人類文明の近未来像・・・物質・エネルギー的視点からみた繁栄と崩壊 - NPO法人 知的人材ネットワーク・あいんしゅたいん

研究所紹介  

   

活動  

   

情報発信  

   

あいんしゅたいんページ  

   

人類文明の近未来像・・・物質・エネルギー的視点からみた繁栄と崩壊

詳細

世界を動かす基本要素は物質、エネルギー、情報である。人間生活と関連して食料と鉱物資源、それにエネルギー資源が重要である。本稿では情報的視点は除いて、物質とエネルギーにしぼって、21世紀における人類文明の可能な未来について論じる。未来像を楽観的、悲観的、超悲観的に分類してそれぞれを紹介する。エネルギー的視点で考えるには、風力発電、太陽光発電などのいわゆる再生可能エネルギーが重要である。しかしその可能性は乏しいことを示す。

最後に1970年代に発表されたローマクラブの有名な報告「成長の限界」の検証を行った論文を紹介する。その結果、予測は現実のデータによくあっていることが分かった。そうだとすると、人類文明は2030年頃にピークに達した後、急速に崩壊に向かう。アポカリプスである。

情報的観点からの分析は別稿に譲る。

1 始めに

日本は2011年3月11日に未曾有の地震と津波に襲われた。それに伴って福島第一原子力発電所の原子炉が爆発した。そのため脱原発をすべきであるというメディアや国民の声が大きくなっている。そして2012年 5月5日に日本の全原発が停止した。一部の原発は再稼働するであろうが、全部再稼働させて元の常態に復することは、技術的に可能であるにしても、政治的にきわめてむずかしいであろう。日本国民の多くが放射能の恐怖におびえているためである。この事件は文明史的にも一つの転換点となる重要な事件であると私は思う。

現在、ヨーロッパではギリシャから始まった経済危機は、まだ収束する見通しがつかない。ギリシャのほかにもアイルランド、ポルトガル、スペインが危機に見舞われている。さらにはイタリアも危ないかもしれない。国家の債務が増大しているのである。果たしてユーロは大丈夫か、EUの統合は保たれるのか。

国家債務の点では米国も同様である。無謀なイラク侵略やアフガニスタン侵略のために国家財政が危うくなりつつある。国家の債務と言えば、日本の方がヨーロッパや米国より比率は高い。

このように日本を含む西欧先進国はいまや危機的状態にある。一方、中国、インド、ブラジル、ロシアなどBRICsと呼ばれる発展途上国は現在、爆発的な経済発展を遂げている。しかしそれに伴い、エネルギー、食料、鉱物資源の需要も急速に増えている。これらの増大する需要を地球は賄いきれるのか。はたしてこれら発展途上国の発展は、これからも続くのか。

日本、そしてアメリカ、ヨーロッパなど西欧先進国の今後の運命はどのようなものであろうか ? まずは私が考える日本の近未来についての三つのシナリオを提示する。

最後に有名な「成長の限界」について検証した論文を紹介し、それが1970-2000年のデータとよく一致していることを示す。もしその再計算の結果を信じると、人類文明は2030年頃にピークに達して、その後は急速に崩壊に向かう。つまりアポカリプスである。私はこれがありそうなシナリオであると恐れている。

2 エネルギー的視点からみた、私の3つのシナリオ

 2.1 楽観的見方・・・繁栄した持続可能社会

日本の全発電量に占める原子力発電の割合は30%近くあり、それらが2012年5月には全部が停止した。特に電力に占める原発の割合が50%を占める関西においても、一般市民だけでなく、地方自治体の首長が原発再稼働に反対するという、いわば自分で自分の首を絞めるような主張をしている。朝日新聞を中心とするメディアは声高に脱原発を叫んでいる。安全、安心が大切だというのだ 。原発は今後一部は再稼働するであろうが、全部が再稼働するのは、これらの状況から見て、政治的になかなか難しいことと思われる。

ここで私が言う楽観論とは、電力不足は当面は節電で乗り切れるし、10年程度の近い将来は火力発電を増強してまかない、それ以降は太陽光発電、風力発電、地熱発電のようないわゆる再生可能エネルギーでまかなえるとする。つまり持続可能社会を作ることが出来るとする考えである。下記のWikipediaは再生可能エネルギーを肯定的な立場で描いている。

