2017年04月29日

 

 

福島健康調査の論文を巡る現時点での結果についてまとめ ~ 疫学ゼミを通して ~

概要

市民と科学者のコミュニケーションネットワークの企画による勉強会は、キックオフミーティング(8月28日)のすぐあと9月頭から実行に移され、この疫学の勉強会が始まりました。 勉強会では、今、最も関心の高い福島県民健康調査に関する様々な意見について、科学的にどこまで結論を出すことができるのか理解するため、疫学の専門家である田中司朗先生の助けを借りて複数の論文を読むこととなりました。 福島県民健康調査に関する報告では、すでに本格調査の結果についても、この4月にその一部が発表されていますが、ここでは先行調査のデータを用いた福島での甲状腺癌のデータをまとめた論文を検討しました。代表的な論文のうち、増加が見られたと主張する論文と増加は見られなかったと主張する2本を詳細に読み、比較しました。その結果、どちらも解析手法や統計の処方で不十分にならざるを得ない部分があるため、それらの問題点をしっかり押さえ、今後の推移を見守ることが大切だということとなりました。勉強会としては、先行調査の結果からは確定的なことは言えず、本格調査との比較を待つ必要があるという結論に達したということです。

先行調査を分析した2つの論文は、前者が津田ほか2人の著者による論文、後者は大平ら16人に及ぶ著者による健康調査委グループによるものです。そもそも福島県民健康調査委員会は、「先行調査は本来、本格調査との比較をする目的で、放射線の影響が出る時期より以前と推定される期間に行われたもので、福島県民の被ばく前の状態を調べるべく行なわれたもの」という位置づけです。それによれば放射線の影響が出ていなくて当然という前提があったわけです。 以下に、二つの論文の大まかな内容と、問題となる点をまとめました。

内容1:甲状腺癌が増えているとする津田氏による論文の概要

先行調査の段階で、すでに甲状腺癌が増えているとする津田氏の論文では、二つの方法で甲状腺の増加の有無を検討しています。そのうち一つで統計的に有意に増え、もう一つでは、有意とは言えないものの増加の傾向が否定できないと結論づけています。 まず、はっきりと増加したと結論した解析方法について問題点を見て行きましょう。この方法では、先行調査によって福島県内で発見された甲状腺癌を持つ人の割合と、いくつかの県でのがん登録(病院でがんと診断されたときに登録するもの)されたがん患者の割合とを比較しています。今回行われた先行調査では、福島県に事故当時在住していた18歳以下の全員を対象にしており、これまで(実際にはがんの初期であったとしても)がんの自覚症状が無い人も含めてすべて検診しています。今回の超音波診断は、かなり微小なしこりや嚢胞も検出できる精密検診を執行しました。これに対し、比較対象として用いられたがん登録では患者本人ががんの自覚症状があって対象者が受診した結果登録されたものです。そのため、従来のがん登録ではがん患者はかなり少なくなってしまうことは推察されます。実際、すでに超音波検診の世界各国のデータからこの推察は確認されており、がん患者の数を数える方法が違うと簡単には数を比較できないことがわかっています。このことは、統計のテキストにも書かれていて、多くの検証結果があります。この特徴を抑えないと「多い」とか「少ない」とかいう判断はできないわけです。津田氏もこのような効果について考慮したことは論文で述べていますが、どのような比較でどの程度の数値になったかは示されていません。一方、先行調査では福島県以外(長崎県、山梨県、青森県という日本の中の3県)で同様の方法で検診が実施され、その結果が健康調査委員会の報告として発表されています。その結果をみると、データとしては少ないですが、そこでのがん発見者の割合は福島県での結果と比較しても「有為な差がなかった」ことが報告されていますが、津田氏はそれには触れていません。がんの検出方法の違いを考えた上で、放射線とは無縁の比較対象を設定する(このように全く関係のないところに比較対象を取ることを外部比較といいます)のなら、コントロールを「同じ検診方法で注意深く調査した3県のデータ」のほうが、従来の「がん登録」のデータよりはより正確ではないかとも思われます。ただ、3県のデータは数が少なく県ごとのがん患者の数は、かなりのばらつきがあるので、統計的には完全とは言い難いと言えます(しかしながら疫学的観点から言えば外部調査として3県のコントロールを取った県民調査実施団体の見識は評価できるのではないかと思われます)。  また、残念ながら、事故前の福島県でのデータが存在しないので、津田論文では、「先行調査で発見されたがんの比率(prevalence)、全て事故由来で事故後に発生したがんである」という仮定をしています。そして、事故後4年間のうちに、すべてのがんが発生したとしてがん発症率(incidence)(1年あたり新たに発症する割合:/年)を求めています。  先に述べた他県(長崎、山梨、青森)との比較において差が見られないことなどを考えるとこの仮定が正しいという保障はありません。また、今回の先行調査のように、ある時点の一回での調査では、いつの時点でがんが発生したかわからないため、疫学ではこういう形での発生率の算出は通常行ないません。もっとも、過去には、病気である期間が皆同じで、新たに病気になる人、病気から回復したり亡くなったりして患者数からは出て行く人の数が同じで、患者割合が常に一定になる(つまり定常状態)ときには、ある時点での調査での患者割合から発生率を出すことも行なわれてきましたが、この仮定を満たす状況が少ないため、最近ではあまり使わなくなり、標準的な疫学の教科書からもこの手法の解説は今では掲載されていないことが多くなりました。  もう一つの方法では福島県内の地域を線量の高低によって分け、被ばくがないと考えられる地域と線量が高いとされる地域で比較することによって線量による効果を見ようとする試みです。この解析手法での結果では、有意と言い切れるほどではないものの増加の傾向にあるとしています。ただ、この解析においては線量の高低というのが単に定性的に分類されているために、どの程度の線量でどの程度、発見割合が増えるかについては何も結論できません。がんの発生確率が数量的に線量とともにどう増加するかを見せないと納得できるものではありません。これに対しては、津田論文が発表された後、様々なコメントが寄せられ、レフリーの要請に従って津田氏が答えているものがあります。そこでは、津田氏は、「先行調査は3年かけて行なわれたため、調査が早かった地域では発見された数が少なく、調査の遅い地域では発見された数が多かったという効果のため、線量どおりの発見割合になっていないのだ」と述べています。もっともな主張ですが、それならその効果も入れて、丁寧に分析することが必要でしょう。そもそもチェルノブイリでも甲状腺癌の発生が増えたのは4年目からだと結論していますが、果たして、1年目~3年目という時間差がどれほどの影響をもたらすのかは検討して納得のいく説明がなければ単なる仮定に過ぎないと思われます。

