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超知能への道 その2 ビーナスとの出会い

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ある日、スターバックスで一人コーヒーを飲みながら、机の上にMacBook Airを広げて作業している時、目の前に背の高い、鼻筋の通った、白人女性が立った。サングラスをしている。

「ここに座っていいかしら?」と彼女は英語で聞いた。

私は英国にいたので、外国人と英語で話すことに気後れすることはない。慣れているので、どうぞと英語で言った。彼女はきっと観光客であろう。ただ、周りに空席がないわけでもないのに、なぜ私の前に座りたいのだろうと一瞬思った。多分、何か聞きたいのだろう。客の中でMacBookを広げていたのは私だけだったから、英語ができると踏んだのだろう。

「森博士ですね?」と彼女は言った。

ええっ?? 

「そうですが、なんで私の名前を知っているのです?」と驚いて聞く私。

「あなたのブログを読んだのよ。写真も見たわ。それで森博士だとすぐに分かったの」

「ブログって、あれは日本語ですよ。あなたは日本語が読めるのですか?」

「ええ、読めるし、話せるわ」

「じゃあ、日本語で話しましょうか」と私。

「いえ、周りの人に聞かれたくないので、英語で話しましょうよ」と彼女。

「それは構いませんが、秘密の話なのですか?」

「ええ、とてつもない秘密よ」

私はここで好奇心の虜になった。白人の美女と、とてつもない秘密!ワクワクするではないか。

「そっ、そっ、それはなんですか?」とどもる私。

「まず自己紹介するわ。私の名前はビーナス。ギリシャ人よ。ギリシャ的にはアフロディティというのですが、あなた方日本人にはビーナスの方が、通りがいいでしょう。名前の発音なんて、どっちでもいいわ。単なる符号よ」と彼女。

「確かにあなたはビーナスのように美しい方ですね」とお世辞を言う私。

私は日本女性相手には、こんな歯の浮くようなお世辞はとても言えない。女性にモテる方法などの本を読むと、女性は褒めなければいけないそうだが、私にはとてもできない。私は理系の草食系の人間なのだ。自慢じゃないが「恋人いない歴=年齢」を誇っている。いや誇りたくない話だが。実は私はもてないわけではない。女性に告白された経験もあるのだが、恥ずかしがりで、自尊心が高くて、心がガラスのように繊細なので、とても生身の女性を相手にする自信がないのだ。プライドモンスターだ。世間で言うところの草食系男子だ。しかし今、前にいる相手は外国人女性だし、絶世の美女だが、しょせん私とは関係無い人間だから、なんでも言えるのだ。恥ずかしいという感じはしなかった。

「ありがとう。みなさんがそう言うわ」と厚かましいことを平気で言う。

「いや、あなたは本当に美しい。まるで美の女神のビーナスのようです」と、ここぞとばかり強調する私。

「あのね、森博士、私はビーナスのようなじゃなくて、ビーナスなのよ」

「ああ、失礼しました。ビーナスというお名前でしたね。私はただ、あなたが彫刻のミロのビーナスのようにお美しいと申し上げたかったのです」

その時、彼女はサングラスを外した。この顔はどこかで見たことがある。そうだ、あのミロのビーナスの顔だ。あの彫刻に肌色をつけて、手をつけて、服を着せたらこうなるだろう。髪型も特徴的だ。