また当面、電力供給が減少しても景気は悪化しないし、産業の海外流出もなく、雇用も守られる。従って治安の悪化もなく、食料、医療にも問題はなく、国民の福祉も安全も健康も十分に保たれると考える。ここで基本的なことは、たとえ脱原発しても現在の生活レベルを維持したいし、それが可能だと考えるのが楽観論である。あるいはたとえ、生活レベルが多少下がっても、それほど大した問題ではなく、安心を考えれば我慢できる程度である。

さらに長期的に見れば2050年の段階では、全エネルギーの50%程度が再生可能エネルギーでまかなえるであろう(上掲Wikipedia)。そして日本を含む先進国の諸国民は楽しく幸せに生活できているであろう。これが私がここで言う楽観的見方である。

脱原発、反原発の主張には、単に経済的、エネルギー的視点だけではなく、原子力は原爆とともに始まったものであり、それ自体悪であるとする倫理的、イデオロギー的、哲学的見方もある。放射能に対する恐怖は単に日本人だけの問題ではなく、世界的なものである。その原因はなんといっても核兵器であり、そしてスリーマイル島、チェルノブイリ、福島における原発事故である。

ある老哲学者は福島原発事故は「文明災」であると喝破した。デカルト以来の西欧の分析的世界観が科学を生み、科学の頂点が原発であり、それが生み出した災害であると言うのだ。だから近代科学技術を捨てようというのだ。そして彼はさらに20年間、哲学を続けるという。

彼は太陽光エネルギーの研究の推進を提言するが、それもまた近代科学技術の頂点ではないのだろうか。 彼が87歳の現在まで生きておられて、さらにこれから20年も生きられるという自信は、豊富な食料、進んだ医療など、西欧の近代科学技術文明のおかげだと私は思うのだが。これが今後も維持できるかどうかが問題なのである。そこを考えない哲学的議論は空疎であると思う。

 2.2 悲観的見方 ・・・私の見方

一方悲観的見方では、再生可能エネルギーでは十分な生活水準を維持することができないと考える。実際、菅元首相が掲げた楽観的な目標でも、2020年代の早い時期に日本の電力における再生可能エネルギーの占める割合を20 %にするというものだ。ということは全原発が電力に対して占めていた割合、30パーセントの電力が、あと10年は失われたままだということだ。

もし電力需要が現在のままであるとするならば、原発が生み出していた分の電力は、天然ガス、石油、石炭など化石燃料によって賄われなければならない。現在日本の火力発電所は主に天然ガスと石炭で発電している。英国の新聞によると、日本などのアジア諸国が天然ガスを買いあさるので、天然ガスの値段が高騰して英国では買えなくなっているそうだ。このように福島原発の事故は、世界的な影響を及ぼしているのだ。

日本でも原発の停止のために火力発電所を動かさねばならないので、大量の天然ガスを海外から購入している。そのために貿易赤字が増えている

そのため日本の国富は着実に失われていくだろう。その結果として、化石燃料が放出する二酸化炭素の問題をさておいても、電力不足の状況で製造業は、爆発的に発展しているアジアに流れていき、日本には失業と不況が残るだろう。 結局、我々は高い電気代と、さらに生活レベルの低下というペナルティーを支払わなければならないだろう。

一方、中国やインドなどの発展途上国は、今後ますます原子力への傾斜を深めていくであろう。だからたとえ日本が脱原発しても、中国は続々と原発を沿海部に作るであろう。それらは事故を起こすかもしれないし、そのときは日本にも死の灰が降り注ぐであろう。自分の家の庭をきれいに掃除したのに、隣の家の落ち葉が降り注ぐようなものである。

今後、数10年にわたって、日本は衰退を続け、一方、中国やインド、ブラジルといった発展途上国が発展して、日本や西欧を追い越すであろう。福島事故以前に発表されたGDPランキング予測では、現在のトップ10はアメリカ、中国、日本、インド、ドイツ、ロシア、英国、フランス、ブラジル、イタリアであるが、2050年には中国、インド、アメリカ、ブラジル、日本、ロシア、メキシコ、インドネシア、ドイツ、英国であるという。日本の5位という値は悪くないように見えるが、GDP総額では日本は中国の1/10になるという。2050年には日本はもはや極東の小国である。 ただし、この予想は福島事故以前の物であり、脱原発の影響を考えると、さらに日本の地位は低下している可能性もある。

