第6回定期勉強会報告

1.概 要

日  時:2016年11月28日(月) 14:00~17:00
場  所:NPO法人あいんしゅたいん事務所
話題提供:今中哲二(京都大学)
話  題:チェルノブイリ原発事故:30年間の調査経験から
当日資料:今中氏資料
参考資料:● チェルノブイリ事故にまつわる会議のソ連共産党の議事録
      ※ 一般市民の放射線障害などが判明
     ● チェルノブイリでの甲状腺癌と線量の関係に関する論文 1998年 Nature Jacob
     ● チェルノブイリでの甲状腺癌と線量の関係に関する論文
     ● ベラルーシ、ウクライナなどにある様々なデータのまとめ(今中氏によるまとめ)
      ※ 生データや調査方法などがはっきりしないものが多い。「不健康」の中には虫歯などが含まれていることも。
     ● チェルノブイリ事故について当初より研究していたIllynさんによる著作
      ※ 事故のメカニズムや事故後の動きなど

2.話題概要

 現在の福島県の状況を知るにあたって、過去の事例であるチェルノブイリ原発事故での調査内容は非常に気になるところです。どこまでのことがチェルノブイリで判明しているのか、またその知見と経験が今回の福島県にはどの程度適応することができるのかといったことも含めて、チェルノブイリでの事故とその後の状況を知っておくことは重要でしょう。今回は長年チェルノブイリ原発事故の調査に携わってこられた今中先生に、原子炉の特徴から、事故影響の社会的側面まで包括的に、チェルノブイリ原発事故の全容についてお話いただきます。

3.議事録

ソ連の原子力開発の流れ:原爆開発が発端

スターリンの指導のもと、原爆開発を発端とし1943年に開始。ファットマンの開発に携わっていた人の中にソ連のスパイがいたため、そのまま情報はソ連へ。オッペンハイマーは知らなかったが、部下にそのような人がいたため、赤狩りにあっていた。情報は得ていたが戦時中は作れる状況ではなかった。戦後、本格的に原爆開発が始動。

● 1946年に黒煙炉+水冷却でプルトニウム生産を目指した。1948年に成功。 1949年セミパラチンスクの核実験。これはファットマンのコピー。独自開発派もいたが、KGBがまずはアメリカの作ったものを真似させた。
● 1950年にはアメリカでマイク(11メガトンの水爆)がつくられた。とても運べるサイズではない。1952年にソ連で大陸間弾道ミサイルに載せられるサイズの水爆が開発された。
● 1954年世界最初のオプニスク原発。プルトニウム生産炉を大きくしたもの。
● 1974年100万キロワットのレニングラード原発。
● 1978年にチェルノブイリ1号機、1983年チェルノブイリ4号機。3年後4号機が事故を起こす。 モスクワまで700km, キエフまで100km、ベラルーシの首都まで300km。1~4号機全て運転中に事故。5,6号機を作っているときだった。

チェルノブイリ原発の特徴

● RBMK型原発とは黒鉛減速軽水冷却チャンネル型炉。280度(タービン条件)ぐらいで稼働。圧力容器の代わりに圧力管。直径8cmの管。炉心全体を囲む圧力容器がない。1661本のチャンネル、211本の制御棒用のチャンネル。チャンネル破断の際には下に蒸気を凝縮させるための凝縮プールがある。
● 爆開発からはじまったため、プルトニウム生産炉の流れを汲む。そのため、利点として運転しながらの燃料交換が可能。プルトニウム生産のためにはプルトニウム240になる前の採取が必要。
● 圧力管を増やすことで大出力化が簡単。また大きい圧力容器がないため、内陸立地が楽。
● 一方で、ボイド係数が+であるため、炉心に泡が増えると出力があがるため扱いが難しい。また制御棒の構造に欠陥があり、ポジティブスクラム(制御棒の一部に使われている減速剤である黒鉛は、中性子吸収率が水よりも低いため、制御棒を入れることで、中性子の吸収が減ってしまう)が起きることがある。(黒鉛の純度が高ければ高いほど、ボイド係数が高く、中性子吸収率は落ちる。)

