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聖子ちゃんの冒険 その12

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京都ゼミナールハウスの冒険 1

森田研究室では年に1度ゼミ合宿をすることになっている。いつも京都の北の周山(しゅうざん)にある京都府立ゼミナールハウスを使うことにしている。周山は1943年に村から町になった。1955年には周りの村を合併して京北町になり、2005年に京北町は京都市に編入され右京区の一部になった。人口は6,500人程度である。周山は京都市の一部と言っても京都駅から周山街道を通ってJRバスで1時間20分ほどかかる。もっとも4名以上で宿泊する場合は、JR二条駅から京都ゼミナールハウスまで送迎バスがあると言う。

周山の近くには常照皇寺(じょうしょうこうじ)と言う観光名所がある。そこには周山のバス駅から京北ふるさとバス山国線に乗り換えて15分ほど行った所で ある。常照皇寺は1362年に光厳天皇が庵を結んだのが始めとされている。見事なしだれ桜があり花見の頃は観光客でごった返す。

<常照皇寺>

京都府立ゼミナールハウスは、路線バスで行く場合は、周山のバス駅から京北ふるさとバス田貫・上佐々江線に乗り替え、13分ほど行ったところのゼミナールハウスというバス停で降りる。ゼミナールハウスは小高い山の上にあるので、麓の駐車場から少し山を登っていく。その道には野外彫刻などが展示されている。野外彫刻は京都府立ゼミナールハウスの敷地内にたくさんある。

京都府立ゼミナールハウスには、昔は京都駅から直行バスもあったのだが現在はない。しかしかなり不便な場所にあるとは言え、近くに北桑田高校と京北病院があるから人跡未踏というような場所では無い。本当は自動車で行くのが便利なのだが、大人数なのでバスで行くことにしている。

森田研究室では森田教授夫妻、高山准教授、林助教、それに大学院生と4回生全員が参加した。それに便乗して松谷先生、森先生、聖子ちゃんも参加することにした。一同は秋のある日の午前にJR二条駅に集まり、そこから送迎バスに乗った。聖子ちゃんは森先生の横に座った。残りの3人もその近くに座った。周山までの道は周山街道と言って、紅葉の名所である高雄を通り、さらに北山杉で有名な中川を通っていく。今はまだ紅葉の季節には少し時間があるので観光客はそれほどはいない。紅葉の頃は大変な混雑になる。

中川は川端康成の小説「古都」で有名である。山口百恵で映画化された。というようなウンチクを松谷先生は近くの人たちに話した。

<古都>

「私は川端康成は知っていますが、その小説は読んだことありませんし、映画も見たことがありません。山口百恵さんもしりません。どんな話ですか? 」と聖子ちゃん。
「古都は究極の京都物語だよ。 双子の姉妹がいて、中川で生まれたのだが、その1人が事情があり呉服屋の前に捨てられたのだ。その娘は千恵子と名付けられ大事に育てられて、お嬢さんになった。一方の娘、苗子は山村で働く娘となったのだ。千恵子がある時、中川に行った。その時自分に非常に似た娘を見つけたのだ。祇園祭の夜に2人が再会し、苗子は千恵子が自分の姉であると確信して話しかけたのだ。それからしばしば2人は会うことにした。特に劇的な話があるわけではないが、祇園祭、時代祭など京都の様々な行事が織り込まれた美しい京都物語だ」
「そうですか、それなら私も京都女として知っておく必要がありますね」と聖子ちゃん。
「それから山口百恵の映画も必見だよ。最後に二人が別れるシーンは泣けるね」と松谷先生。
「山口百恵さんてどんな人ですか」と聖子ちゃん。
「山口百恵を知らないなんて時代を感じさせるな。山口百恵は1,970年代の日本を代表する大歌手だよ。1980年、21歳の時に三浦友和と結婚して、それを契機にきっぱりと芸能活動から身を引き、それ以後公衆の面前に姿を表さないことで伝説的な歌手になったのだ」と松谷先生。
「格好いい生き方ですねー」と聖子ちゃん。
「君はそんなことができるかね?」
「はい、もし私が森先生のお嫁さんになったら、先生の子供を産んで、家を守りますわ」
「君も、えらくクラシックなことを言うね」

森先生はここまで聖子ちゃんに露骨に愛を告げられて、それでも何も言えない自分に、赤くなった。聖子ちゃんは聖子ちゃんで、女にここまで言わせて、それでも反応の乏しい草食系の森先生に少しイライラした。そばで聞き耳を立てていたお母さんは、聖子もがんばっているなと喜んだ。