この予測で顕著なことは、米国、ヨーロッパ、日本といった現在の先進国の凋落である(Losing Control: The Emerging Threats to Western Prosperity, Stephen D. King)。 この本では、グローバリゼーションの進展は国際的には国家間の不平等をなくす傾向にあるが、国内的には格差拡大の傾向があると主張している。

日本に関してもう少し具体的に考えると、人件費、エネルギーコストの高さなど様々な要因から、日本の雇用が中国に流れ、日本は失業が増え、日本と中国の関係は平準化に向かう。つまりはっきり言えば日本は貧しくなる。しかし国民が一様に貧しくなるのではなくて、金持ちや支配層はそのままで、貧乏人がますます貧しくなるのである。これが国内格差の拡大である。

もっともこの種の予測が当たるかどうかは、本当はよくわからない。中国の現在の爆発的な発展が、日本がそうであったように、停滞に転じる可能性もあることは、注意しておく必要はある。

将来の中国の繁栄、日本の凋落の予感はアニメなどにも反映されている。2030年代の日本を描いたアニメ「攻殻機動隊」「イノセンス」では、日本には中国語が氾濫している。いい身なりの金持ちの中国人の間を、みすぼらしいなりをした日本人がこそこそと歩いているという未来像を描いたアニメもある。要するに繁栄をとるか安心をとるかという2者択一で、安心という選択を取った場合に、生活レベルの低下は甘受せねばならないペナルティであろう。

私の考えとしては、脱原発は現状では国民のコンセンサスであるので仕方ないと思う。しかしそれに伴う問題点も覚悟しなければならない。私個人で言えば クーラーもテレビもなく、食料品も乏しい 終戦後の貧しい時期を過ごしており、それでも人間は生きていけることを知っている。もちろんそんな貧しい社会は病気も多く、平均寿命も短いし、犯罪も多かった。戦後直後の日本では平均寿命は60歳以下で、未成年者の殺人率は現在の4倍であった。問題はそのような状況を経験したことのない世代が、混乱なく貧しい生活に耐えられるかである。貧しくても、治安が悪化しても、雇用が失われても、放射能のない安心をというのなら、それはそれで一つの選択である。しかし放射能のない安心を買うと、その他の不安が山のように生まれることを自覚しなければならない。それを言わないマスメディアや知識人は偽善であると思う。

 2.3 超悲観的見方・・・縮小社会

さらに超悲観的な見方がある。京都大学の工学部の一部の有志が、縮小社会研究会というものを立ち上げている。縮小社会とは何か。一言で言えば近代的な江戸時代である。

縮小社会研究会の基本的スタンスは反原発、脱原発である。原発は安全ではないから廃止すべきである。しかし太陽光や風力発電のような再生可能エネルギーも当てにならない。化石燃料も早晩、枯渇する。このような状況で、どのような社会を設計するか。それが縮小社会である。

電気がなくても江戸時代にも人々は生きていたのだから、江戸時代に戻ればよいだけだ。しかし今度の江戸時代は前の江戸時代とは違う。人類はいろんな知識やノウハウを蓄積しているからである。自動車を動かすことはできなくても、自転車がある。クーラーがなくても葦簀(よしず)がある。

その場合日本で維持できる人口は三千万から四千万であろう。現在の日本の人口は一億二千万であるから、今後数10年で平和的にそこまで減らせるかという問題がある。軟着陸できるか、ハードランディングになるか、そこが問題だ。

しかし実際、キューバはアメリカから経済封鎖を受けて、ある意味、現代において近代的江戸時代を生きているのである。キューバは縮小社会のひとつのモデルだと私は考える。だから近代的江戸時代という考えもあながち荒唐無稽ではない。

最後に紹介する「成長の限界」がえがく未来像は実はこの縮小社会か再石器時代であると私は思う。その意味でこの超悲観的未来像もあながち的を外している訳ではない。それどころか、もしシミュレーション結果を信じるなら、縮小社会こそ人類社会が着地を目指すべき未来像なのだ。