● 日本も東海の一号機は黒鉛炉のガス冷却。イギリスは空冷。水冷だと水が無くなると暴走することが弱点。
● 東ヨーロッパに出しているのは、軽水炉ばかり。

● プリペアチ川河畔にあり、近くには冷却水の貯水池がある。3kmほど先に原発関係者の居住区域として作られたプリペアチ市がある。 

事故発生の経緯とメカニズム

● いくつか仮説がある。事故後、数ヶ月で石棺で囲い、その後、炉心の中を確認したのは2年後であったため、詳細にはわからないことも多い。
● 4/25 1:00 保守点検のため原子炉を停止作業開始。3:47 出力が半分に。14:00 キエフの給電司令所より運転継続要請。その後、継続要請がなくなり、停止。26日、1:21 出力が下がったが、実験のため再稼働。緊急用電源のための電力供給実験。無理して出力をあげるため、制御棒を除去。32秒ほどで、実験終了。制御棒を一斉に入れたあと爆発事故。26日3時ぐらいにモスクワに連絡が入る。朝10時ぐらいには現地調査。26日午後には事故対策委員会ができている。医療班も夕刻には入り、負傷者はモスクワに送られた。
● 仮説:一度全て引き上げた制御棒を一斉挿入したことにより、ポジティブスクラムが発生。何チャンネルかで暴走がはじまって、凝縮プールが容量オーバーになり、更なる圧力チャンネルの破損を招き、爆発。圧力管で蒸気を閉じ込めているため、原子炉全体の耐圧は低い。
● 通常、キセノン毒により急な再稼働は難しい。無理に出力をあげるために制御棒を全て引き抜いたことが問題か。(キセノン毒:ヨウ素から崩壊して溜まったキセノンによる中性子のクロスセクションが大きいため、中性子を消費してしまい出力があがらない。普通はキセノンが下がるまで待つ。)
● 8月の事故の専門者会議にて、6つのオペレーションミスであったと発表(嘘)。IAEAやアメリカも絡んで報道された。その後、ソ連崩壊時に事故当時の詳細について見直しがなされた。オペレーター並びに責任者は事故の一ヶ月後ぐらいに死亡。
● 炉心が浮き上がったことは確か。2年後に中を確認したところ炉心のあるべきところはほぼ空であった。燃料棒が炉心から離れたところで見つかっている(3号機屋上)。圧力管の中心はジルコニウム。上下はステンレス。継ぎ目が弱い。
● 暴走後に再臨海したかはわからない。基本的には圧力管内の蒸気による爆発。