内容2:甲状腺癌は増えていないとする大平氏による論文の概要

大平論文と津田氏の論文の違いは、線量推定にあります。津田氏がWHOによる地域ごとの線量推定結果をもとに、福島県を3つの地域にわけ、対象者の2011年の時点での住民票の位置から線量を決めているのに対し、大平論文では、調査対象者のうち3割の人から行動記録などのアンケートを回収し、それを元に線量を推定しています。また、それ以外の人についても、福島県をより詳細な線量推定結果により地域を区分し、比較を行なっています。その結果、増加の傾向は見られないとしています。 健康調査グループのほうが公表されているデータ以上の情報を持っていることで、このような詳細な分析ができたのだと思います。その意味では、線量推定については大平論文の方が津田論文より一見すぐれています。しかし、疫学的には、アンケート調査の回収率が3割と低いため、果たしてどこまで詳細に論じるに耐える正確な情報であるのかは不明です。また、その3割の人たちに何か共通する特徴があるかもしれない場合には解析結果に放射線以外の要因が紛れ込んでしまう可能性(交絡因子といいます)があることを否定することができません。 また、アンケート以外で出した結果については、地域ごとに分けて解析を行なっています。こちらでは「高線量の地域」での患者数が1となってしまっており、統計的には不十分になってしまっていることを否めません。やはりこちらも線量という数字との関連を定量的に示すに至っていないという意味では津田論文と同じ欠陥を持っています。

