2024年03月29日

理科とSTEM 第8回
時代の前衛としての学校

世を遮断する断絶論

子供に見せたくない汚い世の中から隔離して、のびのびすくすくと育つ環境を学校では保持すべきだと言われる時がある。純真無垢な子供はそういう環境で教育して、汚い世を生きる耐性をつけて賢くなってから世に出ればいいという教育方針である。学校は世の中からの避難所、アジールだというわけだ。

その一方、学校教育の目的は世の中で生きていく能力を身につけることだから、積極的に世の中の方を向いて世の動向から学ぶ姿勢が必要だという主張もある。しかし、その場合にも、「学習には段階的なコースが必要だから、気が散らないように世の中とは違う環境醸成が必要だ」という学校教育の手段論からの隔離論が説かれることもある。またそんな手段論からではなく「世の中は簡単に変えられないから大人になれば仕方ないが、子供の間だけでも、汚い世に出たら二度と触れられない人間の価値や理想や文化に触れさせる期間である」というように学校の理念と現実の世を対立的に捉えたうえで、学校教育は理想を説くものという理想論もある。

前衛の歴史的背景

日本の学校教員の文化にも、手段論か理想論かを問わず、何れにせよ隔離論が優勢であったのではないかと思う。教育学の世界でどう説明されているのかは知らないが、何故そうであったのかは考えてみる必要がある。そこには、子供の発達に関する理論上の考え方から、学問の自由や大学自治の様な政治システムの中での防衛的な性格のものまで、幾つもの根拠が挙げられるであろう。しかし、それらは、歴史的に、徴兵制度と並んで、義務教育の普及が国民国家形成の一つの重要な事業であった時代に勃興したことと関係していたことを見落としてはならない。学校教育に対する磐石の国民的合意が自明に存在した時代における「その事業は我々学校教育の専門家にお任せ下さい」という使命感と自信の表明でもあったのである。すなわち時代をリードする前衛であったのである。

遅れた世間を跳ね返す

十九世紀、中央集権的に国民国家形成を行なったフランス、プロシャそれに日本でも、学校教育「運動」は現存していた世の中を肯定せず、それを革新していく人材育成を学校は担っているのだという自負が教育界にはあったのである。だから、遅れている世の中に生きる準備などという顧慮は必要なかった訳である。教員は遅れた世の中の全国津々浦々に築かれた橋頭堡の守り手であり、教員は世の中の革新者という攻めの意識を持っていた。だから「隔離論」は防衛的というよりは攻めの意識を維持し、「世間並みに堕落してはいけない」という世の中の改造者としての使命感を昂揚させるための形而上学であったように思える。遅れた世間を跳ね返して遮断するのは当然である。

明治期だけでなく、戦時体制構築の学校教育、大戦後の民主主義教育においても、日本の学校教育は明確な国家目標のもとでの人材育成の橋頭堡であった。内容的には行き過ぎ、虚偽の集団妄想、などなどの、手痛いしっぺ返しも歴史的には受けてきたが、ある時期までの長い間、学校教育は国家運営上の枢要な事業であるという認識が続いてきた。それは次世代の人材育成という世の中にとって枢要な位置を占めていと世の中が認識していたからである。いわば、世の中から一段高い位置を占めているという状態が維持されていた。

前衛からサービス業に

ところが、国民の大半が学校教育を受けた状態になってみると、また新たな国家改造の方向が不明確になると、学校が国民改造の司令塔の位置から転落してしまった。世の中での学校の位置付けがここで根本的に変化した。世の中を未来に引っ張る前衛の位置を維持することを放棄した学校は単純に子供を世間一般に通用する人間を育てる役目になった。そしてかつての様に世間は学校を仰ぎ見るのではなく、世間は学校のやっていることを評価する立場となり、主客が転倒したのである。学校教員は世間の事が分かっていない遅れた存在に転落した。学校は世間を指導する立場から教育にまつわる世の中のもろもろの要求に応えなければならないサービス業の立場となったのである。

いまでも開発途上国の学校は國民を指導する立場にあるかもしれないが、大半の先進国では國民国家形成時や大きな社会変動期に持っていた学校教育の輝きは失われているのである。この学校教育が担っていた歴史的使命の終焉後の着地点が自明でないところに現在の混迷があるように思う。世の中の革新者という前衛意識が融解すれば、そこには子供の環境の多様さが前面に出て、焦点を明確に絞れなく右往左往する状態になる。こういう流れの中では隔離論は防衛的、退嬰的なもの脱する怖れがある。荒々しい現実から一時的に逃避する空間は社会にも学校にも必要であるが、学校そのもののイメージをそれに重ねることは適当でいない。

防衛的断絶論

現在ではどんな家庭でも「読み書きそろばん」はもともと教育できるであるが、他の生業があるので、それを代行するものとして学校教育があるのだという見方が普通ではないかと思う。親の生き方を遅れていると考える様な世の中の革新を学校教育に期待してはいない。父兄と教員の間は完全なサービス業とクライアントの関係になる。サービスとして競われるのはその手法に特化してしまうだろう。その際に、生徒の多様な生活環境を慮ると現実からの隔離論に流れるであろう。たとえば、現実生活で算数が必須なのはお金をめぐる知識である。会社や国家の仕組みの理解にもお金の算数は絶好の題材であるはずである。しかし、政策的、政治的合意に複雑さが、生活スタイルや人生設計の価値観の多様さを考慮すれば、手法は隔離論に閉じこもるのが無難となるであろう。飽くまでも防衛的な隔離論となり、教育に攻めの姿勢が生まれない。

国民国家形成時に持っていたような学校教育の輝きを再び実現するということは、学校が世間に存在しないものを投入することである。近代化の初期にはまだしも、今どきたかが初等中等教育でそんなものはあるのかと言う気にもなるが、学校教育の活性化にはこの可能性の追究がやはり求めらているのである。

次回以降ではその可能性を追求してみよう。