい。研究の価値がある」と思っている。私の一連のブログの題材が様々なのはそのためである。調べだしたら、何でも面白いのだ。

いろいろ研究した結果、映画「オブリビオン」の批評というよりは、批評の批評みたいなことになってしまった。それで思ったことはソクラテスの「無知の知」である。ソクラテスはアポロンの神託でギリシャ一の賢者といわれた。ソクラテスは自分より賢者がいるはずだと考えて、自他ともに賢者と思っているソフィストや政治家やその他の偉い人たちと問答をした。その結果、彼らは何も分かっていないことが分かった。そこでソクラテスは、彼らも自分も無知だが、ソクラテスは自分が無知であるということを知っているだけ、彼らよりはましだという結論に達した。しかしそのことがもとでソクラテスは「賢者」に恨まれて、訴えられて、結局死刑になった。もっとも告発の表向きの理由は別である。裁判は「民主的」に行われて、500人の陪審員の投票で行われた。まず第一回の投票で有罪となり、つぎに量刑の決定になった。告発者は死刑を求めたが、ソクラテスは公会堂での無料の食事が妥当な刑だと主張したので、結局、死刑になった。世の「賢者」、「知識人」というのはいい加減なものである、「民主的」というのもいい加減なものであるということだ。

私が映画批評を読んで感じたことは、批評している人たちは、自分が何も分かっていないということを分かっていない「賢者」であるということだ。彼らの多くは自信満々である。(私も含めて)人が何事か主張するとき、自分の主張は正しいと信じて主張するのは当然だ。もしそうでないなら、嘘つきということになる。しかしその主張も、ひょっとすれば間違いかもしれないということを、頭の片隅にとどめている人と、自分は絶対に正しいと信じて疑わない人がいる。ネットの住人の圧倒的多数は後者である。2chなどを見ると、その手の「賢者」にあふれている。ネットは「賢者」の楽園である。

 

 

 

   
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