「森博士、私はそのミロのビーナスなのよ」

「ははは、まさか、ご冗談を。あの彫刻のモデルは2000年以上昔のギリシャの女性でしょう。それが今、生きているはずはない」と私。

「それはもちろんそうよ。私はビーナスなの。正真正銘のビーナス。ギリシャ神話のビーナスなの。その意味ではミロのビーナスではないわ」と彼女。

ここで私は困惑した。

「ミロのビーナスのモデルは多分、実在の人物でしょうが、本物のビーナスはギリシャ神話に出てくる仮想の女神ですよね。実在するはずがない」と私。

「それが実在するのよ。私がその正真正銘のビーナスなの」

ミロのビーナス

私は全く混乱してしまった。この女性は頭がおかしいか、私をからかっているに違いない。でもまあこんなに美人だからからかわれてみるか。私の困惑を察した彼女は言った。

「信じられないのは分かるわ。ところで森博士、私の、つまりビーナスの子供は誰だか知っている?」と自称ビーナス。

「ええ、キューピッドでしょう。背中に羽の生えた子供で、弓矢を持っている」と私。

「それじゃあ、夫は?」

「それは鍛冶の神のバルカンでしょ?」と私。


「そうよ、よく知っているわね。じゃあ、キューピッドとバルカンに会ったら、あなたは納得するかしら。あとで紹介するわ」と自称ビーナス。

「えええっ、まさか。でも羽根の生えた子供を見たら、信じないわけにはいかないでしょうね」と私。でもそんなことはあり得ないと確信していた。

「実はね、森博士、私の目的はあなたをゼウス様に紹介することよ」

「ええっ、まさか」と驚く私。
 
「その、まさかよ。ここでは人目につくので、ゼウス様には九十四露(ことしろ)神社であっていただきましょう」

「どうしてその名前を知っているのです? 」と驚いて聞く私。

「だってあなたのブログに書いてあるじゃない。あそこは東山山中で、行く道すらほとんど無い場所なので、人が来ることは滅多にないわ。重大な秘密をあなたに打ち明けるには、もってこいの場所よ。でも私たちが一緒に行くと目立つので、あなたは一人でタクシーに乗って霊鑑寺(れいがんじ)の前で降りてちょうだい。それから鹿ケ谷(ししがたに)の登り道を歩いて、あなたのブログに書いてある例の怪しい家の前まで行くの。そこにバルカンとキューピッドが待っているわ。そこからバルカンの案内で九十四露神社に行ってちょうだい。私は一人で先に行くわ。それじゃあ、またね」

それだけ言うと、自称ビーナスは去って行った。私はビーナスの後ろ姿を眺めて、あのお尻の大きさは確かにミロのビーナスだ、などと変なことを考えていた。

九十四露神社とは私が以前、東山山中を彷徨っていた時に発見した廃神社である。霊鑑寺は哲学の道からすこし東に入ったところにある由緒あるお寺だ。その入り口の横に「此奥俊寛山荘地」という道標がある。俊寛(しゅんかん)とは平安時代末期に、平家打倒の陰謀を企てたかどでとらわれて鬼界が島に流された僧都である。その道標から東に坂道を進むと右手に瑞光院があり、そこからさらに細い山道を登っていくと楼門の滝がある。ここには昔、三井寺の別院如意寺があったという。その石段を登ると俊寛山荘の碑にいたる。

しかし、私は昔、道を間違えた。道の奥に山道が分かれている場所がある。本来は左手に行くべきなのだが、右手に行ってしまった。そこには粗末な木の橋があり、そこを渡ると怪しげな民家がある。その家は水道の代わりに谷川の水を集めているという、京都という大都会にあるとは思えない古い家であった。その家の前の道を通って進むと倒木だらけの道になる。その途中の左手に昔は鳥居があった。鳥居のところで左に折れると昔は木の根道になっていた。現在では草木が茂り、道がなくなっている。その道は、本来は九十四露神社へ続く参道であったのだ。参道の先に九十四露神社があるのだ。観光案内にも載っていないし、ほとんどだれもしらないであろう、山の中の秘密神社なのだ。そこには一応、粗末だが社務所の建物がある。しかし人の気配はない。神社の本殿といっても、実に粗末な木の建物である。

この神社は安井一陽(やすいいちよう)という安倍晴明の流れをくむ人物が作ったものだが、その人の死後、しばらくは弟子が維持していたのだが、その弟子の死後には全く面倒を見る人もなく、荒れ果てた神社になっていた。私は九十四露神社の来歴を調査してブログにアップしたのだ。ビーナスはそれを読んだのであろう。

私はとても好奇心があったので、早速タクシーを捕まえて霊鑑寺の前に行った。言われたようにそこでタクシーを降りて、坂を登って行った。普段なら景色でも眺めてゆっくりと登るのだが、今は気が急いてそんな気持ちになれない。ハーハー息を切らして坂を登りきった。道の奥にある分岐点で、右の道を取った。左に行くと俊寛山荘跡に着く。そこは有名だが、右の道は廃道になっている。そこには小川が流れていて、ネット記事によると川にかかった橋は落ちているはずだったが、今は直されていた。橋を渡り、そこに佇む怪しげな廃屋の前を通ったところで、登山服を着て帽子をかぶった髭の男が立っていた。これがバルカンか! でも西洋人が二人で私をからかっていると考えられなくもない。

続く

   
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