3 再生可能エネルギーの可能性

代表的な再生可能エネルギーである太陽光発電と風力発電に関して、それに可能性があるかいなか、現状で、例えばドイツを含むヨーロッパで成功しつつあるかどうかは、データを調べれば分かる客観的な問題であるはずだが、しかしネットを調べてみると、同じデータで正反対の結果が主張されている。つまりどうやらこの問題も、原子力と同様に科学的な問題というよりは、主義主張、イデオロギーの問題のようである。その場合はまず結論が先にあり、理屈は後からくっついてくるのである。(「人間に理性はない!?!・・・心の二重課程理論」松田卓也) 

先のWikipediaの記事もその目で見ると、本来中立であるべきWikiの記事も、著者の主義主張で色付けされていることが分かる。

例えば「再生可能エネルギー」というキーワードでググってみると「再生可能エネルギーに関する五つの誤解」という記事(2011/07/11 野澤 哲生=日経エレクトロニクス)が見つかった。そこでは、再生可能エネルギーに否定的なコメントは間違いであり、例えばドイツやスペインでは成功を収めていると主張している。

一方同じキーワードで見ても「再生可能エネルギーに頼れない理由(2011/08/26 山本隆三 Wedge Opinion)という記事が見つかった。それは先のWikipediaにあった再生可能エネルギー成功の切り札であるとされるフィードインタリフ(FIT)制度が失敗しつつあると言う。そのため各国政府は制度を見直し始めているという。

そのような目で見ると、いくらでもその手の記事が目につく。ドイツのシンクタンクの研究ではFITの失敗を論じている(ドイツは間違った、全量固定買い取り制度(フィードインタリフ)は正反対の結果)。

デンマークが風力発電で成功しているというのは間違いである(Danish Wind: Too Good to be True?)。デンマークは風力発電のバックアップのための火力発電所はそのまま維持している。風力発電は時間的に一定でないので、余った電力はノルウエー、スエーデンに安値で輸出して、不足するときは高値で輸入している。その結果、デンマークの電気代はヨーロッパで一番高く、二位はドイツである(Electricity pricing)。デンマークの国民は高い電気代を払って、ノルウエー、スエーデンの人々に貢いでいることになる。しかし電気の輸入、輸出はデンマークと違って、英国やアイルランドのような島国では出来ない。日本も同じことだ。

風力発電は言われるほどバラ色ではなく、害の方が多い。先に述べたノルウエーはデンマークの例を研究して、風力発電は「環境に対する影響が大きく、生産効率は悪く、しかも高い」との結論に達した。デンマークが風力発電に資金を投じるくらいなら、家の断熱を良くするとか、電灯を効率の良い物にするとか、省エネに投じた方が遥かに有利であるという(A Problem With Wind Power, Eric Rosenbloom)。

スペインも政府が再生可能エネルギーに対する補助金の重みに堪え兼ねて、補助を停止した(Spain halts renewable subsidies to curb $31 billion of debts)。オランダの風力発電もコスト高で陰りを見せている。

ようするに、これらの一連の記事が述べていることは、再生可能エネルギーに対するヨーロッパの試みが失敗しつつあると言うことだ。日本はその失敗に学ばず、これから高い金を投じて、失敗しようとしている。

4 成長の限界

以上の議論は個別的、微視的な議論であった。ここではもっと人類文明全体の近未来像について世界的、巨視的レベルで見よう。

それに関しては1972年に発表された「成長の限界」が有名である。これはローマクラブから委嘱されたMITのメドウス助教授(現名誉教授)たちが行った、システム・ダイナミックスにもとずく人類社会の未来予測である。彼らは人類文明を規定する変数として、人口、工業生産、農業生産、再生不可能資源、汚染を取り上げる。そして変数間の関係を組み込んだ方程式を作り上げた。

例えば人口の変化は出生率と死亡率の差で決まる。出生率と死亡率は他の変数で決まる。例えば食料が多い、医療が進んでいるなどの要因は出生率を上げるであろう。生活程度が上がり、教育が進むと出生率は低下する。死亡率も食料、医療、汚染の関数として決められる。

これらの関係を組み込んだ方程式を作り、1900年から2100年の間で解いてみる。1900-1970年は予測というよりは、ここで値を合わせることにより、パラメターを調節するのである。そうして方程式を解いてみると、人口は21世紀の半ばに最大に達し、以後急速に減少に向かう。つまり人類文明の崩壊である。その結論はパラメターを多少動かしても変わらない。