まとめ

以上のように、津田、大平両論文について学びましたが、どちらの論文においても、事故後のがんの発生割合と線量との関係を定量的に示すに至っておらず、がんの増加の有無についても、被ばくとの因果関係についても結論を出せているとは言えません。この4月より一部報告がはじまった本格調査の結果との比較をする必要があると考えられます。  また、この両論文ではどちらにおいても線量推定が不十分であることが明らかにされ、「線量をどのように評価していくか」という今後の本格調査の結果を解析する際の課題があぶり出されました。すでにUNSCEARの報告にも載せられていますが、事故のかなり早い時期に科学者の多くが参加して不十分ながら線量に対して緻密なデータを出しています。これは、かつて広島・長崎で自発的に線量測定を行ない、さらにはビキニ事件後の核実験において海洋での線量分布の精密な調査を率先して行ってきた日本の科学者らの伝統を受け継いだ素晴らしい仕事です。残念ながら、ごく初期の調査については、国の許可がなかなか取れず、時機を逸したために、半減期が8日程度のヨウ素の直接測定は限られています。しかしながら物理的考察から、のちのセシウム等の線量からヨウ素の量を推定した結果も報告されています。もちろん、健康調査における詳細な行動記録から内部被ばくの量を直接測定した数少ないデータもあります。また、上に述べたように十分な調査がなされない中で、あらゆる既存知識を使い、2回の水素爆発における核種の違いまで考慮しながら線量推定を行なった論文(谷畑ら)や、甲状腺に溜まった放射性ヨウ素を直接測定した数少ないデータ(床次ら)もあります。また調査対象者の行動記録としては、避難した人々の足取りを携帯GPSを用いて測定したデータ(早野ら)もあります。このように、苦労して得られた健康調査結果を解析する時には、フルに活用しない手はありません。これらは数量評価を支えるための貴重なデータとなり得ます。  しかし、ともあれ、このような中で結果をまとめ発表されたことは、この問題を多くの科学者が議論し検討していくためには重要であり、両論文とも評価されてもいいと思います。ただ、それは、科学的検討の材料として、科学論文として議論されるべきであり、甲状腺がんと放射線との関連を客観的に理解するためのあくまで「途中経過」であると考えます。また、確定的な結論を得るためには、今後の本格調査の結果を待つ必要があることを科学者は心得ておくべきです。残念なことに、これらの結果は、新聞紙上やツイッターなどで公表され、しかも、どちらも、結論が出たかのような形で発表されました。このような形の発表は、いったいどちらが本当の結論なのか、と市民らの混乱を招く結果にもなりかねません。あくまで、ここまでの分析でここまでわかったということをきちんと伝えるべきです。そうでないならば、市民の前で自己の主張を「科学的結論である」と声高に語るべきではないのではないでしょうか。「どちらもどちらやなあ」と勉強会でみんながため息をついたのは、このような状況を憂いての結果でもあります。私たちは、あくまで公平に「ここまではわかった」「ここからはまだ個人的な推測でしかない」「これからの課題は何か」を見極めるために3回もかけて、2つの論文を検討してきました。みなさんも思い込みや偏見にとらわれずご自分の目でしっかり読んでみてほしい、と願っています。私たちの報告がその一助になれば幸いです。 また、津田氏のように健康調査グループに属しない、いわば外部の科学者が正しい解析をできるためには、線量推定に関するデータも含めて調査結果のデータが公表され、誰もが疑問に感じた時にはアクセスして分析できるようにすべきです。もちろん、そのためには、個人の行動記録など個人のプライバシーに関わるデータに対して個人特定できないような加工が必要ですが、そういったノウハウについては、昨今ビッグデータを扱っている分野での手法が参考になるでしょう。こうした分野の異なった方々にも協力をあおぎ、研究に参入してもらうことも可能かもしれません。 健康調査の今後については、甲状腺がんの予後が比較的良いという性質と手術後のQOLの確保との兼ね合い(短時間で発症する種類の甲状腺がんを除いて、ほとんどの甲状腺がんでは死亡に至らないため、術後の生活の不便を考えたとき、調査による早期発見が幸せにつながるのかという議論があります)などから存続について議論が行なわれています。「誰のための調査か」「何のための調査か」。低線量放射線を長期的に理解して将来の人々の健康に役立てて行くためには、今後も調査を行う必要があるでしょう。そのためには調査を行う側にも調査をされる側にも「人類の健康のために調査を行う必要があるのだ」という目的意識の共有と覚悟も必要です。それと同時に、福島県の方々がより良い医療を受けられる体制を(早期発見後の治療方針を整理し、QOLを下げない医療のあり方を模索することも含めて)確立していくことも重要であり、両者は互いが互いの礎となりながら進められて行くものではないでしょうか。現在、国民健康調査を行なっている福島県立医大のみならず、様々な機関や人々からの協力体制が確立され、市民の理解を得て、健康調査実施がサポートされていくことが大変重要だということで、勉強会参加者らの意見は一致しました。

(文責 坂東昌子・廣田誠子)