2017年04月24日

「あいんしゅたいん」でがんばろう 10

ネットで偶然に「尾久土正巳氏が09年度科学技術分野の文部科学大臣表彰の科学技術賞(理解増進部門)を受賞した」というニュースを発見、彼にお祝いのメールをしたら、「今後も賞に恥じないように頑張りたいと思います」と返ってきた。「おきゅうど」と読むこの珍しい苗字とともに、天文教育業界ではつとに有名な人物です。1995年以来ずーっと私は彼のユニークなキャリアを横から見てきたが、「大学院と職業」を考える上での特異な事例である。 

私が彼を知ったのは1995年春である。和歌山県美里町に開所予定の名誉台長になって台長選定を依頼されていた。その頃、まだ社会ではインターネット草創期だったが、「天文月報」(日本天文学会誌)の記事にインターネットを使った公共天文台の活動を提案したものに目が止まった。また、この頃はCCDが天体望遠鏡の撮像に付きだした時期で、みさと天文台の望遠鏡にもコンピュータがセットになっていた。一時代前までは天文台は写真現像所でもあって化学薬品の臭いがしていた。

私の中ではこの二つの見聞が重なって、この天文月報の記事の著者の尾久土氏を台長に推薦した。兵庫県立西はりま天文公園の県職員から小さな町の職員へと格下げだが、IT新時代への夢をふくらませているこの34才の天文青年に思う存分活躍できる場を与えるとオファーした。私がまだ京大にいた頃で、北白川の研究室に彼がやってきて話しが整った。

当時はまだ補助金行政が盛んな頃で、町長さんは全国町村長会会長というベテランの人だったから、新提案は比較的順調に実現した。例えば、ネットは大学や県庁にやっと繋がった時期だったが、ある日、和歌山のNTTの工事事務所が「東京からの指示で」ネットをこの山奥の天文台につなぎに来てくれた。彼は海外の公共天文台と日食ライブや星空の映像交換などをやり、1998年には美里町で国際シンポ"Astronomical Education with the Internet"を開催した。ネットで結ばれていたシカゴの名門博物館からやって来た人など相手が田舎の天文台であることに驚いていた。さらに、林間学校用の合宿施設でやったので海外からの女性の施設などでのトラブルなどてんやわんやであった。私もこれらに参加してえた驚きを広める価値があると考え尾久土著「インターネット天文台」(岩波書店)の出版となった。アイデアのある若い人に相応しい場を与えると、想像もしないことが始まることを彼はいろいろと見せてくれた。

この頃は自治体もどこもIT化推進時代で、彼は行政のIT化にも尽力、その内に県のその方面の諮問委員会の委員になるなど、県庁のIT推進課や教育庁では顔のきく人物になっていった。高野山大学の学長(もちろんお坊さん)と私の公開対談を市内のホールでやったこともあった。彼の人脈は私にもうかがい知れないが2005年だったと思うが大阪の心斎橋筋のとあるお店の一角を夜借りてインターネット放送で宇宙対談と音楽の夕べをシリーズでやるというので私も頼まれて夜の心斎橋に何回か出向いたことがある。

ともかく「へー」と驚くような活動を次々やって来た人でこの手の話はキリがないので、彼のキャリアーに話を移そう。彼は1961年生まれ、大阪教育大教育学部を卒業してある私学学園(中高)の教員になるが、その間、大学院で修士を取得、この資格で教員から西はりま天文公園の研究員になる。そこで5年ほどいてみさと天文台の台長に転出する。台長のまま、1999年から佐賀大工学系研究科大学院博士課程に入り「インターネットを使った大規模な日食中継システムの実践とその教育への応用」で 2002年9月に博士(学術)をとった。町役場も身分を変えたりして工夫してくれたようだ。彼はいつも、資格を取って職に就くのでなく、職についていて資格をとっている。この「博士」資格はさっそく役に立って2003年4月には和歌山大学長から声がかかって教授になった。夢を語って連れて来た他の研究員を置き去りで出ていく格好になるので気にしていたが、「和大と連携する」ことにして彼に転出を勧めた。彼の大学院の資格は毎回キャリアアップにつながっている。

和大の理学部系は教育学部に一部にあるのみで地学の1名が天文であるだけである。彼が教授に呼ばれたのはそのポストではなく「学生自主創造科学センター(クリエ)」をマネージするポストである。学内共同施設だが専任は彼一人である。和大にはシステム工学部があり主にそこの学生が自分でモノづくりをやる工作場である。旋盤の使い方を教えたりするボランテイアの人を探してきたり、まったく手探りの役目であったが、彼は培った人脈を活かして立ち上げた。

この頃から、補助金削減、町村合併、と自治体は混迷し、みさと天文台の運営も様変わりとなった。何とか県の学校教育関係に結び付けようとあれこれ算段し、前の県知事と話できるまで持っていったが、なんとこの知事さん不祥事で失脚し、水泡に帰した。いまはみさと天文台の研究員が和大の客員教員になって連携した活動をしている。大学も大変であるが外部資金獲得やプロジェクトを進める上で役立っている。この縁もあってか、私は、現在、和大の経営協議会委員になっている。

いま何かと話題の二階経産大臣は地元が和歌山で、国会では観光議連の会長しているような人で、和大に観光学部をつくる話しが持ち上がった。定員の純増はむずかしいから振り替えでやりくりが要り、「クリエ・センター長」は兼任で、彼は観光学部教授になった。もちろん真面目に「観光と天文」を考えなければならない訳だが、それが日食や天文教育の彼のこれまでの活動を「観光」と位置づけるのは自然なことなのである。これはこの文章の本題ではないが、日食、オーロラといった天文ツアーから珍しい天然の世界遺産ツアーまで、従来、科学教育と観光は案外近いのである。彼ともあれこれ議論したことあるが、観光と科学教育の関係は面白い課題である。

私が名誉館長の「きっづ光科学館ふぉとん」運営会で聞いた話。ここは奈良観光圏にあるのだが、修学旅行を地方の高校に売り込む企画を考える旅行会社が都会にしかない施設、科学館、工場、研究所、とかをコースに織り込む試みを始めている。そうすると旅行会社の企画スタッフが「科学の魅力」をセールスするという“珍”光景が出現してくるのである。世の中は変貌していくのである。

写真:みさと天文台には光学と電波望遠鏡がある。「21cm電波プロジェクト」進行中。右から二人目が尾久土氏。