バスは谷川沿いに山を登っていき、中川を過ぎ小野郷を過ぎ、やがて峠の頂上についた。その後は峠道を下ると、だんだんと視界も開けてきて、やがて周山の中心街を通過してゼミナールハウスについた

京都ゼミナールハウスは本館が4階建てのコンクリート建てである。道路は建物の3階に接続している。3階にはフロント、ロビー、会議室がある。その3階のフロントについて、一同は説明を受けた。ここは2012年の12月から2013年の3月まで大改修工事に入ると言う。本館は耐震工事、敷地に散在しているユニットハウスとよばれるバンガローは二段ベッドを廃止し、浴室かシャワーを設置すると言う。だから一同は古い設備の最後の使用者となる訳だ。1980年代から何度もこの施設を利用してきた松谷先生にとっては感無量である。近頃の若い人には、二段ベッドに詰め込まれて、シャワーもないという宿泊施設は評判が悪いのだろう。

宿泊は森田先生夫妻だけは本館の講師宿泊室に泊まり、他の人たちはユニットハウスに泊まることになった。スタッフは講師宿泊室に泊まっても良いのだが、いつもの5人組は夜の雑談を期待しているので、あえて学生用のバンガローに泊まることにした。食事と入浴は本館で行う。4階に大食堂がある。2階は会議室で、1階には大ホールがある。ゼミ室は20名以下なら本館の会議室で行うが、それ以上のときは別の建物にあるゼミナール室で行う。今回は出席者がキリキリ20名であったが、余裕を見て定員40名の1号ゼミナール室で行うことにした。宿泊は8人部屋が二つと4人部屋が二つで、スタッフと女性は、それぞれ同じ屋根の下に隣接してある2つの4人部屋に泊まり、残りの男子学生は8人部屋2つに分宿した。聖子ちゃんは森先生と隣同士の部屋に泊まれることを喜んだが、他の人たちがいるので枕投げが出来ないのが悲しかった。

一同は部屋割りを決めた後は、4階の大食堂で昼食をとった。ゼミナールのスケジュールは当日の午後4時間と夜1時間、次の日の朝3時間、昼4時間、夜1時間、翌々日の朝3時間、昼4時間である。午後の時間割は1時から6時まで、途中に1時間の休憩を入れて、施設の見学と探検、休養に当てた。夜は6時から8時まで入浴と食事を行い、8時から9時までまたゼミを行った。夜の9時からは自由時間で、翌朝7時に起床して、8-9時に朝食をとるのである。

ゼミナールはスタッフも学生も各人1時間割り当てられ、そのうち40分のプレゼン、10分の質疑応答、10分の予備時間および休憩時間である。森田先生は研究室の研究方針の話を行い、松谷先生は人工知性を作って世界を制覇するという夢を語った。森先生は人工知能の数学的側面、高山先生と林君はシミュレーション現実の実現方法に関する研究について話した。院生たちは担当しているテーマの話をした。4回生は卒業研究のテーマについて勉強したことを話した。このゼミナールの中で、学生たちのプレゼンの能力が徹底的に鍛えられるのである。特に松谷先生はプレゼン道の道祖を自認しているので、その指導は徹底していた。この指導を受ければ、学会に出て発表しても恥ずかしくない学生に育つので森田先生は喜んだ。

午後の1時間の休憩時間には一同は敷地内を探検した。京都府立ゼミナールハウスの敷地は大部分が山である。そこにはいろいろな細い道があり、探検するのはなかなか興味深い。西端には運動広場がある。5人組は山を登って敷地の北端の最も高い所まで行ってみた。そこからは向こうに開けた土地が見えた。さらに敷地に散在しているユニットハウスや別館も探検してみた。

夜の9時が過ぎて公式の行事が終わり、自由時間となった。聖子ちゃんを除く女子学生は男子学生のユニットハウスに出かけて、トランプゲームなどに興じた。聖子ちゃんを含む五人組は4人部屋に集まり、また雑談会になった。男性は自分のベッドに座ったり、寝転んだり、あるいはイスに座った。聖子ちゃんはイスに座った。松谷先生が口火を切った。