事故後の状況、除染、避難、情報公開など

● 事故当時、貯水池で夜釣りをしていた人が多かった。そのため爆発による火花を見ている人は多い。
● 事故直後の除染作業:60~80万人の事故処理作業者(主に正規軍)。高すぎて測れる線量計がない状態で作業を行っており、線量管理がなされていない。
● 翌日もしくは翌々日に陸軍化学部隊による除染開始。黒鉛が燃えたことにより火事が発生。砂と泥、鉛を5000トンほどヘリコプターで投入。5月6日ごろに消炎。実は砂や泥は標的とした炎上部分には入ってなかった。チェルノブイリでは燃料そのものが飛び出し、雨ざらし状態に。
● プリペアチ市(3kmほど離れた場所)では20時間後ぐらいから線量が上がりはじめる。
● 事故翌日にはプリペアチ市の5万人が避難。その際、おおよそ10mGy/hぐらいだった。
● キエフでは4月30日に線量があがる。5月1日はメーデーで20mSv/hのような状態の中でメーデーは行なわれている。一週間後から30km圏内の避難開始。
● 一週間程度で原発周辺の松林が枯れた。ニンジン色の森と呼ばれる。
● 4月28日にソ連が事故を認めた。スウェーデンに放射能物質が飛んで行ったため。
● 5月6日に記者会見。5月14日にゴルバチョフさんが声明。8月の会議で石棺をつくってもうじき人も帰還するといった。これ以後三年間、公に発表された情報はない。
● 9~10月、石棺建設に伴い、作業ロボットが放射線のために動かなくなるため、人の手で3号炉屋上のがれきを除去。但し、このときは線量は管理されていたため、一人あたりの被曝量は当時の制限である25レントゲン(250rem)では収まっているはず。2000人ほどの志願予備役が従事。制御棒や黒鉛がおちていた。
● 30km圏外でも避難対象になるほどの放射能汚染地域があったにも関わらず、3年間情報は公開されなかったため、その間は人が住んでいた。気がついた時点でのど付近の線量を40万人で測定。線量評価の作業をその後行なっている。同時に部落ごとに土壌の線量を測定し、89年に汚染状況を公開した。知らされていなかった汚染地域の住民は当然怒り、ベラルーシやウクライナがモスクワに対策を要求、対応しきれないモスクワがIAEAやWHOに手助けを要請し、世界的に管理されることになる。
● 2年後の88年に炉心を確認。中身は吹っ飛んで空っぽで底は溶けていた。自然空冷状態。福島と違いは水は入っていない。事故時にあったウランは190トンは炉心内にはほとんど残っていない。
● 89年までにチェルノブイリの事故のメカニズムや周辺への影響を研究をしていたのはIllynさん、Izraelさん(詳しいことは参考資料参照)。
● 遠方での汚染地域では、除染のため人口降雨を行なった。効果については情報がない。
● 被災国の関係性:ベラルーシはロシア寄り。ウクライナは西側に親和性が高く、ロシアには敵対の傾向。
● 1991年5月国際チェルノブイリプロジェクト報告会。各国のスクリーニング調査の状況などが報告。ここで甲状腺癌発生の可能性が言われている。
● 1998年、natureに線量との関係を示す論文(参考資料、yacob et al.)
● チェルノブイリの石棺前は今では観光地。ツアーもある。

汚染状況

● 30km圏内の線量分布は事故から10年後のシンポジウムで公開。発電所、民間の企業などが事故後入って測ったもの。線量の高い低いは距離には関係ない。原子炉の近くでも天候、風向きで線量の低いことはある。しかしながら値がいまいち信用できないデータも含まれる。
● セシウム137による汚染については、1キュリー/平方キロメートルを汚染地域とする。37000Bq/平方キロメートル (本州の60パーセントぐらいの面積)が汚染された。移住対象は15キュリー/平方キロメートル(福井+京都+大阪ぐらいの面積)。
● 飛散した核種:希ガス類炉内の100パーセント(キセノン133など)、揮発性(ヨウ素131, セシウムなど)炉内の50~60パーセント、不揮発性(ストロンチウムなど)炉内の5パーセント程度。

● チェルノブイリでは全ての核種が飛んだ。福島では核種は限られている。
● ストロンチウムは水に溶けにくいがオキサイドになると水に溶ける。福島ではセシウムは先に洗い流されており、汚染水のほうはセシウムよりはストロンチウムが問題になる。

事故による放射線障害

● 急性障害

● 消防士(発電所、プリペアチ市)、運転手。28人(モスクワ第六病院)、1人(キエフ)、1人(やけど)、1人(救出できず、遺体が現場に埋まっている)が亡くなっている。300人が運ばれている。
● 亡くなった方の骨髄線量:6Gy以上 20人, 4~6Gy 7人、2~4Gy 1人(モスクワ第6病院。臨床症状からの推測。原子力潜水艦での被曝データとの比較から)。
● 基本的には骨髄腫が原因。β線熱傷もひどかった。

● ソ連共産党の議事録(参考資料)には一般の人々に多くの放射線障害があったことが報告されている。

● ベラルーシ先天性障害:汚染地域と比較対象地域の取り方で影響ありという結果も影響なしという結果も出ている。線量との関係性はでていない。

● 今中氏によるチェルノブイリ調査 1990年ソ連訪問、1994年~ベラルーシ、ウクライナ、ロシアにおけるチェルノブイリ研究の現状調査:KURレポート(参考資料)。

● チェルノブイリの人体への影響を調べた報告には確かな情報と不確かな情報があるため、それらを分ける必要がある。
● はっきりしない部分についてどうするか?たとえば、ジャーナリストや行政は少しはっきりしない部分にも注意を広げる必要がある。

(文責:廣田)

 

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