そこで例えばエネルギーや食料生産に関する革命的な技術革新があると仮定しよう。そのような仮定をすると、事態は改善するのではなく、むしろ悪化する。崩壊の時期は少し遅くなるのだが、崩壊の規模が甚だしくなるのである。

そこでメドウスは、持続可能社会を提案する。つまりいろんな進歩を止めるのである。進歩の抑制は早急に、つまり20世紀のうちにやらねばならない。それが遅れると、取り返しがつかないことになると、彼は主張する。

「成長の限界」が発表されて、大きな反響を生んだ。と同時に多くの批判にさらされた。初期の批判としては、人類はそんなに馬鹿ではないから、問題を適切に対処できるというものだ。しかし、その批判が当たっていないことは、以下に示す1970-2000年の予測と実測データの比較がよく合っていることから示すことが出来る。

また「成長の限界」は人類文明が20世紀の終わりに崩壊するという間違った予測をしたので信用できないと主張する、間違ったか意図的に歪曲した批判が多くなされた。それも論文や教科書においてである。この批判が間違いであることは、「成長の限界」の図を見れば一目瞭然である。しかし嘘も何度も言えば本当になるの喩えもある。ためにする批判であろう。

最近、「成長の限界」の予測を1970-2000年のデータと比較した論文が現れた。著者はオーストラリアの研究者である。

A Comparison of the Limits to Growth with Thirty Years of Reality

Graham Turner, 2008, CSIRO Sustainable Ecosystems GPO Box 284, Canberra ACT 2601 Australia

この論文の要約を以下に示す。

「1972年、ローマクラブの悪名高い報告「成長の限界」では、世界システムを人口、食料生産、工業生産、汚染、再生不可能資源の消費の5変数に基づくシステムダイナミックスのコンピュータシミュレーションを行い、世界の持続可能性に関する挑戦的なシナリオを提示した。普通に信じられていることとは異なり、MITのメンバーの解析による「成長の限界」のシナリオは、20世紀の終わりに世界が崩壊することを予言した訳ではない。本論文では、「成長の限界」で提示されたシナリオと、1970-2000年のデータとを比較することに注力した。その結果、30年間のデータは、「標準モデル」とよぶ、普通のシナリオがよく合っている。そのシナリオでは世界は21世紀の半ばに崩壊する。革新的技術発展モデルとか持続可能社会形成政策モデルと実測データは合わない。本論文の結果では世界的な汚染の理解と制御が特に重要であることを示している」

以下に本論文の計算結果と1970-2000年の実測データの比較した図を示す。緑色は標準モデル、赤色は技術革新モデル、青色は持続可能社会モデル、紫は実測データである。人口、人口あたりのサービス、人口あたりの工業生産、再生不可能エネルギー、人口あたりの食料、汚染量の1900-2100年の変化を図示した。どの図も標準モデルが実測データによく合っている。

もしこのモデルを採用すると、人口は2030年頃にピークに達して、それ以降、減少に向かう。人口減少の程度はそれほどドラマティックではないが、サービス、工業生産、再生不可能資源、食料は劇的に減少している。つまり人類は急速に貧しくなるのである。

この予測を信じるとすれば、原発がどうかということは、小さな問題であるように見える。つまり再生可能エネルギーに飛躍的な技術革新があったとしてもダメということだ。人類文明は2030年頃までは発展を続けて、それ以降は急速な崩壊段階に入るのである。非常に憂鬱なアポカリプス的世界観である。

人口の時間変化。横軸は1900ー2100年の時間。縦軸は正規化した人口。青色に四角のマークは持続可能社会モデル、赤色に三角は技術革新モデル、緑色に菱形は標準モデル、黒に丸は成長の限界に使われた1970年までの実測値、紫色に丸は1970-2000年の実測値。持続可能社会モデルはすでに外れている。

 

一人当たりのサービスの時間変化

 

一人当たりの工業生産量

 

再生不可能資源量

 

一人当たりの食糧

 

世界的汚染

   
© NPO法人 知的人材ネットワーク・あいんしゅたいん (JEin). All Rights Reserved