「このところ森先生の話を聞いていないなぁ。何か面白い話はないの? 」
「そうですね、先生何かお話してください」と聖子ちゃん。
「うん、そうだな。今日は伊勢物語のミステリーと言う話をしよう」と森先生。
「伊勢物語ですか。高校の時に古文で習いましたが、確か在原業平の話ですよね」と聖子ちゃん。
「そうだ、伊勢物語はいつも『昔男ありけり』で始まるのだが、その男というのは在原業平のことだ。業平は父方も母方も祖父の代まで遡れば、天皇になる。つまり天皇の孫というわけだ。ところが、父が権力闘争に敗れて臣籍降下したのだ。さらに業平は当時は地位に恵まれていなかった。というわけで、かどうかわからないが、業平は恋愛に熱中したのだ。いろんな女性に言い寄ってはものにしていったのだ。伊勢物語全体が業平の恋愛物語であると言えよう」と森先生。
「僕は古文は嫌いですが、恋愛物語と言うなら面白そうですね」と林君。
「それでミステリーというのは?」と聖子ちゃん。
「伊勢物語の第6段に芥川と言う話がある。話の要点は、ある男が高貴な女に何年も求愛していたが、ある夜、彼女を盗み出して逃げたという話だ」
「その女性の名前はわかっているのですか?」
「うん、藤原高子(たかいこ)という女性で、藤原家が大事に育ててきたお嬢さんだ。後には天皇の后にまでなっている身分の高い女性だ」
「そんなお嬢さんを業平が盗んだのですか?」
「盗んだといっても、合意の上だから、一種の駆け落ちだ。年齢は高子が10代後半で業平が30代と思われる」
「それで駆け落ちは成功したのですか?」
「いや、結果的には失敗だった。男が女を連れて芥川というところにきたときに、女が草の上の露をさして「あれは何?」と聞いたのだ」
「なんでそんなことを聞いたのですか?」
「高子姫は深窓の令嬢で、家の中で大事に育てられたので、露も見たことがなかったのだろう。それともう一つは高子は始めて外に出て、しかも夜で、どこに行くかもわからず、不安になってきたので、話したかったのだろうよ」
「それで?」
「ところが、夜も更けて雨が降り出し、雷も鳴ってきたので男は女の問いに答えずに先を急いだ。そこに荒れ果てた倉があったので、女を奥に入れて、自分は弓と胡簶(やなぐい)を背負って戸口で番をしていた。その辺りは鬼が出るという噂があり、夜明け頃に鬼が出て女を一口に食べてしまった。女は「あれっ」と言ったのだが、雷の音にかき消されて聞こえなかった。夜が明けて倉の中をみると女がいない。男は地団駄踏んで悔しがり、あのとき女が露を指して何かと聞いたときに、露だと答えて、自分も露のように消えてしまいたかった、という歌を詠んだいう話だ」
「鬼に食われたなんて、怖い話ですね」と聖子ちゃん。
「そのどこがミステリーなんだい? 」と高山先生。
「ふたつある。まず男がどのようにして、高子を運んだのかということだ」
「おぶったのではないのかい?」と高山先生。
「確かに、その説はある。伊勢物語の芥川の段は有名なので、江戸時代にいろんな絵が描かれているのだよ。その多くは男が十二単を着た女をおぶっているのだ。例えば土佐光時の絵なんかがそうだ」

「それがなんで問題なんだ?」
「男はその後の話では、弓と胡簶を背負って蔵の戸の前で番をしたとある。矢の入った胡簶を背負って女をおぶうことはできないだろう。それに弓も持たなければならないし。弓矢を持っているのだから、多分、太刀も佩いていたと思われる。有原業平の像とされている土佐光起の絵では、弓を持ち、胡簶を背負っている。この絵は正装した姿だろうから、女を盗み出すときに正装したとは考えられないので、衣服は違うかもしれないが、弓矢と太刀は外せないだろうで」

「なるほどね。それでは、どのようにして女を運んだのだろう」
「そこが推理だよ。可能性としては、馬を連れていたか、従者を連れていたのだろう。業平がまだそれほど偉くはなかったと言っても、貴族だから従者はいただろう。だから従者に女を背負わせて、自分はそばを歩いたというのが僕の推理だ」
「なるほどね。しかし、その程度ではあまり面白いとも言えないね」

