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映画「ブレードランナー」

詳細

この映画は旧作と新作があるが、まず旧作を取り上げる。旧作は1982年のアメリカSF映画で、原作は、フィリップ・K・ディックの小説「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」である。しかし内容はほとんど関係がない。ディック作品としてはこのほか「トータル・リコール」や「マイノリティ・リポート」がある。

あらすじ(1982年版)

監督はリドリー・スコット、主演はハリソン・フォードである。舞台は2019年。今となっては時代設定が適切ではないが、まあ見逃そう。人類は宇宙へと進出し、開拓・移住が推し進められている近未来。未開の惑星で危険な作業に従事させるため、レプリカントと呼ばれるアンドロイドが作られ過酷な環境で奴隷のように酷使されていた。レプリカントは、見かけは人間そっくりだが感情というものを持たないはずの人造人間である。だが彼らの中から人間と同じように感情を持ち、独立しようと反乱を起こす個体が現れる。人間の中に紛れ込んだレプリカントを見つけ出し処分するための専門の捜査官「ブレードランナー」と、自由を求めて人類へ戦いを挑んだレプリカントとの戦いを描いている。

1982年版のシーンでは日本語が話され、主人公のハリソン・フォードがうどんを食べている場面もある。


あらすじ(2049年版)

また、この1982年版「ブレードランナー」の30年後を描いた続編「ブレードランナー2049(ニー・ゼロ・ヨン・キュウ)が最近公開された。舞台は2049年のカリフォルニア。ライアン・ゴズリング扮する“ブレードランナー”Kは、ある重大な秘密に辿り着き、その真相を知るためハリソン・フォード演じるかつてのブレードランナー、デッカードの行方を追いかけるというストーリーである。


なぜこの作品を選んだのか?

2045年にシンギュラリティがやってくるとアメリカの未来学者レイ・カーツワイルは言うが、どのような未来になるかは、さまざまな可能性がある。それらをめぐってさまざまなハリウッドSF映画が作られており、これもその一つである。ハリウッド映画の分析は、人々が未来をどのように想像しているかを知る上で役に立つ。

未来社会のデザインの魅力

なんといってもシド・ミードのデザインであろう。従来は未来もののSFというと明るい清潔な未来社会を描くものが多かったが、本作品では酸性雨の降る未来の暗い退廃したロサンゼルスという設定で、看板には日本語があふれ、また中国の町をも想像させる。具体的には香港が想定されている。この映画デザインはSF映画界に大きな影響を与え、後の日本の押井守監督の「攻殻機動隊」や「イノセンス」、ハリウッド映画の「エリジウム」「攻殻機動隊」などにも取り入れられている。

新旧2作品の感想 比較等

久作は興行的にはあまり成功しなかったが、後に与えた影響という点では特筆すべきものである。ハリウッド映画の常として一作目がすばらしいと、二作目以降は駄作になることが多い。しかし新作2049は十分な期間をあけて製作されたこともあり、前作の前提は押さえてはいるがほぼ新作といってよいので、良い作品になっていると思う。

SF映画に見る未来

シンギュラリティ後の世界として、カーツワイル自身は人間を知能増強した超人間であるポスト・ヒューマンを想定している。映画「トランセンデンス」の世界観はそれに近い。また人間とは別の機械超知能が世界を支配するという「ターミネーター」や「マトリックス」のような作品もある。私はそのような世界にはならないだろうと思うし、そうすべきではないと考えている。

本作では人間そっくりのアンドロイドを作って、それにキツイ仕事をさせるというアイデアである。技術的に言えば不可能ではないにしても、先のポスト・ヒューマンや機械超知能よりは作るのが難しいし、追求すべき方向ではないと思う。なぜかといえば、人権上の問題が生じるからだ。現在の世界でペットといえど、粗雑に扱うと罰せられるケースもあるくらいだ。いわんや人間そっくりのレプリカントを殺すという本作のモチーフなど、もってのほかである。

人造人間レプリカントに感情?

感情は創り出せるものなのか?人間の感情を支配しているのは脳の中の大脳辺縁系とよばれる部分である。恐怖と怒りは原始的な感情だが、これは捕食者などの敵を見た場合に逃げるか戦うかをしなければならないが、そのために必要なものである。つまり感情は生物が生きていくために必要なのだ。だからレプリカントを人間そっくりに作れば感情は必然的に生じるだろう。

痛みというものがあり、人間にとって不快なものである。では痛みのない人間は幸福か?いや必ず死ぬのである。というのも痛みは怪我などの危険を予防するために必要なもので、それがないとたとえば熱いものを手で触ってやけどしても平気である。そんな生き物はすぐに死ぬ。レプリカントも痛みを与えないと、すぐに死ぬはずである。だから痛みは与える必要があり、そうすると多分感情は芽生えるであろう。感情は体、肉体の存在と切り離せない。レプリカントに体がある限り、感情も芽生える。

   
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