「うん。本当の推理は次だ。密室ミステリーなのだよ」
「どこが?」
「女は鬼に食われたとあるが、いかに平安時代といっても、そんなことがあるはずはない」
「単なる作り話だろう」
「いや、この話には後に解説がついていて、実際は女は鬼に食われたのではなくて、二人の兄弟に奪い返されたのだよ」
「なーんだ」
「藤原家の国経(くにつね)・基経(もとつね)の兄弟が妹が奪われたという騒ぎを聞きつけて、追いかけてきて、取り戻したのだ。業平は奪い返されたと言ったのでは格好がつかないので、鬼に食われたという話にしたのだろう」
「なるほど。しかしそれがなぜ密室ミステリーなのだ?」
「問題はどのようにして奪い返されたのかということだ。話では男が知らないうちに女はいなくなっていたことになっている。とすると兄弟はどうして妹を奪い返したか。倉の裏口から入ったか? だいたい倉に裏口なんてないだろう。あったとしても、男は調べたはずだ」
「うん、だから?」
「だから密室ミステリーだというのだ」
「君の答えは?」
「僕が推理するポイントは、この兄弟は藤原家の息子たちで、高貴な身分だということだ。当時はまだ20歳台で身分は高くなかったが、後に大臣や大納言になり、権力を握ったような男たちだ。その藤原家の娘が奪われたとあっては大変なことだ。というのも、藤原家では高子を後々、天皇のお后にして勢力を拡張しようと考えていたのだ。高子はそのための重要な駒なのだよ。だから在原業平ごとき身分の低いプレイボーイの嫁にやるなんて、もってのほかだろう。だから妹奪回には全力を尽くしたはずだ。つまり自分たちも武装して、それに武装した従者もたくさん従えていただろう。僕の推理では男は藤原兄弟の一群に包囲されて、多勢に無勢、やむなく抵抗をあきらめて、女を引き渡したのだろう。しかし、そんなことでは恥ずかしいから、鬼に食われたという話にしたのだろう」
「なるほどね。ところで業平はそんなことをしでかして無事だったのかい」
「いや、その後の段では業平は東下りをしている。つまり都にいづらくなったのだろうよ」
「なるほどね。ところで彼女はもともと業平とできていたのだろう」
「それに関してもその前の段に話がある。業平は高子にずっと夜這いをかけていたのだ。ところがそれは公然の事ではないから、藤原邸の塀の破れたところから侵入していたのだ。そのことを高子の母親が気づき、塀の破れに夜毎に番人を置いたのだ。だから業平は夜這いすることができなくなってしまった。高子がそれを非常に嘆いたので母親はついに諦めて番人を外したのだ」
「なるほどねー、だから業平が高子を奪うことができたのだね」

「高子さんはその後どうなったのですか? 」と聖子ちゃん。
「藤原家では高子を9歳年下の清和天皇の女御にしたのだ。清和天皇が9歳で高子が18歳の時だ。その後、高子は27歳の時に陽成天皇を生んでいるよ。そして後に皇太后になっている」
「そういえば陽成天皇陵は吉田山の東の真如堂の前にありますね。ごく近くですね」と聖子ちゃん。
「うん、また行ってみようか。ところでその陽成天皇は乱暴で藤原基経の画策で退位させられたんだ」
「陽成天皇が何をしたのですか? 」と聖子ちゃん。
「陽成天皇は殺人事件を犯したと言うのだ」
「ひえー、そんなことってあるんですか? 」
「いやそれはよく分からない。噂だ。本当は藤原基経の陰謀である可能性もある。基経と高子の確執だという説もある」
「高子さんも大変ですね」
「高子は後に今の岡崎東天王町に東光寺を建立した」
「岡崎東天王町と言えば近くじゃありませんか。でも東光寺というお寺は知りません」と聖子ちゃん。
「東光寺という名前の寺は今はその場所にはない。その場所には岡崎神社がある。ところで高子は55歳のときにそこの僧と密通したとして皇太后の位を剥奪されている。相手の僧は高子の10歳年下で、この事件で熱海に流されたのだ」
「すさまじいね。当時の55歳と言えば、完全なおばあちゃんだろう。今でも若いとは言えないよな。そんな女性が密通したなんて」と高山先生。
「いや、多分これも権力闘争が絡んでいるのだろう」
「平安時代といえば雅な時代かと思っていましたが、とてもドロドロしていたのですね」と聖子ちゃん。
「うん、何時の世も権力が絡むと、大変な争いになるのだ」
「現在なら、総理大臣になる争いですね」
「そうだね」
「伊勢物語は高校の古文でよく使われていますが、だれも先生ほど深読みはしていないでしょうね」
「それは高校生だけでなく、高校の先生もそうだと思うよ」
「私も森先生に略奪されて、どこかに連れて行って欲しいな」と聖子ちゃん。
「そして鬼に食われたいのかい? 」と松谷先生。
「いえ、森先生に食べられたいです」と聖子ちゃん。

続く

   
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